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今回は、人にはそれぞれにある「昔のあやまち」を何時までも引
きずる事無く、新しい明日に向かって生きよと「諭す:さとす」言葉
でもある。
「単に以前の行為を意味するのではない」と考えている。
ここでの活動では「多くの失敗」がある。
しかし、二度と同じ失敗を繰り返さないのが賢明だが、ここでは
同じ失敗が往々にして起こる。
なぜなら、同じ活動内容はあり得ない事から「村人との意思の
疎通」が最も大切な仕事であり、結果的に「同じ失敗」につなが
る。
人はそれぞれ、長い年月を生きてくれば「多くの失敗や過ち」
を経験してきたはずである。
それが、表題の「過去」である。
何時までも過去を「胸にしまい」生きる事は、前向きな生き方
ではない。
時として、忘れられない「失敗や過ち」もあろう。
しかしである。
忘れられる「失敗や過ち」なら、「忘れた方がいい」。
決して解決しないばかりか、精神的に疲れるだけである。
特に日本では。
私自身、ここでの失敗を何時までも悔やんでいては前に進め
ない。
極力「忘れるように」勤めている。
小さな「頭」に過去を一杯入れていたのでは、新しい事が入っ
てこられない。
だから、「忘れられるものは忘れて」毎日新しい事に向かって
行動する自分でいたい。
これはやはり、「個人の考え方に違いもあろうが」、忘れるよ
う「努力」する必要がある。
添付写真は我が家から見た「アンナプルナ連峰」である。
右からラムジュン・アンナⅡ・アンナ・アンナⅢ・マチャプチ
ャレ
など。
ネパールの習慣: 今回は習慣とはいささか異なるが、ここ
ネパールにおける「信号機」事情についてお知らせした。
今から約二十数年前にはじめて「信号機」が設置された。
カトマンドウとポカラの大きな交差点に数台の信号機が
設置された時には、一般の人々の注目の的でもあった。
何せ、目的が分っていない状態での設置に「イルミネーシ
ョン」ぐらいの感覚であったろうと推察する。
勿論日本のODAでの設置であるが、車の試験場でもこれ
らの説明は無く、街に大きな看板を作って、交通ルールや
道路標識などが表示されているにすぎない。
しかし、ここの人たちには正に「猫に小判」的な感覚であっ
た。
学校でも教えていない。
では、どこで勉強するのかと言えば「免許取得の試験の時」
である。これも免許の必要な人だけに教えるだけで、試験
には出てこない。
、車を持たない人たちには無縁のものである。(しかしロー
タリーは各所に見られる)
ここでの道路標識は極めて少なく、速度制限標識(多くは
20K制限)と学童横断道路など後は、道幅とカーブの表
示くらいで日本のように多くは無い。
こうした状況では信号機の認識が遅れても仕方の無いこ
とであろう。
だから信号が赤であろうと青であろうと車さえ来なければ
交差点を横切るのはあたりまえである。
しかしである。昨今の頻繁に起こる停電で、これらの信号
機の多くは全く動いていない。
従って交通整理の警察が何時も立っていて、朝夕の混
雑時は大変である。
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- 2011/04/30(土) 14:16:27|
- ネパール通信
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