ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

「ネパール通信」絵美先生の教員体験談①

「ネパール通信」絵美先生の教員体験談①


8月27日(日)

今回は去る8月1日から8月5日までの日程で
ラムチェ村の中学校で日本語の先生をやって下さった
「絵美先生」のスリーサルソティー中学校での教員体験の報告を
2回に亘り掲載させていただきたい。原稿は全て原文のままとさせていただいた。



私が学んだ大切なこと①
小河原 絵美
ナマステ!私はこの挨拶が大好きです。
両手を合わせて相手の中にいる神様に手を合わせているように感じるからです。
日本に帰ってきてからもナマステの心で「いただきます」「ごちそうさま」をしています。

さて、ネパールから日本に戻ってはや1週間が経ちました。
私の中のネパール、ラムチェ村、雄大な山々、筋田さん、筋田さんファミリー、
そしてラムチェ村の子ども達、犬、牛、花…そしてダル(豆のスープ)全てが懐かしくて、
日が経つに連れてネパールへの想いは強くなる一方です。
「エミ」とネパール語で書かれたネックレスは毎日身に付けています。
どうしてこんなに強く想うのでしょうか?
自分の心に改めて尋ねてみようと思います。

私がネパールに行こうと思ったきっかけは、知人の紹介でした。
「スタディーツアーに参加するより費用は安くつくよ!」
が決め手でしょうか、なんの躊躇もなく即決しました。
ネパールの情報はあまり調べず、出発日にビザの取り方や飛行機の座席の取り方を
偶然居合わせた知人が教えてくれましたし、
私はラムチェ村の子ども達にどんな授業をしようかとだけ考えていました。
教材は、折り紙、ネームカード、あいさつなどをラミネートしたもの、
色紙(ここに何か書いてもらって自分の小学校の子ども達にネパール語を見せたかったので)
リコーダー、鍵盤ハーモニカの吹き口などです。

あの時の私は自分がこれから生きていく上でヒントとなるものをたくさん集めたかったのかもしれません。
自分の人生がどうなっていくのか見通しは立ちませんでした。
でも『こども』がいつだってキーワードでした。
ネパールの子ども達に出会い、自分が何をどう感じるのか知りたかったですし、学び取りたかったのです。
このように私は、導かれるようにしてネパールに着きました。
大阪から東京に行くような感覚です。空港を出るとすぐに『小河原さ~ん!』というボードが目に飛び込んできました。
ラスミ(末っ子)が出迎えてくれました。
名前の表記がなんだか面白いし、ラスミは可愛いですし、とても嬉しかったです。ありがとうございました!
私の頭の中は見たことのないカトマンズのごちゃごちゃした光景やカラフルな建物、
行き交う人びとの様子に圧倒され、日本とは全く違う環境にきたー!とワクワク感でいっぱいでした。

山をジープで登ったところにピンクの大きな建物がありました。
『銀杏旅館』です。『ぎんなん旅館』ではありません『いちょう旅館』です。
筋田さんはビッグスマイルで出迎えてくれました。
2階の廊下はバルコニーのようになっていて、180度見渡せる素晴らしい景色の中、
美味しくお昼ご飯をいただきました。まさか素麺やぜんざいが食べられるとは思いませんでした。筋
田さんが以前日本に帰国されている時に、どんな活動にしたいのか打ち合わせをしていたので、
安心してネパール生活をスタートすることができました。

でも、これだけ気さくな筋田さんとはいえ、
他人とずっと一緒に活動するということが私の生活にはなかったので少し不安でした。
なのでラムチェ村で筋田さんと同じ部屋に寝泊りすることが、実は私にとって最初のチャレンジでした。

筋田さんはよくベットで横になっていました。
考え事をしているのか、寝ているのかよくわかりませんでしたが、
その姿がだんだん涅槃像に見えてきました。というのも、たくさんお話をさせてもらったからです。
たくさん人生の指針を教えてくださったからです。
ラムチェ村の学校では、英語が通じるだろう中高生に日本語の授業を3日間行いました。
私はホワイトボードにひらがなを書きましたが、みんなに書いてもらおうとは思っていませんでした。
負担が大きいからです。しかし、みんな見よう見まねでノートに書き写していました。
うまっ!びっくりしました。私はネパール語で「エミ」と書くのでも必死です。
授業の進め方はゆっくり丁寧に!と思いながらも初日は、テンション高めで慌ててしまいました。
その反省で2日目は一人ひとりを大切に!わからない子ゼロ!に注意しながら授業を進めました。

私の中での大成功は「名簿」を作ったことです。
日本から持ってきた色紙に子ども達一人ひとりの名前をネパール語と英語で書いてもらいました。
計109人!こんなにたくさんの中高生と関われるなんて本当に有難いです。
日本語が少しでもできると、何か未来に繋がるきっかけができるかもしれません。
「仕事がない」そんなネパールの状況の中、日本語ができることはこれから未来へ進んでいくときの武器となります。
ラムチェ村が日本語特区になれば面白いですね、と話が飛びました…。
私は書いてもらった英語の名前をカタカナに直しました。
「ビピン」「オルン」「オンキタ」…わからない名前はパンネくん(長男)に教えてもらったり、
子どもに読んでもらったりしました。

2日目の朝、朝なのに「こんにちはー!」と元気よく挨拶をし、
一人ひとりの名前を呼びながらカードを渡しました。
みんな喜んで受け取ってくれ、ある子は早速ノートに書いて練習をしていました。
私の今回の日本語の授業の大きなめあては、「自分の名前が日本語で書けるようになる」
「日本人が村に来たときに対応できるように、あいさつや簡単な質問ができる」です。
名前は早速クリアできました。(※書き方には個人差ありです)会話練習もみんな大きな声で、
熱心に取り組んでくれました。嬉しい瞬間です。ありがとうございました!

休み時間に近くの売店(山の中の小さなお店)に行ってお茶するのも楽しかったです。
子ども達の食生活を間見ることができました。
びっくり料理?はポン菓子とベビースターラーメンのようなお菓子をボールに入れて
、酢や香辛料?刻んだたまねぎを入れてよく混ぜる。なんだこりゃと思っている間にノートを1ページ破り、
その上にカッポっとオムライスのようにひっくり返して出来上がりです。
女の子3人くらいでおしゃべりしながら食べていました。
私も味見したいところですが、お腹の方が大事です。でも気になりました。

私は、ラムチェ村の生活を今一番思い出します。子ども達が朝、午後、夕方、構わず遊びに来てくれます。
筋田さんの建てているモデルハウスは、コミュニティーハウスのようです。
子ども達は折り紙が大好きで、詳しく言うと「折り紙で手裏剣を折ってもらうのが」大好きです。
みんな「エスター」と言い、どうやら「s」の前にこちらでは「e」を付けるそうで、
「スクール」も「エスクール」なんですね。もはや手裏剣ではなくスターです。
ある子は「にんじゃー」「ハットリくん」とか言って遊んでいたので、知っているんですね。
そうやって、折り方を私は一人でも伝授したくて折り続けました。
折り紙は手先の細かい作業の訓練にもなりますし、図形の感覚も鍛えられると思います。
賢くなるツールなので来年も子ども達とたくさん折り紙で遊びたいです。

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では次回「ネパール通信」まで



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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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