ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

学校を作る難しさと、蘇る力をくれた三浦さん

9月1日(水)天気:曇り 気温:23℃ 湿度:65%


今回は、ネパールにおける「日本語学校」の設立についてお伝えしたい。
一方、ラムチェ村のモデルハウスの進捗状況はというと、この時期、病気や怪我や事故による死者が多い事もあって、モデルハウスを作っている家族に不幸が発生したり、怪我をした人も現れたりで思うように進んでいない。(地階の部分と柱が6本)

しかし、少しづつではあるが進んでいるのは確認できる。
さて、学校づくりであるが、今までやってきた学校作りは山村の学校の校舎を作るのが主たる仕事で、集客の必要な学校、つまりビジネスに繋がる学校設立申請などはやった事がなかった。

その前に、なぜ今、日本語学校なのか?を説明したい。

以前からここの出稼ぎ事情はお伝えして来たが、彼らの多くは120万~150万円ほども借金をして日本の学校へ入り、アルバイトで学費を捻出。

大学卒業後「就労ビザ」を受けて日本の企業に就職すると言う、膨大な夢を抱えての日本語学校なのである。
そんな大金を借金して学費や生活費を捻出はできても、借金は減らない。
何とかその半分で日本の学校へ行けないかを考える毎日であった。


そんな折、三重県のある会社の社長さんから「ネパールに日本語学校を作って欲しい」旨、要請があり、極めてタイトな日本での日程ではあったが、三重県鈴鹿へ出向いた。(名古屋駅まで出迎えてくださった)

ソーシャルワークをいつも考えて経営をやってきた社長さんは、現在もネパール人の学生たちに働く場を提供してくださっている。

ネパールの人たちに、もっと仕事をやってもらい給料を母国へ持って帰ってもらうためには、どうしても日本企業で作る日本語学校の設置とネパールに我社の協力学校つまり「日本語学校」がなければそれが出来ない。
その学校設立をお願いしたい」との事であった。


そのため、最初は何処から手をつけて良いものかさえ分からない。
設置場所・先生やその数・教科書は?・授業の時間帯は?・役所所に対する学校設立の申請は?
などなど全体の仕事量が見えて来ないのである。

不安と空回りの時間が経過し、焦りが自分でも分かるようになって、「これはいけない!」と元の精神基準に戻して事にあたった。

そうした中で、少しづつではあるが、ぼや~っと見えて来た「全体像」があった。

なぜ分かってくれないのか?
なぜビジネスしか考えられないのか?
現地の人間のマインドは十分すぎるほど分かっているのに、つい、しまった!と気付く事が重なり、また元に戻ってやり直す毎日である。


自分の修行には、これほど適した環境はない。
日本の常識は非常識!
念頭にネパールの常識も非常識!
どこに糸口をつかみ出せば進むのか?


嘘800のネパール人

脅す

盗む

騙す  の3原則が彼らの常識である以上、どこに入り込む余地を見出すのか?

口で言う事とやる事が全く正反対である。
でもやらねばならない。
「日本でも昔から、他人を見たら泥棒と思え」の言われているが、
どうする!どうする!どうする!が頭を駆け巡る。

しかし、身体は動かない。動けない。
サンガの自宅を出て、カトマンドウの安ホテルで3日間。考え続けた。
そんな折、日本語の教科書を貸してくださった日本の方(ご自分で診療所を運営して、お金の無い貧しい人たちの診察をしている)が、カトマンドウにある店に本が置いてあるからと言われ、受け取りに伺った、

その店で店主が大きな写真を背景にした長椅子に腰を掛けて、その本を読んでいた。

「私は筋田と言います。日本の女性から本をここで受け取るように言われて来ました」と告げると、直ぐにこれですね。と上手い日本語で返って来た。

事の次第を告げると、彼は自分の背中の壁に貼ってある大きな写真を指差し「私のこの店に何度も来てくれた」と言って「三浦雄一郎氏」と彼の写っている写真を説明してくれた。

私も「三浦雄一郎氏」にはとんでもない「勇気」を頂いた。

あのエベレストでの快挙は、多くの日本人にも大きな勇気を与えた事は、日本人なら誰もが知っている。

さらに彼は自分の店の隅に設置してある、プロジェクターと全自動で作動するスクリーンをセット。

「これから三浦さんのビデオをやるので見ていきなさい。」と言って勝手に投影しはじめた、時間的制約も無かったので彼のなすがまま見る事となったが、次第に食い入るように見ている自分に気がついた。

ビデオは三浦さんがパラシュートで滑降に失敗し「死の淵」を転倒しスキーは飛び散り滑り転がって行く映像を写し出した時に、「凄い!」と感じた。


この滑落が三浦さんを、単なる冒険家から「人の生き方」を掴んだ人生を歩んでいる今の彼があるのだ!と理解できた。

殆どの方々が知らない「彼の仕事」は日本全国に存在する「学校に行けない子供や親の庇護が受けられない子供の学校」を数多く作って運営しているのである。でも彼は誰にも何も言わない!こればかりではない!


それが、自分のためである事を一番良く知っているからである。


ビデオが終っても暫くは呆然としていた。
しかし気がつけば、今まで「空回り」していた自分に気がつき、本来の精神状態に戻った事が分かって店主に深くお礼をして出てきた。店主の名前を「ラジェンドラ シュレスタさん」と言う。

この店で精神状態を戻してくれた三浦さんの「死の淵の滑落」を撮影したカメラマンは今はこの世には居ない。

その後、何十年と言う時間が過ぎ先般のエベレスト最高齢の登頂である。



ありがとう!三浦さん。

事をなすと言う、勇気はしっかりと頂きました!




添付写真はめずらしく点灯している信号と寺院の前の獅子である。(左が雄)


IMG_1380.jpg

IMG_1533.jpg


井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。





では次回「ネパール通信」まで



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  1. 2016/09/01(木) 20:53:10|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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