ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

2016年総括

6月17日(金)天気:晴れ 気温:24℃ 湿度:55%


毎年、この時期に活動の年間総括をさせていただいている。
特に今年は、多くの義援金をいただき、地震の復興支援にあたる動きが主な仕事であった。



「復興支援」
被災地域(ラムチェ村)への救援物資の配布や仮設住宅の建設資材などなど、
移動手段もない状況の中での支援活動は困難を極めた。
しかし、多くの人々の影で仮設住宅は完成、仮設校舎も完成した今、新たな活動へと移行しなければならない。
それは、恒久的な家屋の建設である。

ではなぜ、こんなに建設工事が遅れたのか?
それは、農作業はこの時期を逃すと1年はおろか2年間(種籾の関係から)は確実に食料が不足する事となるため、
仮設住宅より農作業であったのが、遅々として復興が進まなかった要因の一つでもあった。
崩壊した家屋の中から「ひえ・米・麦・とうもろこし」などの種を取り出し、畑や田んぼの仕事に忙しい1年であったと観ている。

先般も、銀杏旅館に来られたゲストにラムチェ村での農作業をお手伝い願ったが、
やっと通常通りの収穫が得られるような体制が整ったと実感した。

昨年の今頃にはチトワンにて自分自身の「癌」の治療にあたっていたこともあり、
苦しかったあの時期を思い出しながらのレポートとなった。



「メールダラでの活動」
さて、昨年8月にネパールに戻り、最初に仕事はメールダラの後始末であった。
学校の校舎の存続を期待しながらの訪問は、若い村長の意と合わず「子どもたちには全く関係のない理由」から
支援活動の撤退を決断するに至った経過は以前の通信でも報告していた通りであったが、
彼らの「欲」と私たちの「思い」との間にはかなり「大きな隔たり」があったようである。

学校の校舎は、地震による被災箇所を修復すれば使用可能であったにも関わらず、
撤去しないと新築する「新たな支援」が受けられないと考える村長との葛藤は
最後まで「埋まらない溝」を残したままで撤退を決断するに至った。
残念の一言である。

この村(メールダラ)を主体的に活動していた学生の団体はと言うと、子どもたちとの関係を断ち切る事が出来ず、
村長の「要求」である「水場」の設置を受ける形で活動を続けているが、
何せ日本に居ての活動では細部に亘る注意が出来ず、かなり困難を極めているようである。

今回の地震で水源の水が出なくなり、生活用水に苦労しているとの情報から学生団体が手がけた支援活動ではあるが、
この仕事は(水の仕事)途中で挫折する事だけは止めたい。
なぜなら、全く無駄なお金の使い方になってしまうからである。

ここネパールで(山村で)水のラインを作る事の「難しさ」はやったものでなければ分からない事である。
何処に水源があるのかの調査から始まって、ボーリングの必要性やラインの長さなど、
さらに「タンク」の設置などなど、数多くの仕事があるが日本に居ては完全な「お任せ」になってしまうため、
完成も何時になるのか、幾らかかるのかも?

何十年と支援活動をしている方々でも「留守にすると」工事が止まったり、とんでもない物が出来たり、
壊されたりする事が常であるのがネパールである。
こんなところでの支援活動に「何処まで耐えられるのか」が試されているのである。

一方、地震でほぼ全壊したミナの部落とミナの家では、最初に仮設住宅(コテージ)の設置から取り掛かったが、
設置場所の設定も極めて難しい。

中には道路の真ん中に設置してあるコテージもあり、何時恒久的家が出来るのか判らないのにである。
幸いミナの家では全壊した家の敷地の瓦礫撤去作業は被災から1年後に整地が完了した。

さらに、ミナの家の立地条件が悪く建設機材を運搬する費用が(人による運搬)かかるため、
お婆さんの敷地(車の入れる道路側の土地)を分けてもらえるよう交渉が続けられてきて、先般やっとその手続きが完了。
ラムチェ村へ運んだ建設機材を小型トラックで運搬している。
この「モデルハウス」は「震度5でも絶対倒れない」構造で建設している。

ただ、一部屋だけの細長い建物では安定感がないため「段々畑」に頑丈な「柱」を建てて2段の畑を1段にしての建設になった。
この構造については、専門の技術者による設計によるもので政府の認可もあり、補助金も獲得出来る構造である。
完成目標は8月末と考えているが、ここはネパール・・・・9月になるかも。



「小学生の支援活動」
ここラムチェ村は10年ほど前に支援活動をやっていた村で、
校長先生や多くの先生方も顔見知りに方が多く「元気だった?」と声を掛けてくれるのが嬉しかった。

10年前にここを去る時の状況が「惜しまれて」次の村へ移動した事が
今回、再び会えた事の喜びも増したのではと考える。

ここの小学生も、今回の地震で両親が亡くなったり、兄弟が亡くなった子どもも居て、
どんな支援が必要なのかを聞き取り調査から始めたが、やはり勉強の出来る環境を作る事が先決との結論に達して、
学校で必要な物を支給し学校へ通ってもらう事を優先的に推進する事とした。
結果、25人の子どもたちの衣類・学費や制服・カバン・文房具などの支援を主体的に行う事とした事は評価したい。



総合的評価として、自分の健康状態もあるが「良」であったと考える。
メールダラの管理人さん家族からは、今も電話があり「何時来てくれる?」との催促もあり、
後ろ髪を引かれながらも難しいのが現実である。





添付写真は、この1年の動きで観てきた様々なショットである。
尚、添付枚数を少なくさせていただいたのは、容量的に配信出来ない方も多く
最小限の枚数になった事をご理解いただきたい。

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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。






では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2016/07/05(火) 14:31:05|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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