ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

メールダラの現状報告(Ⅰ)

9月7日(月)天気:晴れ 気温:22℃ 湿度:52%


8月31日(月)にネパール到着。
早速、メールダラの学校へ行く準備に入る。
9月2日、午前8時に先に銀杏旅館に来て待っていてくれた「学生さんたち」と一緒に総勢5人でメールダラに向かう。

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途中の昼食場所では、「川が汚れているため魚は無い」との事。
仕方なく野菜と鶏のダルバートで昼食を採る。
スンコシリバーに架かった橋は完成していて、銀杏旅館から直接メールダラまで行ける事となった。

スクテの橋までは順調に行ったが、急な上り坂の連続に流石の「いすず:ビッグホーン」も音を上げ、
ぬかるみに空回りするタイヤとの格闘に約30分、運転手が「もう駄目」と諦めた。
とその時、メールダラの子供たち3人が近くに居て、100Kg近い荷物を村まで運ぶのに「助けを呼んだ」。

これがまた素晴らしい!
携帯電話でなく、「地声」での交信で、手の空いている子供6人ほどが山を下りて来てくれるとの事。

A)お~い!
A)日本人が来ているが、車が動かないので荷物を運んでくれる人数を集めて下りて来てくれ~!
B)わかった~!

こんな会話が交わされたようである。(携帯電話より多くの人に伝わる)

待つ事20分くらい。
子供たちが6人ほど下りて来て(見覚えのある顔・顔・顔が目に付く)それぞれに荷物を持って登り始めた。
約40分で「管理人さん」の家に着いた。

彼の家もコテージ(トタン板の仮設である)で2棟あり、そこに至るまでにも「あれが学校だよ」と言うのを聞いたが
「テント」とは思っていなかったため???学校が判らなかった。

到着してから話を聞いてはじめて理解したが、学校の状況が心配でたまらない。
しかし見るのは「怖い」気がしてならなかった。

到着当日は見に行かなかったが、学生さんたちが見に行って来て「悲惨」だったと聞いた時には、ある程度覚悟は出来た。
3週間ほど前に起きた余震と大雨による土砂崩れが原因で、校舎や校庭に被害が出たようである。
私が日本に戻っている時である。

約10ヶ月掛けて作ってきた校舎で、フェンスやトイレ・水場を合わせれば1年半以上の期間、学校の修復作業に掛かってきた。
こんな貧困な村を「神はなぜ怒りの鉄拳を振るったのだろう?」こんな疑問さえ浮かんだ。

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子供たちの勉強はというと、既存の学校から西へ200mほど離れた極めて狭い道路の真下で、
テントを3つに仕切っての授業であった。

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lこんな状態では何時までも耐えられるはずもない。
しかし、シンドパルチョークの学校200校あまりは全てがこんな状態である。
こんな状態でも子供たちは「明るく元気」に走り回っているから救われる。

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9月4日には学生さんたちによる「運動会」を開催。

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ここでの運動会は3度目だが、場所が狭いため競技が限られて3~4種類の競技になった。
しかし、子供たちは40数人の子供を「赤組・青組」に分けると、もう「闘争心」丸出しで元気のいいことである。

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競技は「パン食い競争・飴食い競争・スペース競争・リレー」など、
昼食を挟んで子供たちの歓迎ダンスを披露してくれて、「可愛いダンス」を見せてくれた。
その後学校の制服とスリッパを配布しプログラムを終了。

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これからの訪問時には、学校の校庭にテントを張る事になる。
(2~5人ならば管理人さんのコテージを借りる)

ただ、あまりにも多くの仕事に何処から着手すべきなのか難しい。
それぞれが「手分け」して修復作業に掛かる必要があろう。






【感謝とおねがい】

ネパールにおける4月25日・5月12日の2度に亘る地震の被災地、
ラムチェ村の復興支援はまだ復興計画は始まったばかりです。

もちろん、政府の動きはいまだ無く、我々民間レベルでの動きです。
震災当時のネパール支援に対し、日本全国又は海外在住の日本人の方など、
多くの皆さんの「心を集結」させていただき、本当にありがとうございました。
まだまだ先の長い活動となります。
これからも暖かく見守っていただければ幸いです。

ネパールの被災地でも、その被害の最も悲惨な「ラムチェ村」の復興開始時期を「余震の終った時点」と定め、
それまでに子供たちが「勉強が出来る環境整備」を整えたいと考えています。

具体的には一時的集団転校に依る「寄宿舎」の設置を考えていましたが、
2度目の地震以降、余震が少なくなり、村人が家財道具や家畜を放置したままの村に戻ってきたため、
急遽方向を変えて仮設校舎の作成の取り掛かる事が賢明と考え着工を決めました。

ラムチェ村の殆どの家が戻って来て「コテージ?」で生活を始めた今、学校もそろそろ始まる。
テントでの勉強を余儀なくされているが、少しでも「学び舎」の環境が良くなるように、
仮設教室の着工に取り掛かり「質素でも雨露のしのげる学び舎」を目指し行動を開始します。

さらに、復興支援事務所の建設を行い「現地訪問」の出来る環境を整備いたします。
尚、こうした支援団体をネパールで集結して大きな力とし、復興支援をするために、多くの団体の参加を心よりお待ちしています。




【復興支援の考え方】

*決して「驕り」でなく、「させていただく」と言う気持ちで実施していきます。
*常に「同行二人」の私たちです。「自分に負けないよう」努めます!

この考え方には「失敗がありません」新たな支援方法が待っているだけです。
同時に村人からの「見返りも・感謝も・お礼も不要」です。
なぜなら、全て「自己研鑽」でしかないからです。

支援金の振込み先は「岐阜ネパール会」のHP「お問い合わせ」から事局へお聞き下さい。
よろしくお願いいたします。       すじた



井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。




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では次回「ネパール通信」まで。



HPのご案内
http://gifu-nepal.jimdo.com/
Ichyo Group Sujita






















              





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  1. 2015/09/07(月) 16:06:13|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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