ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

臨時報告(そのⅠ)

5月17日(日)天気:かんかん照り 気温:体温以上 湿度:??


今回は、余震が頻繁に続く首都カトマンドウを出て、国立公園で名高い「チトワン」に来ている。

仔細は前回の通信にも記載したが、当方の「体調不良」から検査した結果、
ドリュケルホスピタルでは「癌の疑い」がある、ついては「本格的に検査し治療するためにも、
専門病院に行った方がいい」の助言から5月13日カトマンドウを出発して
一路紹介された「チトワンの国立癌センター」へと急いだ。

この13日昼ごろにも震度7.4の地震があり、観光客の殆どは居なくなった。
中でも中国の対応は早く4月の最初の地震で、99%の中国人観光客は中国の準備した臨時航空便で脱出。
あれだけ居た中国人観光客が全く見えない!

午前7時に出発したツーリストバスは、午後2時にはチトワンに到着。
受付は何処かも分からず「うろうろ」していると、知らない「おばさん」が何処から来たの?とミナに質問。
ミナも皆目要領が掴めない病院の仕組みに右往左往していた時で、
親切な「おばさん」に案内をお願いし「受けつけから診察」までを面倒みてくれた。

ミナの言うのには彼女は借家に持ち主で、「間借り人」をい探していたようであるとの話。
なるほど・なるほど・・・そうであろう・そうであろう。
遠くから来る患者さんとその家族の「待機場所」としての宿である。
その宿から病院へ投薬治療に通う患者や手術後もしばらく滞在して投薬を続ける患者などさまざまである。

最初の診察で、ドリュケルホスピタルから持って来た資料には目を通さず、
血液検査→心電図→内視鏡(胃カメラ:インデスコピー)まで検査するのに3日間を要した。
そして、土曜日は国民の休日!  遅々として進まないのが通常である。

でも誰も愚痴を言わず、不満も漏らさず、ただただ「忍」の世界である。
「食道から採取した患部」の結果は3~7日ほど必要との事で、
再度ドクターに早くしてくれるようミナが依頼しに出かけた。
結果はまだ分からないが、もし早く結果が出るようであればドクターに「お礼を握らせる」とミナ。流石はネパール人!

この結果で手術をするのか、投薬で治療するのかを決めるそうである。
併用もある。

ここの癌センターの周りには、長期間の滞在で宿泊施設が数多くあり、
一日200Rsで食事が1食200Rsで肉や魚は300。
2~4ヶ月も間借り生活をしている若夫婦とお母さんも居た。

彼女は投薬で初期の癌治療をしていて、殆ど完治したようである。
ここの家主も家をそっくり借りていて、間借り賃で支払いをしているようであった。
でも「めちゃめちゃ暑い」から夜は屋上にマットと蚊帳を釣って寝ている始末。
私が屋上で寝始めて3日目、ここの家主のご主人も上がって来て寝るようになった。
そうであろう、なんぼ「チトワン育ち」でも暑いものは暑いのである。

さて、こうしてカトマンドウから遠ざかっている間にも余震は多く、
再三、ラスミちゃんから電話で「そっちは大丈夫?」と電話が掛かってくる。

ここチトワンで今後の支援体制を考えてみた。
我々のような小さな団体も数が多く集まれば「大きな仕事」が出来るのではと考えたのが始まりであった。

なぜなら、食料・衣類・はテンポラリーに支給する団体(国や国連・ユニセフど)が居るし、
遅れては居るが各国からの支援物資やお金もある。ただ何時からなのかは不明。

こうした状況で、如何にしたら継続的な支援が出来るのか?
日本では、「自立支援」をそれぞれのボランティアがテリトリーを分担して避難所運営や仮設住宅での活動をやってきた。
しかし、メンタルに関する病気には手が出ないのが現実で、仮設住宅から引き離す事しか方法が無かった。

独居老人を正月休み期間中、夏休み期間中など何処かの施設で預かり、仮設住宅のみんなが戻るころに返すのである。
暑い仮設住宅・寒い仮設住宅に居ると「自殺者が続出した」経過を踏まえて、
多くの災害施設では対策が取られて来たはずである。

しかし、東日本のような例ははじめてである。
いろんな要因が折り重なって「重い精神疾患」を起している。
家庭破壊も頻繁にあり、東海地方や遠く九州までも「避難生活場所」を移している方々も多い。
ここネパールでは「核問題」はないが、危険と知りつつ被災現場を離れられない人々が多い。

シンドパルチョークの最も悲惨な被災地である「ラムチェ村」では政府により
居住地を「村ごとそっくり移転する計画」がなされているようであるが、難しい問題であろう。

何百年と培ってきた「村での生活」を捨てられるはずもない、と思っていたが
5月16日11:30分ごろラムチェ村に居るパトネちゃんからミナへ携帯電話が入り約15分ほども話していた。
電話の後、ミナが「お父さん大変!ラムチェ村の人が居なくなった」と話した。

内容は実に最もな話で、毎日のように落石の恐怖にある村を捨ててカトマンドウへ引越しがはじまったようである。
もちろん、お年寄りは別である。
これは何処の国でも同じで、長年生活してきた村を捨てて都会になんぞ行けるものでもない。
もっと近くの村ではなぜいけないのか?の質問に、村では土地が無く家も建てられないし、
やはり村意識が強いため一緒に暮らすとなると都会しかないのが本音であろう。

ミナのお婆ちゃん(酒豪の)も「わたしゃ、ここで死んでもいい!」と言って村を離れない。
困ったのは息子さんで、泣きながらミナに電話で「どうしよう?」と相談してくる・・・・
何でミナばかりに相談がくるのか???

しかし、友人知人を頼っての移動である。
家財道具一式とは言ってもほんの少しの台所用品と寝具くらいで、後は崩れた家から引き出した「穀物」である。
ミナへの相談は「お父さんやお母さんをどうしよう?」であった。

当面、銀杏旅館に入るにしても1~3年という分けには行かない。
でも牛やヤギさえ居なければ可能なのだが・・・・

カトマンドウに借家を借りて生活する事になるが、
お母さんは「私の牛やヤギや鶏が居るのでカトマンドウには行かない!と困った事である。
しかし、この牛やヤギは移動する事が出来ず処分しかない。
それも可愛そう・・・・・

ロールワリンでは多くの土砂崩れでトレッカーや村人、さらにはレスキューに出かけたUSAのへりさえ墜落。
先日もチベットのアイイルベーダーのみなさんが5人ほどラムチェ村へボランティアに来て、
5日間の滞在予定であったが連日の「落石や土砂崩れ」の「音」で
2日目には「もうこの村には居られない」と言って薬をミナに預けて逃げ出した。
散々なシンドパルチョークの現状である。

お母さんの思いも・危険な村を捨てよと言う、政府の言い分も最もな事である。
しかしそれらの動きを見つめながら「今後の支援体制」を考えていきたい。
「痒いところに手の届くような」支援を目指して!

日本でも避難所から仮設住宅への移動は、多くの住民が拒んだ。
なぜなら、隣近所は誰も居ないし、知った方も居ないからである。
年をとってからの移転には、精神的苦痛を伴うなものである。

この変動するネパールの社会情勢の中で、何が正しいのか何が誤りなにかを、
見極める確実な支援体制を構築するには毎日の確実な情報であろう。

地震や土砂崩れの危険が無くなった時点ではじめる事と、今する事を今検討する。
余震の止まない状況では何をやっても無意味に終る。

現に、当方がラムチェ村の第一報を入れた後、数箇所の土砂崩れでまた多くの犠牲者が出た。
バラビシから30分ほど登ったところの全壊した学校も、今はその姿を見る事ができない。
私がが行ってから1週間ほど後の土砂崩れで流されてしまった。
ラムチェ村が廃村になる事は有り得ないが、しかし・・・・・。
なぜなら、160世帯の住民の意思が「ミナのお母さん」と同じ考え方だからである。
余震が終って必ずやってくる、村の再建時期はまだ未定だが「来た時には直ぐに移れる対策」が必要であろう。

その手始めが、「ミナの家に事務所を開設」である。
(ラムチェ村デベロップ事務所Orラムチェ村デベロップ協会)

RVDO・RVDAとし、総合的な村の再建計画をミナやパトネちゃんたちと村の考え方も含めて協議し、
確実に進める方向を見極めたい。
対象はラムチェNo2~3の160軒である。
「自立しようとする人々が対象」である。

しかし、これまでの状況を考え、ミナやパトネちゃんもの相談しながら、
当面は「都会に避難してきたラムチェ村の子供たちの勉強する場所を提供」して
「寄宿制度を実施」していくのが最優先と考えた。
なぜなら、移転先での勉強が辛い子供たちに
「安心して勉強出来る場所」を提供する事が最優先で求められるからである。

今まで一緒に学んできた仲間と一緒であれば、何と心強いことであろう。
食事や清掃は父兄の順番制で実施し、日本人によるボランティアのみなさんにも
参加していただき、子供たちのお世話や遊びを通して、ネパールのおかれた現実を実感していただき、
長い活動としていきたい。
寄宿舎の場所はサンガ&バネパの適当なところを物色中である。

現在、既に動き始めている。
この活動を多くの支援団体で支えていただきたい。
もし、この通信を読まれて「私も・我々も参加したい」と考える方が居たなら幸いである。

その場合、必ず「岐阜ネパール会のHP」から「お問い合わせ」の事務局へその旨、
連絡方お願いしたい。(HPの案内は末尾に記載)
もちろん、ここのマネージャーにはミナ(ラムチェ村出身)にその任にあたってもらう。

村人が村へ戻るまでは、この活動が主たる活動となる。
村人が村へ戻ってからは前記に記載の通り、復旧活動に移りたい。

多くの場合、常に現場での即決やフレキシブルな対応が要求されるであろう。
今からそんな覚悟は必要である。





私の見た学校であるが、今はない
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崩壊の進んだラムチェ村・緑いっぱいの村ががけ崩れで無残な姿に
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2度目の地震で外に逃げ出した観光客やネパール人・中国によって建設された国立癌センター
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そして最後に10年以上も昔の「世界がもし100人の村だったら」をお届けし、
それぞれの「ポジション」を思い出していただければ幸いである。

「世界がもし100人の村だったら」(マガジンハウス発行)
・世界には63億人の人が居ますが、もしもそれを100人の村に縮めるとどいなるでしょう。
100人の内
・52人が女性です。48人が男性です。
・30人が子供で70人が大人です。そのうち7人がお年寄りです。
・90人が異性愛者で10人が同姓愛者です。
・70人が有色人種で30人が白人です。
・61人がアジア人です。13人がアフリカ人・13人が南北アメリカ人・12人がヨーロッパ人あとは南太平洋地域の人です。
・33人がキリスト教・19人がイスラム教・13人がヒンドウー教・6人が仏教を信じています。5人は木や石など、全ての自然に霊魂があると信じています。24人は他のさまざまな宗教を信じているか、あるいは何も信じていません。
・17人は中国語をしゃべり、9人は英語を、8人はヒンドウー語を、6人はスペイン語を6人はロシア語を4人はアラビア語をしゃべります。これでようやく村人の半分です。あとの半分はベンガル語、ポルトガル語、インドネシア語、日本語、ドイツ語、フランス語、などをしゃべります。
・いろいろな人がいるこの村では、あなたと違う人を理解すること、相手をあるがままに受け入れることにより、そしてなにより、そういうことを知ることがとても大切です。
・またこんなふうにも考えてみてください。村に住む人びとの100人のうち
・20人は栄養がじゅうぶんではなく、1人は死にそうなほどです。でも15人は太り過ぎです。
・全ての富の内6人が59%をもっていて、みんなアメリカ合衆国の人です。74人が39%を20人がたった2%を分けあっています。
・全てのエネルギーのうち20人が80%を使い、80人が20%を分けあってあいます。
・75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがあります、でもあとの25人はそうではありません。17人は、きれいで安全な水を飲めません。
・銀行に預金があり、財布にお金があり、家のどこかに小銭が転がっている人は一番豊かな8人の内の一人です。
・自分の車を持っている人は7人のうち一人です。
・村人のうち、1人が大学の教育を受け2人がコンピューターを持っています。けれど14人は文字が読めません。
・もしあなたが、いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに信仰や信条、良心に従って何かをし、ものが言えるなら、そうではない48人の人より恵まれています。
・もしあなたが、空爆や襲撃や地雷による殺戮や武装集団のレイプや拉致におびえていなければ、そうでない20人より恵まれています。
・1年の間に、村では1人が亡くなります。でも1年に2人赤ちゃんが生まれるので来年は、村人は101人になります。
・もしもこのメールを読めたらなら、この瞬間、あなたの幸せは2倍にも3倍にもなります。なぜならあなたには、あなたのことを思ってこれを送った誰かがいるだけでなく文字も読めるからです。
・けれどなにより、あなたは生きています。
・昔の人は言いました、巡り往くもの、また巡りくる、と。
・だからあなたは、深々と歌ってください、のびやかに踊ってください、心をこめて生きてください、たとえあなたが、傷ついても、傷ついたことなどないかのように、愛してください。
・まずあなたが愛してください。
・あなた自身と人がこの村に生きてあるということを。
・もしもたくさんのわたしたちが、この村を愛する事を知ったなら、まだ間に合います。人々を引き裂いている非道な力から、この村を救えます。 きっと!





井戸の外から&ネパールの習慣は今回も割愛したい。









では次回「ネパール通信」まで。



HPのご案内
http://gifu-nepal.jimdo.com/
Ichyo Group Sujita

















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  1. 2015/05/18(月) 17:51:14|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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