ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

緊急地震報告(その一)

4月30日(月)天気:雨 気温:21℃ 湿度60%


今回は、緊急報告としてネパールで起きた巨大地震をお伝えし、私たちに何が出来るのかを考えてみた。
はじめに、4月24日の「胃カメラ」の検査結果のレポートをもらうため、病院に出かけた話からお伝えしたい。

当日は先週指定された金曜日で、午前8:30には病院に着いていたが誰も居ないのである。???
守衛さんに聞くと「今日はこの病院の設立記念日」で休みだとの事。
唖然!!!
だったら先週言って欲しい!!!っと思ったが・・・
でも、ここはネパール「仕方が無いか・・・」で諦めるより方法が無い。

帰り道バネパに寄って昼食をと考え、ミナとラスミを連れてレストランへ行きそれぞれに好きなものを注文して食べる。
しかし、ミナは必ず私の注文した物も「手をつける」??
これは、多分いろんな物を食べたいのかなぁ~と思ってみたがそうではない。

彼女は私の注文したものが「どんな味」なのかをチェックいていると言うではないか。
あっぱれ「銀杏旅館の女将」と思ってみたが「そんなはずはない」と思い直して
「何でお父さんの注文した料理を食べるの」?と聞くと、見た目が旨そうだったから・・・・ただこれだけ・・・
隣の芝は青いだけであった。
肩透かしもいいとこである。

次の日は土曜日でミナはカトマンドウの事務所へ、パトネちゃんはトレッキングに行く予定であったが、
中止しそのまま事務所に留まった。
ちょうど昼ごろ「第一発目の地震」がやってきた!
約2~3分ほどの間かなり大きく揺れて、リビングの本は全て放り出された。

私の部屋も棚に収められていたしなもの(ごちゃごちゃ)が全部外に投げ出された。
ラスミが物凄い声で「お父さん、早く外へ!」と叫んでいたが、揺れが収まってから外に出た。
新銀杏旅館は問題なく、古い建物(つまり私の寝起きしているリビングと2階)は
流石にセメントが剥がされている箇所が数箇所あり、クラックも4箇所ほど見受けられた。

しかし、修理は可能な範囲と判断し村の中を見回ったが、
直ぐ隣の家が全壊していて外で奥さんが涙声で荷物を取り出していたのが印象的であった。

この私の住むサンガ村では銀杏旅館を除いて2~3軒しかまともな家は無く、
殆どが半壊もしくは全壊の被害状況であった。(添付写真の通り)


地震発生から2日が経っても余震は1日70回を数え、ネパールでは始めての大地震とあって、
ラジオでは「家の中から出て寝てください」と何度も案内が流されていた。
だから、キャンプさながらの外にテントを張り集団で寝る事になる。
我が家もその集団ベッド場となり、駐車場がそれに使われた。

3日目まで外で寝る事となったが、直ぐ上に私のベッドがあるのに・・・・と思いながら
冷たいセメントの上にマットを引いて寝る事にしたが、普段こうして寝た事がないため「なかなか寝付かれ」なかった。

4日目になり、やっと各家家の片付けがはじまり、「埃の舞い散る道路」を避けて、
その片付けを眺めていた。(出て行っても邪魔にされるだけである)
ラジオからは刻々と新しいニュースが聞こえて来て、
このサンガはシウンドパルチョークに次ぐ強い地震の地域だったようで、
一番強いのがミナの村のあるバラビシの近郊であった。
この日もラジオは「まだまだ地震は来る!家の中では寝ないでください」と訴えていた。
結果ミナの村では数十人の村人が亡くなり、全ての家が全壊状態であった。

現在の支援部落の様子も気になり、パトネちゃんにメールダラの学校と村の様子を見てきてくれるよう依頼。
彼はメールダラの調査だけでなく、自分の村(ラムチェ2)でもあるラムチェ村(約80軒の村)にも出向き
今後の復興準備もして来ると言って出かけた。
流石、長男である。

この時から「どうする復興を!」と考えるが、二つの村を同時に手がける事などとても出来ない。
だったらミナの村である「ラムチェ村」一本に絞って復興作業を進めようと、
取り合えずパトネちゃんが出かける前にある程度のお金を持たせて、
バイクに持てるだけのビニールシートを持って行くよう調査依頼した後に
「しまった!まだ余震があり危険な仕事を頼んでしまった」と後悔したが遅かった。
彼はバイクで直ぐに出かけた。
自分でもかなり「焦って」いた事が分かった事例でもある。
これだけの大きな地震は、ネパールとしても経験が無いことであった。

カトマンドウの郵便局近くにそびえ立っていた「カトマンドウタワー」も
バクタプルの「ニャタポラ寺院」も「高い古い建物は全て倒壊」したのである。
世界遺産の多くは何百年と経っているため、
老朽化や劣化が著しく修復には何十年と言う時間が掛かったが、もう無い。
残念の一言である。

まだ何人の犠牲者が出たのさえ明確な数字が出されていない。
分からないのである。
調査さえ出来ていない。
銀杏旅館にも警察が調査に来て、被害状況の確認にきたが
一軒一軒を尋ねて山の上まであるシンドパルチョークの家を調査するには数ヶ月を必要とする。
日本では考えられない状況が、ここネパールなのである。

これを書いている今も「余震」の最中である。
決して気持ちのいいものではない。
こんな環境では(電気・水・ネットの無い)生活するだけでも大変で、物価も急激に値上がりしている。
特に生鮮野菜などは、普段の3倍近い。
頭の整理が出来ていないが、取り合えずの一報として報告し現状把握が出来てから「どうする」を決めたい。

4月29日朝、既に昨日ラムチェ村に帰っているミナの後を追ってラムチェ村の実態調査に出かけた結果
画像の通りで悲惨な状況であった。

添付写真はバラビシへ行く途中の状況とバラビシからラムチェ村に向かう途中の村の状況とラムチェ村の実態である。
途中のスクテの画像に見覚えのある方もあろう。
日本ではここネパールの災害ニュースが流れた後、
直ぐに復興支援の「募金活動」が始まり、いくら感謝してもしきれない。
井戸の外から&ネパールの習慣は割愛させていただきたい。



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では次回「ネパール通信」まで。



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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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