ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

純子さんの「ネパールレポート」

12月17日(火)天気:快晴 気温:10℃ 湿度:65%


今回は、11月11日から12月10日までの1ヶ月間を、
私と共に支援活動に参加された「純子さんのレポートを原文のまま」掲載させていただきたい。

彼女はソーラー設備の設置村であるマテ村から、
腹話術のみなさんと共にメールダラ村、さらにはポカラでの施設訪問(ハンセン病療養所)や
チベッタンキャンプなどを「つぶさ」に視察され、
私の活動と考え方、さらには普段の子供たちとの生活の殆どを見て来られた方である。



『ネパールへの思い』 と 『筋田さんの活動』                     

定年を前に 「平均寿命まであと25年もあるのか~」 と思った時、
「そうだネパールに行こう!」 と急に思い立ちました。

なぜネパールなのか・・・ それは私の育った時代に関係があるのかもしれません。 
60年前の日本の原風景がそこにあるような気がしたのです。
訪問してみて、町には町の歴史と風格を感じ、山には山の歴史を感じます。

山の学校の風景は、日本の昔の山の学校の風景に良く似ています。 
小さな校舎に少ない先生・・・ そしてせまい校庭・・・ 狭くてもきれいにならしてあるところ、
石がごろごろ埋まっているところ等まちまちです。

子どもは・・・というと、昔の日本でもたくさん見られた鼻水を垂らしている子。 
なにせティッシュペーパーなどないのですから・・・。 

それに小さい妹や弟を抱っこしたりおんぶしたりしている風景。
日本の昔もこんなだったなぁ~とホントに懐かしく思います。

私はこんな子供たちのために何かできることはないか、
何かお手伝いをしたいと思いつつ、年に2回ネパールを訪問していました。
まずはネパールのことをよく知ろう・・・と、観光を兼ねいろいろな所を訪ねました。

そんな中で、この人のために、この子のために・・・ 
あるいはここの土地の人のために・・・ と思える出会いを探していました。 
そしてその協力者としてのネパール人を探していました。

ところが現実はそう甘くはなく、
「そんなお金があるなら自分に少しでもまわしてほしい」というような態度が垣間見えたり・・・。 
そんな姿が見えると、私はいつの間にか身を引いてしまうのでなかなか思うようにいかないまま、
既に6年の歳月が過ぎていました。
それなりに楽しい6年でしたが、まず最初の目標の10年が近づいてきたため少し焦りも出てきました。


そんな折です。 
2013年の夏前のこと、たまたまTVで筋田さんを拝見し、
そのブログを2度3度と読ませて頂くうち、
「この人になら私の夢が託せるかもしれない・・」 と感じ、
この夏日本に戻られた折の筋田さんに初めてお会いする機会を得たのでした。

今まで私は、協力してくれる人は 「ネパール人」 と決めてかかり、
その出会いを求めていましたが、「日本人でもこれほどネパールのことを思ってやってくれる人がいるのなら、
なにも私の思いを託すのはネパール人でなくとも日本人でもよいのではないか」と目からうろこ。

そして今回11/11日から12/10日までの訪問となり、じっくりとその活動内容を拝見、
そのひととなりも観察させて頂いたのでした。
(スミマセン失礼な言い方で・・)

筋田さんには現在ネパール人の強力な協力者が4人もいて、
自分の子供として同居し学校にも通わせていることは過去のネパール通信にもよく書いてあります。
それがミナちゃん、パンネくん、サロジくん、ラスミちゃんです。

年一回、ビザを取る時のミナちゃん、パンネくんの苦労は通信にもありましたが、
今の銀杏旅館を作る際のミナちゃんの苦労、努力たるや聞いて初めて知ったことでした。

そしてミナちゃんがトレッキングの仕事で2週間も留守になるような時などは
ラスミちゃん(弱冠16歳)が大活躍。 家事全般を引き受けてくれます。 

銀杏旅館に「日本の小学生とのスカイプ交流」のため、
「メールダラから13人の子どもと先生2人」が泊まりに来たときなどは、
ミナちゃんはトレッキングガイド中でいなかったため大変だったと思います。

先の15人のほかに、私たち泊まり客3人に家族5人分の食事
(この時はパンネ君のお嫁さんである、ウルミラさんもいた)はラスミちゃん指揮のもと、お嫁さん、
パンネくん、サロジくんたちも協力の上すべて用意してくれました。
何せ23人分の夕食、翌日のカジャ(朝の軽食)から昼食まで、それはそれは大変だったことと思います。

IMG_1963.jpg

そして、旅行会社を設立したパンネくん(まだ20歳)は
トレッキングの手配から準備全般、ガイドも引き受けています。

パンネくんが仕事で忙しければそこはサロジくん(19歳)の出番です。
トレッキングのガイドはもちろん、メールダラの学校訪問時も私たち訪問者8名のお世話から
オーディオセットの準備等々すべてやってくれました。
この時ミナちゃんはタマン語の通訳、食事の世話(総勢12~15人分)一切を引き受けてくれたのでした。

そして忘れてならないのが日本で地道な協力をして下さる奥様のこと。
日本だけでなく海外からも送られてくる衣類や文具等の整理から、
ボランティアで運んで下さる人々への荷物の梱包、配送を一手に引き受けてして下さる奥様の協力なしには、
筋田さんのネパールでの今の仕事が成り立たないのでした。

すべてそれらの人々の強力な応援があったればこそ出来る、「筋田さんの活動」とお見受け致しました。
こんなところに、「私も~」 とお世話になろうというのですから
「虫のいいことこの上なし」 ですね!!(ボランティアの助っ人を利用)

こんな私ですが 「懲りずにあきらめずに」 これからもよろしくお願いしたいと思います。
来年には必ずまた来ます!

ただ、健康にだけは気をつけてくださいね。

今後ともよろしくお願い申し上げます。






日本の子供たちとスカイプ交流をするメールダラの子供たちIMG_1974.jpg
IMG_1976.jpg





メールダラの子供たちと「遊ぶ」池田さん(ピアニスト)
GetAttachment[2]  GetAttachment[1]








では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/12/17(火) 17:17:52|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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