ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

それぞれのネパール・・・

12月10日(火)天気:満天の星空 気温:13℃ 湿度:70%


今回は前回の通信との間が少ないが、同じメンバーの方の投稿でもあり、
はじめてネパールを訪問された方2名の感じたままを「原文のまま」掲載させていただきたい。



『初めてのネパール』 藤原正子

腹話術師の中井サチ子さんから、ネパールでのボランティア活動に誘っていただき、
関西組女性4人と、東京から先発1名の計5人でネパールに行って来ました。

銀杏旅館の筋田さんがジープで空港に迎えに来て下さいました。
深夜近くの到着便だったので、空港から旅館までの景色は分らなかったのですが、
翌朝ベランダに上がって吃驚です。

「ネパール通信」に載っている壮大な眺めが一望できるのです。

朝日が昇ると、遠くの雪山がオレンジ色に染まり、足元には雲海が広がり、
時間の経過とともに満開の薄桃色の桜、菜の花の咲く段々畑が見えて、
小鳥、犬や牛、鶏、ヤギなどの鳴き声が聞こえ、
下の道路では牛乳を集めているらしい村の人たちの生活が伝わります。
そんな景色の中でいただく食事はとても贅沢でした。

銀杏旅館に2泊してから、先客3名の方と一緒にメールダラの小学校に行くのですが、
それまでの行程は中井さんも書かれたように、トラックの荷台に乗って、
遊園地の絶叫マシーンさながらの悪路でした。
しかも苦手な吊り橋を歩いて渡るのです。
(帰りはコツを学習しました。前を歩く人から少し距離を置くと揺れが少ないのです。)

小学校での様子は中井さんが書いて下さったので省略させていただきますが、
ちっちゃな子供から年配の方まで、太鼓のリズムに合わせて踊るダンスの見事さは天性のものなのでしょうね。

シュラフに戻って2泊した後、ミナちゃんの実家にお邪魔しました。
山岳部の農村で、ネパール人全体の90%がこのような村で生活しているそうです。
そこまでの道のりもトラックの荷台に揺られ、道路の土埃を被りながらの悪路でしたが、
ミナちゃんのお母さんの温かいおもてなしに疲れを忘れてしまいます。
美味しいお茶とダルバートを振る舞って下さいました。


銀杏旅館に戻ってから、翌日はポカラに7時間かけてツーリストバスで移動しました。
こちらでは、筋田さんが支援されているハンセン病療養所を訪問させていただきました。

ドイツ人が創立したそうで、現在は55人が療養中です。
子供もいるので、学校が併設されていました。
療養所は芝生を敷き詰めた広大な空間で、手入れの行き届いた敷地内には美しい花が咲いていました。
病室は窓が大きいので、部屋が明るくて開放感があります。
入院中の方は思い思いに同室の方とおしゃべりしたり、ベッドで休んでいたり、
車椅子で散歩したりと自由に過ごしていました。

理学療法士がリハビリを行う部屋には、日本にあるような器具が装備されています。
病気のために手足が不自由になった方のために、自助具や補助具、補装具が各個人に合わせて丁寧に作られ、
その人の成長や病変に対応しながら作り直されています。
そのために技師が使う道具は、部屋の壁に整然と並んで保管されていました。
療養所の創立に関わったドイツ人の生真面目さ、几帳面さを垣間見た思いです。

私たちが見学している間も高校生らしい男子生徒が、足の補装具を点検して貰っていました。
入所されている方は、私たち見学者に声をかけて下さったり、握手を求めて来られたりと親しみを感じました。
これは筋田さんの今までの地道な積み重ねがあってのことだと思います。

貴重な体験をさせていただきまして有難うございました。
これからも益々のご活躍をお祈りしています。




ネパール(メルダーラ・ポカラを訪ねて) 西島 福佐子

私達は訪れたスリーブメソリー小学校の昼休みに、子供達がどういう遊びを喜ぶか?と考え、
じゃんけんぽん!とかをしたが勝ち負けがわからず、チョキを出すとチョキ・・ で勝負にならない。
やはりルールを教えてからでないと。

綱引きが簡単で面白いと考え綱を探すがない、そこで壁際に何やら太い綱がみえたので聞くと
ブランコの綱を使わない時 外していると。
これこれ!いいのが見付かった、早速運び出し校庭に。“ぴったり”だ。
子供達が目ざとく寄ってくる。

並べて2つに分けるのが これまた大変。一緒に何かをする というのが ダンスくらいだからだ。
ようやく2つに分け 始めたら全員たったままで ひっぱり、あっという間に勝負がついた。

ゴム飛びやリンボーダンス
全員夢中になって競い合った。
これからは運動会みたいなものをすればいいね と話し合った。

子供達の踊りのうまさには感心した、根からリズム感が抜群なのでしょう。
ほっておいたら何時まででも踊っている。
こうして二日間はあっという間に過ぎ、また訪れる日を心に秘め 銀杏旅館に戻った。

そこでは 日本人顔まけに 日本料理の味付けが上手なお嬢さん「ミナ」 さんがおられ
(小学校も同行していただいた)
筋田さんの伝授であろうか、 日本のルウを使ったカレーライス・・美味しかった。
おぜんざいやお雑煮。
別の日には中井さんが用意してこられたもので“ちらし寿司”や“肉じゃが” を作って下さった。
どれも美味しかった。心のこもった筋田さんの「おもてなし」である。

あくる日、トレッキングで有名な観光の名所“ポカラ”を訪れた。
7時間以上のツーリストバスである。
途中休憩のトイレは想像していたより きれいで、
チベットやモンゴルで厭な思いをして想像していたより清潔に掃除してあった。

ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルという標高8000メートル級のヒマラヤの山々の頂きが望め
初めてなので感激した。
そこで目的地 チトワンのハンセン病診療所、笹川陽平さんが支援されていたとは!

さらにチベット難民キャンプを訪問 筋田さんは お米1袋(30K)をリュック
の上に積み上げ運ばれ、とある家に入りそれをドスンと玄関口に下ろし、
「こんちは」と慣れたものである。
私達に「さあ入れ」と自分の家みたいである。

コンクリート造りで小さい庭もあり “ダライ・ラマ14世”の写真を飾った居間に
ダライ・ラマ14世(2012年10月) 寝室・台所とある。
私がみてきた東北の仮設住宅よりずっと立派だ。
バター茶やツアンパ(自分で作るチベットの主食)をご馳走になり休憩。
なかには疲れて眠ってしまった人もいた。

聞くと、別な地域にはブータンの難民キャンプもあるそうだ。
想像していたより“ゆとりのある生活”に見えるが、それは子供が大きくなり
出稼ぎに行き、親に仕送りをしているからだと。
逃れてきた当時は・・・と想像する。

筋田さんは こちらにも顔を出し親戚みたいな付き合いである。
きっと困っている時からの支援であろう。
ネパール共和国もこういった難民を受け入れ住居も与えているので逃れてきた人も救われたのでしょう。
ゆっくり休憩させてもらって 途中フリーマーケット(チベットの方が手作りした物を売っている)で買い物。

東北地方でもそうであったが、「お金を使う」ことも一つの支援になるそうだ。
まあ日本に生まれて幸せ?という思いで そこを立ち去ったが、本当はどうだろう?
現代社会は“心”まで壊れる場合が多々あるが、彼らは生きていくのが必死で心は清らかで決して貧しくはない。

筋田さんのお陰で今回の旅は有意義で楽しくて異文化を充分味わえたし、
ちょっぴりの応援もできた。ありがとう!!









では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/12/10(火) 15:53:11|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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