ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

出会いと別れ・・そしてまた・・

9月20日(金)天気:晴れ 気温:24℃ 湿度:55%


今回は、東京の女子大生(ともみさん)の1か月間のネパールを私の眼から感じたままをお伝えし、
彼女からのレターを添えてお伝えしたい。

実は、これの以前に今回の「ネパール通信」の原稿は出来ていたが、急遽差し替えさせていただいた。


さて、8月12日にここに戻ってから、ソーラーシステムやフェンス・水道など現地での設置作業を進める上で
必要な事項を書き上げ、実行に移すまで約2週間が必要であった。

そんな中、今回の女子大生がやって来た。
聞けば彼女はまだ19歳。(私の孫娘に近い年齢である)

事前にメールでコンタクトされ、ここでの体験を希望されて、
私と行動を共にする事で「私が何を目指している」のか?自分の目で見たいと言うことである。
であれば、今回の搬入作業を含め見てもらう事が一番先にと、かなり強行ではあったが、実施した。

メールダラではパイプやタンク・セメント・フェンスや支柱などと一緒にスクテまでトラックで移動。
ここからは、トラックが吊り橋を渡れないため数時間かけての移動となるため、
我々は牛乳のトラックで機材を運搬する大型トラックは別の道へと分かれ移動。

メールダラへ到着後「女子大生:ともみさん」は早速学校に来ていた子供たちと溶け合い、遊び始めた。
素早い行動力に驚いたのも事実である。

IMG_1425.jpg


さらに、その30分後、今度は子供たちに連れらて、それぞれの家に一人で連れて行かれ、
結局3時間余りの時間を一般の農家で過ごして戻った。夕食直前であった。
この事で「彼女の子供好き」な事は十分理解できる。

IMG_1426.jpg



運搬の仕事を終えて帰路でも、「楽しかった」の連続で、
1日おいてのマテ村でも「雨の中の強行軍」にもかかわらず、
外の景色の移り変わりを見ていたかと思うと「車がスリップで動かなく」なっても、
それを「じ~っと」見ていた。
何も見逃さないぞ!との意気込みさえ感じた。

IMG_1452.jpg



こうしてマテ村から戻った彼女と「学生団体」のボランティアが会う機会があり、
アサブリの彼らの活動現場まで出かけた。

彼らは、全て自分たちの資金でネパールに学校を作る事を目的に来ていた学生さんたちで、
今時珍しい青年婦人の方たちである。

ところが、かれらの中の女性一人が腹痛を起こし、ネパールサイドのマネージャーも何もしなかったため、
「もし生死に関わる病」の時だったらと考えると「怖くさえ」なった。

翌日アサブリの支援先へ訪ねて行き、ネパールサイドのマネージャーに
「なぜ直ぐに病院」へ連れて行かなかったのか?と尋ねると
「彼女が行かないと言った」と言って「ケロ」っとしていたため、
「支援作業をしている日本人をバカにするのか!」
「例え彼女が行かないと言っても連れて行って病気の対処をするのがマネージャーだろう!」と怒鳴ると、
さすがにビビったのか「お茶を飲まないか?」などと機嫌を治そうと努めだしたが、「今さら遅い」っと退けた。

この事を「女子大生:ともみさん」も見ていて、「全くその通り」と同感の意を示した。
その夜、ボランテァについて「如何に在るべきか・その違いは」などを議論し、相互に納得したころ就寝。

1日おいて、ポカラの支援先(チベット難民キャンプ・ハンセン病療養所の見学・
アサアブジェルちゃんの消息調査など)さらには、友人の河本さん宅への訪問で、
久しぶりにシッタちゃんにも会う事ができ、
聞けばご主人の西島さんもネパールで暮らす決心をしたとの事。

急ぎカトマンドウに戻り、
9月13日にはJICAの総会に一緒に行き、彼らの活動内容を知る事となった。

私はと言うと「教育部会」の中での「ここでの活動内容」を報告させていただき、
みなさんの真剣な眼差しに感謝した次第であった。

彼女(女子大生:ともみさん)にとってのネパールとは何であったのか?
以下に私に当てたレターを原文のまま掲載することで、ご理解いただきたい。





おとうさんへ(私、筋田の事)

1ヶ月、あっという間に過ぎてしまいました。
長いのか、短いのか、時間とは不思議なものです。

約4か月前のあのとき、おとうさんと連絡をとれた私は本当に幸運だったと思うし、
メールをして本当によかったと心から思っています。

銀杏旅館にきた初日から、私はここが大好きになりました。

おとうさんもパネさんもサロちゃんもラスミちゃんもおよめさんも、みんな含めて。
本当の家族のようで、おうちのようで、とても、幸せでした。


ずっと言っていたように、私は日本に居場所を感じられませんでした。
自分の思っていることをこんなに正直に話せたのは初めてです。

私の話をこんなに真剣に受け止めてもらえたのも初めてです。
日本にいるときは、他人の目を気にして生活していました。

外に出るとき、電車に乗るとき、大学に行くとき、買い物に行くとき、・・
服、化粧、髪型、体型、・・

ネパールでは何も気にせず、自然体で、堂々とできました。
毎日すっぴん?昨日来た服?ちょっとの汚れ?・・
日本であったら気にしてしまうものも、全く気にしません。


すごく自由で、拘束されない空間。
そこで自分の将来、やりたいこと、信念、いろいろなことを考えました。

ここでは「逸脱」だなんて思われません。
日本でいう「当たり前のレール」を考えなくてすみます。


ただ、2日後にはそこに戻らなければならない現実が待っていると思うと、逃げたい気持ちでいっぱいです。
でも、「4ヶ月行ってくるだけ」そう思って頑張ります。

4ヵ月間、何があるかわかりません。
目まぐるしく移り変わる日本の中で新たな出会いも発見も、楽しいことも嬉しいことも
つらいことも悲しいことも・・・

その中で、私が私であるために、それを忘れないように精一杯頑張ってきます。
そしてまた、ここに戻ってきます。

そこから再スタートです。
もっとたくさんの村へ行きたいです。
もっとたくさんの子供たちに会いたいです。
もっとたくさんの「未知」に触れてみたいです。
それからでも、遅くないような気がします。

私はゆっくりと自分の道をつくっていきます。

                         ともみ




IMG_1559.jpg

IMG_1599.jpg

IMG_1619.jpg

IMG_1620.jpg










では次回「ネパール通信」まで。



HPのご案内
http://gifu-nepal.jimdo.com/
Ichyo Group Sujita








スポンサーサイト
  1. 2013/09/23(月) 09:25:28|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<誰のために・・・ | ホーム | 番外編:2013年9月14日>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://nepalnepal.blog25.fc2.com/tb.php/192-bddb958a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

ネパール通信 (330)
管理人よりお知らせ (6)

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード