ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

ラムチェ村のモデルハウス現場

2月28日(日)天気:晴れ 気温:18℃ 湿度:48%


今回はゲストのお二人と共に、9年ぶりにラムチェ村への正式訪問である。
地震の被害状況調査では3度ほど訪れたが、子供たちとの接触もなく、
ただ被災状況や支援物資の配給に追われての訪問であったが、今回からは違う。

今期からラムチェ村の復興支援を主軸に、子供たちの支援活動を再開するにあたり、
校長先生や村人への挨拶も兼ねての訪問である。

2月23日早朝8時に銀杏旅館を出発、約30分後にはバネパのバス停に着く。
ここからローカルバスに揺られながら、途中ジュレ村の土砂崩れ跡を通過し、
地震の被災地を縦断してバラブビシに着く。
ここで、軽く昼食を食べて村で必要な食料や雑貨を購入。
今度はジープに乗り換え悪路を登る。
この登りではジープの座席に座るより、後部の荷台に乗った方が楽である。
なぜなら上下左右に揺れ動く座席では捕まるところすら無く「まるでバケツの中の芋」の状態で揺られるのである。
これには多くの皆さんが苦労されている。

そんなジープの登りも1時間ほどで終着ラムチェ村に着く。
子供の衣類役60Kgはミナが村人にお願いしてミナの家(コテージ)まで運んでいただき、
我々は自分の小さな荷物のみでミナのコテージまで登った。
ミナのお父さんも出迎えに来てくれ、子供の衣類を運んでくれた。

コテージではパトネちゃんが学校との調整をしてくれて、翌日の午前11時に子供の衣類の配布を設定してくれた。
本当は、最終日の10時で盛大にセレモニーをやってくれる予定であったが、
それを断り日程を重視して翌日の配布となったのである。

セレモニーの好きな民族である。
私はと言うと反対に「全くセレモニーは不要」なのである。
お礼など「くすぐったい」だけである。

到着した日には、ゲストを通称「ビッグストーン」と言っている
絶景の場所へミナが連れて行き、広々と広がる「田んぼ」の風景を楽しんで頂いた。

夕食はミナのお母さんの作るダルバートである。
ゲストの青年が「これは旨い」とお変わりを要求されて、ミナのお母さんもご機嫌であった。

翌朝、ゆっくりと出発であるが近所の子供が遊びに来て、朝から歌やダンスである。
実は、前の日にゲストの青年がその子供の家にさ誘われて彼の家(コテージ)に遊びに行き、
子どものお父さんや兄弟の前で歌にダンスを披露していて、すっかり「お友達」になっていたのである。
子どもが学校へ行く直前まで「得意ののど」を披露し、学校へ出かけた。

我々は、お茶にビスケットやゆで卵を食べ「これが朝食?」と考えていたが、
そうではなく、9:40分ごろには通常のダルバートが待っていたのである。
流石にゲストも「これは食べきれない」と考え「ご飯を半分に」して欲しい旨お願いして、
何とか食べきり、学校へ11時に出かけた。

子供服は学校の先生方が運んでくれ、さらにこの日に登校していた72人の子どもへの配布も手伝ってくれた。
実を言うとこの配布作業が一番「しんどい」作業なのである。
持って来た子供服はサイズを小学生用にと考えて持って来てはいるが、
一人ひとりに合うサイズかと言うとそれは無理な事であり、ザクット数だけを詰め込んできただけであり、
多少のアンマッチは辛抱して!!と言いたいのであるが、
子どもの側からすれば、自分にぴったりの服を欲しがるのは当然である。
しかし、そこは先生である「これで良し!」と言って次の子どもの服に取り掛かるのある。
もし、我々がやっていたらそれこそ「ひっちゃkめっちゃか」になり、収拾が付かなくなる事は明白であった。
約1時間半ほどで全員の子どもへの配布を終え、残った衣類は明日に来た子どもへ配布して下さるとの事で引き上げて来た。

この日は昼からとても強い風が吹き、多くのコテージのトタン板が飛ばされて一時はどうなる事か心配していたが、瞬く間に修復。
流石に手馴れたものであった。
モデルハウスを建設するスペースを確認し、3部屋の大きさも確認。
いよいよ3週間後には着工出来るとの事。
一時は出鼻をくじかれ「ぎゃふん」の状態であったが、今は役人も動いてくれたんだなぁ~と感謝冴えしている私であった。

その晩もダルバートであったが、隣の家から牛の肉をもらい(ここラムチェ村は仏教徒の村で牛肉は食べるのである)
スペアーリブの旨い部分をバーベキューにして、直接薪の中に入れ頃合を見て取り出してくれて食べさせてくれた。
全員で食事前の「味見?」であった。

その晩には、隣のお父さんと例の歌の上手い子どもが来て自慢ののどを聞かせてくれた。
身振り手振りが素晴らしい!
芸人にしたらとゲストも乗り気であった。

翌日もジープで下るのであるが、ゲストの青年は「やはり荷台」で下り、座席には座らず、ミナの心配を無視して下山。
直ぐにローカルバスに乗りバネパの街へ。

昼食をバネパの「アラニコレストラン」で済ませ、お土産を購入し再びジープに乗り換えて、サンガの銀杏旅館へと急いだ。
今回は、モデルハウスの建設現場を確認するのと、子供服の配布の作業をほぼ完全に終了出来たと「ほっと」している。







モデルハウス建設現場の更地
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子どもたちへの衣類の配布
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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。




では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2016/02/29(月) 09:21:33|
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たった一つの「命」

2月20日(土)天気:曇り 気温:18℃ 湿度:50%



2月15日~16日に掛けて癌検診のために、チトワンに出かけた。
結果は極めて良好との事。

チトワンへ向かう途中、ガソリンの悪性なものを使ったトラックが「あっちこっち」」に乗り捨てられていて、
多くの渋滞を発生させていた。
さらに、道路の拡張工事も行われていて「渋滞・また渋滞」の連続で、予定を大幅に遅れる事7時間。
通常ならば早朝の出発で5時間半程度で到着するが、今回は7時間半も掛かった。

多くの困難に直面している今こそ、自分に言い聞かせるために「何でここに生きてるのか?」を記載してみた。
いっぱい生きるために・・・

活動に移れない「いらいら」を紛らわす為にも、考えてみた。
以前にもこれと似たようなタイトルで記載したが、もっと身近に感じている「生きる様」を具体的に表現するよう心がけて・・・

さて、国によっても「命」の値段は異なるが、ではなぜ「安くてはいけないの?」か、値段など違っても良いのではないか?
今日もカトマンドウの ビル病院の前には「危篤状態」の女性が道路に寝かせてあり、
道行く人々がドネーションを置いていたが「なぜ?」ドネーションを集めるのか?
それまでに命は尽きるのに??
誰の為の「命の値段?」なのか。
ここでは、交通事故での死亡は約5~7万ルピー(日本円で8万円ほど)と聞いている。

以前エベレストで雪崩で多くのシェルパが亡くなったが、その時の保証金が一人5万ルピーであった。
(だから昨年のエベレスト登山のストライキが起こったのである)
残った親族のため?
日本では保険で値段が決められるが、保険の無い方も多いのではないだろうか?
意思に反して奪われた場合は「不運?寿命?」でしかない。
事件事故どれも同じである。

当方は過去何度も飛行機に乗って来たが、一度も保険に入った事がない。
保険に入って、飛行機が落ちない保障があればいいのだが・・
しかし、何れも無用のように思えるのである。
残された遺族の心の準備が出来る場合は、「ハッピー」であろう。
決して「亡くなった本人」のためにある「命の値段」ではないのである。

それより、今どう生きるかを考える毎日である。
「報告・連絡・相談」の無いここネパールで・・・・
電気の無い・水の無い・燃料の無いここネパールで・・・・
無くても生きられる・・・・
しなくてはならない仕事があるならば、それは無理・・・・
でも時間に縛られない仕事であれば可能かも・・・・
一つの方向へひっぱらなければ可能かも・・・
ここでは、全ての人が「自分中心」で回っているから・・・・
それを変える事は至難の業と考える方がいい・・・
そんな国で「命の値段」など、どうでも良いことでは・・・・

先日も、私にの住んでいる村の独身の女性が「ひっそり」と亡くなった。
しかし、「荼毘」に付すだけで、家族も何時までも悲しんではいない。
亡くなった当日と荼毘の日は仕方が無いが、それ以上は悲しまない。
ただただ、「寿命」だけである。

この世に生を受けて、人生をどんな考え方で生きてきたのか?が大切ではないのだろうか?
結果は自分が判断するのである。
決して他人の判断ではない。

他人がどれだけ良い評価をしても、自分自身の評価が「是」でなければ満足できないのではないのだろうか?
決して結果ではない!
生きる過程の考え方が大切だと考えて生きて来たし、これからも同じ考え方で生きていく。

何を・どんな考え方で・やってきたのか?
自己研鑽のために、山村の親御さんたちに「子供を学校へ通わせていただく」お願いの活動である。
子供が学校へ通ってくれれば、私の仕事の98%は終っている。
なぜなら、後はお金があれば子供たちが学校へ通ってくれるからである。
親御さんに子供を学校に通ってもらうお願いする過程が「活動」なのである。
これが、今の私自身の目指している「生き様」である。

しかし、自分に嘘がつけないだけに「迷い」も多い。
たった一つの命である。
ただ今は、村の復旧活動も合わせて行う必要から、結構忙しい毎日である。

たった一度の人生である。
悔いの残らないようにとは思っても、無理であろう。
「自分だけの無理を通せば道理が引っ込む」の諺通りで、妻に負担を掛ける結果になっているのである。
それが、今の私である。






やっと見え始めたヒマラヤ
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  1. 2016/02/22(月) 20:35:41|
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出鼻をくじかれ、「とほほ・・の状態」

2月13日(土)天気:晴れ 気温:? 湿度:?出先ゆえ?です。


今回は前回の「戦闘開始!」の記憶も真新しいのに、第一歩を踏み出すと同時に「役所からストップ」が掛かった。

機材購入のためバネパに出向いた折、ミナが新銀杏旅館の図面を持って役所に出かけ、
建設許可を取得しようと尋ねたが、そこでとんでもない情報を聞くことになった。

政府は今まで、諸外国からの寄付金を殆ど使うことなく約半年で40人もの国会議員を増員。
寄付金はその「議員たちのために使われたか」の噂も飛び交ったは事実である。

そのためとは言わないが、昨年の地震で崩壊した家は記録してあり、
政府が指導する「地震に強い家作り」を目指していて家を再建する人は図面を役所に持って行き、
耐震の有無を確認してもらってから建設に掛からないと「3ラーク」の政府援助が受けられないとの事である。

今までのような石造りでは、お金は出ないのである。
やはり、貧乏人にはお金が行かない仕組みになっていると感じたのは、私だけではない。

しかも、今はその各家々の点検に回っているので、ネパールカレンダーのお正月前(4月)までには完了するので、
それまでは建設を待って欲しい。との事であった。

ミナは仕方なくこのニュースを持ち帰り、再度銀杏旅館の会議となった。
結果は約3ヶ月待って、お金を受け取ってから建設しようと言う事になったが、
物価の値上がりが心配ではあるが、3ラーク(約33万円)は大きい金額である。

既に、ラムチェ村へ飛んで行ったサロジ君にその旨を伝え、ファンデーションが終ったら、
働く人を連れてサンガに戻るよう話した。
ラムチェ村での労働の賃金は、ここサンガで支払うとして直ぐに来てもらう事とした。

3ヶ月後には直ぐに着工出来るよう、建築屋にも伝え時期を待つだけとした。
しかし、ここネパールでは政府がお金を払ってくれるかどうか極めて不確定である。

2月7日ネパール コングレス党の党首:コイララ氏の死去により、今後の政局運営が混迷する事が考えられる。
せっかく、多くの災害や外圧から立ち直ろうとする時期、どうなるのかいささか心配なことである。

しかし、多くの人々が復興を目指して動き出している事は確かである。
7日ほど前からインドの国境も前面開放されたと聞くが、ネパール全土に行き渡るのは1ヶ月は掛かるだろう。

当分はガソリンやプロパンの行列(配給の)が無くなる事はない。





コングレス党の党首コイララ氏の棺を葬儀会場へ運ぶトラック
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崩壊した家の復旧状況(カトマンドウ市内)
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  1. 2016/02/19(金) 00:08:38|
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「ネパール通信」いよいよ戦闘開始!

2月3日(水)天気:曇り 気温:17℃ 湿度:52%


天気は一向に良くならないばかりか、朝晩などは「まるで雪でも降りそう」な寒さである。
約半年ほど活動を停滞をしたが、ここに来てやっとそれぞれの価格が安定してたので、「いよいよ戦闘開始!」である。

昨夜は、ミナをはじめパトネちゃん・サロジ君・ラスミちゃん・アシス君と私で「ラムチェ村の再建」を始めるにあたり、
何時・誰が・何をするのか?さらにお金はどんなルートで支払うのか?などを話し合い、
アシス&ラスミの学校を考慮しての人員配置とした。

はじめに「銀杏旅館」のリビング&私の部屋・物置の建設マネージャーは「ミナ」とし、
ラムチェ村の「モデルハウス」はパトネちゃんとした。
但し、お金の支払いは全て「ミナ」を経由して支払う事とした。
全てに「領収書」もしくは、銀杏旅館の「メモ」を付けて支払いのエビデンスとする。

既に購入してある鉄筋はトラックに乗せてラムチェまで運ぶが、通常の大型トラックではバラビシまでしか行けない。
(山道が細い上にヘアピンカーブが多いため)従ってバラビシからTATAのジープに乗せ代えての運搬となる。

先の「通信」でも明記した通り、銀杏旅館とモデルハウスの着工を同時に実施し、
機材購入費用の節約と運搬費用の節約を図るのが目的である。

情報によれば、レンガやセメント・鉄筋などは値段が不安定で、待っていても下がる見込みは殆どないばかりか、
まだまだ値上がりするとの見方が一般的である。

ガソリン代が多少落ち着いてきた今こそ、着手するべきと判断した次第である。
機材の要らないファンデーション(土台作り)は今からでも出来るため、
早速ラムチェ村の村人に着手してもらっているが、銀杏旅館でも人足が要るため、
ラムチェ村が終ったら直ぐに銀杏旅館に来てもらうよう調整中である。

この土方仕事も以前(昨年までは1日450Rsであったが、今は800Rs)地震以降、
全てが値上がりして来た今こそ着手しなければ「出来なくなって」しまう。(資金不足で・・)

現実には今でも(値下がりを期待し待っている人達が殆どで、全て借金で作るため安くなるのを待っている)
多くの人々が待機の状態でお金のある人だけが再建を始めているのが実態である。
しかし、後半年も経過すれば建築機材の値段は確実に今の2倍にはなる。
なぜなら、出稼ぎの人々が自宅再建に動けば、需要と供給のバランスが大きく変るため、借金しでも作る人は極僅かで、
結局破壊した家を再建出来ずに10年20年と月日が経過するだけである。

中には、家を途中まで作って再度出稼ぎに出かける人々も多いと聞く。
実際、我が家「銀杏旅館」から見た建設中の家が、一向に進まないのは「資金不足」が原因である。
出稼ぎから帰って来た時には、多くの人々が自宅の再建に着手する事は目に見えている。
この時には500万Rsの家が1000万Rsになるのである。
そうならないためにも、早期の着工が望ましいと判断した。
一気に建築機材の需要が増え、供給とのバランスを崩すために、機材のショーテージによる値上がりがおきるのである。

お金のある人は「勝負」が出来るが、お金の無い人々は借金が出来ないため、
出稼ぎの父兄兄弟を待つより仕方が無いのである。
悲しい現実であるが、我々はこの機を逃すことなく着工に踏み切らねば、需要の多い時期にバッティングすることとなり、
予定された工事が出来なくなることは必定。

先月から嬉しい「食べ物:ごぼう」をカトマンドウの日本人の経営するカレー屋さんのオーナーが手配してくださり、
「美味しいきんぴらごぼう」を殆ど毎日味わっている。
さぁ!「きんぴらごぼう」を食べてがんばろう!






地震で崩壊したカトマンドウタワーIMG_0309.jpg

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壊れる間のポスター
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  1. 2016/02/07(日) 17:59:40|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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