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ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

全ての石油燃料が無くなるネパールでは・・・

11月13日(金)天気:晴れ 気温:18℃ 湿度:55%


今回は、隣国インドとの関係悪化によるネパールの燃料事情を中心に、地震後の生活実態を報告したい。

約2ヶ月前から、アラニコハイウエィにはカトマンドウの市街から
バラビセ近くのガソリンスタンド(ペットロールポンプ)には給油を待つ車の列が途絶える事はなかった。
そのため、狭い国道(バクタプルより東)では何時も渋滞が発生し、思うように進まないのが普通であった。

しかし、そのガソリンも「底をつき」個人の車には給油しなくなり、
モーターバイクや自家用車の一般市民は長いラインから外れて行った。

こうした交通手段でも国民の多くは「困った様子」も無く、普段どおりの生活をしているから不思議である。
このため国道には、あれだけ多くの車やバイクが走っていたのが「嘘」のようである。
ストライキの時より幾分車が多い程度である。

戦後、日本が急速な経済成長を遂げる原動力の「電力」は政府の方針で
「エネルギーを絶やしてはならない」との特命を各電力会社に出し、その利益も法律で保障して来た。
こうした「エネルギー基盤」の上に成り立った「高度経済成長」である。
原発を増設し、中東からのガソリンだけに頼らずに済むエネルギーの確保が進められたのである。
ここネパールにはとても出来ない政策である。

国民の95%が「エネルギーの要らない」生活を強いられているネパールでは、エ
ネルギーの確保など、全く無駄な政策としか考えられないのであろう。

もし、今の日本で電気の通電が1日でも止まったら「大パニック」になるが、ここでは全く問題にならない。
この違いを考えていただきたい。

是非ではなく・・・・人の幸せってなんだろう・・・

置かれた環境、育った環境が左右するものなのか?
自分の周りが同じ環境であれば「エネルギーが無くても」良いのかもしれない。
自分だけが悪ければ問題であろうが・・・・
今回はみなさんへの、問題提起としたい。






銀杏旅館で料理をするベルギーの仲間たち
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バス事情
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現在のハイウエイの状況
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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。










では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/11/18(水) 18:05:41|
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「燃料環境最悪」の中のラムチェ村

11月2日(月)天気:快晴 気温:18℃ 湿度:55%


10月29日バンダリ女性大統領誕生!
少しは女性の立場が良くなる事を期待したい。

さて今回は、ラムチェ村の「モデルハウス」建設に必要な、正確な設置面積や基本的構造を決めるために村を訪れた。
そのメンバーには、日本から来られたネパールの青年:ラムチャンドラ君も友人と同行した。
彼は、日本の大学を卒業して日本の企業に就職されている青年である。
彼の働く職場には、多くのネパールの方が働いていて今回の地震の被害に同胞の被災を少しでも手助けしたいと、
会社の社長さんを通して従業員から集めた義援金を持って来られたのである。

彼の村は「シンドパルチョークの隣のドルカ」の「チャリコット」ではあるが被害の少なかった地域で
お爺さんとお婆さんが実家で暮らしているとの事あった。(ドルカとはエベレスト街道のジリへ行く途中)

現在の燃料不足は前回のメールにも記載している通り、
何時解決して通常通りの生活が出来るのか全く判らない状況である。
建築機材の高騰は毎月のように上がって行き、それに運搬代も高騰すれば、今の着工を諦めざるをえない。

しかしこの後、燃料の状況が良くなり作れる環境が来ても建築機材の高騰が続けばこれも着工を拒む事につながる。
それらの状況を考慮し、現在の値段で建築機材を「抑える」工夫をしなければ、何時までも着工出来ないと判断し、
義援金を頂いた時点で機材を購入して店に保管してもらう事にした。

こうすれば、この後2~3ヶ月後に値段が高騰しようと全く関係なく建築機材を現地に送り込める。
現在のガソリンの「闇値段」は1ℓ:500Rs」であるが、これも現物があればであって、
持っている店は殆ど無く個人がインドの友人に送ってもらっているのが現状である。

参考までにカトマンドウのトリブバン空港からタメルまでのタクシー代は5000~6000Rsと
めちゃくちゃな値段となっている。通常300~400Rs(10月末時点で)


こうした中、10月26日来られたチャンドラ君一行を銀杏旅館に迎えて、今回のラムチェ村復興支援の概要を説明、
その後私のここでの仕事を説明して理解していただいた。

銀杏旅館で、前日(25日)の交換レート(10円:8.42Rs)で義援金を換金し、鉄筋を購入するお金とした。
翌日27日朝8:30にバラビセから来たジープ(ボレロ)に乗ってバネパの鉄筋の店に急ぐ。

店の主人も何年も鉄筋を購入に来る私やパトネを知っていて、快くの購入する鉄筋の保管を請け負ってくれた。
考えてみれば、この店とも8年以上のお付き合いである。
領収書をチャンドラ君に渡し、いざラムチェ村へ!

この時のボレロのジープ代が片道15000Rsであったが、ガソリンの高騰を考えれば仕方がない。
ドラルガルで野菜の購入をし、トイレを済ませて昼食のレストランへと出発。

昼食は何時もの「魚のフライ」とダルバートであった。
さらに、この時の昼食代はチャンドラ君が支払ってくれた。

バラビセを経由してラムチェ村へは急な上り坂の続く「凸凹」のハイウエィである。
座席に座っているより、荷台に立っていた方が楽な登り坂である。
約40分の上り坂で、座っていても腕や首に力が入りラムチェ村に到着した時には痛みさえ覚えたほどである。

村に到着して感じたことは、村道や家の瓦礫は整理されて「新しい家」が出来つつあり、
崩れる前と同じ作りの家を作っていて早急に「モデルハウス」の必要性を痛感した次第である。

到着して直ぐに、モデルハウスの建設予定地(以前のミナの家の跡)を測量に出かけ、
測定に掛かったがミナのお父さんが「畑の土を削って敷地面積を広げたい」と提案。
それによって、建設予定地の幅が約1.5mほど広がった。
以前はへの字に曲がった敷地も、これによってまっすぐに家が建てられる事になった。
日本の方の援助で作られたトイレの並びに、一直線に建設する予定である。
南側に大きな庭を持つ、眺めのいいモデルハウスが出来そうである。

その後、パトネちゃんとチャンドラ君たちは「ビッグストーン」へ出かけたが、当方は休憩(昼寝)。
その夜、チャンドラ君とミナのお父さんやお母さんが楽しく話しているのを聞いて、
「初めての家でこれだけフレンドリーになれるネパール人に感心した」のも事実であった。

翌日は凸凹の道を車で下りるのを避け、歩いて下りつぶさに村や学校を見ながらバラビセまで約1時間で下った。
待っていたジープに乗り一路バネパまで、2時間程でバネパに到着。
全員で昼食をとり、ここで解散。

チャンドラ君たちはカトマンドウへバスで出かけた。
これで、彼が帰国後のレポートを作るのにも問題ないだけの情報は頭に入ったことであろう。
燃料問題が落ち着くまでは建築機材の確保に努め、燃料が入った時に一気にラムチェ村へ搬入する計画である。





瓦礫の片付いた町並みやジュレ村の様子とラムチェ村
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下記は学生さんたちによる募金活動のお知らせです。
お近くのみなさんは是非ご参加ください。




《お知らせ》

「ネパール現状報告会&仮設校舎建設に向けて」
11月8日(日)
場所:あんさんぶる荻窪(荻窪5丁目15番13号)第2会議室
開場:13時
スタート:13時30~15時
料金:500円(チャイ、ビスケット代)
事前申し込み(当日は申し込みがなくてもご参加いただけますが、人数把握のため事前申し込みにご協力をお願いいたします)
申し込み先:tap.smilefor.nepal@gmail.com 
協力:早稲田大学サークル Japan Asia Network





井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。







では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/11/07(土) 11:52:52|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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