ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

急情報・ネパールの燃料事情

10月27日(火)天気:星空 気温:19℃ 湿度:56%

先の「通信」でもお知らせしましたが、ネパールにおけるガソリン・石油・プロパンなどの燃料は
既に「1ヵ月」もインドから入って来ていません。そろそろ、街も機能しなくなって来ています。
ホテルは閉鎖、レストランも閉鎖を余儀なくされ、庶民の足である「少ないバス」も何時まで動くのか予測できません。

そんな中、JICAの友人(M氏)から情報が入りましたので
みなさんにお伝えし、より多くの方に現状を理解して頂きたい。   
                                         すじた


筋田様

ご無沙汰しております。
燃料不足については、周囲のネパール人は口をそろえて「インドの陰謀だ!
トラックはすべてインド側で止められている」とインドを非難しています。
http://edition.cnn.com/2015/09/29/asia/nepal-india-fuel-crisis/

こちらの窮状は国際ニュースで取り上げられていないので、日本でも知られていないらしく、
ダサイン前に大使館の方から聞いたところでは「本省に連絡しても初めて聞いたような反応だし、
もっと驚いたのは在インド日本大使館も知らなかったことだ」とのことでした。

日本の新聞で取り上げていたのは朝日だけでした。
http://www.asahi.com/articles/ASHBR4K4THBRUHBI01F.html

「支配者階級のバルバテヒンドゥーが"武士は食わねど高楊枝"の発想なので、
問題を真剣に捉えていないんじゃあないか」と、こちらで長く仕事をしている日本人は言っています。

明日から仕事が始まりますが、ダサイン前に任命された内閣が問題解決にやる気を出してくれるかどうか、期待できません。
「あ~あ、夏休みが終わってまた勉強しなきゃいけないの!?面倒くさいなあ」なんて
小学生みたいなことを考えているのではないでしょうか。
マデシに配慮した憲法改定案で騒ぎが収まってくれることを願います。
以上、先ほどいただいたお電話の追加でした。(M)







では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/10/30(金) 10:58:57|
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災害と燃料不足の「ダサイン」でも民は・・・

10月24日(土)天気:曇り 気温:20℃ 湿度:55%


10月23日午後8:30久しぶりの余震である。

さて、ネパール最大のお祭りである「ダサイン&ティハール」が、いよいよ始まった。
ここネパールでは最大のお祭り「ダサイン」には、街に働きに来ている人々は一斉に村へ引き上げて行く。
バスの屋根にまで一杯の乗客を乗せて・・・・

しかし、ガソリンもプロパンガスも不足している中での帰郷である。
このまま燃料がインドから入って来なければ、カトマンドウは言うに及ばず多くの街では生活が出来ない、
なぜなら、薪で食事を作る事が出来ないからである。
では電気ならと考えるが、何時でも来ている電機ではない。

現在の停電時間は、ダサイン前まで1日約7時間~8時間であったが、これから、停電時間は長くなって行く時期である。
しかし、お祭りの期間は前日通電している、不思議な国である。

空っぽになったカトマンドウのタメルでは、観光客はおろかネパールの人もその姿をみなくなり、閑散としている。
こんな時に来られる観光客は、きっと「唖然」とされるに違いない。

燃料が無くては、勤めている者、働いている者にとって「お茶の一杯も飲めない」のでは、働く事もままならない。
中国からは2つの国境の道路を修理して燃料を送ってもいいと言ってきているが、
それをすればインドは一切の物資をストップするとネパールを脅している。
それでもネパール人は「困った!」とは言わない。

本当に1滴のガソリン・プロパンシリンダーの底がついた時に「困った!」と言う。
しかし、その時には時既に遅し、対策が打てない時期になっている。
予測して準備する事が出来ないのである。
つまり、「危機管理」が全くないのである。

銀杏旅館でもネパールの練炭?(消し炭で作る)を冬のために準備しようとバネパの街に出かけたが、
2時間ほど探し回ってやっと50個ほどをかき集めた次第、燃料は早めに集めないと「寒い冬」を過ごすことになる。

山村では全く必要ない燃料でもある。(昨今ではお茶を作る時だけプロパンを使うようである)
街だけが必要な燃料。
車を持つお金持ちだけが、必要な燃料である。
観光客は全く動けないし、生活できない状態が予想できる。

国際線の飛行機すら、帰りの燃料補給が出来ないと路線を停止している中華航空のような航空会社もある。
飛行機で飛行場へ下ろされた観光客は、タメルあたりまではシャトルバスで移動できるであろうが、
その後は自力で移動する事になる。
こんな状況は一体何時まで続くのだろうか?

我々が村へ入った場合にでも同様である。
蒔きで食事の準備をする事になる。
しかし、これはこれで若い学生さんたちにはいい経験になる事であろう。
このダサイン&ティハールを終えて、村から戻った時に今まで働いていた店や会社が存続していればOK
しかし燃料の都合で会社を止めなくてはならない会社も出て来るのではと心配している。

ここでは、極普通に「突然」会社や店を止める事が多いのである。
消費者物価は「どんどん値上がり」するばかりである。
野菜や肉、日用品までもが値上がりしている。
一番の値上がりは、やはり燃料関係の商品である。
国策で何とかなるものであればいいが・・・・




3日ほど前にカトマンドウへ行った折見かけたビル病院前の捨てられた病人?(生きていれば?)IMG_0660.jpg


ダサインで食べる「豚」の描いた風景
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崩壊したままの家
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銀杏旅館故郷へ向かうバス
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プロパンから薪に変えて商売する店
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冬のサンガの景色(雲海)
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記は学生さんたちによる募金活動のお知らせです。

お近くのみなさんは是非ご参加ください。

《お知らせ》

「ネパール現状報告会&仮設校舎建設に向けて」

11月8日(日)
場所:あんさんぶる荻窪(荻窪5丁目15番13号)第2会議室
開場:13時
スタート:13時30から15時
料金:500円(チャイ、ビスケット代)
事前申し込み(当日は申し込みがなくてもご参加いただけますが、人数把握のた

め事前申し込みにご協力をお願いいたします)
申し込み先:tap.smilefor.nepal@gmail.com 

協力:早稲田大学サークル Japan Asia Network





井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。




では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/10/26(月) 20:14:36|
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ラムチェ村の現状報告(Ⅰ)

10月14日(火)天気:晴れ 気温:20℃ 湿度:55%



今回は、何度も土砂崩れで寸断されているジュレの村を超え、
バラビシに至るアラニコハイウエーの状況とラムチェ村の生活状況をお伝えしたい。

雨期も終わりに近い昨今、カリガンダキの流れるベニに於いて大きな土砂崩れが発生し、ベニの町は???
さらにインドや中国などからの圧力は、ネパールの国民にとって大きな痛手となり、
インドから買っているガソリンやプロパンガスはネパールにとっては生命線であるがインドにすれば、
ネパールはインドの「一つの州」と考えて今まで付き合ってきたが、
独立国のように憲法を制定したり国境の強化を図ったりしているネパールを快く思っていないのが現実で、
主要な国境であるスナウリでは、双方の境で暴動が発生してけが人まで出ている始末である。

ネパール政府も警察だけの管理から、そろそろ「軍」の派遣を考えているようで、
本格化する国境問題は何時終るのか分からない。
こうした緊張にも関わらず、国民の多くはガソリンもプロパンも必要としていないため、ただ「静観」しているのが現状である。

しかし、こうしたエネルギーが無ければ「観光客」にとっては大変な事で、
移動手段の車も食事には欠かせないプロパンが無ければ観光すら出来ない。
ただでさえが地震の被害で打撃を受けているネパールは、どんな解決策を考えているのだろうか?
巨大大国の狭間でそれぞれの大国の思いに振り回されながら、細々と生きるネパールは???


さて、今回はこれから本格的に復興支援活動に入るラムチェ村の現状について、
先般、ベルギーの仲間と日本からメールダラの学校修復に協力くださった習志野の「ジュンジュンさん」にも加わってもらい、
2泊3日で現状を観て来た。

途中、ジュレの被災現場までの沿線沿いの家は「瓦礫」の撤去が進み(個人レベル)以前とは見違える。
他の村に比べて、特に破壊が酷いラムチェ村では殆どの家が「崩れて」いて誰の目にも住めない状態であった。

そんな中、村道の整備には村人が出て(1家で最低1~2人)修復している場面を何処の地域でも見かけた。
こうした「前向き」な姿勢からか、仮設校舎も思いのほか早く建設され、個人の家も作り始めている状況である。
しかし、作られているのは昔からの方法で(石積み)のみの家である。
1日でも早くモデルハウスを作らねば、また同じ災害を招く事になると感じ焦りを隠せなかった。

この状況を知ったベルギーの仲間も「早くモデルハウスを!」と言っていて、学校の職員室の仮設も必要な中、
平行して着工する事を考えポカラの復興支援協力者「Kさん」に状況説明に出かけた。

しかし、ガソリンの不足はこうした移動にも大きく影響して、ポカラへ行くバスが思うように手配できない状況であり、
プライミニスター(総理大臣)も決まり、そろそろ本格的にエネルギー問題が解決してくれない事には、
モデルハウスはとても出来ない。

こうした状況をポカラで説明していたが、彼から「建設機材の値上がり」が落ち着いてから着工したらどうか?
との提案もあったが、何年先か判らない値上がりが無くなるのを待っては居られない村の現状を考え、
このまま復旧工事を遂行する事を決めた。

ダサインの前には日本からの支援者が来られ、現場へ必要な建設材料を搬入して下さる事になっている。
勿論、その前には機材の買い付けや搬送手配もあるがガソリンの値段が落ち着くのは待っていられない。(次回通信に続く)


添付写真はジュレの災害現場とラムチェ村の現在、
さらに学校の仮設校舎の様子やガソリンを入れる順番の車や単車の列である。
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ガソリンの配給を待つ車やバイクの列は2昼夜続く。
何時通常の状態に戻るのか、誰も予測出来ない。プロパンも然り。
薪などの値段が上がりはじめ、カトマンドウの街は観光客を受け入れられなくなり、閉鎖を余儀なくされる。

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下記は学生さんたちによる募金活動のお知らせです。
お近くのみなさんは是非ご参加ください。


《お知らせ》

「ネパール現状報告会&仮設校舎建設に向けて」
11月8日(日)
場所:あんさんぶる荻窪(荻窪5丁目15番13号)第2会議室
開場:13時
スタート:13時30から15時
料金:500円(チャイ、ビスケット代)
事前申し込み
(当日は申し込みがなくてもご参加いただけますが、人数把握のため事前申し込みにご協力をお願いいたします)
申し込み先:tap.smilefor.nepal@gmail.com 
協力:早稲田大学サークル Japan Asia Network




井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。





では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/10/14(水) 20:39:02|
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大学生のメールダラ現状報告(Ⅱ)

10月4日(日)天気:晴れ 気温:21℃ 湿度:56%



今回は前回に引き続き、大学生のメールダラ調査報告を掲載したい。
さらに、我々の今から活動を実施するラムチェ村に於ける現状を合わせて報告したい。
以下は女子大生「海さん」の原稿をそのまま掲載させていただく。



今後の活動について

メールダラの小学校が現在使用できずテントでの勉強を余儀なくされている子供たち。
大きいテントが2つあるがどちらも風通しが悪く蒸し暑い。
そこに30分もいようものなら汗が止まらない。
現地の大人が暑さのあまり外に飛び出してしまうのだからそうとうなのだろう。

また、机といすがあるのは一つのテントだけ。
1年生から5年生まで1つのテントで授業をしようと試みるもうまくいかない。
実に学校が機能していないという現状がそこにはある。

震災前、学校には40人近い生徒が通っていたが、今では15人にも満たない。
もともと、教育の大切さや学校に行くことの重要性の認識に欠けるこの村において
今の学校の現状を考えればごく普通のことである。
それに加え、授業の質が格段に悪くなったと感じる(以前も決して良いとは言える状況ではなかったが)。

黒板がない授業で子供たちの頼りになるのは先生の声なのだが、
他学年が一緒の教室にいると集中が続かない、どこをノートにとって良いか分からない生徒が多い。
さらに、先生が生徒を相手にできる限界があるため、基本的には教科書をノートに写すことが彼らの仕事である。
これが今のメールダラの状況である。

政府から学校の使用を禁止、それに伴って政府が仮設校舎を作ってくれる、そんなことはまずない。
村人がやらなければならないのである。
仮設の校舎といってもここ5年以上、ずっと使い続けることができるような校舎でなくてはならない。
村人が仮設の校舎を作ると約束してもそれは「いつか」つくるという極めて不安定な約束なのである。

だからこそ、仮設校舎建設に向けてどのような気持ちのスタンスでいるのか、
どこまで費用面で彼らが工面することができるのか、それを話し合い見極めることから始めていきたい。

村人たちには、仮設校舎建設に支援をすることは伝えていない。
伝えてしまうと、期待し自らが動こうとはしないからである。
だが、1日でも早い仮設校舎建設のために日本で動き始めている。
ネパールの現状報告会を開催することでその収益を仮設校舎建設のために充てたい。

まずは、学びの環境が整うことこれが求められると考える。
これから長い年月をかけてやっていきたいこと、それは村にいる多くの子供が学校に通うという状況を作り出すこと、
学校の授業が子ども達の身になるものにすること(授業の効率化、先生の指導)、定期的な道徳教育、
衛生教育の推進を行っていきたい。日本とネパールでは考え方、生活環境など異なる点が非常に多い。

私が掲げている目標を達成するのには時間と根気が必要だろう。
だからこそ、1年、2年など短いスパンではなく30年40年長い年月を通してネパールの発展に合わせた支援をしていきたい。
教育は大切だ、と言ってもなかなか理解することはできない。
なぜなら、親も含め教育を受けてないからである。

私自身も「学校は通うもの」という「あたりまえ」の中で生きてきて、教育を受けるという立場をほぼ終了する立場になった今、
今の私を作っているのは今までの学びや経験であると感じている。
学校で子供たちの笑顔がたくさん見たい。

今まで学校でいくつかの活動をしてきたがそのたびに子供たちの笑顔が私の活動の源になっていると強く感じる。
学校の環境がよくなる、学校でプロジェクトをする、面白いことをする、学校で「学ぶ」、ふとしたことが子どもを呼び、
そしてまた子どもを呼ぶ。
家の仕事をしなくてはならない子供の状況は十分に理解している。
親からしてみれば、勉強よりも家の仕事をする子が偉い子だからである。
家の仕事をしなければごはんを与えられないのがここの「あたりまえ」なのである。

だからこそ、学校に通う10時から14時までの短い時間、有意義な時間を作ってあげたい。
それが、子供たちの笑顔が私に託した道しるべでないだろうか。




以上が「海さん」の原文であるが、現代の若者とは思えない「洞察力と感受性」には驚きさえ覚えた。
これからの「活動」が楽しみな現代の若者である。



添付写真はメールダラでの仮設テント校舎とラムチェ村の現状と昨年6月の「土砂崩れ」現場のジュレ村であるが、
現在も崩壊しいる状態とインドからのガソリンが入って来ないため、給油に並ぶバスやタクシーやトラックの様子・
さらに車の少ない道路の状況である。

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【感謝とおねがい】 (ラムチェ村の現状報告)

ネパールにおける4月25日・5月12日の2度に亘る地震の被災地、
ラムチェ村の復興支援はまだ復興計画は始まったばかりです。
震災当時のネパール支援に対し、日本全国又は海外在住の日本人の方など、
多くの皆さんの「心を集結」させていただき、本当にありがとうございました。

まだまだ先の長い活動となります。
これからも暖かく見守っていただければ幸いです。

ネパールの被災地でも、その被害の最も悲惨な「ラムチェ村」の復興開始時期を「余震の終った時点」と定め、
それまでに子供たちが「勉強が出来る環境整備」を整えたいと考え、
一時的集団転校に依る「寄宿舎」の設置を考えていましたが、2度目の地震以降、余震が少なくなり、
村人が家財道具や家畜を放置したままの村に戻ってきたため、
急遽方向を変えて仮設校舎の作成の取り掛かる事が賢明と考え着工を決めました。

しかし、ラムチェ村の殆どの家が戻って来て「コテージ?」で生活を始めた今、学校も始まり、
仮設校舎の着工を考え「質素でも雨露のしのげる学び舎」を目指し実態調査に出かけましたが、
現実は村人の行動が早く既に仮設校舎も「日本へ出稼ぎに行った一人のラムチェ村の青年」により、
5クラス分の仮設校舎が建設され、残りの5クラスも3クラスが仮設校舎で、
2クラスは以前の校舎をそのまま使って授業を実施していた状態です。

従って、恒久的校舎を政府に作ってもらうまでの数年間は、この状態で授業することになると考えます。
こうした中で、今やらねばならないのは「各個人の家」の復興ですが、
これも一部の人達は既に「以前と同じ家」の建設を自力で始めている状態で
「安くて・丈夫な家」の建設をリードするために早急に「モデルハウス」の建設が急がれると感じています。

政府も復興にはラジオや新聞で日本で1級建築技師の資格を持つネパール人の推奨する
「モデルハウス」を参考にするよう訴えているものの、現実にはお金が掛かるため殆ど無視されています。
そのためにも、復興支援事務所の建設を行い「現地訪問」の出来る環境を、整備も平行して実施していかねばと考えています。

具体的には、現在のミナの家の敷地に「復興支援事務所兼モデルハウス」と両親の住むスペースを兼ね備えた
「モデルハウス」の建設を急ぎ建設したいと考えています。

この敷地には、既に一部の日本人の支援者により「トイレ&シャワールーム」の建設は終っていて、
何時でも使える状態であります。

尚、こうした事業の支援団体をネパールで集結して大きな力とし、復興支援をするために、
多くの団体の参加を心よりお待ちしています。



【復興支援の考え方】

*決して「驕り」でなく、「させていただく」と言う気持ちで実施していきます。

*常に「同行二人」の私たちです。「自分に負けないよう」努めます!

この考え方には「失敗がありません」新たな支援方法が待っているだけです。
同時に村人からの「見返りも・感謝も・お礼も不要」です。
なぜなら、全て「自己研鑽」でしかないからです。
支援金の振込み先は「岐阜ネパール会」のHP「お問い合わせ」から事務局へお聞き下さい。
よろしくお願いいたします。         すじた





井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。












では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/10/04(日) 18:36:18|
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大学生のメールダラ現状報告(Ⅰ)

9月30日(水)天気:晴れ 気温:22℃ 湿度:58%


今回は、何度も土砂崩れで寸断されているジュレの村を超え、
バラビシに至るカラニコハイウエーの状況とラムチェ村の生活状況をお伝えしたい。(Ⅱ)で掲載

雨期も終わりに近い昨今、カリガンダキの流れるベニに於いて大きな土砂崩れが発生、
大量の水が塞き止められている状態で決壊が怖い。
これが決壊すれば、ベニの町は一挙に流されてしまう事になる。
さらに、先日も配信した日本大使館からのメールの通り、
ガソリンや石油・プロパンガスの不足は日増しに顕著になってきた今日この頃である。

さて、本題に入ろう、日本の大学生が始めて入ったネパールの山村メールダラでの生活実態を体験した
女子学生に記載していただいたので、そのままを掲載させていただきたい。
以下は「体験談そのもの」である。



「メールダラの世帯調査を終えて」



私にとって2回目の世帯調査が9月6日から始まった。
去年の8月初めての世帯調査ではグループに分かれての調査のため全ての家を訪問することが出来なかったため、
今回は自分の足で50世帯の家を回りたいという気持ちが強かった。

何度も村で活動している私にとって、ハイキングに近い調査は苦では無かったが、
地震後土砂崩れが起こった道や、一歩踏み外すと下に落ちてしまう道など、
間違えれば怪我に繋がりかねない道を子ども達に手をとってもらい調査を終えることができ感謝の気持ちで一杯である。

地震後、家が崩れた者もそうではない者も皆仮設の住居に住み、
立派な家に住んでいた村長さんも、貧しい家の家庭も「みな同じ」状況下で暮らしていた。
地震の影響でいつ家が壊れてしまってもおかしくないということで、
もともとあった家のそばに土地がある者はその隣に主に木で作った家を建て
(余裕がある者は家畜のフンと土、水を混ぜ家の内装を塗っていた)さらに、
Impact NepalというNGOの組織が一家に一つトタン屋根の家を寄付したようで数多く見られた。

もともとの家に仮設住居を建てる場所が無いものは、
村の中心部(ただ他の場所に比べて家が多いというだけで呼んでいる)に仮設を建てたためちょっとした住宅街になっていた。

調査を進める中で、以前よりも確実に電気が通っている家が増えたということに気が付いた。
学校と何軒かの家々には電気があり、裕福な家にはテレビやパソコンなどが置いてあったが、
電気の普及率もほぼ8割近く、ガスコンロの使用者もわずかではあるが増加し便利になっている。
それに伴って彼らの生活も変わった。

私は村に滞在中、管理人さんのお宅にお世話になっており、そこには電気があればDVDを見ることが出来るテレビがあった。
主に子供たちだが、電気があればよその家の子も一緒になって家の中でぎゅうぎゅうになりながらDVDを見る。
DVDの数も多くないため、同じDVDを何度も何度も見る。
もちろん、家の仕事が終わり友達と外に駆け回り遊ぶ子どももたくさんいるが、それでもDVDの威力はすごい。

1日のうち電気が来るのは主に夕方からだ。電気が割と多く供給されるときもあれば、1日、2日来ない日も珍しくはない。
電気が来たときには、子ども達は皆神様に感謝する。
まるで、一昔前の日本をみているようなそんな気分になった。
ご飯を食べるときはテレビを消し家族団欒を楽しむのだが、
子ども達だけのご飯になるとどうしてもテレビつけっぱなしのご飯が始まってしまう。

DVDがここまで受け入れられるのであれば、英語のDVDも見る彼らにDVDを使った教育支援ができるのではないかとも考える。
生かすも殺すも彼ら次第だが、現代の日本の子どもようにはなってほしくないと願うばかりである。

世帯調査は、英語が堪能な中学生をつけ村の人の情報を集めてもらった。
中学生が村人に情報を聞いている間、私は自分の目で家の中を見て
何を感じるのかに集中した。

また更に、普段なかなか話すことが出来ない村人たちと直接話をする機会だったため、
少ないネパール語のボキャブラリーから必死に言葉を紡ぎだし会話をした。

実は、村の人は英語が話せる人が少ないため1人で村に残っている際にたくさんネパール語を学んだ。
会話をする中で多かったのが、地震のことに関してだ。

ある目が不自由なおばあちゃんが、地震で家が崩れてしまったが、歳をとっているから何もすることが出来ないのだよ、
と私の手を取り自分の年老いた腕に触らせた。
そして、何度も何度も地震で家が崩れてしまったと嘆き、その度に私の顔をさすった。
もちろん、彼女が言っていること全てが理解できたわけではないが、言葉は分からなくとも、
彼女が私に伝えたかった「気持ち」は最大限に伝わってきた。

さらに、今は住めなくなっている彼らのもともとの家に誇りを持っている村人がたくさんいた。
今は、仮設住宅に住んでいるけれど、地震が起こる前までは立派な家に住んでいたのよ、と。
やはり彼らにとって住みやすい家はもともと住んでいた家なのである。
そのことを強く感じた。

しかし、私が生活してみて、確かに昔の家よりもスペースは狭くなっているが、
衛生環境面的には今の方が住みやすいのではないだろうかと感じることが多々あった。
4年後、5年後きっと今の仮設住居に住み続けている村人はきっと多いだろう。

どこの村でも起こっているだろう、村人の高齢化問題。ここ、メールダラにおいても同じことが言える。
調査をしてみると10人家族だけれども、両親の2人しか村に住んでおらず、
他の家族は皆カトマンズに住んでいる、外国に出稼ぎに行っているという村人が実に多かった。

日中は農作業がある彼らにとって、両親だけで暮らしている家(ましてや、おじいちゃん、おばあちゃんだけ)の
生活環境が整っていない家が多いと感じた。
家の中にはトウモロコシや荷物が無造作に広がり寝るベッドをなんとか確保している。

もちろん、私の感覚なので彼らにとってはあまり不自由ではないかもしれないが、それでも、衛生環境は良くない。
今回の世帯調査で前回よりも深く密接に関わることが出来た。
普段、子ども達と関わるだけでは分からない彼らの生活を体験し改めて生活スタイル・考え方「これがネパール」だと強く感じた。

そこには、ゆったりとした時間の中で、強い人々の繋がりや村人みんなが一つの共同体として子育てなど
すべてのことに取り組む姿があった。

地震後、良い環境で暮らしているとは言えないが、
そこにはたくさんの笑顔があり復興に向け力強い原動力を感じた。(Ⅱに続く)








【感謝とおねがい】

ネパールにおける4月25日・5月12日の2度に亘る地震の被災地、
ラムチェ村の復興支援はまだ復興計画は始まったばかりです。
もちろん、政府の動きはいまだ無く、我々民間レベルでの動きです。
震災当時のネパール支援に対し、日本全国又は海外在住の日本人の方など、
多くの皆さんの「心を集結」させていただき、本当にありがとうございました。
まだまだ先の長い活動となります。
これからも暖かく見守っていただければ幸いです。

ネパールの被災地でも、その被害の最も悲惨な「ラムチェ村」の復興開始時期を「余震の終った時点」と定め、
それまでに子供たちが「勉強が出来る環境整備」を整えたいと考えています。

具体的には一時的集団転校に依る「寄宿舎」の設置を考えていましたが、
2度目の地震以降、余震が少なくなり、村人が家財道具や家畜を放置したままの村に戻ってきたため、
急遽方向を変えて仮設校舎の作成の取り掛かる事が賢明と考え着工を決めました。

ラムチェ村の殆どの家が戻って来て「コテージ?」で生活を始めた今、学校もそろそろ始まる。
テントでの勉強を余儀なくされているが、少しでも「学び舎」の環境が良くなるように、
仮設教室の着工に取り掛かり「質素でも雨露のしのげる学び舎」を目指し行動を開始します。

さらに、復興支援事務所の建設を行い「現地訪問」の出来る環境を整備いたします。
尚、こうした支援団体をネパールで集結して大きな力とし、復興支援をするために、多くの団体の参加を心よりお待ちしています。




【復興支援の考え方】

*決して「驕り」でなく、「させていただく」と言う気持ちで実施していきます。
*常に「同行二人」の私たちです。「自分に負けないよう」努めます!

この考え方には「失敗がありません」新たな支援方法が待っているだけです。
同時に村人からの「見返りも・感謝も・お礼も不要」です。
なぜなら、全て「自己研鑽」でしかないからです。
支援金の振込み先は「岐阜ネパール会」のHP「お問い合わせ」から事務局へお聞き下さい。
よろしくお願いいたします。     すじた




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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。








では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/10/04(日) 18:15:37|
  2. ネパール通信
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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