ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

新学期直前のメールダラ訪問

3月27日(金)天気:晴れ 気温:21℃ 湿度:55%


今回は、8月に学生さんたちが活動するための視察調査のために、
学生団体のリーダー&サブリーダーである「長尾さん」と「中澤さん」のお二人が来られ、
現地での本番に備えて万全の準備をすることが目的である。

このお二人のメールダラでの活動を知って、長野県の男性も一緒に参加され共に行動する事となった。
今回の「新たな取り組み」として「絵本の読み聞かせ」に取り組んでいる彼らは、カトマンドウの本屋さんで調査するも、
なかなか思ったような絵本が見つからず、再度調査することで現地に向かった。

3月20日(金)午前8:30、お願いしておいたジープに乗り込みメールダラへと出発。
今回は、ミナは日帰りでカトマンドウへ戻り、事務所の仕事や銀杏旅館の工事の仕事をこなして、
23日には弟のサロジ君が軍隊のトレーニング期間を終了し戻ってくるため、
トリスリまで荷物の引き取りや式典参加で、忙しい1日になる。

さて、20日に予定通り出発した調査隊?のジープは途中、生鮮野菜の買出しや昼食を済ませ、
いざ学校へと思いきや、この時、学校では学年終了試験の真っ最中で、ジープのドライバーさんに
学校の先生から「今到着すると子供たちが試験を放棄してしまうので、少し時間を遅らせて欲しい」との事。
我々は山の中腹で「休憩?」する事となった。

15~20分ほど待って再び出発。
定刻の12:30には学校へ着き、試験の終った子供たちが「走ってジープ」まで荷物を運ぶお手伝いに来てくれた。

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「しゃくなげの花」のマラを一杯いただき、歓迎の式典は終了。
この日は特に仕事は無く、子供たちとの交流を楽しんだ。

翌日は学校が休みで、子供たちも一緒に学生さんたちの新企画である「ハイキング」のコースを調査に出かけた。
片道2時間の道のりは「決して楽」なものではなかった。
「ヘロヘロ」になって学校に戻った。
結果、なかなかいい場所である事が分かった。

この日も1日中子供たちは「二人の日本人」から離れず、
空きあらば独り占めしようと、虎視眈々と狙っていたのである。

夕食後、流石に疲れた「お二人」ではあったが許されるはずもなく、
子供たちとの強制交流に引き込まれ、
夜9:30ごろ「そろそろ終りましょう」と管理人の奥さんの一声で「さっと」引き上げて行った。
とたんに「静か」になった我々の部屋でお互いの顔を見合わせて、
「先ほどの喧騒」は何だったのだろう?と首を傾げる一幕もあった。

さて、最終日の朝は子供たちの試験の終るのを待って、午後2時から「子供の衣類」を配布。
3年ほど前までは「どんな服」でも喜んで貰ってくれたが、最近では「子供が衣類を選ぶ」ようになり、
サイズの合った服を差し出すと「これは嫌」と返してくる一幕も時々見かけるようになった。
「これではいけない、一時衣類の配布を中止して様子を見よう」と次の作戦を考えなければと反省しきり。

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一方「高倉コンポスト」はと言うと、我々がキッチンとして使う部屋に置いてあり、
酵母菌が旨く増殖していないのが放置してあった。
チアーマン(村長)にどうして連絡した通り「攪拌」してないのか?と聞くと
「やってもやらなくても同じ」だからと「全く関心をしめしていない」

これでは、次の「日本の雑穀」のプラントも極めて心配な状況である。
どうする!どうする!
今現在作戦を「思案中」である。 またまた 「とほほ・・・」であるが・・・

しかし、負けてなるか!!!
必ず「日本の雑穀」を作ってやるぞ!

最終日の23日の夜は例によって賑やかな「送別会?」になった。
日本人のお客さん全員がダンスに参加してのパーティーとなり、午後9:30ごろまで、「なごり」を惜しんだ。

銀杏旅館に戻る「牛乳トラック」を待つ間に、多くの村人や子供たちとの挨拶や記念撮影で、
最後に「管理人さんの奥さん」が一緒に写真を撮ろうと「長尾・中澤さん」たちに声を掛け、
撮影が終ると「力強い抱擁」をしながら「また来てね」と耳元で囁かれた「中澤さん」の目には、
いつしか「キラキラ」光るものが・・・・

トラックはどんどん下って行くが、子供たちも直線距離で下って来て、
何時までも「手を振って」いたのが印象てきであった。

スクテに到着後、いつものお茶屋さんで一服。
その間に「おじぎ草」を取りに出かけ、15分後迎えのジープに乗り、一路バネパのレストランを目指した。
帰りは僅か2:30程で帰ってきて、人も車も「下りは早い」と思った。

銀杏旅館に戻り、またまた「サプライズ!」
大きなシェパード犬が居るではないか!
アシス君に聞くと、サンガの町で貰って来たとの事。
お尻に怪我をしていて、飼い主が「捨てたがっていた」のを貰って来た。
日本でも同様の飼い主があるが、「怪我をした犬」には何の罪もない。

「多少のお金が掛かってもいいから、怪我を治してあげなさい」
そして、銀杏旅館で飼ってもいいよっと言うと
アスス君(一番下の弟)が喜んで「散歩は私が行くから」と言って早速犬のご飯を運んで来た。
名前は「カロ:黒」と言われていたそうで、同じ名前の日本語で呼ぶ事にした。




いっぱいのシャクナゲ
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大学生のメールダラでの様子
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銀杏旅館の新スタッフ?「黒ちゃん」
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【井戸の外から】

最近、特に感じる「若者の二分化」はここネパールでも同じである。
一つは「旅の恥はかき捨て」的な若者と、日本と同じマナーで行動する若者である。
通常は前者の考え方の若者が多いのであるが、ここ銀杏旅館に来られる若者は違う。
わずか19歳や20歳でも素晴らしい発想の持ち主が居る。
自分の身体の心配どころか、ネパールの子供たちの心配をしている若者を見るにつけ、
「まだまだ日本は救われる」と感じている今日この頃である。
本文に出てくる若者たちの事である。




【ネパールの習慣】

ここネパールでは、ペットを飼うというより「門番?」を飼うと言った考え方で犬を飼う家が殆どである。
従って、病気や怪我をした犬は「捨てられる運命」にある。
現に我が家のラスミちゃんも「怪我をした犬は捨てて来て」と言って「薬や手術」に掛かる費用が無駄だと主張。
さもあろう、自分たちの生活さえままならない人々から見れば、犬にかける費用など全くの無駄との判断もうなずける。
しかし、私は日本人である。
そんな惨いことが出来るはずもない。
幾ら掛かってもいいから「直ぐに治してあげて」とアシスに依頼。






では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/03/27(金) 15:44:46|
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わっ!モバイルがない!

3月18日(水)天気:晴れ 気温:18℃ 湿度:45%


3月某日、私はサンガからカトマンドウに向かうローカルバスに乗った。
座席は進行方向左の後ろから2番目の座席で通路側であった。
先に窓側には男性が座っていて、否応なしに通路側に座った。

この日は銀行へ行く仕事と併せて、銀杏旅館へ来られるゲストをピックアップに行ったのである。
ここネパールでは、そろそろ夏のシーズンであり厚手のパンツは止めたい気温になりつつあった。
そのため、「たらたら」のパンツをチョイスして銀杏旅館を出た。

しかしこの「たらたら」のパンツが「曲者」で、ポケットのチャックの位置が座った時、下になるよう取り付けられていた。
しかもビルホスピタル前で降りた時には、下に付けてあるチャックは半分ほど開いていたのであった。
バスを下りて、モバイルを入れていたであろうポケットを探ったが、
銀杏旅館を出るとき必ず入れたかどうか定かでなく、「老人性健忘症」の典型であった。

朝食をタメルの「ちくさ茶房」で簡単に済ませ、まずは銀杏旅館で留守番をしているラスミちゃんへ連絡するため
パトネちゃんのやっている富士山ゲストハウスへ急いだ。

到着して、ミナを呼び出し「モバイルを無くしたかもしれないので、ラスミにお父さんの部屋を探して欲しい」と頼み、
待つ事10分あまり、ネットワークビジーに付き連絡が取れない。焦った!
しかし、何ともならない。

その内、銀杏旅館のラスミと連絡が取れ部屋を捜索してもらうも「見当たらない」との事。
だんだん色濃くなる「モバイルの紛失!」、考えただけでも嫌になる。
数多くの連絡先が一瞬にして「無」になったのである。

しかも、2日前に2500Rsをリチャージしたばかりで、モバイルと合わせると合計金額が、ななんと15000Rsにもなる。
モバイルはニューロードで購入した「ソニーのエクスペルア」で、
まだ2ヶ月ほどしか使ってなく、使いこなすまで至っていない。
頭の中が「真っ白」に・・・・

銀行の仕事を終え、お昼に日本食レストランの「桃太郎」でゲストをピックアップして、
銀杏旅館で不足していた「醤油」を1ダース買い込み、タクシーを捕まえて「もやもやした心」でサンガに向かった。

この時、ゲストの名前さえ(うろ覚え)で、かなり進行している「老人性健忘症」をしっかり自覚させられる事となった。

銀杏旅館に着いても「頭はモバイル・モバイル」と落ち着かない状態で、
気を紛らわすような「身体を使う」行動を一生懸命考えていた。

翌日、災難はこの時のゲストである。
好きでもない「田舎道」の散策をさせられて、「老人性健忘症」の私と付き合うはめになったのである。
それでも我慢をしてアサブリのお寺まで、付いて来てくれた。

途中、まだ出始めの「にら」をゲットし、お茶を飲みながら「葉っぱを揃えた」が、
「私の頭の中はモバイル・モバイル」であった事は確かである。

ここのモバイルは、シムカードを購入する時必ず付いてくるカードがあり、
それが無いと、無くしたモバイルの番号と同じ番号は入手不可と聞いていた。

この日はゲストと一緒にロービンを作る事で「気を紛らわせて」いたが、
翌日には「今日は電話会社へ行って事情を説明して、同じ電話番号を発行してもらう仕事をしたい」とゲストに伝え、
了解をいただきラスミに留守番を依頼。

しかし、この日の夕方、パトネちゃんのお嫁さんの親戚が二人、
突然銀杏旅館にやってきて「食事に宿泊」をする事になった。
聞けば2時間ほど前にラスミに電話があり、食事と宿泊しても良いかどうかを確認してきて、
彼女は親戚でもあるため「OK]と返事をしていた。

翌日の早朝5:30ごろ、アシス君が「お父さん私は学校へ行きます」と言って出かける準備をしていたため
「待って!」と止めて、「お父さんも今日はバネパの町に出向くから、
親戚の人は若い男性なので、アシス君がお相手をしていて欲しい」と伝え
「いやいや納得」させて、午前8時ごろバネパに出向いた。

はじめに日本語の分かるスパーマーケットに行って「モバイルの事」を聞き出そうと考えたが、
受付けに居たのは、全く知らない若者であった。
残念だが「自力で電話局」へ出向く以外、方法は無くなった。

果たして、無くしたモバイルと同じ番号が手に入るかどうか心配が最高潮に達した。
事ここまで来ても、まだ他人に頼る情けない私を自覚していた。

スパーでは、あまり買わなくてもいいもの(バター)買う羽目になり、余分にチョコレートまで買い込んだ。
こんな時には、精神的に不安定なため、衝動買いではなく「無意識」に買っていたように思う。

いざ電話局へ!

行ってみると、いつも電話料金を支払っていた「顔なじみ」の男性が居て、
事情を説明すると1枚の申請用紙(全てネパール語)に彼が記入してくれて担当の女性に渡してくれた。
その女性が「パスポートはあるか?」と聞いてきたが「免許証ならある」と答えると「コピーして持ってきなさい」と言う。

道路を挟んで反対側にある写真屋さんへ飛び込んで免許証(有効期限切れのもの)を出し、
早速コピーしてもらい10Rsを支払い再び電話会社へ。

担当の女性が「100Rs出しなさい」と言うではないか!
なになに!以前と同じ電話番号がもう出来たのか?
100Rs出すと「30分後から以前の電話番号が使える」との事。
何と簡単な手続きで再発行のシムカードがゲット出来た。

これで「ほっと」していたが、直ぐに今度はモバイルそのものを購入しなければと、
数多くあるモバイルショップを格安のモバイルを探して2~3軒ほど探す。

1軒の店でストラップの穴のあるモバイル2500Rsをゲット。
ソニーのエクスペリヤは「穴がない」ので落ちた、と自分の管理の悪さを棚に上げて
「穴のある」モバイルを探し求める私であった。

早速シムカードを入れてチェックすると、なななんと以前のリチャージ金額がそのまま入っているではないか!
めちゃめちゃのラッキーに嬉しくなって銀杏旅館で待っていたラスミたちに話すと
「お父さんのモバイルは高い」もっと安く購入出来るとの事。

でもよかった~。
満足満足であった。

これからは必ず「首から」吊り下げよう!と決意を新たにした1日であった。
「最後良ければ全て良し」の一日であった。






我家からの「ご来光」
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アッサンバザールの風景
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【井戸の外から】と、【ネパールの習慣】は、感激しすぎて、今回は割愛させていいただきたい。






では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/03/18(水) 11:23:14|
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何の役にも立たない「プライド」

3月9日(月)天気:快晴 気温:22℃ 湿度:55%


今回は、多くの外国人が「嫌と言うほど味わっている」ネパール人(特に男性)たちの「プライド」についてお伝えしたい。

日本人でもプライドの高い方々は多い。
しかし、この「プライド」と言う「欲・見栄・虚栄・嘘」つまり、「自己顕示欲」は、
「優越感に浸るため」に「現実とのギャップ」がそれを邪魔とするのが殆どで、
「自助努力や自己研鑽」と言った努力には何の役にも立たないのが現実であろう。

以前にも記載した通り、ネパール人は殆どの老若男女が「見栄と嘘」の塊と言っても過言ではない。
本当の自分を見せない。
特に「相手の身体に手が触れる」事は避けないと、喧嘩にまで発展する。

銀杏旅館に居るパトネ・アシス・サロジにしても同じである。
相手の肩に「手を掛けて」説得したり、話したりする事は彼らにとって「屈辱」の何者でもない。
自分は相手を親友のつもりで「肩に手を掛けて話していても、
彼らからは、権力の大きな相手から話されている感覚なのである。
これは日本でも同じであるが、
「ほうれんそう:報告・連絡・相談」の無いネパール人との付き合いは、精神的に疲れる。

例えば、朝、ラスミやアシスが学校へ行く前に「にんじんを買ってきて」とお願いをしたとする。
すると、帰って来た時に「只今!にんじんを買って来ました」などと報告される事は「皆無」である。
万事がそうである。

もし、報告が必要な時には「お願い」をしておかねば、「お釣り」さえ戻って来ないから始末に悪い。
「帰ったら、にんじんをお父さんに下さい!」と言っておいても、リビングのテーブルに置いてあるだけ。
これは、私と一緒にいる子供たち全てが同じである。

少しづつ正して行くつもりで、毎日の生活を送っている。
来客の時には、こうしたギャップは見えない。

話は一転して、ネパールの政治情勢についてお伝えしたい。
先日、ネパール人(タカリー族)の友人の娘さんの結婚式(今、正に結婚シーズン)に出席した折、耳にした。

マオイストの恐怖である。
またまた「以前の悪魔」が動き出す恐れが出てきた。
政権から外れた今、この政党の動きに注目せざるを得ない。
つまり、内戦状態のネパールに戻ると言うのである。

目的は政権の奪還であろうが、同じ過ちを「ここの国民は踏む」のであろうか?
前回の内戦では数多くの「孤児」を生んだ。
多くの貧乏な農民たちが犠牲になった。

憲法の制定されない状態で、各政党が不満をぶつけ合っている今、
「以前の悪魔」が山岳地帯で「息を吹き返し、動きはじめている」と言うのである。
彼らには活動資金がない。

そのため、強制的に村人から略奪や貢物を出させているのである。
この際、警察は何の役にも立たないばかりか「逃げ回って」いるのが現実。

観光客やトレッキングされている外国人への影響は、今のところ出ていない。
しかし、彼らの動きが大きくなった時には「観光客」も例外なく略奪の被害に合うのは確実である。
まだ、今はゆっくりと動いているが・・・・西の方で・・・・

一方、国王の復活を企むパーティーもあり、この国は何処へ行こうというのだろう?
じ~と聞き耳を立てている・・・・・・・ここサンガで・・・





サンガの朝日
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国道を走るパン屋さんのバイク
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ローカルバスの中で演奏活動をする流しの歌い手さん
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メールダラの小学校で子供たちと「大縄跳び」に興じる女子大生
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ポカラでのアンナプルナ
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注記)先般のトルコ航空機事故によるトリブバン発着便は序々に通常の時刻の利発着に戻りつつある。
しかし、まだ完全な状態ではない。








【井戸の外から】

原発事故の後始末が「後手後手」にまわっていて、
多くの被爆者や福島難民が発生、戻れない故郷を捨てる勇気はなかなか出来ない。
しかし、決断しなければならない。
政府や行政より自分自身が決断しなければ「サバイバル社会」で生きる勇気を持っていただきたい。





【ネパールの習慣】
今回も同じ内容の通信につき割愛させていただく。















では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2015/03/10(火) 17:52:53|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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