ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

1年ぶりの日本は・・・

7月24日(木)天気:晴れ 気温:28℃ 湿度:68%


今回は、今月17日に帰国して日本の空気に触れた印象をお伝えしたい。

日本へ戻って直ぐに「驚きの連続」であった。
ある「雑貨スーパー」での商品、(ワンッタチで開くテント)や
空間利用の布製の6段もある引く出し付きの収納ラックなど、見ていてとても楽しくなるものばかりである。
素晴らしい発案商品の数々に(さすがは日本!)と関心しきりであった。

1年ぶりの「孫娘」との再会も嬉しいもので、
私と同じくらいの背丈になった孫に「女らしさ」を感じたのも、私だけでなく妻も同じであった。
それくらい、この1年での孫娘たちの成長は早かった。

さらに、国際線の民間旅客機の撃墜事件た着陸ミス、行方不明
などは近年稀に聞く集中した事件事故であった。

さて、ここ日本では情報過多とも言えるニュースが「これでもか!と言わんばかりに襲ってくる」から
混乱する人々は益々増えている。

これでは、どれが本物?どれが偽者?なのか見極めが極めて難しいのは当然である。
だから各自の「信念」だけが頼りであり、それが「是非」を判断するのである。
多くの人々は「無関心」を装い、何もしない。
大都会の「孤独」である。
とんでもない事件も毎日のように発生し、その解決に一喜一憂する。

これでは、自分を見失うのは当然である。
よほど強い信念でなければ「流されてしまう」であろう。
・誰かに決められた日程
・誰かに教えられた方法
・誰かに評価された自分
・誰かに指示されないと動けない自分がいる。

これは「生きている」とは言えない!
「生きている」とは「生かされている」事に気づき、共生を図ろうと努力する事に他ならない。
全て自分の思考で行動出来る環境に身を置いたとき、多分動けないであろう。
仮に動けたとしても、それは自分だけを考えた生き方になり、回りとの共生を考える余裕はない。

真夏日の続く日本列島では、電力料金の値上げが中小企業を圧迫し、
工場の閉鎖も相次ぐ事態に「何処にどんな手当て」をすれば良いのかが難しくなって来ている昨今、
脱原発による電力料金の値上げは、企業業績の悪化を進め「倒産の二文字」が嵐のように飛び交っている。

政府の舵取りに拠っては、日本経済が大きく沈み込む事もありうると考える。
決して他人事ではなく、中国・韓国より悲惨な現実が目前に見え隠れしていると観るのは私だけだろうか?






コミニュティーのみなさんと「乗鞍」へ行った時の高山植物
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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2014/07/25(金) 09:54:25|
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2014年総括

7月14日(月)天気:曇り 気温:24℃ 湿度:68%

今回は帰国を直前に、1年間の生活&活動の総括をさせていただきたい。

昨年夏にネパールに入ってからの生活と活動は、正に変化と驚きの1年であった。
通常活動は除き、変化の部分に絞ってお伝えしたい。
ここに、来て10年と言う節目でもある2014年は、今までの活動のやり方をも変えていくほどの変化であった。


・子供たちの支援

具体的には、「子供の支援活動」のやり方が、多くの学生さんたちにより
最も重要な「一般家庭への立ち入り調査」が助けられる事となったことである。

これは、以前からのブログをご覧いただければ、その経過はご理解いただけるが、
調査活動には自分たちの移動費用と生活費が必要なだけで、子供に対する「支援費用」はゼロである。
つまり、「自分たちのため」の活動である。今年8月から実施に入る予定。

しかし、これが一番「活動する者にとって大切な部分」でもある。
なぜなら、大きな勉強が出来るのはこの活動の部分であるからに他ならない。

一軒一軒の家の事情(どんな暮らし方をしているのか)を調査できるのである。
通常の環境と人間関係では「絶対に出来ない」活動でもある。

今回の調査対象の部落は標高1500mほどの山岳民族の村「メールダラ」であり、
約50軒ほどであるが、山道を登ったり降りたりしながら1日に何軒も調査は出来ず、
精々2~3軒が限度と考えている。

それぞれの家でも欲しい情報は、なかなか「教えてくれない」のも現実、じっくり構えて根気よくやる以外にない。
その結果「一点一様」の対応が出来るのである。
さらに、勉強にもなり、やろうと思えば「自分磨き」もできる。
こんな「ありがたい」活動は、なかなか他では経験できない。

今まで、この「美味しい部分の仕事」は私だけで「食べて?」いたが、
これからは学生さんたち若い人も「食す?」事になる。
従って、今年8月は「試食会?」にあたる。
でも「嬉しい」限りである。
活動した本人たちの評価が年々出てくる事を期待したい。

今期は、昨年から進めて来た実態調査から10人の子供たちに学校へ通ってもらえる事になり、
合計で27名の子供の支援に結びついた事は大きく評価できるものと考える。

これは通常の活動であるが、子供の健康(栄養状態)を考えた支援体制が必要であり、
適切なヘルスチェックが出来るよう考えていきたい。
過去には1~2回ほどヘルスチャックのような事をやった事もあったが、十分とは言えない。
大きな課題である。


・初めての「運動会」

今まで、子供たちに「楽しんでもらう」活動は全く考えていなかったため、
実施したときの子供の笑顔に「満点の喜び」を得たのは、我々自身であった。
勿論子供も喜んだが、それ以上に我々が喜んだ事は評価に値する。
ただ、準備が思うように出来ない現場なれば、事前準備の必要性を感じたのも事実である。


・学校スリーブメソリープライマリースクールの改修修理
(ボランティアの助っ人作業)

この部分には何百万円と言うお金を必要とし、日本をはじめベルギーの仲間からも支援金をお預かりし、
学校の工事費用に充ててきた。
改善内容については、随時、画像をブログに掲載して報告させていただいてきたので、参照願いたい。

具体的な改修内容は下記の通り
【改修ポイント】
・木造校舎の改修工事・ペイントなど
・校庭の柵(フェンス)の作成
・校庭への門扉(ゲート)の作成
・水道工事による「飲み水」の確保
・石造りの舎の内外のペイントを含む改修&屋根の取替え
・椅子&机の増設
・トイレの屋根のスラブ化(セメントでフラットに)など
・さらに学生さんたちが自力でチョウータラの改修を手がける

など、大きな改修が出来る事になった事は評価したい。
(10月~11月には完成予定。)



・マテ村(略称)へのソーラーシステムの設置

これは名古屋の大須ロータリーのみなさんからの依頼で
ネパールの電気の無い村へ「ソーラーシステム」を寄付をしたい。ついては、そのお手伝いをしていただけないか?
との問い合わせから始めた仕事であったが、大須ロータリーのみなさんも相当苦労された現地へのアプローチであった。

何せ電気の無いような僻地を訪問するにあたり、
全く予備知識の無い方々を送り込むのは「多少無理」があったようである。

片道4時間半ほどの道程も、ネパールバンダ(ストライキ)によって、
通行が極めて困難になり、予定より数時間も遅れて到着し式典もそこそこに引き上げて来たが、
現地での式典準備も全く無駄になったことは大きな反省点である。
詳細は岐阜ネパール会のブログを参照願いたい。

結果的にはほぼ予算の250万円に15万円ほどプラスして設置を完了できた事は評価したい。


・スカイプによる日本とネパールの子供たちの画像交流

メールダラの子供たちと名古屋大須小学校の子供達がPCのスカイプで「国際相互交流」を図る事ができた。
これは大須ロータリーのみなさんの要請でメールダラから13名の子供と2人に先生を「銀杏旅館」まで連れて来て、
銀杏旅館のミナの司会兼通訳で始めた映像交流は、それぞれの子供たちに多くの興味を示す事となり、
約40分間のスカイプ交流に成功。

交流に使うPCの付属品などは(カメラ・三脚・スピーカー・マイク)ロータリークラブのみなさんからのご寄付であった。
(これからもこうした交流が可能)
大須ロータリーの方々に感謝したい。


・カジャの配布実施

今期からメールダラの子供たち42人に対し、昼食(カジャ)の配布が出来るようになっ た。

東京の「某建設会社」のご厚志で定期的な配布が可能となり、
子供のカーストの違いから(貧富の差)カーストの低い子供たちだけに配布する事が出来ず、
やるなら 全員を対象としなければならなかったため、今まで出来なかった。
詳細はブログを参照願いたい。

予算的に出来ることではなかった事だけに「嬉しい」限りである。



一方、銀杏旅館でもサロジが「念願の軍隊」への入隊が決まり、5月から移動して、
代わりにラスミ・アシス君が銀杏旅館へ来て居る。
今年は、ミナのお母さんの病気騒ぎ(脱走事件?)から始まり、
パトネちゃんの転落事故や私自身の入院騒ぎと病院にお世話になった年である。

そして、最後に「新銀杏旅館」であるが、遅々として建設が進まず、毎日「やきもき」している状態である。
胃が痛くなるような進捗状況の中で、目を離せば直ぐに「さぼる」し、
ノコギリやハンマーは見ていないと家に持って帰ってしまう。
建設機材のセメントや鉄筋にしても同様である。

ここでは工具の整理整頓など全くない!
使ったらその場に置いて、翌日にまた使うかそのまま放置である。
昨日もスコップが2本も無くなっていて、調査したが出てこない。
仕方なく2本のスコップを買いに走り、間に合わせたが・・・とほほである。

ここはネパールと思い諦める・・・・妥協妥協で「ずたずた」にされる神経であるが、
自分磨きと考え「怒る自分が惨め」に思えてくるから可愛そうでもある。

しかし、自己中のネパールマインドには今尚、泣かされている。(本当に涙が止まらない事が度々あった一年である)

総合的に見て今年度の生活&活動は評価できる内容と判断している。



1年前から今日までの活動及び生活のランダムな画像
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特別報告:年内にミナのブログ(日本語)を配信させていただきたい。
彼女の勉強と将来の人間関係構築のために、と考え実施したい。
もし不要の方は当方のアドレスに連絡をお願いしたい。

当初、月1回程度を「ネパール通信」と一緒に配信し、
その後ミナのブログを分ける形になる予定。










では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2014/07/14(月) 13:40:26|
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わんぱく坊主はこうして出来た

7月4日(金)天気:晴れ 気温:24℃ 湿度:68%


今回は、自分なりに、なぜネパールでの生活になったのかを振り返ってみた。

小学校・中学校と勉強とは全く縁の無い生活をしてきた私である。
しかし、学校へ行かなかったわけではない。
休まず登校していた。

にも関わらず成績は何時も「どん尻」を確保していた。
どちらかと言えば学校は「好き」であった。

幼稚園の当時、3つの幼稚園を代わった事を記憶している。
つまり「退園」させられたのである。(暴れん坊で・・)
満州からの引き上げ者で、貧乏だったため、親が忙しく面倒を見れなかったのである。

4~5歳のころ(幼稚園児のころ)、やくざの息子と喧嘩をして
傷まるけになって夕方帰宅した「わんぱく坊主」の私に、父親から

・負ける喧嘩ならするな!
・するからには必ず勝って来い!
・自分より弱い相手と喧嘩するな!
・痕の残る傷を負わせるな!

これだけ言われて、岐阜市西野町の電停近くにあったバラック(貧相な家)の前に立っている「青桐の木:今もある」に
一晩中、縛り付けられて居た事を、今でも忘れない。
秋ごろだったと記憶している。
16歳ころまで岐阜市内で生活をしていた。

でも、「勉強しなさい」とは一言も言われた記憶がない。
だから勉強ができないわけではなく、嫌いであったのは確かである。

そして、強くなるために武道(柔剣道)を始めるようになった、と認識している。
お陰で「喧嘩」は益々強く、勉強は???となり、学校では問題児でもなければ、嫌われていた覚えもない。
結構みんなと楽しく、よく遊んだ。

こんな悪ガキ時代があればこそ、暴力などの抵抗勢力に対する身体・精神力の備えが出来た事は事実である。
しかし、仕事の場は別である。

これは、腕力や体力の及ばない「辛い」職場で、よくも44年間も我慢できたものである。
そして、今の自分が「しなければならない事は」と考え、ネパールに飛び込んだ。

先般もカトマンドウの旧王宮の通りで、
接触事故で「中国やくざ」がネパール人のタクシードライバーを殴っている場面に遭遇したが、
今までこんな暴力はなかった。
警察は見ているだけである。???

ここネパールから見た日本の動きに、少しの安心を感じながら「やっと痛いと言える国」になれそうである。
「今、世界は理不尽な暴力に満ちている」
だまって居ては全てを失う時代である。
非暴力を唱えても、相手は暴力を止めてくれない。
日本が非武装を唱えれば、周辺諸国は喜ぶ国が多いはずである。
ここで、イデオロギーを議論するつもりは全くない。

しかし、インドのマハトマガンジーの環境とは全く違う今の日本の環境を、認識していただきたいだけである。

ここネパールでは、インドと中国の巨大大国に挟まれ、ネパールの意見など聞くと言う姿勢は双方とも全くない。
無抵抗状態であるが、巨大大国同士の力のバランスでかろうじて国を維持しているのがネパールである。
双方の顔色を伺いつつ、如何に多くの支援を取り付けるか、だけである。

叩かれても「痛い」と言えない日本にはなってほしくない。
だから叩かれない日本になればいい。

弱い者を苛める国にはなってほしくない。
だから最小限の国を守るための武力と、弱い国を救える経済力のある強い国になればいい。

出来れば、利権でなく、世界が一つの目的に向って協力できる「仕事・切っ掛け」を創り、
宇宙船地球号の乗組員として、共に生きたいものである。

こんな事を考えて、ここネパールでの活動をやっている毎日である。

明日も、メールダラへ運ぶ学校建設材料を買い付けと搬送作業に追われるが、この時期は昨年同様「雨」に悩まされる。
でもやるしかない!
でないと、学校建設の仕事が進まない。

3日ほど前に現地から「もう材料が無い」と連絡があったばかりである。
ネパールではこの時期が建築のシーズンである。
なぜなら、停電時間が1年で一番少なく、家や建物を作るのにはどうしても「水」が必要になる。
セメントは特に水を必要とするため、この雨季にやれば雨も味方をしてくれる。
だから建設ラッシュなのである。
我が家「銀杏旅館」の建設も例外ではない。

今回は、昨今の日本のニュースを見ていて「どうしても伝えなければ」
と感じ「通信」にさせていただいたが、私の思いを理解していただ
ければ幸いである。












銀杏旅館の前で遊ぶ「子豚」(以前勘当した太郎が噛み付いた子豚)
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現在の「新銀杏旅館」の建設状況
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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2014/07/04(金) 09:42:42|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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