ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

メールダラで「運動会!」

3月22日(土)天気:快晴星空 気温:20℃ 湿度:50%


昨夜の雷雨で、電話もネットも出来なくなり現在カトマンドウの喫茶店「ちくさ」からの通信の配信である。

今回は、先般3月16日~18日にかけて腹話術のみなさんと東京から駆けつけてくださった純子さんのご協力で、
支援先(メールダラのブメソリー小学校)で運動会を実施して下さった報告をさせていただきたい。

ここネパールでは「運動会」なるものが学校ではない。
学校の教育でも「体育」と言う授業はない。

しかし、山の学校の子供たちは「優れた運動能力」を持っている。
先般の学生さんたちとの交流でも、バック転や横転などは軽々とやってのける。
遊んでいたボールが山の斜面に転がって行った時などには、僅か数分で拾ってくるから驚く。

3月16日朝8:30銀杏旅館を出発したレンタルジープは、
10:20ごろ昼食?場所に到着し、遅い朝食兼昼食を食べる。

ここでのダルバートはチキン・魚のフライがあり、結構旨い。
12:00にスクテのバス停で、腹話術のみなさんと学生さんの4人と待ち合わせて、定刻に合流。

今回は銀杏旅館が改修工事にため、腹話術のみなさんには宿泊してもらう事が出来なかった。
唯一「純子さん」のみが宿泊され、私と共に行動した。


ここでも(ホーリー祭)のお祭りがされていて、うら若き女性が青色の色粉を塗り、水を掛けられていたが
我々も幾分の不安(色粉を塗られる)を抱えながら見守っていた。

ホーリー祭とはヒンズーの神話にある「悪い女性の神」を色粉を入れた水で退治したお話から
「女性が多く狙われて」色粉や水を掛けられる。

本来なら、「白い衣類」で色粉を付けてもらう(衣類や顔に)と災難や病気にならないそうである。
勇気ある方は是非一度「色粉」を塗られてみるのも面白い。
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腹話術のみなさんと合流したミナを含む7名はつり橋を渡り、
事前に連絡しておいて待っていてもらった牛乳トラックに乗り込む。

荷台に乗り込むと、待っていたかのように「どかどか」と7~8の乗客(現地の人々)が乗り込んできて、
直ぐにいっぱいになった。

発車オーライ!

以前使った「ニューハイウエイ」はかなり整備されていて、大きな揺れもなく40分後には村の中腹に到着。
出迎えの子供たちの顔は「ホーリー祭」のため赤や青・黄に塗られており、
我々にも「何時でも塗ってあげる」と言わんばかりに、手に手に色粉を持って待ち構えていた。

しかし、心配したこともなく荷物を学校まで運んでくれ先生もお手伝いに駆けつけてくれた。
学校の「西門」から校庭に入ると、そこには2列になって「花輪:シャクナゲ」を手にした子供たちの列が目に入る。
列の間を「ナマステ!」と連呼しながら通り抜け、設置された椅子に腰を下ろす。
腹話術の方々をはじめ参加者全員が椅子に座り終えると、いよいよ花輪の贈呈式である。

それぞれの首や手に、いっぱいの「シャクナゲ」の花を貰い終えると一段落。
この歓迎セレモニーのため、学校の周りの「シャクナゲ」はかなり少なくなったようである。

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メールダラの小学校でラリグラス(しゃくなげ)の花束を受け取ったミナ
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記念の写真を撮り翌日配布する文房具や運動会の準備に入る。

はじめに「万国旗?」の代わりの三角の旗を、校庭の中ほどにあるチョータラのかなり高い位置を支点にして
放射状に校庭いっぱいの「万国旗?」が父兄や先生の手によって設置され、「運動会ムード」を盛り上げた。

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事前に準備していた校庭のトラック(走る位置を示すライン)を付けるべく
ナイロンの紐を校庭にU字の釘で打ち込もうとしたがU字釘が曲がってしまい打ち込めない。
(校庭の土が石のように硬いため)
仕方なくラインを引くのを止め、出意発地点とゴール地点にはゴムひもで対応する事とした。

こうした校庭での仕事を終え、本番の進行順序や準備するもの、
さらにその担当者などを打ち合わせ、翌日に配布する文房具やカジャ(昼食)の準備に入る。

岐阜の支援者から頂いた美しい布の袋にジャーキー・ぜりー・あられ・チョコレート・
チュラ(お米を炊いて潰した乾燥米)・チョルピー(牛乳から作った物凄く硬い甘くないキャンデー)を入れて
袋はいっぱいになり、子供の数と少し余分に準備。

さらに、パン食い競争の準備や輪投げの景品、フラフープの準備など数々の競技の準備を終えて、
校庭で待っている子供たちと交流。

この日は日本のカレーをいっぱい準備して、手伝ってくれた先生たちと一緒に夕食をいただいた。
既に子供たちが「踊りや歌」をやりに集まって来ていたが、
翌日の大仕事もあり、今日は中止して欲しい旨、先生に伝え子供たちに納得してもらい引き上げてもらった。


さて、本番当日の朝、天気も上々でうす曇の中、
腹話術のみなさんの持ってきたラジカセをセットして朝の「ラジオ体操」の音楽に合わせて準備体操。

先生たちに手伝っていただき、テーブルにスピーカーやラジカセを乗せ、
さらに配布する文房具をかばんに入れテーブルに置く。

先生の司会ではじまった運動会は、国歌斉唱と支援児童への文房具の配布の後、
今期優秀な学業の生徒に贈る文房具の配布を終え、いよいよ本番の運動会である。

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まずは「赤組白組」に背丈の順に、赤白どちらも同じような体格の児童になるよう、組み分けが始まった。

「はちまき」の習慣のない子供たちのために「タスキ」にしたが、
後から「はちまき」に人気?があり、翌日まで「はちまき」をしている子供が居たのには愕きであった。

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玉入れ・リレー・ボール蹴りリレー・パン食い競争・飴食い競争・綱引きなどなど時間の関係で、
準備していった競技もかなり未実施に終わったが、
子供たちや父兄からは、「こんなに楽しい事」は初めてだと絶賛の声・・・・

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途中カジャ休憩では正子さんの作って下さった「お汁粉とおもち」で元気を取り戻し、再度奮起!

結局白組の勝利に終わったが、どちらが勝っても負けても楽しい運動会であった事には間違いない。
はじめての取り組みにも関わらず、素晴らしい結果に大満足である。

「運動会大成功!!!」

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カーストの違う子供たちのペアー競技に幾分の心配もあったが、
先生方の指導により何の問題もなく進行出来た事は幸いであった。

競技が全て終わっても、ボールやフラフープ・けん玉・折り紙飛行機で遊ぶ子供たちが校庭を離れず、
遅くまで遊んでいた。

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今回のような「遊び」を通した子供や父兄との交流は、
これからの活動に「良き潤滑剤」の働きをしてくれるのは確かである。

最後に、こうした活動を企画実行してくださった腹話術のみなさんや、飛び入り参加の学生さん、
さらにははじめから今回の企画実行に携わってくださった東京の「純子さん」に心から感謝したい。

本当にありがとうございました!!




我が家に来た「幸せの青い鳥」IMG_2419.jpg

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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2014/03/24(月) 10:28:01|
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笑いと幸せの基準・・

3月12日(水)天気:月夜 気温:18℃ 湿度:54%


はじめに3・11から3年目を迎え、亡くなられた方々や
被災され仮設住宅・避難生活を余儀なくされているみ なさまに対し、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。


今回は、ネパールにおける家族と親族についてお伝えしたい。
先日、解体中の家でパトネちゃんが「転落!」、約2,5mほどの転落で、
後から大きなレンガの塊が足に落ちてきたとの事。

直ぐに病院へ行くよう勧め1万ルピーを握らせてサロジ君がジープで送って行った。
レントゲンと医者の診察で、幸い「打撲」だけで骨折はなく大事にいたらなかった。
1週間も安静にしていれば直るとの事。(実際には3週間)

しかし、このニュースは直ぐにミナの村であるラムチェ村まで伝えられ、
お母さんやラスミ&アシス君、そしてパトネちゃんの「お嫁さん:ウルミラ」が知る事となった。

ウルミラちゃんは泣きながらミナに電話して来てパトネちゃんの状態を聞いてきて、分かる範囲で怪我の状況を説明。
しかし、心配でならない「お嫁さん」は「お婆さん」に話し、
自分が行けない(家の仕事で村を離れられない)悲しさを伝えたようである。

このお婆ちゃんは以前、一緒にポカラへ「慰安旅行」に行った72歳のお婆ちゃんで、
お酒の好きなとっても元気な方である。

ミナもカトマンドウのオフィスからドリュケルの病院へ直行し、途中バスから何度もパトネちゃんの具合を聞いてきた。

日にちが経過する度に、パンネちゃんの「足」の打撲も回復し、
3日目には外に出て仕事の指示をしたり、働く人の食事の準備をしたりと、
みんなが働いているのに一人だけ寝ている分けにはいかないと、出来る限りの努力をしていた。

こうした、事故があると「直ぐに家族」が飛んできて看病やら手土産を持ってくるのがネパールの家族関係で、
何とも羨ましい限りである。

事故から3日目には「お婆ちゃん」も駆けつけ、容態を確認していたが、
夕食時には全員が「顔見知り」でもあり、笑い声が絶えない夕食となった。

今は泊まる所もなく私の部屋の下のリビングでラムチェ村から働きに来ている少年(ラムチェ村の十代)たちと一緒に
休んでもらう事となったが何の違和感もなく、電気の来た時刻にはテレビを付けて再び笑い出す。
賑やかな就寝風景である。

こうした親族のあり方に接していると、私まで「安心」するから不思議である。
十代の少年たちも働きながら楽しんでいるようで、見ていて気持ちが良いも実感出来る。


一輪車で「遊び感覚」で働く子供?たちIMG_2414.jpg
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彼らの幸せの基準?が何処にあるのだろうか?
楽しみながら肉体労働が出来るネパールの少年たち・・・
家族が集まって「笑い転げる」人々の「幸せ」の基準・・・

日本とは、大きく異なるように感じるのはなぜだろう?
こんな状態の銀杏旅館にも「来客」があり、本当に申し訳ないと言うと、彼女は「これがいい」とまで言って下さった。
心の広いお客さんに感謝しきりであった。


さて、「幸せ」を感じる時はどんな時?と考えてみた。
無機質的、物欲が満たされた時なのだろうか?
それとも、精神的「愛情や楽しさ」が感じられた時だろうか?
ここネパールでは前者の物欲は、多くの人々が満たされない。
でも後者の「愛情や楽しさ」は日常生活の中に溢れている。

物欲から来る喜びでは得られない、精神的喜びがあるからネパールの人々は生きていられるのだろう。
日本ではこうした「精神的喜び」が薄らいでいるのではないだろうか。

こんな懸念は、私だけであれば幸いであるが・・・・





ここでの生活とお話が目的で沖縄から来られた風邪気味の「裕子さん」IMG_2417.jpg




サンガからの夕日DSCF0941.jpg







では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2014/03/12(水) 11:26:57|
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ネパール人の「嘘と本当」

3月3日(月)天気:満天の星 気温:14℃ 湿度:64%

ひな祭りだよ~!!

ここネパールに来て、そろそろ10年と言う時が過ぎようとしている今、
初めて来た当事の事を思い出しながら「ここの人の考え方」を思い返してみたい。


1970年代には、町も今ほど大きくは無く空港も小さなものであった。
トリブバン国際空港は、日本の地方空港に近い空港で「有視界飛行」での離着陸であったがために、
パイロットには過酷な空港でもあった。
何せ「おわん:狭い盆地」の中の滑走路に着陸するのである。
当事は、着陸出来ると機内の乗客はベルトを外して立ち上がって「拍手喝采」が常であったと記憶する。
まだ滑走路を動いているにもかかわらず!

特にポカラの空港などは、滑走路も「これが飛行場?」と首を傾げたくなるほどの粗末な状態で草原であり、
空港前には今でこそ整備されて綺麗なビルも建っているが、当事はバラックが建ち並んでいて、
ホテルやレストランと言った外国人相手の店が多かった。
そこにはヒッピー(ヨーロッパ人や日本人)も多くいて、大麻や麻薬なども頻繁に売買されていた。

そんな時代から見ると「何と大きな変化だろうと」思うが、
40数年と言う時間はネパールの人々にとっては100年以上にも思えるほど、急激な変化であったろうと推察する。
幾度と無く起きる「内戦」に翻弄されながら、
それでも生きてきた彼らには「今ここで立ち上がらねば」と言う思いが常にあった事だろう。

何千人と言う内戦孤児を作りだし、国王さえ射殺され、その後継者も追放された今、
内戦を起こしたマオバティーも先の選挙で落選。
それでも尚、物資だけは近隣諸国から頻繁に入ってくる。

なぜなら、インドや中国からの輸入物資の量が「流通機構や道路整備」によって急速に増量してきたからである。
身にしみて感じる「文明の発展」に追従しなければ「何時立ち上がれる」のかどうか分からないからである。
遮二無二「仕事にしがみつく」以外にない。

そんなネパールで生きる彼らには「越えられない」幾つかのハードルが存在し、
カーストもその一つではあるが、まずは「現金収入」の道である。
それらを拒んでいる最大の問題、それはエネルギー(電力)であろう。
ガソリンもその一つではあるが、多くのネパール人にとってはバスさえあれば問題ではない。
電力は40年前とさして変化はなく、ここ数十年毎年乾季の停電が続いている。

雨季になっても、殆ど毎日数時間は停電がある。
乾季の時期には最大で18時間もの停電が実施され、インバーターによる充電すらままならないのが現状である。
そんな事情では、工場も出来るはずがない。
従って、仕事に在りつけない人々が溢れる事となるのである。

私が定年を向かえここにやって来た当事(2004年ごろ)でも、まだモバイルなどは持っている人は少なかった。
しかし今は、殆どの人たちが持っている。
中国やインド、韓国製品が主で日本製は極僅かである。
そんな国が現在のネパールである。

では彼らは如何にして生きるのかは、自ずと決まってくる。
それは、他人に自分の本当の姿を見せない事である。
なぜなら奪われるからである。
ハイエナのような人々が「うようよ」居るここネパールでは
「現金や貴金属」は持っていないような「振り」をしないと奪われる原因となる。

ここで、「嘘」が出てくるのである。
これは防衛手段としての「嘘」ではあるが、何処までの人間関係なら「本当の事」が話せるのだろうか?
しかし、それでは人々の生活に支障が出てくるのではと心配になるが、それで現在まで国として動いているから驚く。
現在の日本では、とても考えられない事ではあるが事実である。
こうした状況を作り出しているのが「カースト」でもある。
特に就職などは、コネとカーストで決まると言っても過言ではない。

では、日本人には全く馴染みの無い「カースト」とは一体なんだろう?
これについては、「山際素男さん」の著書「不可触民:アンタッチャブル」の中で説明されているものを
引用させていただき、カーストの概念を少しでも理解していただければ幸いである。


《不可触民》より  (インドにおけるカーストとは)

「外国人が接触するインド文化とは、つまりブラーミン文化、
知識階層にすぎず、それをインド国民の代表意見としてしまいます。
インド人の3パーセントにすぎぬブラーミンと2パーセントの英語を解するインド人、
それがインド国民全体の代表面をし、かつ「支配」しているのです。

つまり、1億人以上の「不可触民」が残りの国民の生活の汚れた部分の仕事を担って居る訳であり、
こんなお金の掛からない重宝なカーストを手放すはずもない。
つまりは「奴隷」である。
善悪は別にして、これが世界に二つと無い「インド」と言う国を支えているのである。

ガンジーやネールでさえが「不可触民」を肯定しているのである。
ただ一人、「アンベードガル博士」のみ「不可触民」の生きる道を考えて行動していたに過ぎない。
他には誰も居ない!

ここネパールでも近い考え方でカーストの存在がある。(法律上は無くなっているが・・)
そんなネパールにあって、「本当の話」の出来るはずもないのが少しは理解できるかもしれない。

こうしたカーストに縛られた彼らには、「嘘も本当も」どちらも善であり正しく、全ては身を守る術である。
日本では、あらゆる「欲」が「見栄を張らせ嘘」を生む。
その「生まれた嘘」は勝手に大きくなり自分の「墓穴」となる。

今回は、少し愚痴っぽくなった事をお許し願いたい。



銀杏旅館から見た「雲海に浮かぶヒマラヤ」
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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2014/03/03(月) 11:35:30|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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