ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

メールダラの「生活実態調査」にあたり・・・

2月21日(金)天気:晴れ 気温:13℃ 湿度:65%


今回は、日本の学生さんによるメールダラ村の「生活実態調査」を8月に実施するにあたり、
現地で如何に調査すべきかをお二人に確認してきてもらった。
もちろん、子供たちとの交流も含めてである。

この「生活実態調査」の目的は、今後の支援活動をする方向を決定するための重要な「手がかり」にするためであり、
もう一つは「調査」しながら「自分を見つめ直す」事にある。

2月18日にジープで銀杏旅館を出発して、途中「ドラルガル」で野菜や果物の買出しと昼食を終えて
スクテに12:30到着。
さらにポーターに荷物(子供の服や野菜)をつり橋の対岸で待っているミルク運搬用のトラックまで運んでもらい、
いざ再出発!

IMG_2284.jpg


彼らの「本番」は8月の末でまだ雨季の末期にあたるが、
もし「雨」が降っていたら「このジープには乗れないなぁ~」と考えながら揺られる事40分。
村の中腹に着く。
小学校の先生たちが迎えに来てくれていて、大きな荷物を運んでくれた。

小学校では子供たちがそれぞれ「花輪」を手に、2列に並んで出迎えてくれてた。
準備された「椅子」に座ると咲き始めたばかりの「ラリグラス」の花輪や切花を一人ひとりの首に掛けてくれ、
「ナマステ!」と歓迎の式典である。

IMG_2386.jpg


その式典が終わると、我々の持ってきた「子供服」の配布である。
これが「大変な仕事」で、子供一人に上下2着の服をサイズを合わせながら配布する作業は
「根気」のいる仕事でもある。
子供の成長は早い!
今回の持って行った衣類は若干「小さめ」のサイズが多く、次回に反映する事とした。

IMG_2307.jpg
IMG_2308.jpg


それでも、2時間もすれば配布作業も終わり「これで終わりだよ」と先生の号令と共に、
子供たちは一斉に教室に飛び込んで「着替え」に入った。
出てきた子供たちは、銘々に自分の服を着て得意げな顔で教科書を持って帰って行った。

しかし、ものの10分もすると半数以上の子供たちが「かばん」を家に置いてきただけで学校に戻って来て遊びはじめ、学生さんたちも「巻き込まれて」の運動会?が始まった。
学生さんは流石に若い!

運動神経も抜群で「トンボ返り」や「前転」など私には到底出来ない「技」を子供たちに披露。
子供たちも「土」の校庭で背中を汚しても気にせず、「ひっくり返って」遊びに熱中。
こうして、学生さん二人とメールダラの子供たちの「交流」が始まった。

IMG_2343.jpg
IMG_2360.jpg
IMG_2335.jpg


夕食の直前まで「遊び」「ご飯だよ~」と言うまで校庭で「交流?」。
夕食のダルバートを食べている時には、既に夕食を済ませた子供たちが校庭で待っていて(大人も)、
「まだかなぁ~」と部屋をのぞきに来る。

ほぼ食事が終わった段階で、一人また一人と子供や大人たちが部屋へ上がってきて、
瞬く間に部屋は村人や子供たちでいっぱいになった。

午後7:50くらいから始まった「歌と踊り」は9:30ごろまで続き、先生にもう眠いので止めて欲しい旨伝えると、しぶしぶ一人、二人と引き上げて行った。

翌日は祝日で学校は「休み」、でも子供たちは学校に集まって来る。
目的は学生さんたちと「遊ぶ」事にある。
昨日、「ロアーカースト」の子供の家に行く約束をした学生さん二人は、
その子供に連れられて親の居ない家を見てきた。

山の斜面を登って行くのが大変な場所にある「子供の家」は「家財道具」が殆ど無く、
ベッドにはとても使いたくないようなマットがあり、ここでの生活状況を目の当たりにしてきた。

学校に戻ったお二人は「疲れた~」と言っただけで「ここの現実」を見てきた感想は聞けなかったが、
「何かを感じて」くれたようであった。

この日も1日中子供たちと交流して「疲れた体」ではあるが、夜には昨晩同様大人も子供も集まって来て、
「歌と踊り」が始まった。

寝袋に入ったままの我々の隅で歌いはじめ、同時に子供たちは学生さんの上に「馬乗り」になって「遊び」はじめた。
歌や踊りも「馬乗り」も始まり、なかなか「休む」事ができない。
こうして2日目の夜午後9時ごろには終了。

翌朝7時にはもう子供たちが学校に来ていて、先生の指導なのか「花輪」も準備してあった。
(昨夜踊りった後、作ったのだろうか?)
朝食の後、荷造りをして校庭に出た途端、子供たちに囲まれ「名残を惜しんでる」学生さんがいた。

IMG_2324.jpg


岐路に着く我々を見送る子供たちや先生を遠目に、トラックに揺られて下った。
今年夏には再会出来るのだが・・・・心が残る・・・




改修の始まった学校IMG_2341.jpg
IMG_2365.jpg




IMG_2350.jpg
IMG_2349.jpg





では次回「ネパール通信」まで。



HPのご案内
http://gifu-nepal.jimdo.com/
Ichyo Group Sujita








スポンサーサイト
  1. 2014/02/21(金) 17:07:07|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

近未来?

2月7日(金)天気:満天の星 気温:14℃ 湿度:52%


今回はネパールにおける就職状況についてお伝えしたい。

ここでは明日や明後日と言った「近未来?」すら不確定な部分であり、望めない。
もちろん、日本でも電車の事故による遅刻や怪我はある。
バスの渋滞や事故による遅刻は何時もの事で、だからと言って早く家を出ることはない。

役所でも、銀行でも友人でも全ての時間が不確定であり、それでいてこの社会が回っているから「不思議」である。
その時になってみないと「考えていた事:計画」が実行されるかどうかはわからない。

ここに来て約束とか予定などと言う「近未来?」の話は「極めて不確定」と知るべきである。
そんな社会の中にある「子供たち」の将来も???
全く希望すら持てないのが現実で、
子供に聞いても「今日家族が病気でなく、食事が満足に食べられれば幸せ」との答えも頷ける。

では、こうした生活環境から抜け出すには「如何に」すれば抜け出せるのか?
通常の生活を送っていては「絶対に」抜け出せない。
英会話・日本語・中国語・スペイン語・フランス語など
「言葉は」仕事を見つけるために「無くてはならない能力」でもある。

高校や大学に行ける子供たちは数パーセントで、卒業すれば海外に出稼ぎに出る人たちが殆ど。
しかも出稼ぎに行くための費用は「借金」をして出かけるから、
数年働いても30万円から60万円程度が残れば良い方である。
中には借金を返したら「数万円」しか残らない仕組みの「人材派遣業者」もある。
だから、「借金」における考え方は「出来ればしたい」、
それを元手に商売なり旅費にしてさらに稼ぎたい、のが通常である。
例え返せなくてもである。
その後の事は考えない!

ネパールでは仕事そのものが無い。
私など、ここに生まれていたなら「何処へも就職出来ない」であろう。
自分たちの「力:財力」では絶対に出来ない。
誰かが「力:財力」を貸さない限り永遠に無理である。

しかし、ごく一部のスポンサーを見つけた人々だけが商売なり、
留学なりして諸外国の恩恵を受る事が出来るが、極稀である。
しかも一旦外国の良さを知れば、二度とネパールへ戻る事はない。

出稼ぎの人々はビザの関係で1~3年で戻されてくるが、それでも「脱走?」して「不法滞在者」となり、
アルバイトで10~15年間も稼ぎ「自分で入国管理事務所」へ出向き
「強制送還」されてネパールで「錦を飾る」人もいる。
留学生ですら「脱走?」して10年以上も働き「強制送還」されて来る。
男性に限らず女性でも同じである。

現在、「人材派遣業者:メンパワー」を使って出稼ぎに行けば、最低でも70~100万円の費用は取られる。
それを借金するのである。
日本で働く場合においても同様で、
貰う給料から食費・宿泊施設などを差し引いて毎月5万き円を残せる「働き口」は数少ないのが現実である。

もっと安く外国で働く事が出来れば良いのに、悪質な「人材派遣業者」が多く、
お金を借金し手支払っても、出稼ぎに行けないで「無き寝入」する人も多くいる現状を見聞きするたびに
「この国の根本的貧困」を感じる。
貧乏人が貧乏人を騙してお金を稼ぐ、それが今のネパールである。


今月からメールダラでの学校修復作業を開始した。
25年も前に建てられた校舎は、結構「ぼろぼろ」で授業を続けながらの修復作業は時間が掛かる。
時々はクラスも移動してもらいながら実施する方向である。
トイレ・フェンス・水道設備や学校の周りのゴミ焼却設備(自作)を整え、
少しずつではあるが、改善されてきているのが分かる。


添付は今まで支援活動を実施してきた学校の子供たちである。
でも未来は???



IMG_0039.jpg
DSCF1077.jpg




では次回「ネパール通信」まで。



HPのご案内
http://gifu-nepal.jimdo.com/
Ichyo Group Sujita












  1. 2014/02/10(月) 12:38:23|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「ありがとう」と「ごめんなさい」

1月31日(土)天気:快晴 気温:14℃ 湿度:52%


「ありがとう」と「ごめんなさい」は、感謝の言葉と謝罪の言葉であるが、
現代の人々からは「忘れ去られた言葉」のようである。
この言葉なくして、人間関係などあり得ない。

人は不完全な生き物であるが故に、自分に出来なかった事を誰かにやってもらって「ありがとう」の言葉があり、
不完全だからこそ過ちもあるから「ごめんなさい」の言葉が必要になるのだが、
これが使えない人たちの多い事、多い事。
まるで「全知全能の神」でもあるかのような方々である。

自分は間違っていない!
相手が間違っている!
ここネパールと同じである。
文明社会の日本なのに・・・・・
残念だが現実である。

以前にも同じような「心構え」を記載したこともあったが、
今回は、ここネパールにおける「ありがとう」と「ごめんなさい」に触れながら日本を観てみたい。

一般に先進国?と言われる国々では、「ありがとう」と「ごめんなさい」は至極当然のように使われているが、
インド・ネパールでは全くと言って無いのが普通であり、望む事が宗教的にも「間違い?」のようである。
一応言葉としては存在するが、個人的には聞いたことがない。
公の演説などでは別である。

では、なぜそんな国での活動をするのか?
それは、「ここだからこそ出来る活動」だからである。
お礼も言われず、感謝もされず、事故や失敗があっても「ごめんなさい」の言葉もない国だからこそ
「自らの忍耐力」を培う事ができる。

一方、近隣諸国(中国・韓国)との関係も最悪の状態で、日本の立場は「何処へ」行くのだろうか?
立場の主張は、相手を刺激するだけで何も実りがないばかりか、嫌国意識を増幅させるだけである。

どうして分かち合えないのだろうか?
利権と見栄がそれを拒んでいるのだろうか?
奪い合うだけが「生きる道」なら、「正に動物以下」の考え方であろう。
歴史認識もさることながら、人としての生き方に大きな違いがあるように思えてならない。
そこには「ごめんなさい」も「ありがとう」も存在せず、
ただただ「憎しみ・恨み・嫉妬」などの「汚れた言葉」だけが渦巻く修羅の地獄が見えるだけである。
ここネパールでの活動において、ただただ「許す」事のみが前進出来る活動方法でもあると、最近特に痛感する。


最近「銀杏旅館」に来られれた方で「何かお礼を」と言われた事があったが
「山村の子供たちにしてください」とお伝えしたばかりである。
私は「子供たちから」十二分に「真心」を頂いているからである。
添付写真はメールダラの子供であるが、こんな子に「睨まれては」何でも許せるのに・・・・

今日もミナの兄弟喧嘩のおかげで、自分で昼飯を作って食べている。
トホホ・・・・



IMG_2016.jpg




では次回「ネパール通信」まで。



HPのご案内
http://gifu-nepal.jimdo.com/
Ichyo Group Sujita












  1. 2014/02/02(日) 11:20:07|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

ネパール通信 (330)
管理人よりお知らせ (6)

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード