ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

自分の「心に嘘はつけない!」

12月25日(水)天気:快晴 気温:12℃ 湿度:62%


最近の日本のニュースで特に感じるのは、「存在感」って本当に必要な事だろうか?
つまり、「何処には誰々が居て何をしている」と言う事が、他の人に知ってもらっている事である。

日本では、「寂しいだけ」の人々が多すぎるのでは??
善悪の区別なく「ただ目立って」いればいい?

誰にも知られず「こっそり」と生きられれば・・・と考えないわけではないが、まず不可能である。
そんな社会に決して背を向けることなく、ただ自分に「正直」に生きたいだけである。

しかし、その望みは極めて困難である事は言うまでもない。
何処に居ても、誰かの眼で見られて生きなければならない。
ならば、せめて「こっそりと生きる」努力を精一杯やってはどうだろうか?
もがき、苦しむ場合もあろう、しかしそれは自分の目標のためである。
単に「存在感」と言っても、他人に迷惑を掛けてまでする「存在誇示」ではそれこそ「本末転倒」であろう。
見栄や嘘は「自分の存在感」を誇示したいとの思いから来る、生きるのに全く不用な行為であろう。

「自分に嘘はつけない」事は「自分が一番知っている」しかし「見栄や虚栄」のために「嘘」をつく。
その嘘で自分が苦しむ。馬鹿げた事である。

もう一つ
お礼の仕方であるが、本来「心のこもった」お礼を感謝と言う、具体的には言葉や態度で出てくればいい。
しかし表面だけでのお礼は「お礼」をしました、と本人の自己満足だけで本来のお礼ではないと考える。
こうした「恥ずかしいお礼」はすべきでない。


さて、本題に入ろう。
人の「心」って何時も変化している。
さっきまで「こうしよう」と方向を決めていたのに、直ぐ後では全く違った方向に行動する。
特に「他人の目」を気にし過ぎるあまりの「虚勢」である。
これは周りの環境に左右され易い事を示しているのだが、「信念」は動かない。

つまり、一番「心の中心にある思い」は、その人の「生きる目的」のようなもので
多少の「ふらつき」はあっても最終的には基に戻る、のである。
それが「信念」であろう。
生きるための「芯棒」つまり、軸となるべき「考え方」である。
これを探し求めてさ迷う人々は多い。

しかし、考えていただきたい。
誰のためにそれを探すのか?
自分のためである。
だったら「自分の心の居心地」のいい「芯棒」にすべきである。
あの人の「芯棒」がいいと思っても、同じ「芯棒」ではない。

分かりにくい表現になったが、仕方がない。
観えないものの表現ほど、伝えにくいものはないのである。
でも「持たないと」方向が定まらないのも事実。
はてさて、「もがき苦しむ」世の中。
生きるも地獄・死ぬも地獄。

どちらも自分の「考え方」一つで変えられる!
アクティブ&ネガティブはどちらも心の中にあり、考え方ひとつで左右される。
選択は自分自身である。

生きるのも楽しい、いつ死んでもいい・・・となる。
こんな生き方をしたいものである。





マテ村のおばあちゃん
マテ村の老女に別れの挨拶をされる私???
撮影後(ほっぺをぺったとくっつけられて)
(マテ村とはソーラーパネルを設置した村)
 




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メールダラの学校で先生が子供に水を飲ませているところ
(今は心ある方のご支援で、水道がある)










では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/12/26(木) 13:13:34|
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純子さんの「ネパールレポート」

12月17日(火)天気:快晴 気温:10℃ 湿度:65%


今回は、11月11日から12月10日までの1ヶ月間を、
私と共に支援活動に参加された「純子さんのレポートを原文のまま」掲載させていただきたい。

彼女はソーラー設備の設置村であるマテ村から、
腹話術のみなさんと共にメールダラ村、さらにはポカラでの施設訪問(ハンセン病療養所)や
チベッタンキャンプなどを「つぶさ」に視察され、
私の活動と考え方、さらには普段の子供たちとの生活の殆どを見て来られた方である。



『ネパールへの思い』 と 『筋田さんの活動』                     

定年を前に 「平均寿命まであと25年もあるのか~」 と思った時、
「そうだネパールに行こう!」 と急に思い立ちました。

なぜネパールなのか・・・ それは私の育った時代に関係があるのかもしれません。 
60年前の日本の原風景がそこにあるような気がしたのです。
訪問してみて、町には町の歴史と風格を感じ、山には山の歴史を感じます。

山の学校の風景は、日本の昔の山の学校の風景に良く似ています。 
小さな校舎に少ない先生・・・ そしてせまい校庭・・・ 狭くてもきれいにならしてあるところ、
石がごろごろ埋まっているところ等まちまちです。

子どもは・・・というと、昔の日本でもたくさん見られた鼻水を垂らしている子。 
なにせティッシュペーパーなどないのですから・・・。 

それに小さい妹や弟を抱っこしたりおんぶしたりしている風景。
日本の昔もこんなだったなぁ~とホントに懐かしく思います。

私はこんな子供たちのために何かできることはないか、
何かお手伝いをしたいと思いつつ、年に2回ネパールを訪問していました。
まずはネパールのことをよく知ろう・・・と、観光を兼ねいろいろな所を訪ねました。

そんな中で、この人のために、この子のために・・・ 
あるいはここの土地の人のために・・・ と思える出会いを探していました。 
そしてその協力者としてのネパール人を探していました。

ところが現実はそう甘くはなく、
「そんなお金があるなら自分に少しでもまわしてほしい」というような態度が垣間見えたり・・・。 
そんな姿が見えると、私はいつの間にか身を引いてしまうのでなかなか思うようにいかないまま、
既に6年の歳月が過ぎていました。
それなりに楽しい6年でしたが、まず最初の目標の10年が近づいてきたため少し焦りも出てきました。


そんな折です。 
2013年の夏前のこと、たまたまTVで筋田さんを拝見し、
そのブログを2度3度と読ませて頂くうち、
「この人になら私の夢が託せるかもしれない・・」 と感じ、
この夏日本に戻られた折の筋田さんに初めてお会いする機会を得たのでした。

今まで私は、協力してくれる人は 「ネパール人」 と決めてかかり、
その出会いを求めていましたが、「日本人でもこれほどネパールのことを思ってやってくれる人がいるのなら、
なにも私の思いを託すのはネパール人でなくとも日本人でもよいのではないか」と目からうろこ。

そして今回11/11日から12/10日までの訪問となり、じっくりとその活動内容を拝見、
そのひととなりも観察させて頂いたのでした。
(スミマセン失礼な言い方で・・)

筋田さんには現在ネパール人の強力な協力者が4人もいて、
自分の子供として同居し学校にも通わせていることは過去のネパール通信にもよく書いてあります。
それがミナちゃん、パンネくん、サロジくん、ラスミちゃんです。

年一回、ビザを取る時のミナちゃん、パンネくんの苦労は通信にもありましたが、
今の銀杏旅館を作る際のミナちゃんの苦労、努力たるや聞いて初めて知ったことでした。

そしてミナちゃんがトレッキングの仕事で2週間も留守になるような時などは
ラスミちゃん(弱冠16歳)が大活躍。 家事全般を引き受けてくれます。 

銀杏旅館に「日本の小学生とのスカイプ交流」のため、
「メールダラから13人の子どもと先生2人」が泊まりに来たときなどは、
ミナちゃんはトレッキングガイド中でいなかったため大変だったと思います。

先の15人のほかに、私たち泊まり客3人に家族5人分の食事
(この時はパンネ君のお嫁さんである、ウルミラさんもいた)はラスミちゃん指揮のもと、お嫁さん、
パンネくん、サロジくんたちも協力の上すべて用意してくれました。
何せ23人分の夕食、翌日のカジャ(朝の軽食)から昼食まで、それはそれは大変だったことと思います。

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そして、旅行会社を設立したパンネくん(まだ20歳)は
トレッキングの手配から準備全般、ガイドも引き受けています。

パンネくんが仕事で忙しければそこはサロジくん(19歳)の出番です。
トレッキングのガイドはもちろん、メールダラの学校訪問時も私たち訪問者8名のお世話から
オーディオセットの準備等々すべてやってくれました。
この時ミナちゃんはタマン語の通訳、食事の世話(総勢12~15人分)一切を引き受けてくれたのでした。

そして忘れてならないのが日本で地道な協力をして下さる奥様のこと。
日本だけでなく海外からも送られてくる衣類や文具等の整理から、
ボランティアで運んで下さる人々への荷物の梱包、配送を一手に引き受けてして下さる奥様の協力なしには、
筋田さんのネパールでの今の仕事が成り立たないのでした。

すべてそれらの人々の強力な応援があったればこそ出来る、「筋田さんの活動」とお見受け致しました。
こんなところに、「私も~」 とお世話になろうというのですから
「虫のいいことこの上なし」 ですね!!(ボランティアの助っ人を利用)

こんな私ですが 「懲りずにあきらめずに」 これからもよろしくお願いしたいと思います。
来年には必ずまた来ます!

ただ、健康にだけは気をつけてくださいね。

今後ともよろしくお願い申し上げます。






日本の子供たちとスカイプ交流をするメールダラの子供たちIMG_1974.jpg
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メールダラの子供たちと「遊ぶ」池田さん(ピアニスト)
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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/12/17(火) 17:17:52|
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それぞれのネパール・・・

12月10日(火)天気:満天の星空 気温:13℃ 湿度:70%


今回は前回の通信との間が少ないが、同じメンバーの方の投稿でもあり、
はじめてネパールを訪問された方2名の感じたままを「原文のまま」掲載させていただきたい。



『初めてのネパール』 藤原正子

腹話術師の中井サチ子さんから、ネパールでのボランティア活動に誘っていただき、
関西組女性4人と、東京から先発1名の計5人でネパールに行って来ました。

銀杏旅館の筋田さんがジープで空港に迎えに来て下さいました。
深夜近くの到着便だったので、空港から旅館までの景色は分らなかったのですが、
翌朝ベランダに上がって吃驚です。

「ネパール通信」に載っている壮大な眺めが一望できるのです。

朝日が昇ると、遠くの雪山がオレンジ色に染まり、足元には雲海が広がり、
時間の経過とともに満開の薄桃色の桜、菜の花の咲く段々畑が見えて、
小鳥、犬や牛、鶏、ヤギなどの鳴き声が聞こえ、
下の道路では牛乳を集めているらしい村の人たちの生活が伝わります。
そんな景色の中でいただく食事はとても贅沢でした。

銀杏旅館に2泊してから、先客3名の方と一緒にメールダラの小学校に行くのですが、
それまでの行程は中井さんも書かれたように、トラックの荷台に乗って、
遊園地の絶叫マシーンさながらの悪路でした。
しかも苦手な吊り橋を歩いて渡るのです。
(帰りはコツを学習しました。前を歩く人から少し距離を置くと揺れが少ないのです。)

小学校での様子は中井さんが書いて下さったので省略させていただきますが、
ちっちゃな子供から年配の方まで、太鼓のリズムに合わせて踊るダンスの見事さは天性のものなのでしょうね。

シュラフに戻って2泊した後、ミナちゃんの実家にお邪魔しました。
山岳部の農村で、ネパール人全体の90%がこのような村で生活しているそうです。
そこまでの道のりもトラックの荷台に揺られ、道路の土埃を被りながらの悪路でしたが、
ミナちゃんのお母さんの温かいおもてなしに疲れを忘れてしまいます。
美味しいお茶とダルバートを振る舞って下さいました。


銀杏旅館に戻ってから、翌日はポカラに7時間かけてツーリストバスで移動しました。
こちらでは、筋田さんが支援されているハンセン病療養所を訪問させていただきました。

ドイツ人が創立したそうで、現在は55人が療養中です。
子供もいるので、学校が併設されていました。
療養所は芝生を敷き詰めた広大な空間で、手入れの行き届いた敷地内には美しい花が咲いていました。
病室は窓が大きいので、部屋が明るくて開放感があります。
入院中の方は思い思いに同室の方とおしゃべりしたり、ベッドで休んでいたり、
車椅子で散歩したりと自由に過ごしていました。

理学療法士がリハビリを行う部屋には、日本にあるような器具が装備されています。
病気のために手足が不自由になった方のために、自助具や補助具、補装具が各個人に合わせて丁寧に作られ、
その人の成長や病変に対応しながら作り直されています。
そのために技師が使う道具は、部屋の壁に整然と並んで保管されていました。
療養所の創立に関わったドイツ人の生真面目さ、几帳面さを垣間見た思いです。

私たちが見学している間も高校生らしい男子生徒が、足の補装具を点検して貰っていました。
入所されている方は、私たち見学者に声をかけて下さったり、握手を求めて来られたりと親しみを感じました。
これは筋田さんの今までの地道な積み重ねがあってのことだと思います。

貴重な体験をさせていただきまして有難うございました。
これからも益々のご活躍をお祈りしています。




ネパール(メルダーラ・ポカラを訪ねて) 西島 福佐子

私達は訪れたスリーブメソリー小学校の昼休みに、子供達がどういう遊びを喜ぶか?と考え、
じゃんけんぽん!とかをしたが勝ち負けがわからず、チョキを出すとチョキ・・ で勝負にならない。
やはりルールを教えてからでないと。

綱引きが簡単で面白いと考え綱を探すがない、そこで壁際に何やら太い綱がみえたので聞くと
ブランコの綱を使わない時 外していると。
これこれ!いいのが見付かった、早速運び出し校庭に。“ぴったり”だ。
子供達が目ざとく寄ってくる。

並べて2つに分けるのが これまた大変。一緒に何かをする というのが ダンスくらいだからだ。
ようやく2つに分け 始めたら全員たったままで ひっぱり、あっという間に勝負がついた。

ゴム飛びやリンボーダンス
全員夢中になって競い合った。
これからは運動会みたいなものをすればいいね と話し合った。

子供達の踊りのうまさには感心した、根からリズム感が抜群なのでしょう。
ほっておいたら何時まででも踊っている。
こうして二日間はあっという間に過ぎ、また訪れる日を心に秘め 銀杏旅館に戻った。

そこでは 日本人顔まけに 日本料理の味付けが上手なお嬢さん「ミナ」 さんがおられ
(小学校も同行していただいた)
筋田さんの伝授であろうか、 日本のルウを使ったカレーライス・・美味しかった。
おぜんざいやお雑煮。
別の日には中井さんが用意してこられたもので“ちらし寿司”や“肉じゃが” を作って下さった。
どれも美味しかった。心のこもった筋田さんの「おもてなし」である。

あくる日、トレッキングで有名な観光の名所“ポカラ”を訪れた。
7時間以上のツーリストバスである。
途中休憩のトイレは想像していたより きれいで、
チベットやモンゴルで厭な思いをして想像していたより清潔に掃除してあった。

ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルという標高8000メートル級のヒマラヤの山々の頂きが望め
初めてなので感激した。
そこで目的地 チトワンのハンセン病診療所、笹川陽平さんが支援されていたとは!

さらにチベット難民キャンプを訪問 筋田さんは お米1袋(30K)をリュック
の上に積み上げ運ばれ、とある家に入りそれをドスンと玄関口に下ろし、
「こんちは」と慣れたものである。
私達に「さあ入れ」と自分の家みたいである。

コンクリート造りで小さい庭もあり “ダライ・ラマ14世”の写真を飾った居間に
ダライ・ラマ14世(2012年10月) 寝室・台所とある。
私がみてきた東北の仮設住宅よりずっと立派だ。
バター茶やツアンパ(自分で作るチベットの主食)をご馳走になり休憩。
なかには疲れて眠ってしまった人もいた。

聞くと、別な地域にはブータンの難民キャンプもあるそうだ。
想像していたより“ゆとりのある生活”に見えるが、それは子供が大きくなり
出稼ぎに行き、親に仕送りをしているからだと。
逃れてきた当時は・・・と想像する。

筋田さんは こちらにも顔を出し親戚みたいな付き合いである。
きっと困っている時からの支援であろう。
ネパール共和国もこういった難民を受け入れ住居も与えているので逃れてきた人も救われたのでしょう。
ゆっくり休憩させてもらって 途中フリーマーケット(チベットの方が手作りした物を売っている)で買い物。

東北地方でもそうであったが、「お金を使う」ことも一つの支援になるそうだ。
まあ日本に生まれて幸せ?という思いで そこを立ち去ったが、本当はどうだろう?
現代社会は“心”まで壊れる場合が多々あるが、彼らは生きていくのが必死で心は清らかで決して貧しくはない。

筋田さんのお陰で今回の旅は有意義で楽しくて異文化を充分味わえたし、
ちょっぴりの応援もできた。ありがとう!!









では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/12/10(火) 15:53:11|
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メールダラでのエンターテーメント

12月4日(水)天気:快晴 気温:21℃ 湿度:50%


今回はスリーブメソリー小学校での「腹話術」やいろいろなゲームも交えた
「子供たちとの触れ合い」を目的に実施した。

参加者は大阪から中井さんたち4人組と東京から池田さん、
石川県のネパール協会の日野さんご夫妻の総勢10名の日本人が訪れ、
午前8時に銀杏旅館を出発して、現地に12時半ごろ到着。

前日に打ち合わせをしていた通り、はじめは「子供たち」による花輪の贈呈式を行った後、
持って来た「子供たちの衣類」を配布したがやはり時間が掛かったが、
1時間半ぐらい掛かり夕食の準備と子供たちとの交流をしながら午後6:30に夕食を始めたが、
既に子供たちや大人たちが階下で「歓迎会?の踊り」をするために待機していた。

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翌日のネパール国歌の斉唱から始まったプログラムは、腹話術の不思議を子供たちも堪能、
夕方には一人の女の子が来て「欣ちゃん」に近づき突然、欣ちゃんに「熱いキッス」をしていた。
中井さんは「欣ちゃんの初体験」です。と驚いていた。

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下記に彼らの代表で腹話術の中井サチ子さんのレポートを「原文のまま」掲載させていただきたい。



メールダラの小学校訪問:中井サチ子

11月27日(水)

私たち11名は早朝「銀杏旅館」を出発してメールダラの小学校を目指して四輪駆動のジープに乗り込みました。
途中、大きな川の「鉄のつり橋」を渡り、そこからミルク運搬用のトラックに乗り換えました。

トラックの荷台に私たち9人と支援の物資、さらに私たちのリュックなどで「ぎゅうぎゅう詰め」で、
狭い山の登り道をくねくね曲がりながら登っていきます。
でも皆んな楽しく乗っていました。

30分程度乗って村の入り口に着きました。
村の人たちがたくさん迎えに来てくれました。
更に険しい山道を10分程登りました。

目的の小学校に着きました。
子供たちはみんな整列して校庭で待っていました。
花の「首飾り」を一人ひとりにかけてくれました。
どの顔もとても嬉しそうででした。

子供たちの服装は、もう何日も洗濯の水をくぐった事のないほどでした。
素足にサンダルばきでした。

筋田さんの顔を見ると「オトッサン オトッサン」と寄って来て手をつないだり、ひざに抱かれたりしています。
夕方になると村人たちもやってきて、私たちの部屋でネパールのダンスが始まりました。
調子のよいリズムに乗って大人から子供まで上手に踊り、私たちもその輪に入りました。

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11月29日

いよいよお楽しみ会の日です。
下の村から持って来るマイクやオーディオがなかなか到着しません。
その間、「大きな栗の木の下で」をネパール語と日本語で振りを入れて皆で歌いました。

しかし初めてなのでなかなか盛り上がりません。
その内に歓迎セレモニーが始まりました。
司会はミナちゃんです。

人形の欣ちゃんとサチ子さんの腹話術もはじまりました。
「遠く日本から来ました。皆さんに会えるのをとても楽しみにしていました。
お会い出来てとても嬉しいです」と挨拶。

次に日本昔話「桃太郎」の朗読劇をしました。
それから、ジャンケンゲーム、ゴム飛び、綱引き、などをして楽しみました。

最後にスピーカーから流れる、ネパール音楽にあわせて子供たちがダンスをしました。
とても上手です。
小さい子もなかなかセクシーに踊ります。

夜になると、私たちの部屋で昨晩と同じようにダンスが始まりました。
今度は、だいぶ参加者が増えています。
中年の男性が「遠い日本から私達のために来てもらい、ありがとう。こんなに嬉しい事はありません」
と涙を浮かべて挨拶されました。
その言葉が、私の胸に響きました。

1時間ほどのダンスが終わると、村の人たちは名残惜しんで帰られました。
私たちは暖かい気持ちに満たされて寝袋に入りました。12人で芋虫のようにして寝ました。

次の日、朝早くたくさんの村の人達に見送られ、またミルク運搬のトラックに乗り坂道を下りて帰りました。
どの人の顔にも笑みが浮かんでいました。
私たちもとっても楽しかったです。


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スクテの姉妹
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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/12/05(木) 09:54:19|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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