ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

ネパールにおける計画停電の実情

1月28日(月)天気:快晴 気温:12℃ 湿度:52%


今回は、ここネパールでの停電の現状についてお伝えしたい。

はじめに、山村部と都会(街)とは全く異なり、山村部では停電がない。
なぜなら、多くの電力を必要としないため年間を通して通電されていて、
山村では1軒に数個の電球とラジオやDVDプレイヤーぐらいで、
電熱器・洗濯機・ヒーター・冷蔵庫と言った家電製品が殆どないからである。

以前の「ネパール通信」でも記載した事だが、一部の山村(バラビシ)で発電所の施設(ダム)があるのに
「計画停電」を実施したため、村人たちが怒って「わし等のところで電気を作っているのに何で停電するのか!」と発電所の所長を村のトイレに1週間も「軟禁」。

結果、山村では停電しない「法律?不文律」が出来たそうである。
これはミナから聞いた話であるが、山村の誰もが知っている。
しかし、政府に「力の及ばない」地域では、未だに電気の無い生活を強いられているのが現実である。

さて、ネパールでの電力は全てが「水力発電」であり、一部の施設の電力は遠くインドまで送られ、
激安の価格で(ネパールでの半額)売られている。
この事は極めて矛盾しているが、やはり政治力の問題であろうか。

それはさておき、なぜ「水力」のみなのかと言えば「火力・風力」と言った設備には、
ランニングコスト(油代)やメンテナンスコストが大きく、とても採算が取れないからでもある。
山村での1か月の電気代は約80円位で、これでも高いと言って支払わない人々が多いとも聞く。

そんな「電気事情」と「経済事情」からここでのエネルギー産業が発展しないのも頷ける。
電気の需要と供給のバランスは「「経済的裏付け」があって初めて成り立つが、
それがないネパールでは政府の援助無くしては出来ないのである。
電気代を高くしたら「使わない」だけで、少しも困らない人たちがネパールの人口の9割にもなる。
ちょっと前まではランプと蝋燭の灯りだけで生活してきた人たちだけに、何ら困る事はない。

言い換えれば、電力の必要な人は「町で働く」商売人や事務所の関係者、
または観光業者やレストラン関係者くらいで、
国民の90%は「電気があっても無くても」何ら問題はないと言っても過言ではない。
それくらい必要性が感じられないと言うことである。

しかしである。
昨今のモバイルの普及やTVの普及により、少しずつではあるが
電力の必要な人々が山村でも増えてきているのも事実である。

今月1月21日からの計画停電では1日あたり14時間の停電である。
それも午前中と午後に分けて7時間ずつの割合で実施されている。
さらにこの停電は、ネパール全土の配電計画となっていて「地域毎」に分けられて計画停電となる。

そこで、この停電計画をいち早く知り「電気の必要」なものを集中的にこなす事が必要になる。
当然の事ながら我が家でも同様であるが、こうしたメール交信などは計画停電に関わらず
「仕事」として存在するため、インバーターを導入して対応しているのが現実である。
こうして今、原稿を書いている時も停電中である。

もう少し容量の大きなインバーターを購入したいが、
かなり高価(バッテリーとインバーターで6~8万Rs(円))にもなるため
PC用をメインに使っているのが実情である。(現在のものは総額4万円程度)

ただ、停電のある事が幸いしている事もある。
ミナや兄弟の部屋にはTVがあり、電気のある時には必ずONにしていて(見ていてもいなくても)
通電と同時にTVが動き出すため、深夜に通電があれば朝までTVは「つけっぱなし」になるが、
停電時間が長くなればOFFにするため無駄な電気を使わずに済む。

夜8時ごろの停電の時には点いていた電気のスイッチを消しておかないと通電と同時に深夜に点灯するため、
かなり神経を使って消しまわっている。
従って1か月の電気料金もこの季節(停電時間の長い乾期)は3割ほど安い。
通常1か月の電気料金は1000円程度である。

来週から新たにオファーのあった「電気の無い村」Dapcha Kavre(ダッツア・カブレ)へ出向き
「ソーラーパネルによる電灯」の設置作業と、ネパールの子供たちと日本の子供たちの
動画交信(スカイプ交信)の実現に向けた設備調査に入る。
これは愛知県の大須ロータリークラブのみなさんからの依頼による「ソーラーパネルの寄贈計画」を、
よりスムースに推進するための調査である。

今回は極めて日常的な内容になったが、
現在の日本のみなさんには「如何に節電が大切」なのかを理解していただく一助になればと記載した。

今年の一時帰国は7月15日~8月中旬。





我が家の近くの木に来た『タカ』の一種(名前は?ごめんなさい)
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我が家『銀杏旅館』からの展望
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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/01/28(月) 17:31:59|
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ミナの家族と「珍道中?」(Ⅱ)

1月18日(土)天気:晴れ 気温:11℃ 湿度:54%

前回に引き続き「珍道中?」をお伝えしたい。

ポカラ2日目、午前6時に一人で部屋を出て、湖に行きボートを借りようと「乗り場」へ行ったが、誰も居ない。
写真撮影のためのボーティングである。

近くに居た人に「ボーティングは出来ないのか?」と聞くと「7時に来る」との事で諦めかけていたら、
直ぐ近くに隠れていて「出来るよ」と声を掛けてくれた。

見てみると以前と同じ管理人の「おじさん」がオールをもって近寄ってきた。
「1時間幾らか?」と聞くと「300Rs」だよと言って階段を下っていき、ボートまで案内してくれた。
ドライバーは要らないので「安くして」と言ったが「公定価格」だと言って譲らない。
仕方がないので300Rsを支払い早速対岸へ漕ぎ出したが、「風」があり、「今日は無理」かな?と
暫く待っていたら、何とか「風」も収まり湖面に山々が映りだした。

しかし肝心のアンナプルナはバックが白くなり、「霞」がかかったような具合で「くっきり」とは見えない。
残念だが時期的にこんな感じのヒマラヤしか見えないのかと諦めて、岸へ戻った。
20分ほど早く戻ったが「キャッシュバック」はない。

何時も朝食を食べる「喫茶店」で、クロワッサンとミルクと目玉焼きを注文して待つ事2分、
「目玉焼き」が真っ先に出てきたので、「めっちゃ早い」と言うと「今俺が食べようと作ったところだった」との事。
まぁいいか!

その後5分で暖かいミルクと冷たいクロワッサンが出来て置かれたので「パンを暖めて」と言うと
「今は電気が行っちゃった」ので出来ないとの事。

寒い朝に冷めた「目玉焼き」と、暖かいミルクと、冷めたクロワッサンで朝食とした。
とほほほほほである。

そろそろ7時半になるころミナに、今日の予定を決めるべく相談に行ったが全員「おやすみ」で
ドアをノックしても「寝ぼけた声のミナ」が「もっと後にして!」との応えであった。

仕方なく部屋に戻り一人で「何処へ行くのか」を検討したが、
ミナのお婆さんやお母さんの意見も聞かないと決まらないので考えるのを止めた。

8時半ごろになり、やっと起きてきたので、途中まで考えたプランを言うと
「まだ起きたばかりで考えていない」と言う。

取り合えず朝食を「近くの店(たった今私の食べた店)に食べに行こう」と言うと
「お父さんは先に行って待っていて!」と言う。
彼らと時間を合わせて「何かをしようとすると」自分の行動が「ぐちゃぐちゃ」になってしまう。
私はもう朝食を済ませたのに、また同じ店で彼女たちを待つ事になった。

何とか朝食を済ませて、さてこれから何処へ行こうか?と言うと
湖の中ほどにある「お寺」へ行きたいと全員の意見らしい。

船着場まで徒歩10分くらいで着くが「自分で漕いでも300Rsドライバーが付いても305Rs」で
ドライバー付きで「島のお寺」まで行く。
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ここでは何組もの人々が「記念撮影」をしていて、ミナも全員で記念撮影を撮ると言う。
4人が一斉に着ているものを整え始め、約10分後やっと「撮影許可?」が降りる。
ショールをきれいにたたんで「首飾り」や「髪の毛」までそれぞれが満足し、
整え終わるまで「待たされる」ので「忍耐・忍耐」である。
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一応のお参りを済ませ、岐路のボートを探すが近くに居ない。
待つ事15分。やっとドライバー(ボートを漕ぐ人)がやってきて「さぁ!乗ったり乗ったり!」と声を掛けるが「このやろう!」と言いたくなるのを堪えて笑顔を作り乗り込む。
もやもやした気分で「さて昼飯は?」と考えたが、彼らが言うまで何も言わない事にした。
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ミナが「お父さん」お昼は?と言うので「魚のダルバート」を食べに行こうと言うと「いいよ」との事、
しかし村上さんを伴うと6人でタクシーでも2台は必要な事から、
スクーターのレンタルで2人とタクシーで4人が移動する事とした。

約25分くらい走って目的の村へ到着したが、以前旨かった魚は無く、
大きな魚の「ぶつぎり」をオイルフライしたものとカレーで煮込んだ物を注文し待っていた。
待つ事50分。「やっと出来てきたダリバート」は「めちゃ辛い」カレーで
苦手なコカコーラと一緒でないと食べられなかった。
それでも我慢して何とか食べたが、村上さんは「口の中が火事?」のようだ、と半分以上を残して食べ終えた。
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お婆ちゃんやお母さんは「全てたいらげた」!
ここでは通常のレストランと違い、注文を受けてから「ごはん・魚」を料理するため、
最低でも1時間は準備に必要。(これからは絶対に来ないぞぉ~)

ポカラ3日目は最後の観光である「デビスホール」へ出かけるが、例によって朝は遅い。
全員が揃ったのは9時半ごろで「コーヒーとパン」を食べ徒歩で出かけた。
40分後デビスホールに到着。

ミナが「お父さんは日本語を話さないで」と言ってチケットを買いに行きネパール価格で入場。(半額以下)
はじめて見る「異様な景色」にお婆さんやお母さん」は釘付けであった。
ここでも「記念撮影」で時間の掛かる事・掛かる事。

岐路はローカルバスで昔から知り合いの店まで行き、
ダムサイトの日本料理屋さん(アニールモモ)で昼食にするがここでの出来事は面白い。

何を注文しようか?とミナに尋ねると、ここのオーナーから「鳥のから揚げ定食が良いよ」との事で
私とミナを除く3人は、この「鳥のから揚げ定食」にした。
(これがお婆ちゃんやお母さんには普通に食べられるとの考え)

チョップスティック(箸)は付いているがこれでは食べられないため、
ホークとスプーンをお願いして食べ始めるも「お婆さん」はいきなり「手」で食べ始めた。
横に居たミナのお母さんも同様。

叔母さんはと言うと二人の食べ方を見ていて「どうしようか?」と迷っている様子で、
ミナが食べ方を教える事になったが「どうも食べにくそう」で結局「手」で食べた。

いよいよ明日は「我が家:銀杏旅館」である。
早朝6時、村上さんが我々の「見送り」にホテルヘ来て下さった。
まだ暗い早朝のレイクサイドを「お一人で」来て下さった事に感謝感謝である。
さらに、彼女からは「バス代の足しに」と言って5000Rsもカンパしていただいた。
経済的に決して楽な「旅」ではなかっただけに、彼女の行為が嬉しかった。

今回の慰安旅行で最も頭に残った事は、鍛えた体の物凄さである。
村での習慣を「決して崩さない」72歳のお婆ちゃんに感心した旅であった。
でも「疲れたぁ~!」



「旅」の途中で見た面白い光景と記念写真
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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/01/18(金) 16:03:43|
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ミナの家族と「珍道中?」(Ⅰ)

1月15日(火)天気:快晴 気温:9℃ 湿度:60%


今回から2回に亘って「珍道中?」をお伝えしたい。

昨年9月以降、頻繁に来られるゲストに対応し、ミナ・パトネ・サロジ君も疲れ気味。
以前からお母さんやお婆さんをポカラに「連れて行ってあげたい」と言っていたが、
時間が取れなくて実現出来なかった。

そこで、ゲストの居なくなったこの時期にミナのお婆さん・お母さん・叔母さんと私の総勢5人で
ポカラへ「慰安旅行?」に行くことになった。

学校は「冬休み」で都合がよく、パトネちゃんも新婦のウルミラちゃんと一緒に「銀杏旅館」の留守番?か、
二人だけの「新婚生活」を楽しんでもらう事にした。

サロジ君は、我々がポカラに出発すると同時にラムチェ村へ「炭」の調達方々ラムチェ村へ行き
「野良仕事」のお手伝いをする事にした。
炭は「銀杏旅館」のリビングで「こたつ」に使用するため欠かせない。

お婆さんは「とっても元気な72歳」で、私のように「歯」が「ガタガタ」でなく、
全て自分の「歯」で真っ白な丈夫な「歯」が健在である。(たばこも吸うしお酒も飲む豪傑である)
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1月9日朝5:30にサンガの銀杏旅館をタクシーにて出発。
カトマンドウのツーリストバスの乗り場まで1時間、バスの出発は午前7時である。
カレンキー(叔母さんが途中から乗る場所)の叔母さんを拾って5人が勢ぞろい。
ここで「車酔い」をするのはミナだけである。
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途中、トイレ休憩や朝食タイム・昼食タイムも20~25分程度で短く、
ミナの家族の動きでは、とても食べる事ができないため、
ミナが「急いで食べて!」と教えるがなかなか終わらない。
5分も遅れると車掌?が呼びに来てやっと食べるのをやめる始末である。

それでも定刻の午後2時半にはバスターミナルに到着。
通常ならばここからタクシーでホテルまで行くが、今回は総勢5人。
1台のタクシーでは乗れないため、ローカルバスで行くことにして歩き出す。

5分ほどでバス停に着いたが、ミナのお母さんが「歩いて行こう」と言ってミナに話しかけて歩く事に決定。
徒歩でも20分もあればホテルに着く距離である。

ホテルに着いていよいよ部屋に入るが、2人部屋と3人部屋のため、
ミナが「お父さんのブランケットと枕をミナに部屋に移動して」と言ってきたため移動したが、
3つのベッドはそれぞれが離れていて狭いため、3つのベッドを「くっつけて」特大ベッドを作り、
そこで4人が寝る事にした。

とにかくシャワーをと言う事で、ミナが使い方を教えるが分からずミナは一人ずつ教えながらシャワーを完了。
何せ初めてのホテル生活である。
約1時間半で4人が終了したが、その後の「お化粧」に時間が掛かった。

ここポカラにもカトマンドウにある「桃太郎」と言う日本料理の店で、
「村上さん:ここで絵を描いている銀杏旅館のゲスト」を伴って夕食をする事にしてあったが
「約束の時間」になってもお化粧が終わらず、40分も遅刻して「村上さん」と合流。
やっと食事の注文をする事が出来た。

しかし、ここで問題が発生!
ミナの「叔母さん」が鶏の肉以外は食べられない事が分かったため、チキンを中心とした注文になったが、
我々は「トンカツ」や「牛肉」も食べたいため、7~8品を注文してシェアーすることにした。
「ギョウザ」は全員が問題なく食べられたが、「てんぷら」や「トンカツ」にはミナの家族は手が出せなかった。

チキンだけの料理で「お腹がいっぱい」にならない「叔母さん」に
近くのレストラン(ネパール料理)で食べようと声を掛けたが「いらない」と断られた。
悪い事をしたと「反省」しきり。
帰りに「みかん・ぶどう」を買って食べるようにとミナに渡して事なきを得た。


「慰安旅行?」の第一日目はこうして最初の夜を迎えた。
次回につづく・・・。





ポカラにてIMG_0315.jpg
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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/01/15(火) 13:42:02|
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年末年始のメールダラの子供たち

1月6日(日)天気:快晴 気温:18℃ 湿度:52%

今回配信は少し間隔をおかせていただき、
支援部落の子供たちへ文房具や制服・かばん・スリッパ・フットボール・大縄跳び・さらには、
プラスティックの玩具などをゲストの方と事務局長を同行し配布してきた報告をさせていただきたい。
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12月29日に事務局長(小森氏)を空港で出迎え、
翌30日には村上さん(教師を退職された方)を出迎えて、31日(大晦日)の早朝「銀杏旅館」を出発。
ゲストの村上さんには深夜のネパール到着にも関わらず、
翌朝早くの出発と言う強行の中、参加していただき感謝に絶えない。

ここ「銀杏旅館」からは、小さなマイクロをチャーターしてバネパのバス停まで、
さらにローカルバスでドラルガへ約2時間(隙間だらけのバスはとても寒い)。
朝食と昼食の間くらいに「ブランチ」を摂る。(魚のダルバートで結構旨い)

そこからさらにローカルバスでスクテまで約45分ほどで到着。
事前に学用品や制服はパトネちゃんがカリチョークから運んできてくれていた。
吊り橋を渡り対岸に待っている「レンタルトラック」へ移動。
午後11時半には小学校へ向けて出発した。

スクテ メールダラ(sukute mel danda)へ到着したのは1時間後の12時半。
トラックから見える小学校には「子供たち」が2列になって「マラ:花輪」を手に待ち受けていた。

我々の到着をトラックのクラクションで知った子供たちがトラックの周りに集まっていて、「出迎え?」。
先生が学校からこの子供たちを「早く来て並びなさい!」と大声で呼んでいるのを耳にしながら
学校まで5分ほどの下り坂を降りて行った。

全員が到着した時には椅子が並んでいて、先生から「ここに掛けて下さい」と促され全員が着席。
子供たち全員(55人)が手にした「マラ」を一人ずつ「先生指導されながら」我々に掛けて行った。

この地域の中学校からも「校長先生」が来ていて、一緒に椅子に掛けて子供たちからのマラを受けた。
歓迎の「ごあいさつ?」を受け、子供たちが「ダンス」を披露してくれ「やっと文房具」の配布。
全てが終わったのは、開始から3時間半程経った4時ごろであった。

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セレモニーが終わっていよいよ夕食の準備であるが、子供たちは離れずに何時までも一緒に居たい様子。
ゲストの村上さんが「スクエアーダンス」を教えて子供たちを引き付け、
その隙に準備に入るが、1時間ほど遅れてのスタートとなりお腹も空いていたが、
それより「強行日程」のため「睡眠不足」が応えて頭痛すら感じた。

無事夕食も終わり就寝時間は午後8時半ごろであったが、なかなか眠れず翌日の帰路も少し心配であった。
何せ、道が悪く「車酔い」のミナやゲストが耐えてくれるかが問題である。

翌朝7:30出発のため「元旦の料理:おせち?」の準備もバタバタと行い、
「お雑煮」も目いっぱい食べての出発であった。

帰りにも子供たちの見送りとマラやカタ(薄い布)を全員に掛けてくれ未練を残しながらの別れであった。
帰路はやはり悪路で「必死」でトラックにつかまって乗っている事1時間、やっと元の出発地点まで辿り着いた。
というのも、行の道と帰りの道は違い「村を一周」して牛乳を回収して降りる道のため、当然異なる帰路となる。

昼食は一気にバネパまで帰り、ここで昼食後「銀杏旅館」までタクシーで帰るが、
まだ時間的に早くゲストとミナはバネパの観光をしてからバスで帰る案で行動。
その日は「大きな行事」を終えて事務局長の帰国を明日に控え、「お別れパーティー」での歌声が
午後10時ごろまで続いた。

翌日は事務局長の荷物を持って午前7:30にカトマンドウへ出発。
一旦ホテルに荷物を置いてソムニードの事務所へ行き、現地スタッフのデベンドラ氏と懇談。
「カトマンドウの川をきれいに」するプロジェクトの説明を受け、現地視察に行くが、
私は「歯医者」の関係から単独行動とし、午後5時にラムさんの店(我々の協力者)で落合い
全員で夕食とお別れパーティーを含めてラムさんが招待してくれた。

この時、私たちの荷物を日本から運んでくれている強力な支援者である「水出さん」も同行。
無事事務局長を空港へ送り届けて、ホテルに戻るもゲストの疲れが最大になり
彼女はホテルに着いて直ぐ「寝る」。

翌日は「銀杏旅館」への来客のため午前中にはサンガに戻る必要から「買い出し」も急いで行い、
ローカルバスでサンガに戻った。

今回のスクテ訪問は新たな支援児童を決める事もなく、引き返してきたため
次回には「支援児童の追加」について、話し合いが必要である。
以上が年末年始に掛けての「支援部落」訪問の概要である。




参列者にあいさつをする事務局長と通訳のミナIMG_0261.jpg


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では次回「ネパール通信」まで。



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  1. 2013/01/07(月) 13:05:12|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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