ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

愚かな人類?



11月27日(火)天気:快晴 気温:12℃  湿度:60%

予定より2日ほど早いが通電の都合でアヘッドして配信した。
今回は、ここネパールに来た「尚子さん」の話をお伝えしたい。
彼女は、某大学を1年間休学して東南アジアを回って1週間ほど前にネパールに来て偶然、私と出会った事で
「銀杏旅館」に来ることになり、何とはなくここでの時間を過ごしたいとの事。

或る時、「人間ってバカですよね~」と言う話から「何で万物の霊長」なのか?と言う疑問を投げられ、
はたと困った。
例えば、犬は優れた「臭覚」を持ち・猫は優れた「視力」を持ち・像は優れた「聴覚と臭覚」を持ち
私たちの周りの動物は全て人間には無い「特殊超能力」を有している。
しかしながら、人間は何があるだろうか?

考えて物を作る能力と、「喜怒哀楽」と言った感情を持つだけでその他の動物より優れていると言えるだろうか?
衣服を着なければ「直ぐに風邪」を引く人間が動物より「偉いのか?」
電話でしか遠くの人との話が出来ないのが、それを使わなくても話の出来る像やクジラより「偉いのか?」
臭覚も鈍い人間が犬より「偉いのか?」
決して「偉いはずはない!」

動物たちは「人間のする事」を黙って見守っているに過ぎないのではないだろうか?
本当は「彼らは人間なんかより優れていて」人間のすることを見守っているだけではないのだろうか?
火を通さないと、食べ物も口に出来ない人間。
車や新幹線を使わないと、チータより早く移動出来ない人間。

懐中電気を使わないと夜歩けない人間は、夜自由に歩ける猫より優れている?
飛行機を使わないと空を飛べない人間は、鳥より優れている?
鳥の中でも「ふくろう」は素晴らしい「聴覚と音のしない羽」を持ち、餌を得る能力を持っている。
人は「驕り:おごり」の塊なのである。
その驕りを捨てた時にこそ「共存共栄」があるのではないだろうか?

人間以外の動物は「むやみに動物を食物として殺さない」ばかりか、
満腹時などには、餌となる動物と遊んでさえいる。
人間は、自分に食べきれないほどの食物や物を手にしても「まだ欲しがる」無限地獄の様相である。
「相田みつをさん」の言葉「争へば足りない、分け合えば余るのに」

ここネパールでは、毎日の生活に必要な食べ物は、毎日収穫若しくは購入している。
冷蔵庫の無い生活では、買い置きなどとんでもない事である。
今日食べる野菜や肉は、今日買いに行くのが普通である。
世界には飢えて亡くなる子供たちが「沢山」居るというのに・・・

商業ベースとは言え「無駄に捨てている食物」は日本が世界で一番多いとさえ言われている。
輸入している分だけ「ゴミとして捨てている」事に怒りさえこみ上げる。

そんな日本で「幸せ感」を得るために、一体どれくらいの「無駄」があるのだろうか?
エネルギー・食べ物・物・物・物の生活でも飽き足らず「まだ欲しがる日本人」は、
正に「化け物」としか言いようがない。
巨大な大気圏内の「ブラックホール」であるかのような生き物であろう。

先日、神戸の友人が「癌」で亡くなった。
彼は若いころからオーケストラで演奏してきて、沢山の人々に素晴らしい演奏を聞かせてきた
「うどんやのおっちゃんこと藤野 芳雄さん」である。

私との出会いは、阪神淡路大震災の「本山第二小学校」で、私と共に避難所運営に没頭。
その後も、我々のネパール支援にも多くの学校を回り「子供服や楽器」を集めてくださった。

震災時の救出現場から見つけた「ひまわり」を日本国中に広め、
亡くなった娘さん(自分の娘さんの同級生)の名前をとったそのひまわりは、
「はるかのひまわり」として世界に広がり、「助け合う心」を訴え続けてきた方である。

ここネパールでも「はるかのひまわり」は暖かく咲いている。
もちろんヨーロッパ各地にも・・・。

東日本大震災にも夜を徹して車で駆けつけ、残材整理や避難所での活動を続けてこられた。
周りの人に「なぜそこまで?」とか、「自分の体を犠牲にしてまで」と言われながらの活動であった。
(塩狩峠を思い出す)
欲もなく・見栄もなく・人の世話に明け暮れる日々の人。
ただただ、「おかもち」をバイクで配達する彼。
正に「神」の仕事である。
彼からは多くの事を学ばせていただいた。
身体は病んでいても決して笑顔を絶やさず、彼の「心」はいつも明るかった。
彼から学んだ「人の生き方」は、ここネパールでも引き継いでいきたい。






我が家から見られる野鳥DSCF1606.jpg
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では次回「ネパール通信」まで。


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  1. 2012/11/27(火) 14:17:37|
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自然体で生きている村の人々

11月19日(月)天気:快晴 気温:18℃ 湿度:40%


今回は、生活・支援活動しながら暮らすのに欠かせない条件をお伝えしたい。
ここでの生活で一番考えなくてはならないのは、生活習慣の違いである。

民族・部落ごとに異なる習慣があり、言語も異なる。
支援活動で苦労するのはこの「言語」である。
幸い我々の場合には「ミナやパトネ」がこの通訳にあたってくれ、村人の考えを教えてくれるので助かるが、
もし雇い入れた通訳であれば我々の「真意」を理解されず彼らの「思い」も理解できない。

現在活動中の部落はもちろん「シンドバルチョーク県:ネパール北東に位置する」であるが、
山岳民族の多くは「タマン民族」が多く、ロアーカーストの民族も住んでいる。
多くの民族の言葉を通訳できるネパール人通訳は居ない。
従って、費用対効果の点からも活動する地域を限定せざるを得ない。

「タマン民族」はカーストの中でも中位に属する。
彼らの生活習慣をそのままに「支援活動」をする訳であるが、
カーストの異なる部落では違うカーストの人たちと一緒に使う道具はない。
生活の場でまず必要になるのが「水場」である。
これは別々に作る訳にはいかない。
なぜなら、極めて貴重な水場は村には幾つもあるわけではない。
ローカーストの人たちはハイカーストの人々が終わるのを遠くで見守っていて、
「水場」が空いた時に急いで「水汲み」に来る、と言った村のルールである。

新たに「水場」を作るには「村人との真剣な話し合い」が必要で、
カーストの区分を如何にするか?が問題となり、工事までは相当に時間が掛かるのが現実である。
「あるがままを受け入れる」・・言葉では容易であるが、現実はかなり難しい。
カースト制度も然り、我々には問題を解決する術はない。
彼らと何処まで「関わるか」によってこの難易度は大きく変わる。

一方「銀杏旅館」でのミナたち兄弟との関わりの中で、最年長であるミナの発言はかなり大きなものがあり、
弟たちも発言を「渋る」のが常である。
共に暮らすとなると、日本での生活習慣・常識など明らかに「遅れている」と感じる事が多く、
今は少しずつ「教えて」いる状況である。

しかし、ここはネパール。
何処まで覚えてくれるか分からない。
今日も(11月18日)ミナのお母さんを連れてドリュケルの病院へ出かけた。
お母さんは半年も前から、生理でない出血が続いていて体が「だるい」と言っていたが、
なかなか病院へは行こうとせず、今回も無理やり(ある意味騙して)連れて行った形である。

行く前に「血液検査」を優先的に調べてもらうようお母さんに言って医者の前に座ったが、
その時彼女は「今は腰が痛い」のと「胸が痛い」と言ってレントゲンを撮ったり、
腰痛の薬をもらったりしたので「婦人科」の医者に行かないの?と尋ねると
「婦人科は嫌い」とだけ言って行こうとしない。
ラムチェ村に帰りたがる「お母さん」を、さらに「お願いして」ここでも無理やり「婦人科」へ連れて行って
調べてもらうことになった。

お昼も過ぎて私のお腹も「ぐ~ぐ~」と催促しているが、
広い病院内をぐるぐる回りやっとたどり着いた「婦人科」の窓口であった。
この病院は現在拡張工事中で、かなり広い敷地に点在しているため
歩いて移動するとかなり時間がかかるのも仕方がない。

婦人科にも男性の医者と女性の医者が居て、男性の医者に診察してもらうことを特に嫌っている。
仕方なく女性の医者を呼んで調べてもらい「患部の採取」を行ってもらうことが出来た。
ネパールの女性は人前で「自分の体」に触れられるのを極端に嫌う。
もちろん、「衣服」を着た上からである。
まして裸の体など医者でも嫌う。(女性でも同様)
それを「無理やり行使」した私に険悪の顔色を向けたのも、仕方のない事である。

後日10日後にはレポートが出来るので受け取りに行く事になっているが、
ラムチェ村から出てきてもらうことが大切である。
多分、相当抵抗されると考えるが「お母さんの健康には代えられない」ため、
ミナや兄弟で協力して連れてくることになるだろう。
彼女に「感謝」もされず、嫌がる彼女を無理やり「病院」へ連れて行き診察を受けてもらうのは
「お母さんが病気になると子供たちが心配で仕事が手に付かなくなり」ひいては私の生活や
活動にまで影響するからである。
やはり、自分の都合で「お母さん」を病院へ連れて行った事に、
ある種の「罪悪感」を感じている自分に気づいた今日の「仕事?」であった。



テハールで賑わうアッサンバザールIMG_0151.jpg




我が家からの「夜景」IMG_0171.jpg
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咲き始めた「桜」IMG_0118.jpg





では次回「ネパール通信」まで。


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  1. 2012/11/20(火) 16:39:59|
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自立とは「自力で生活」が出来ること!

11月9日(土)天気:快晴 気温:16℃(早朝)湿度:55%


ティハールを目前にした、ここでの生活ぶりをご紹介したい。

現在3人の若者(ミナ・パトネ・サロジ君)と共に銀杏旅館を運営しながら、支援活動を続けているが、
その中で多くの事を考える。

何をもって「自立」したと言えるのか?
それぞれが結婚したらどんな事になるのか?
彼らに子供が出来たら?
などなど、考えれば限がない。

しかし、今は相互に助け合って生活と活動を続けている。
彼らの生活を私が助け、私の滞在ビザの取得と支援活動でのマネジメントを彼らが助けてくれる。
(勿論取得に必要なお金は私が払う)

自分で衣食住が確保出来、結婚まで出来るネパール人は極めて少ない。
多くは「親のすねかじり」でしかないのが普通である。
我が家の周りを見渡しても、結婚して子供も出来たが「親のすねかじり」で生活をしている若者が多い。
農家の仕事で男性が必要なのは極わずかである。

先日も、ベルギーの仲間「フランソワーズさん」たち6人が「銀杏旅館」に来られ、
現在の支援状況や今後の支援活動の在り方などを話し合った。

その中でも、ミナとその兄弟の将来の自立を話す時に「この銀杏旅館」を基礎に考える事は
「絶対条件」との結論であった。

彼らも、チベット難民の子供(ドルマ:現在は24歳になる)を養育支援してきて
多くの難問の結果フランスでの長期滞在許可(労働ビザ)を取得し働く事が出来るようになったと
「懐かしい名前」を聞き、その現状を話してくれた。今はフランスで働いているとの事。
彼女の事は随分前になるが、いろいろな難問が山積していてネパールを出国することすら危ぶまれていたが、
何とか「形:落ち着くところ」になったようである。(まずは一安心)

しかし、彼ら(フランソワーズさん)にはそれぞれ体に障害があり、
ご主人のエディーさんは「心臓の手術」を過去に3回も受けていて、それでもネパールで支援活動をと来られている。
一方フランソワーズさん自身も足に障害があり、
ネパールに来る2か月前に手術を済ませて来られている事を知り、「凄い方々」だと感銘した。

彼女には2人の娘さんが居て(現在は父親の元)毎週末に彼女の家に泊まりに来るそうである。
そろそろ、年ごろ(17歳の双子)で心配な事が多い。
私もこの二人には以前会っていて、まだほんの子供にもかかわらず、
とっても可愛い姉妹?ツインであった事を思い出した。

彼女は10年ほど前に離婚して現在のエディーさんと「同棲」、つい先月結婚して、
今回のネパールは「新婚旅行:ハニームーン」だとも話していた。

beranda.jpg
銀杏旅館での楽しい食事風景
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スクテの子供たちと遊ぶフランソワーズさん






当初、この「銀杏旅館」は将来、売却する予定で建設し、
そのお金で彼らの好きな場所で自立させる考えであったが、ここを生活の基盤(職場)とする事が最善の策と考えた。
折角ある「職場」を放棄する事は、まさに「もったいない」だけで、ミナや兄弟にとっては確実な就職先?である。
あまりに身近すぎて見えていなかった。

ここで気づいた事は「自分が動けば、必ず何かが変化する」と言う事であった。

彼らもスクテの学校の設備支援をする約束をして昨日(11月8日深夜)ここ銀杏旅館からチャーターした
ジープで空港へ行き帰国。

翌日9日はカトマンドウでコングレスパーティーのストライキ。
間一髪で出国していった。


「人生は綱渡り」でもあると感じたのも事実である。
人は「安定した生活」を求めてはいるが、「本当の安定」などありはしないのである。
なぜなら「常に動いている人生」では何処で何があっても「不思議」ではないからである。

少しでも「安定した生活」を求める事は当然だが、川の流れを止めるのと同じであると知るべきであろう。
「動きがあれば変化がある」事は道理である。
本当の安定とは人が動かなくなった時であろう。



満月の夜
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  1. 2012/11/09(金) 13:05:55|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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