ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

ダサインを終えて

10月29日(月)天気:快晴 気温:20℃ 湿度:50%


ここの最大の「お祭り」は日本のお盆とお正月が一緒になったような規模で、
遠くに出稼ぎに行っている人たちも必ず実家(故郷)に帰ってくる。
従って唯一の交通機関であるバスは「屋根まで人で、てんこ盛り」の状態で走る事となり、
普段ならば警察も注意をするが、この時ばかりは「大目」にみてくれる。

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一般の観光客もこの時には「移動」が大変で、お祭り価格での移動となり、混み混み状態を余儀なくされる。

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この間、村では数年で大きくした「豚・山羊」などを解体して親戚一同との食卓に並ぶ。
この期間はネパールの文化や習慣が数々見られ、彼らの生き方が良く観察できる。

早朝6時ごろからはじまる「解体作業」は彼ら(豚・山羊)の悲鳴からスタートし、
約4時間かけて約2.5Kgに分けられ、どの部位も同じように入っているよう分けられている。

ネパールの人にとってはこのお祭りは「欠かすことの出来ない」お祭りで、
多少の借金をしてでも普段とは違う「豪勢?」な食事にお酒といった毎日が1週間ほど続く。
ミナも弟たちも17日にはラムチェ村へ帰って行った。
しかし、ミナの妹ラスミちゃんが私の食事や買い物・洗濯などをするため彼らと入れ替わりに来てくれた。

さらに、10月24日のダサインのティカの日に我が家の裏の若者20歳が結婚した。新婦は15歳。
(日本でも昔はこんな年齢で結婚したように聞いている)

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この日は夜中の12時ごろまで女性の合唱とダンスで地酒を飲み「お祝い」するため、安らかな眠りとは程遠い。
私にも「早く来て!」と声がかかり、夜8時ごろに出かけ9時半には引き上げた。

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この時期、穀物の収穫・乾燥する時期でもあり、農家の庭先や屋上には乾燥のためのお米が「干され」ている。
野鳥の多いネパールでは、その干すために広げた「穀物」に野鳥が群がって食べているが人々は追い払わない。
無駄な抵抗をするより、「おなか一杯」になったら帰っていくぐらいに考えているのであろう。
日本であれば稲刈り時期には「かかし・鳴子」などで「すずめ」を追い払う作業があるが、ここでは共存?である。

さらに、野鳥にも食べ物を与える習慣がある。
お祝いの日には家の前に供物としての果物やチュラ(お米を潰して乾燥したもの)・おかずが
「葉っぱのお皿に」盛られて線香を焚き、幸せを祈るのである。(これを野良犬やカラスを含めた野鳥が食べる)

そんな考え方のネパール人ではあるが、彼らが自力で成功する確率は極めて低い。
(現在の中国ではないが、他人から奪わなければお金持ちにはなれない仕組みになっていると言っても
 過言ではない・特権階級は大富豪)
ミナやその兄弟にしても同様で、何度も就職先を探すも「賃金の安さ」で無理であった。

職はあっても間借り代・食費・交通費などを引いたら、殆ど残らないのが現在のカトマンドウ周辺の生活環境である。
家やお金のある人々は別であり、「お金がお金を生む」ネパールでは働かない人々も多い。
村から来た人たちは、親類を頼って街へ出てくるが半年もすると村へ戻って行く・・・
そんなネパールでの支援であるが・・・

原点は・・・
「人はどれだけあれば衣食足りて」と言えるのだろうか?
この物差しは極めて難しい。

しかし、考える原点は「世界がもし100人の村だったら」であろう。

一人に一台の車・一人に一台のテレビ・各自の個室・各自のPC・言いだしら限がない。
以前にも何度か掲載させていただいたが、「お金が・物(家を含む)が幾らあったら」などと言う
「物差し」は使用不可能である。
なぜなら、人はそれぞれ違う価値観を持っている。

だから「世界がもし100人の村だったら」を基準にする事ができる。
私もその中の一人である。

「恵・施し・寄付・」は個人の自由!
さらに、その支援の大きさも方法も自由である。
つまり、支援する側の「勝手」でもある。

人を助けると言う点においての究極は、三浦綾子さん著書の「塩狩峠」であろう。

自らの「命」と引き換えに「列車の脱線事故」から乗客の命を救うと言う行為は、尋常な精神では出来ない。  私には出来ないが・・・

ダサインの休み期間に、活動の原点を思い返してみた。






では次回「ネパール通信」まで。


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  1. 2012/10/30(火) 13:38:30|
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新たな支援部落の小学生

10月19日(金)天気:晴れ 気温:20℃ 湿度:60%

ダサイン・ティハールお祭りがはじまった!

今回は、昨年から調査してきたスクテ メールダラ村(sukute mel danda)の
ブメソリー(Bhumeswori)プライマリースクールに通う、タマン・パハリの子供たち、
55人についてお伝えしたい。

10月7日 雨期の終わったメールダラ村は、緑一色の畑が広がり「眼に優しい景色」であった。
我が家からバスと徒歩で5時間半あまりの山岳部落。
途中の山道は、日本の山の中を歩いている錯覚さえ覚える登り道で、
適当に日差しがあり水場も1か所ではあるがあった。

しかし、荷物(子供服)の多い今回は長い登り道には泣かされた。
2時間ほどの登りばかりの道のりは、休むタイミングが計れない。
国道からスンコシ川を挟んだ対岸のため、車の普及は遅く、(バスはない)
たった1台の大型トラックと小型トラックが2台で、動いている時にうまく出会えればいいが
そうでなければ「徒歩」を余儀なくされる極めて不便な環境である。(時刻表など全くないネパールである)

この村を知ったのは、一昨年のトゥロパカルからの帰りのバスの中である。
カリチョールから乗ったバスで、座った座席の隣の男性に「何処に何の目的で行ってきたのか?」との問いに
トゥロパカル村へ「お金が無くて学校に通えない、
また学用品が買えない子供に制服・学用品を支援しに通っている」と答えると、
「是非一度私の村の学校へも来てほしい、私の村はこの辺りの学校の何処よりも貧しい」と訴えられて
「今回は予算的に無理だから次回に」と言ってその場は断った。

聞けば、現在でも中学生は1時間ほどかけて通っている。(小学校から見える位置にある)
彼はこの環境を改善すべく政府に働きかけて30年ほど前に「小学校」を作ったが、
貧富の差が激しいため「教える側にもためらいがあり難しい」と言っていた。

政府から派遣された「校長先生」を除き先生はたったの3人、
これで全ての子供55人の教育をやっているが教育材料や生徒の使う備品が全く不足していると訴えていた。
(校長先生でなく小学校を作った村人で、校長先生は何もしない)

政府は校長先生と校舎を建ててくれたが、後は全て村人で運営しているとの事。
村々によってかなり政府の援助が違うことに驚いた。
多分力関係であろうが、「教育の場」でさえ差別が当たり前のネパールである。

ある村ではパソコンやプリンターまであるが、ここでは全く無い。
勿論、私立学校は立派な学校が幾つもある。
しかしここの政府の学校は、とても学校とは言えないような設備である。

昨年、初めてこの村を訪れた時には村人から「外国人が初めて来た」と聞いて驚いたが、
ここの地理的要因を考えれば理解できる。

学校に到着すると明らかに貧富の差が分かる児童が集まって来て、私の周りに寄ってきたが
「パハリの子供たち」は遠巻きにして見ているだけであった。
持ってきた「子供の衣類」を配布する時にも近くには寄ってこない。
先生に呼ばれてはじめて寄ってきた。

タマンの子供たちは大体制服を着ているが、パハリの子供たちは「汚れ破れた私服の衣類」であった。
先生には予め「貧乏な家庭の子供」を支援すると伝えていたため、彼らが対象となることは分かっていた。
しかし、予定では15人までであったが17人居たため、先生が「どうしらいい?」と聞いてきた。
躊躇なく「全員OK」と答えて名前や年齢・クラスをパトネちゃん(ミナの弟)聞き取るが、声に元気がない。
持ってきた「キャンデー」を渡すと小さな声で「ナマステ」と言って受け取って行った。

その中に一人の女の子が「全身が湿疹」で何時でも掻いていた。
次回来るときには薬をと伝えて帰した。
生活環境も劣悪であろうことは推察できるが、現在そこまでは介入できないと考えて手を出さない。

因みに、パハリの子供たちはチャーマポレ(清掃を仕事とする民族)や
カミ民族(加治屋さん)と同じカーストである。
従ってタマンの子供たちと一緒に「遊ぶ」こともない。
通常は別々の集落を作るが、ここでは混在して生活している。

この村ではトゥロパカル(昨年まで支援していた村)と同様「お米」は極めて少なく、
殆どがトウモロコシとアワ(コド)が主食であったが、私が食事をお願いした家では「お米」を出してくれた。
もちろん野菜のみのダルスープとタルカリ(塩味だけの豆おかず)であったが、
急な来客にも関わらず「お米」を手配してくれたのには感謝・感謝であった。

食事が終わって家を出て来るときには、そこの子供が「チュラ」だけを食べていて「お米」は口にしていなかった。
(チュラとはお米を半分だけ炊いて、それを潰し乾燥させたもので、アッサンバザールなど何処にでも売っている。
ネパールでは普通の食事である。
(カジャと言われる昼食もこれを食べる人たちがほとんどである)
少なからず「罪悪感」を感じながら「ダンネバード」を繰り返して家を後にした。
(塩味だけで決して美味しいダルバートではなかったが、彼らにとってはご馳走であった事は私にも分かった)

こんなに格差のあるカーストの混在した学校もめずらしい。
多くの村では一人や二人の低カーストの児童は居るが、
ここのようにかなりな割合で混在しているのは見た事がなかった。
(個々カースト毎に部落を形成しているのは見る)
人口の4割がパハリ民族である。(この部落の人口は約400人)
今後、最低3年間は支援して行く事になる。

パハリの子供たち写真を撮るために並んでもらったが、普段では有り得ない並び方。
(カーストが大きく違う民族では一緒に並ぶ事はない)
配布した真新しい服を着ている子供もいる。(配布したら直ぐに着替えた)




さらに、10月13日から2泊3日の日程でベルギーのボランティア仲間である
フランソワーズさんたち3人が「是非新しい支援先へ行きたい」と言って「銀杏旅館」に来てくれた。
彼女たちは村の子供たちの「歓迎ぶり」に驚き、「はじめてのヨーロッパ人」を見たさに
村人が集まってくるのにも驚き「サプライズの連続であった」との感想を、帰ってから聞かされた。
村人は2週続けて外国人が訪れた事にも「驚き」であったが、我々にしても同様の驚きである。
中でもフランソワーズさんが「私たちは動物園のアニマル同様」だと言ったのには思わず「笑い転げた」が、
それも当たっている歓迎ぶりであった。

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フランソワーズさんと一緒に楽しく遊んでいる子供たち



今年の12月末には制服・文房具を持っての訪問を約束し村を離れた。
その時も村人や子供たちが別れを惜しんで、何時までも歌や踊りを止めないので
仕方なく我々から「これでお別れです。」と言って村を後にしたが
多くの村人と子供たちが何時までも見送ってくれていた。

吊り橋を渡る
帰り道の吊橋




10月7日にこの村へ来る途中(山の中腹)で「大事件」に遭遇した。
早朝午前5:30ごろ、木に首を吊って主婦(42歳とのこと)が自殺した。
その訳であるが、ネパールでは公的には一夫一婦制であるが、一夫多妻がかなり横行していて、
この女性も主人から何の前触れもなく第二夫人を連れて来られて
「今日から一緒に生活する」と言われ、今回の事件になったとの事。

私が見たのは正午ごろで事件発生から6時間半あまり、遺体を覆う事無く「ぶら下がった」状態で放置されていた。
周りには野次馬が150人近く集まり警察の動作を見守っていた。(画像もあるが、掲載は控えたい)
彼女には息子が三人居て、二人は成人しているが残る一人はまだ9年生である。
今後の家庭内の問題が心配される。
ここでは、こうした事件が大きく報道されることはなく「うやむや」の内に過ぎ去ってしまうが、
やはり女性にとって「一夫多妻」はかなり大きな問題でもある。
政治的解決は無いものだろうか?
それとも男尊女卑からくる問題だろうか?

また、ここネパールで行われる「SLC」なる義務教育終了試験に合格しなかった子供たちも、
毎年数十人自殺している。
ここではSLCに合格する事が「大きなステータス」になっている。
合格しても就職先は極めて少ないのに・・・



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では次回「ネパール通信」まで。


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  1. 2012/10/19(金) 09:38:19|
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人間の基本的『欲求』

10月9日(火)天気:快晴 気温:20℃ 湿度:60%



今回は一部の方々には「耳の痛い」話になるがご容赦願いたい。

「衣食足りて礼節を知る!」

「人に認めてもらいたい!」

「人の心は善から始まる!」

これは社会人・学生・子供に至るまですべて同じであろう。
しかし、退職後の生活はどうだろう。
それでも同じ考えの方々は多い。

しかし、退職していて「人に認めてもらう」にはどうすればいいのか分からない人も多いのではないだろうか。
長い会社生活で「疲れきった・汚れきった」心のまま退職!
もう「人に認めてもらう事を諦めて」いる方も多いのではないだろうか。

地域社会と離れて数十年「会社人間一筋」・「出世一筋」の方が地域で活躍の場を見出すのは至難の業である。
退職後数年経過すれば、隣人とのお付き合いも生まれる方もあるが、やはり本人の人間性であろう。

特に「会社人間」にとっては、退職前10年間ほどの期間の自分の「性格や肩書き」をそのまま「引きずって」
退社する事になるため、地域社会とのコミュニケーションが難しい。
つまり、「現役時代の鎧(よろい)」が脱げない。

一方奥さんはと言うと、長年地域社会での人間関係を築いてきただけに、
何の問題もなく「ご主人の退社後」も近隣との人間関係が続く。
奥さんに誘われても一緒に行けない。
この違いも「家に閉じこもる」原因に成りかねない。

何をすれば良いのかさえ分からないのが実情ではないだろうか。
自分一人で「楽しみ」を見つける人、人に付いて「一緒に楽しむ」人、
さまざまだが、やはり「自分で楽しみを見つける」人が多いのは「人間関係に」疲れているからかと考える。

「社会貢献」
これは誰にも出来る「人に認めてもらう手段」としては最適であろう。
でも、なかなか着手出来ないのが現実である。
現役時代の「肩書き」を、そのまま地域社会に持ち込む方が多いのも仕方のない事実である。
「鎧」を着たまま「社会貢献」すれば地域から疎まれる結果となり、家から出なくなってしまう。
裸になれない人々である。

一方、ここネパールでは「人に認めてもらう」と言う考えが全くない。
「認めて貰う」事、すなわち「収入が増える」事に他ならない。
収入にならない事は「意味」がないのである。

勿論、以前にも記載したが、ここでは「社会貢献」を行うネパール人はいない。
(社会貢献を無償でお手伝いするネパール人はいるが少ない)
極まれに一人二人はいるらしいが、未だお会いしたことはない。

自らの「お金」を10万円20万円と出して「他人を助ける」人を、見聞きしたことがない。
我々の支援活動でも然り、支援を助けてくれる人は全て「お金」が目的で集まってくる。
中には数百万・数千万円の寄付をするネパール人もいると「ある日本人」に聞かされたが、私の身近にはいない。

インド人は別である。
お金持ちであればヒンズーのお寺に多額の寄付をする。
また、自分の敷地内にヒンズー神話の「博物館?」を作り、無料で見学や食事をさせてくれる所も多い。
しかし、これは自分の「功徳」と考えての行為である。

インドでは貧困に喘ぐ人々もネパールの比ではない。
ところが「飢え死に」する人はいない。(60年ほど前には居た)
その前に「ババ:お坊さん・修行僧」になれば「衣類・食事・寝る場所」には事欠かないのである。

ちょっと離れて「タイ国」でも同様、家族に一人は「お坊さん」にするのが一般的である。

インドでは現在でも建築中の「私設博物館」は多く、200~300の私設博物館は現在も建設中である。
広いインドを旅された人も多いと思うが、
こうした「私設博物館?」の見学や無料の食事を目的に行かれた方も多いと思う。
私もその一人である。
お金の無い日本の若い「旅人たち」も相当、無料宿泊所?の「ごやっかい」になっている。

ネパールでは、お寺の改修や新築の場合、昔の日本と同じように「お坊さん」が寄付を集めてまわる。
支援する人々より、遥かにお金持ちがいっぱいいるネパールであるが、
寄付行為をするネパール人は極わずかである。
道端の「乞食」に寄付する金額、「2~5Rs」程度であれば、殆どのネパール人がするが、
何百万円の寄付は有り得ない。

そうしたお金持ちが、我々を見つけて「部落や人」を「助けてやってくれ」と依頼される事はしばしある。
私たちより「遥かにお金持ち」だが「自分のお金」は決して使わない。
従ってネパール人から、我々の事は「クライアント」と言われるのである。
因みに、「銀杏旅館」から見える「ヒンズーの神:シバ神」もインド人のお金持ちが作ったものである。

「我が家・銀杏旅館」から見える「シバ神」
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こうした社会環境の中、人に認めてもらう事より、
自分が自分を認める事の難しさを日々噛みしめている私がいる。

次回「ネパール通信」は、
今期からの支援部落であるスクテ メールダラ(sukute mel danda)からの調査報告である。



どうしても我慢できないネパールの習慣:
役所や政府の要人との間で「ボリ:明日」と言う言葉をよく聞く。
しかし、この「ボリ」は「明日」ではない。
断る時の言葉と認識した方がいい。
「明日かもしれない」程度だと知るべきである。
明日と言われて「その気」になって出掛けると、
また「ボリ:明日」と言われビザの申請に来た外国人がよく「口論」になっている光景を目にする。
この場合、「袖の下」が少ないため「ボリ」となる。
これが原因でネパールを去る支援団体も数多くいる。

また、ここイミグレーションではエントリービザ料金を「米ドル」で表示してあり、
それをネパールルピーで支払うと換金レートが「めちゃめちゃ」悪いため
最初から「米ドル」を準備して出かけた方がいい。






露店で「たばこ」を1本(2円)買った時に「ライターを貸してくれ」と言ったら「火縄」をくれた
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では次回「ネパール通信」まで。


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  1. 2012/10/09(火) 15:40:33|
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「嫉妬」そのⅡ・・・ 生活編

9月30日(日)天気:晴れ 気温:21℃ 湿度:55%


前回は、支援先の部落での「人前で物をあげた時の嫉妬」であるが、
今回は日常生活の中での「嫉妬」についてお伝えしたい。

ここサンガでの生活のため、「銀杏旅館」を作っていた時には村人が何回も見学に押し寄せ、
家の構造から家具類まで点検して行った。
そんな事から、家の状態はよく知っている。

近所の男性数人がやってきて「バスルームを使わせて欲しい」と言ってきた。
ネパールでは基本的に「水のシャワー」しかなく、お湯のシャワーなど使った事のない人たちが殆どである。
(街の人は別)
従って「珍しさ」もあってか「シャワーを貸せ」と言って来たのである。
しかし、はじめに貸すとその後何回も借りにくることは明白で、当然「ゲストだけだ」と言って断った。

その数日後、我が家の家の前に「チョータラ:憩いの場」を作るが、寄付金を出してくれないか?と言って来た。
通常「寄付金」は他の家の3~4倍は支払っている事から「OK」
しかし幾ら必要なのか?と聞いたところ「分からない」との事。
それでは寄付のしようがないので、決まったら教えてくれるよう伝えたが、
翌日「石・セメント」を出してほしい。との答えであった。

残りの材料は「砂とジャリ」だけで必要経費の65%ほどを要求された。
そこで、「セメント」だけなら寄付する。と答えたが「駄目だ」「石」も寄附して欲しい、と譲らない。
仕方なく了解した形になっているが、未だ工事を始める様子でもなく彼らが言ってくるのを待っているだけである。
後、半年もすれば言ってくるだろう。
これなどは、「シャワー」を貸してやれば無かった「嫌がらせ」だろうか?


先日、サンガ(我が家のバス停)からカトマンドウに向かう車中での出来事である。
カトマンドウまでは順調に行けば約1時間である。
そのため、何時も「単行本」を持参し「読みながら」カトマンドウに向かう。
座席に座ってザックから「単行本」と「小さい眼鏡(ケース入り)」を取出し
「しおり」のところを開いて読み始めた。

隣に「おばさん?」が座っていて「私の動作」を「ジーット」見ているのが分かる。
それを無視して「読書」に入る。
すると「おばさん」が私の「老眼鏡」を指さして「貸してほし」と言ってきた。
彼女も何かを読むのかと思ったが、「本や新聞または書類」などは持っていない。
「どうして?」と聞くと、ご主人が眼鏡を必要としているとの事。

とんでもない事である。
ここで眼鏡を貸したら「どうして戻して」もらうのだろう?
「駄目:ウンダイナ」と言って断ると「今私が使うから」としつこく言ってきた。
折角読み始めた「単行本」であるが、中断して「おばさん」に貸した。

すると「ケースは」と聞く。
なんで?
今使うのに何でケースが必要なのか?と聞くが返事がない。

彼女は私の持っていた携帯用の小さい眼鏡が気に入った様子で、
「カティ!」と聞いてきた。
「幾らだ」と言っているのである。
「100円:100Rs」ではどうか?

これには参った!
まだバスに乗って10分も経過していない。
残りの時間を「おばさん」との交渉が続くと思うと「うんざり」してくる。

何とか眼鏡を取り戻して、座席を移動しようと探すが立っている客も5~6人居て無理だと言う事が分かった。
あきらめて、眼鏡と「単行本」をしまい「狸寝入り」を決め込む。

カトマンドウに着いてバスから降りたら、また「売ってくれ」とついて来られ「ほとほと手を焼いた」が、
考えてみればここには携帯用の「老眼鏡」などは売っていないのである。

しかし、神戸の百貨店で「1800円」で買ってきた「老眼鏡」を
そのままの値段では、彼らは決して買わないし買えない。
通常の老眼鏡であれ500~700円ほどで購入できるものである。
ただ携帯用はない。
だから彼女が「食い下がってくる」のである。


ちょっと愚痴になったがお許し願いたい。
さて、「嫉妬」であるが、これは「嫌がらせ」につながる事が多い。
ここでのトラブルの多くは「嫉妬」から無理な要求をして、それを受け入れなければ「嫌がらせ」と言う道をたどる。

バスの中だから良かったが、近所では難しい事になる。
少しずつではあるが、ここでの生活方法が見えてきた。

でもほんの一部である。
これから「まだまだ」多くの問題を投げかけられるであろう。
でも「ここはネパール」・・・・・・

(今回からゴシックでしたが読みにくければお知らせいただきたい)



添付写真は最近我が家の近くに作られたインターネットのタワーであるが
全く「命綱」を使わずに作業する彼らを見ていて「命」の値段?を考えさせられた光景であった。
(上から見るとサンガの街は300mほど下に見える)

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またまた「ネパール人の好きになれない習慣」:
よく「淡が詰まる」と喉を鳴らして淡を出そうとする。
しかし、ここでは淡が詰まっている訳ではないが喉を鳴らし「つば」を吐き出す。
さらに、所構わず「吐く」。
この「ゲッゲッ」っと喉を鳴らすと、こっちまでも気分が悪くなる。
どんな「紳士」や「ご婦人・子供に」至るまでやるから始末に悪い。

以前中国ではオリンピック前には「淡やつば」を路上に吐くな!と言うオリンピック条例が出されたが、
一般市民は「何で?」と疑問ばかり、それでも条例だから多少は守られたが、
歴史的に続いてきた習慣は治るはずもない。
ここでも同じである。







では次回「ネパール通信」まで。


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  1. 2012/10/02(火) 08:55:23|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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