ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

ネパールの新年(4月13日)は・・・

4月27日(金)天気:快晴 気温:26℃ 湿度:35%


ここでは(2069年)1月1日は日本の(2012年)4月13日である。
この日の新聞では、日本のような「おめでたい」記事はまったく無く、
昨年の悪い経済状態を並べ立てているに過ぎなかった。
各政党の「勢力争い」ばかりが目立ちどこの国でも同じ「私利私欲や利権」のみを追求する政党ばかりである。
国民にとって一番辛い事は、諸物価の高騰であろう。

電気・ガス・水などの必需品をはじめ、全てのものが値上がりし、収入の極めて少ない多くの国民をさらに苦しめている。
働く場所がない93%あまりの国民にとって、諸物価の値上がりは「正に地獄」である。
連日、学生や市民団体のデモや抗議行動が繰り広げられ、
カトマンドウをはじめとする都市部でのバンダ(ストライキ:道路封鎖)が頻繁に実施された。

日本大使館からは度重なるデモや抗議行動への「注意喚起」が配信され、
ここに住む日本人に対し十分な注意を呼びかけていた。
時にはローカルバス(私が何時も使うバス)にも「爆弾」が仕掛けられていて、
未然に発見できたため大事には至らなかったが、ひとつ間違えば大きな事故になることは間違いない。

田舎では、毎日使うマサラや食用油をはじめ食料品が軒並み値上がりし、日常生活に大きく影響している。
街で働く極一部の人々にとっては、さほどでもない値上がりでも、
殆ど収入の無い村人にとっては極めて大きな問題である。
街で働く一部の裕福な人々は、値上がりによってさらにお金が入ってくる「仕組み」になっていて
よりお金持ちになり、多くの村人にとっては大変な貧困が待ち受けている。

新聞の写し(添付写真)には品不足のガソリンや電気事情さらには、
プロパンガスの高騰並びに品不足と言った記事が目立ち、水不足から共同の水場に長い行列が目立つ。
バクタプルあたりの道路沿いには、プロパンガスの空のシリンダーが列を作り、多くの人々の台所を直撃している。
IMG_3216.jpg

ここのネパールルピーもインドルピーに引きずられ、高騰し、輸出入の促進に大きな足かせとなっている。
そんな中、ネパールにおける新年の行事はいっぱいあり、
バクタプルやカトマンドウ・パタンと言った街では盛大に「山車」が出て新年を祝う。

「今年こそは」と願う市民でいっぱいである。

それぞれの家庭では、普段と全く変わらない生活がある。
人々は、町のそうした行事を見物に行き「神様」に祈りを捧げるのであるが、
雑踏の中での祈りは果たして「神様」に届くのであろうか?

私には、ここの新年では全く「お正月」を感じない。
先行き極めて見通しのきかない「ネパール情勢」である。
若者の将来を本当に考えるならば、彼らの置かれた環境を改善するべきであるが、
政府や政党は全く無関心でありむしろ閉鎖的とも言える状況を作り出している。

お金持ちは永遠に「お金持ち」であり、貧乏人は何時までも「貧乏人」である世の中が続く。
日本のような「所得倍増」を図る政治家は皆無であり、私利私欲のみ横行する社会環境の打開こそ、
この国の国民を豊かにするのだが、「誰も何もしない」。

$$$$$$$$$$$$$$$$$$$
「人は何をしたか?・何が出来たか?」と言う結果でなく、どんな「目的」で働いたかであろう。
結果は有形無形で出てくるがそれは問題ではなく、その過程こそ「宝」である。
これが私たちの活動の「信念」でもある。





カトマンドウのアッサンバザールで行われた新年の行事の様子
IMG_3069.jpg
IMG_3068.jpg

ここならでは!女性の単車に乗る姿
IMG_3074.jpg


この配信の前3日間ほど「電話線をスクールバスが切断」して交信不能となった。(バスの運転手は何も言わない)
「ばかやろう!」と怒鳴りたいが、これもネパールである。
これを書いている私の心境はと言うと、とほほ・・・である。何も出来ない自分が「かわいそう」でもある。





ネパールのお土産?:今回は、フエルト製品を紹介したい。
ヨーロッパでは今から5~6年前から流行していたが、日本にもその兆しが現れはじめ、
こちらから日本で販売するために持って行かれたフエルト製品が「瞬く間」に売れ在庫が無くなったとも聞いた。
この製品は多種多様に亘り、帽子・スリッパ・のれん?・かばん・髪飾り・腕輪・マットにタペストリーまで
ありとあらゆる物が作られている。
安いものでは30円からあり、高い物(大物)でも1200Rsほどである。


IMG_3228.jpg
IMG_3229.jpg
IMG_3226.jpg




では次回「ネパール通信」まで。


HPのご案内
http://gifu-nepal.jimdo.com/
Ichyo Group Sujita



スポンサーサイト
  1. 2012/04/25(水) 21:46:48|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

タルチョのリニューアル儀式

4月16日(金)天気:晴れ 気温:20℃ 湿度:37%


今回は、我が家「銀杏旅館」でのチベット仏教における「のぼり旗」の取替え儀式の模様をお伝えしたい。
天気の具合が今一はっきりしない4月10日は、以前から計画していた「旗の取替え式」の日である。
玄関前に設置した「ポール:約6m」の旗を1年に1回の頻度で取り替えるのだが、これが一台行事である。

ミナのお父さんとその仲間のお坊さん(ラマ)によって一切が取り仕切られて、早朝から夕方まで「お経」の連続である。
もちろん、ミナのお父さんは「ラマ」である。
IMG_3112.jpg

日本と違い「お経を聞いている我々も参加」するため、抜け出す分けにはいかない。
沢山の「ろうそく」に火を付けるのは私の仕事である。
この「ろうそく」は「ギュウー」と言われる乳製品で、牛乳を加熱して出来る脂肪分(上に出来る脂肪膜)を集めて、
何時間も加熱を繰り返して作るが、食用でもあり仏教行事の「ろうそく」としても使われている。
有名なチベットのポタラ宮殿の中でも、この「ギュー」の「ろうそく」である。(日本で使われているような蝋燭とは材質が違う)
IMG_3119.jpg

ミナやミナのお母さんは、お茶やお酒の配膳、食事の準備で大変である。
一番下の弟(アシス君)は肉や野菜・さらには果物の買出しに忙しく「訳の分からない私だけが暇」であるのが残念?でもある。

この儀式は通常6~8万Rsほどかかるが、ミナのお父さんが仕切るため、激安(1万Rs程度)で出来る。
村人の参列者も多く、道路に面しているため「お経」を聞きつけ、家の前を通る「仏教徒」も入ってくる。

ここでは、ヒンズー経と仏教は一緒に「崇めて」いるため、
お経を唱えている「8時間」あまりは「引っ切り無し」に来客があり、
それぞれ「お賽銭?:20~100Rs」を持って来てラマに「厄除け」をしてもらいにくるのである。
ネパールでは「仏教徒」は全体の僅か15%ほどであるが、国民の殆どが両方の宗教を使っているのが実情である。
日本でも「お正月」には「神社」へ「お盆」には「お寺」へと言った具合に両方を使っているのと同じ感覚である。

さて、肝心の「儀式」であるがミナのお父さんは分厚い「経典」(短冊のような)を取り出し、
二人で輪唱するように読み始めた「お経」は聞き覚えのあるメロディーと共に、
「でんでん太鼓?」や「手持ち用の鐘」を鳴らしての読経で結構楽しめるものであった。
なぜ「聞き覚え」があるかと言えば、ここでは「お経」の音楽が多く売られていて、
カトマンドウの街ではこの「曲」が大きな音で流されているためである。
IMG_3108.jpg


こうして延々4時間ほどの読経の後、昨年から使っていた「旗」を取り替え、今年買ってきた旗と交換して固定。
参加者の「厄」をいっぱい含んだ「お米」をプラスティックの袋に入れて旗の一番上に取り付けて「掲揚台?」に立てる。
IMG_3132.jpg


その後、読経の中、私がメインでミナのお母さんと弟が加わり、旗の柱の周りを「柱」に触りながら回る。
この場合ミナも居たが、彼女は「私は駄目」と言って参加しなかった。
4~5回ほど回って一応の儀式は終了するのであるが、この間にも「厄除け」の依頼者は待っていて、
これの対応をしなければならない。

こうして、朝9時から始まった儀式は夜7時ごろにやっと終わったが、
お茶や食事をする客が残っていて結局夜8時半ごろまで掛かり我々の食事となった。

これだけの、大きな行事を日本でやれば何十万円も必要になるだろう。
この行事を終えて、「宗教」って何だろう?っと言う疑問が頭をよぎる。
やはり、「心の拠り所」と考えるべきなのか?
極貧国ネパールだから、「神にすがる事のみ」が自分で出来る仕事だからか。





ネパールのお土産?:今回は、ネパールの「和紙」をご紹介したい。
ここの和紙は壁紙としても使え、名刺や行灯さらには手帳や日記帳など多くの民芸品として売り出している。
種類はめちゃめちゃ多く、添付写真は極一部のものである。

IMG_3207.jpg

IMG_3208.jpg

IMG_3209.jpg

IMG_3214.jpg

IMG_3215.jpg



では次回「ネパール通信」まで。


HPのご案内
http://gifu-nepal.jimdo.com/
Ichyo Group Sujita





  1. 2012/04/16(月) 23:51:34|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

三度の「ネパールマインド」

4月7日(土)天気:午後雨 気温:21℃ 湿度:55%


今回は、以前にもお伝えした「ネパールマインド」について再度お伝えしたい。
物質的先進国?である日本から見れば、ここネパールでは改善しなければならない箇所、
例えばゴミ問題・エネルギー問題・ライフライン問題などなど、言い出したら切が無い。

しかし国民は全く「無頓着」。
なぜなら、大多数の国民は諸外国を「知らない」からに他ならない。

最近では「出稼ぎ」から帰国した人々によって「少しずつ」ではあるが、変化しつつある。
ゴミの無い町や整備された道路などは、彼らから見れば「なぜ?どうして?」と言った疑問であろう。
ゴミがあっても何の違和感もない彼らであるが、清掃の必要性は理解していても
「自分の家の中」だけのことであり、道路が汚れていても「ただ鼻を押さえて」歩くだけで、何もしない。

こうした環境下にあるネパールではあるが、なぜこうも毎年観光客が来るのだろうか?
やはり、それに見合うだけの魅力がある。
・世界の屋根ヒマラヤ
・仏教徒もかなり居る国
・ヒンズーの国(インド・ネパールのみ)
・諸物価が安い(東南アジア全般)などなど
・特に日本人には馴染みのある顔が多い(モンゴリアン系)

こうした事から、親近感が溢れ「ナマステ」の挨拶にも気軽に答える事ができる。

ただし、「潔癖症」の方には無理な環境でもある。
・つばを吐く
・痰を吐く
・手鼻をかむ
・手で食事をする
・食器は何でも使う
・使ったら直ぐに洗わない
・トイレに「紙」がない(水と手で洗う)
・上も下も同じ「ほうき」で掃く
・洗面の際、タオルは使わない
・村では大地がトイレ(大人も子供も)

こうした背景には、「必要な時に」仕事をすると言った考え方があるようである。
今使わないのに綺麗にする必要性が「分からない」のである。

日本でも、今から100年前を考えれば「多少は理解」できるが、全く同じではない。
勉強は全て「暗記」方式で、与えられた教科書を「暗記」するのが「勉強」である。
従って、ここでは「独自の発想」などと言った考え方はなく、
それは各自が自分で理論構築し「築き上げる」ことしかないのである。

日本の今の教育も多少にかよった部分もあるが、「考える」ところがまだまだ残っている。
明治・大正・昭和・平成と時代が変わっても、日本では「不便」が物づくりを推進して来た。

また、物づくりを推進出来る環境をも作ってきた。
この環境とはエネルギーや原材料であるが、全て輸入であるにもかかわらず推進出来た事は、
やはり考え方であろうか?

自然の乏しい日本では「この方法しかなかった」と言っても過言ではない。
しかし、ここでは「不便」を感じていないため(当たり前)物づくりが進まない。

工業製品は全て輸入品で、しかも「極めて粗悪品」である。
こんな国で一体どんな「工業」が成り立つのだろうか?

陸続きで輸入が容易な国ネパールでは、昔からインドとの交易は盛んで、ここ20年ほど前から中国も参加。
「いまさら工業でもない」と言った、考え方が出てきても不思議ではない。

日本の場合には「周りが海」と言う国境があり、「自分たちでやらねば」と言う気持ちが
「国の工業推進」を図ってきたと考える。

全て手作業に頼るネパール製品は、決して高価ではなく一般の人々が購入出来る価格設定となっている。
ただ「水」は確保できる事から「発電」は出来る。
唯一のエネルギーであるが、十分とは言えず常に「停電」があり、
(もちろん計画的に)これが結構頻繁に実施される。

交易の関係からインドに「輸出」しかも国内より安く売られている現実を考えると
「周辺諸国」に搾取され続けていると言わざるをえない。

でもネパールとしては何も出来ない。
この現状を踏まえて「支援活動」をしなければならない。




ネパールならではの「おみやげ?」:今回は仏具の一つである「蝋燭たて」を紹介したい。
台座の部分がネジになっていて、上の「蓮の花」の部分を開いたり閉じたり出来るものだが、
肝心の蝋燭を立てる部分が小さいのが「難」である。
しかし日本で仏壇に使う蝋燭程度であれば問題ない。


IMG_3081.jpg>「蓮の花」が開いたところ

IMG_3082.jpg>「蓮の花」が閉じたところ

では次回「ネパール通信」まで。


HPのご案内
http://gifu-nepal.jimdo.com/
Ichyo Group Sujita




  1. 2012/04/06(金) 17:46:26|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

ネパール通信 (323)
管理人よりお知らせ (6)

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード