ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

特別編 今、ネパールでは・・・・・

1月28日(土)天気:快晴 気温12℃ 湿度:50%


今回は、最近頻繁に起こるバンダ(道路閉鎖)やエネルギー事情についてお知らせしたい。

ここでのエネルギー問題は、今に始まった事ではない。
過去、何年も同じ問題が起きている。
なぜなら、小国ネパールは東西南を巨大大国インドと、北に中国といった立地条件から、
絶えず侵略の危機に瀕していると言っても過言ではない。

現に中国との国境であるコダリボーダーは25年前には山の中腹にあったが、今はスンコシリバーまで降りて来ている。
その後(1年ほど前)には中国から、ドリュケルから東を中国にくれれば「鉄道を引いてやる」との
政府間での話があったが、これはネパール政府が断った。

また、エベレストを測量して全てが中国領内であるような表現を示して、ネパール政府に迫っているとも聞く。
しかし、インド政府は事前の話し合いもなく現在のネパールとの国境線を「力」で押し広げようとしている。

多くの旅人が利用している「スナウリ・カカルビッタ・ネパールガンジー」などには国境とは言え、
インド人とネパール人が混在していて、現在でも有名な「ルンビニー」をインド領地にしろ。っと迫ってきている。

武力行使こそ無いが、インドが「兵糧攻め」で迫って来ているのは実情である。
なぜなら、ガソリン・デーゼルガソリン・軽油・プロパンガス」などインド国内の倍の値段で購入しているのが現実で、
そのエネルギーを止められれば、ネパールは立ち行かない事は明白。

毎回政府間での話し合いで年々値上げされるエネルギー問題は、
インドにとって国力の無いネパールは「赤子の手を捻る」より簡単な事である。

現在はインドの領地とされている「ブッダガヤ・ダージリン・シッキム」など元々はネパールの領地であったが、
なし崩し的に侵略されて行った結果である。

しかし、インドの要求である「ルンビニーを手放せ」には流石のネパール政府も納得出来ず、
あえて高額なガソリンや石油・プロパンを購入しているのが今である。

しかしインド政府も侵略の意図がある以上、素直にガソリンや石油・プロパンを売ってくれる分けでなく
「嫌がらせ」が続いているのが「バンダ」の原因である


如何にこの問題を解決するのか全く見通しの立たないエネルギー問題は、
現在支援活動を続けている諸外国の協力無くして解決出来ない事は分かっているが、
諸外国もインドとの関係から「手をこまねいて」いるのが現状であろうと考える。
さてさて、困った問題である。

自国で解決する術を持たないネパールが、何時になったら自力でエネルギーを確保出来る時が来るのか、誰も知らない。
陸続きと言う「立地条件」が小国を窮地に追いやっているのが「まざまざ」と見えるから「歯がゆい」事しきりである。

今回は「愚痴っぽく」なった「通信」であるが、お許し願いたい。
何時まで続くネパールのエネルギー問題?

なぜ「分け合えない」のか? 分け合えば余るのに・・・
なぜ「助け合えない」のか? 共に生きられるのに・・・

インド・中国・ネパールとも最も「信仰心」の厚い国ではないのか?

ネパールは過去数百年に亘って、国と国との戦争をした事がない「すばらしい国」である。
中国もインドも戦争によって領地を広げてきた国

何とか助けたいと思うが、私一人が「何が出来るであろうか?」」
黙って「見守る」以外出来ないのが残念である。



では次回「ネパール通信」まで 。
HPのご案内

http://gifu-nepal.jimdo.com/



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  1. 2012/01/29(日) 11:18:15|
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例えば「道端の空き缶」・・・・・

1月26日(木)天気:快晴 気温:18℃ 湿度:60%


今回は、少し今までの「通信」と趣を異にして「考え方」についてお伝えしたい。
ここネパールでは日本とは違い、「ごみ」とされている空き缶やプラスティック(ビニール)・ガラス瓶・車のタイヤなどは全て再生利用されている。
「もともと自然界にはゴミなる物はない」。
人類が作り出したものがゴミとなる。
自然のものは自然に返る事が出来るが、人が作り出したものは自然には返らない。

使い古した自転車などは「高価」な値段で買い取ってくれるのもありがたい。
勿論、あらゆる電化製品が同様である。
家から出たこうした「ごみ」は分別しておけば、回収業者が来て1Kg30Rs~50Rsで買い取ってくれるから、
決して捨てない。

しかし、日本ではずいぶん昔にこうした業者は無くなり、
回収業者にお金を支払って持って行ってもらう仕組みになったようだ。
こうした背景からではないが、みなさんにも考えていただきたいと思い、今回のテーマとした。

例えば「道端の空き缶」を例にとれば、日本の社会のルールからか、
拾ってビニール(プラスティック)の袋に入れている方を見かける。
しかしである。
もし、自分以外に誰も見ていなかったらどうだろう。
この「空き缶」を拾って持ち帰る方が何人いるだろう。
社会のルールだから拾う?
誰か見てるから拾う?
ここで大切な事は「自分」がここに居る事である。
「道端の空き缶」を見ている自分である。

他の誰でもない自分である。
自分に嘘は付けない。
自分に正直になる事である。

見方を変えてもう一例・・・
例えば車が脱輪して困っている方が居るとする。
助けを呼んでいたから助ける、しかし作業が終わっても立ち去らない。
助けた人からの「お礼」を待っているのである
これは、ある意味「恥ずかしい」事である。
むしろ、相手にお礼を言わせず「さっさと引き上げる」事こそ「ほほえましい」と感じる。

困っている方を助けるのは、人として「当然」の事をしたまでで、決してお礼を言われる筋合いのもではない。
金銭的な問題は別であろう。

しかし、現代社会の仕組みは少しこの感覚がずれてきている。
お礼を言った方も「これで良し」と助けてもらった事を「さっさと」忘れてしまう。
もしここで、「お礼」を言わせず姿を消してしまったらどうだろう。
一部の人は、「お礼」を言えないまま「心に鉛」のような物が残るであろう。

こうした方々が増えれば増えるほど、日本の社会は「昔の仕組み」に戻る事が出来るのではないだろうか?
以前私が「ガキ大将」のころには、誰か知らない大人から「怒られたり」「頭をゴツン」とされた経験も度々あった。
家に帰り、この事を親に話せばまたまた「頭をゴツン」とやられるのは明白、
だから黙っていたが親も近所の方から聞いて私を問い詰める。
仕方なく白状して「いたずら」の様子を話す。
そして「頭をゴツン」であった。

また、朝起きると玄関には誰が持ってきて置いていったのか分からない「野菜や果物」があった。
これも昔の話である。
(我が家では今でも:これは妻の地域における努力である)

誰がやったか分からない親切。(つまり月光仮面である)
♪ど~この誰かは知らないけれど、だ~れもがみんな知っている~月光仮面のおじさんは~♪なのである。
この歌は若い世代の方には分からないかなぁ~。

こんな地域社会が、もう一度来る事を望む毎日である





ネパール特産物?(お土産):今回は、ここネパールに居る「ヤク」と言う牛の毛から作るヤクウールを紹介したい。
決して高価なものではないが、畳一畳分ほどの大きさで400円ほどで購入できるからありがたい。
(色は無限にある)
冬の季節などは敷布団の上に広げ、掛け毛布で眠れば暖かく眠れる事請け合いである。
添付写真は標高3000m以上に飼われている「ヤク」であるが、性格は極めて凶暴で、
トレッキング中でもヤクに追われた経験者は多い。


ランタン部落のヤク








  1. 2012/01/27(金) 09:15:43|
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山田親子のネパール滞在記

1月17日(火)天気:快晴 気温:11℃ 湿度:60%

今回は、年末年始を我々の支援先であるトゥロパカル村の小学校へ、今までで初めて
3歳の子供を連れて来て下さった「山田ともみさん親子」の滞在記をお伝えしたい。


10年ぶりのネパール(2011/12/27~2012/1/7、12日間)

年末年始の休暇を利用して、3歳の娘と一緒に、ネパールを訪れました。
10年前、一人で訪問した際はJICA現地スタッフのかたのお宅に滞在、
今回は銀杏旅館に滞在しました。
人々の生活・街は、色々なところで確実に近代化?していましたが、
街の騒々しさと、美しい山並は変わっていないなぁ、と感じました。

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トゥロパカル村での「ゆく年くる年」

銀杏旅館で村へ持っていく子供服や鉛筆等の荷造り(お手伝い)をして、
12/31の朝、いよいよトゥロパカル村へ向けて出発!
途中の街で休憩や食事、野菜・果物等を購入して、
最後はでこぼこの山道に激しく揺られながら約5時間で目的地へ到着。
2011年最終日(大晦日)は、ミナさんのおじさんのお宅にお世話になりました。
「寝袋に”スポっ”って入って寝るの~」と娘は嬉しそうに生まれて初めての寝袋で眠りにつきました。

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夜は娘と一緒に早々に寝てしまい、年越しはあっけなく(^^;
そして2012年元旦、小学校でのセレモニー(物資贈呈式&歓迎会?)。
ネパールの新年は4月に始まるため、元旦はいつもどおりのようで、
先生が「Japanese New Year!」と子どもたちに説明していました(笑)
子どもたちから歓迎の花飾りを娘にもたくさん掛けてもらい、娘もとっても嬉しそうでした♪
私は「大きな栗の木の下で(ネパール語直訳版)」を日本で準備して覚えていき、振りを付けて、
みんなに一緒に挑戦してもらいました。
子どもたちは一生懸命真似してくれ、先生も身体を動かしながら一緒に覚えようとしてくれました。
(先生は携帯で歌の録音もされていました。)
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいました。
次回また訪問できるなら、もう少し長く滞在して子どもたちと交流したいなぁ、と思います。

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3才児の適応力

もともと「よく食べ」「よく寝る」わが娘。
ネパールでも、その能力を十二分に発揮!
ダルバート、ナン、モモ、チョウメン、ラプシーにスンタラ(果物)、お菓子(マサラ味)等々、
いつもモリモリ食べて「ミト・ツァ(美味しい)」を連発。
現地の言葉も滞在中に少しずつ覚えて、「ナマステー」「ボーク・ラギョー(おなかすいた)」
「アミロ・ツァ(酸っぱい)」「プギョ(おなかいっぱい)」「ニンドラ・ラギョー(眠たい)」等と言っていました。
そして、「マンパレ・マンパレ・マンパ~レ♪サ~ライ・マンパ~リョ~♪」と流行りの歌も歌っていました。
わが娘ながら、その適応力には感心させられっぱなし。
筋田さんのことを「おじぃちゃん、おじぃちゃん」と、本当のおじいちゃんのように呼び、
ミナさんやサンタさん等にも優しくしていただいて、すぐになついて、和やかに過ごすことができました。
帰国後は「またモモ食べたいなぁ~」っと言っています(笑)

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ドライヤーとお肌

普段、お肌のお手入れなんて「超適当(最低限)」な私。
ネパールに着いてからも、そんな調子でいたら・・・
すぐにボロボロになりはじめ、皮が剥けてしまいました(;;)
旅の後半は、洗顔後に念入りに乳液をつけてなんとか復活。
洗髪後は、いつもドライヤーで髪を乾かすのですが、ネパールは停電時間も長くて使えないことも多い。
筋田さんの助言で、陽のあたる屋上で乾かしてみると・・・
なんとなんと意外とちゃんと乾くし、気持いい♪
ネパールの乾燥と日差しの強さを実感したのでした。


3才児とネパール?

「なぜ3才の子供を連れてネパールなんかに?」っと思われる人が、日本には多いと思うので、ちょっと説明。
去年3月に発生した東日本大震災、そして7月と9月に自分自身が入院・手術を受けることになり、
今後、万が一、自分の身になにか起こったとして、「子どもに何を残しておきたいのか」を考えてみた。
私は、資産よりも、母親として、一人の人間として、「なにを考えて、どう生きたか」を子供に残したいと思った。
(もちろん学費貯金もしているし、保険もかけているけど。)
今回の旅行のこと、私の考えかた・生きかたが、子供の自己形成の上で、
何かしらの意味を持ってくれたら、嬉しいなぁ、と思う。
もちろん日々の生活の中で伝えておくことも沢山あるのだけれど、
日常生活では、ついつい日常の物事に忙殺されてしまうので。。。
そして12日間の旅を終えて、いろんなものを見て、経験できて、
子供とずっと一緒にいられて、本当に良かったと感じています。
産後1年で職場復帰してから、来春で丸3年。
朝から晩まで、毎日ずっと保育園に通っているわが子。
こんなにも娘と長時間一緒に過ごせたのも久しぶりでした。

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最後に

「豊かさってなんだろう、幸せってなんだろう。」
この疑問は、いつも私の心の中にある。
銀杏旅館のお隣さんは、屋上で、おじいちゃんが竹で籠を編む仕事をしたり、
おじさんはミシン掛けの仕事をしていたり、
奥さんも洗濯を干したり、農産物の整理?等をしていて、
子どもや鶏もその空間を歩き回っていて、 家族がみんなが一緒に過ごしている。
雨が降れば、仕事は中止。
(村の男の人同士は集まって博打をしているらしい)
トゥロパカル村で滞在したお宅では、朝から晩まで農作業(棚田)に出かける大人たちの代わりに、
自分より幼い子の世話を子どもたちがお互いに自然とみている。
中学生くらいのお兄ちゃんが、2歳半の妹の鼻水をなんの抵抗もなく
素手で拭いてあげていたのをみて、ちょっと感動。
(・・・自分の子でもちょっとためらう、私。)
おなかがすいたら、なっている木の実(ラプシー)に 棒を投げて落として食べたり、
日が傾いて寒くなってきたら、大きい子が焚き火をたいて、 芋を焼いて食べたり。。。
こうして、自然と生きることを習得していくのだと思った。
ネパールで滞在した村には「金銭的」豊かさはないかもしれないが 「虐待死」もありえない(信じられない)そう。
毎日、朝から晩まで仕事へ行って、 共働きだと昼間は家に誰もいないことが当たり前の日本。
忙しさに追われて、心に余裕がないときがあったり、 都市部では隣人とのかかわりもあまりない日本。
金銭的な豊かさはあるかも知れないけど、 なくしているものも、相当大きいと思う。
まぁ、なにはともあれ、 無事に帰国できて、よかったよかった。
そして、私の幸せ探しの旅(人生)は続いていく。。。
今回、私と娘の旅にご協力いただいた皆様、そして理解・協力してくれた家族に、心から感謝しています。
本当にありがとうございました!
   
山田ともみ






ネパールの特産物?(お土産):今回は、以前日本でも一時ブームにもなったヒマラヤの岩塩」を取り上げたい。
これは、ピンク色と黒色があるが、ピンク色の岩塩は粉末にすると白くなり、
黒色の岩塩は粉末にした時薄いねずみ色になる。
これらにはミネラルが豊富に含まれていて、特に黒色の岩塩は硫黄成分が多く、
「ゆで卵」にかけると「温泉卵」に早代わりする。
店で売っているのは「塊」と粉末があるが、塊でも白いものがある。
しかし、これは岩塩ではなく「アロエの結晶」で床屋さんなどではこれを「シェービンローション」として使っている。
3種類の同じような「塊」があるため間違わないよう購入する事である。


岩塩 135









  1. 2012/01/18(水) 11:12:03|
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小さなかわいい親善大使

1月7日(土)天気:快晴 気温:11℃ 湿度:60%



今回は前回もお伝えした通り、子供たちの衣服を配布する事と、「現金収入」の道を探る事が目的であった。

しかし、現地の父兄との話し合いは「空振り」に終わり、「与えてくれるだけでいい」との結論であった。
「これでは先がない」との説明も、彼らには全く説得力がなく「がくぜん」とせざるを得なかった。

ここトゥロパカル村も3年目を迎える子供が10人居て、この人数を別の村の子供に変えていくことになるが、
この事を言っても「彼らの考え方」は変わらなかった。

長老(学校の敷地提供者)にカーペット織りの提案をしたが、
「ここでは以前にやっていたが、収入が少ないため止めてしまった」との事。

2月には編みものを教える業者?(日本人)も連れて来る予定だが、
これは「やってみないと分からない」と言う答えだった。

とにもかくにも、1人2着平均の子供の衣類を運び配布する事にした。

1月1日に学校に到着と同時に、先生から、「以前頂いたマドルを鼠にかじられた」との報告。
次回からは天井から吊るして保管するとの事だが、直してもらうための口実かも・・・・・
考えていたらきりが無い。

しかし唯一の救いは「山田さん親子」の訪問であった。
3歳の「桜愛:さちかちゃん」は村人の間でも子供同士でも常に注目の的であり、
我々の心を和ませるのに十分であった。

「さちかちゃんの親善大使」1

「ナマステ・ミトツアァー・ボークラギョ・ニンドララギョ」など日常会話の主たるものを直ぐに覚え、
村人にも答えていた。
村を去る日にはトゥロパカル村の親子が大勢見送りに来て、全員で手を振って別れを惜しんでいた。

サンガに戻り、日に日にネパールノ環境に適応していく「桜愛:さちかちゃん」を見ていると
「人間の環境に対する順応性」に大きな自信さえ覚えてくる。

彼女との間でちょっと「はずかしい場面」はカトマンドウの観光時に発生。
3人で街を歩いている時のことである。
突然「桜愛:さちかちゃん」がネパール語で「ボークラギョ:お腹がすいた」と連発。
道行く人々が「我々を振り向き」薄笑いをしている場面が2~3回あった。

これには「驚くと同時に恥ずかしさ」も手伝って「桜愛:さちかちゃん、お願いだから日本語で言って」と
お願いするも彼女は平気な顔で「ボークラギョ」を連発。
いや~まいった・まいった。
しかし楽しい「桜愛:さちかちゃん」トゥロパカル親善大使ぶりであった事には間違いない。
次回には「山田ともみさん」の原稿が届けば「ネパール通信」に掲載したい。


「さちかちゃんの親善大使」3









ネパールの特産品?(お土産):今回は、シンギングボールを紹介する。
これは、瞑想する際やお経(チベット仏教)のお経を上げている居る際の伴奏などにも使われ、いろんな音色がある。
タメルなどでは小さいものでも300~500Rs中くらいのサイズで500~700Rsくらいで販売されている。
しかし、ここの値段は買う人によって変わり一定ではない事をお伝えしておく。


シンギングボール






  1. 2012/01/09(月) 21:45:11|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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