ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

水騒動?

11月25日(金)天気:快晴 気温:21℃ 湿度:50%


はじめに、ここネパールにおける天候不順についてお伝えしたい。
例年、今のシーズンには毎日快晴の日が続くのが本来の天気であるが、2~3日毎に曇りや雨の日が続く。
20~30年前には毎朝「霧」の中だったカトマンドウの街でも同様で、雨季が終わっていないかのようである。

先月、我が家からランタン・ゴザインクンドに出発された方も、4日目で計画を大きく変更され撤退、
アンナプルナ方面に行かれた。
しかし、何処もここも同じである。
今のシーズンは穀物の乾燥時期でもあるのだが・・・・・・

ミナもパトネちゃんも「こんな天候は初めて」と言っている。
ダサイン・ティハールが終わってから、こんなに「雨」の降るのは農業に与える影響も大きなものであろう。
お陰で電気の方は停電時間が長くならずに済んでいるのも事実である。


表題の「水騒動」であるが、ここサンガでは「山の湧き水」を生活用水の水源としていて、2インチほどのパイプで村の一番高い位置にあるタンク(3m四角程度)に入れて下の村の道路に面している数箇所の「共同水場」に送っている。
この送るバルブを開けたり閉じたりする、いわゆる管理人は村の少年の仕事で、乾季には夜の配水を止めて昼間のみとして水の確保をするのであるが、今年はまだ止められていない。
つまり、流さないとタンクが溢れてしまうからである。

そんな状態の「水環境」において、我が家では敷地内にタンクを置き、夜、誰も水を使わない時間に700リッターのタンクに満タンにし、屋上にある1500リッターのタンクに汲み上げる仕組みである。
こうしなければ、家の各所にある「蛇口」からは水を出せないのである。
(シャワー・キッチン・トイレ・洗濯機など)

しかし、この敷地内にあるタンクに「水を溜める事を止めろと」言う村人が現れ、
2回ほどミーティングが行われたが結果はまだである。

なぜ、この村人はこんな問題を提起してきたかと言えば、
以前「外灯」の設置工事に各家々で負担する工事費用に端を発したものと分かった。
彼は電気工事の仕事をしていて、この設置工事で幾らかの収入を得るつもりであった。

一般の家は200Rsで、近くで建設工事をやっている会社は2000Rs、
村に鉄塔のある電話会社も2000Rsで、当「銀杏旅館」も2000Rsの寄付を要求された。

ミナとパトネちゃんは「銀杏旅館」は個人の会社であり、2000Rsは高いと言って500~1000Rsで交渉していたが、彼らは受け付けなかった。
こうした、背景から今回の「水騒動」になったとミナが話してくれた。
つまり「いやがらせ」である。

ミナもパトネちゃんも危機感は全く無く、何時もどうり夜にパイプを接続して700リッターを満タンにしている。
でも何時かは幾らかの寄付をして、解決するのだろう。でも今ではないと言う。

「何時になったら解決するの?」と聞けば「2~3ヶ月後くらいかなぁ~」と他人事のような返事。
しかしこの夜、パンネちゃんがホースで水を汲み上げていると、村の青年2人がやって来て、
ホースを引き抜き、投げ出しているのを見つけ、口喧嘩となった。
2晩ほどこれが続くと流石のパトネちゃんも「疲れ」が出て来たとみえ、「ぐったり」としているのが分かった。

私の生活を守るために「苦労」をかけているのか、と心が痛んだ。
日本人の私には、「不安」な事この上ない。
「ここはネパールである。」と自分に言い聞かせる。


次回の「ネパール通信」は(苦渋の選択:涙の引越しを決断)を配信予定




ネパールの習慣: 今回は習慣とは違うが、ネパールにおける「必殺仕置き人」についてお伝えしたい。

ミナの親戚にマオイストのリーダーが居て、 2~3回銀杏旅館にも顔を出している。
その彼から、今回の「水問題」で、「誰が悪いのか?」との質問から、
ミナが「今度村のミーティングがあるので来てほしい」と会議への出席を要請。
彼は早朝7時には銀杏旅館に来ていて、会議の一部始終を聞いた。
その彼が、「3人の悪い考えの村人が居る 」と言って、名前を確認し、
「今週中に半殺しにするが良いか?」と聞いてきた。
ミナから通訳された私は即座に「それは困る」と言って断った。
後からミナに聞くと、2万Rs(2万円)ほどで3人の悪い人を殺す。
つい先日も銀杏旅館から30分ほど離れたアサブリと言う村で2人を殺したそうである。
人からこのニュースも聞いていた。
今回の「仕事」は、私たちには関係のない「方法」で始末するそうである。
「怖い!」の一言である。
しかし、無念のサンガからの撤退は痛恨の痛みそのものである。
多分、来年には引越しをする予定になろう。
村での生活は人間関係が極めて困難な事は分かっていたが、「景色と静けさ」を求めての決断であっただけに、残念である。


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  1. 2011/11/25(金) 15:24:28|
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今期はじめてのトゥロパカル(2)

11月16日(水)天気:快晴 気温:21℃ 湿度:55%


はじめに、今年の天候は極めて不順である事をお伝えしたい。
2~3日前にも「地震」があり(震度2程度が10秒くらい)11月も半ばなのに、曇りや「雨」が時折ある天候である。
こんなに、天候が良くない原因には「地球規模」の「気候異変」が起こりつつあるのではないだろうか?
CO2問題が脳裏をかすめる。

ここネパールでは、CO2問題など全く関係のない生活をしているのだが、
北の中国・南のインドでは工業地帯から膨大なCO2を排出している。
間に挟まれたネパールではレンガ工場から「煙」が消え、電気炉による生産方法にシフトしていると聞く。
なのに、なのにである。

日本では「原発問題」が最優先の課題となっているが、
100年近く遅れた文明のネパールでも否応なしに天候不順は襲い掛かってくる。

誰がこの保障をするのだろうか?
誰も何もしない。
人類が、自滅の道を歩んでいるのに過ぎない。

当のネパール人たちには「何の影響」なのか全く分かっていない。
ただ「神」の仕業?と考えているのだろうか?
今も、ガス(霧)の中でこれを書いている。


さて、前回に引き続きトゥロパカル村での小学校の報告をお伝えする。
朝6:30「チャだよ」と言う声で目が覚める。
今日は、10時からの式典の予定であり、その前には何と言って仕事はない。

「こんなに早く起きても?」と思いながら「のそのそ」と寝袋から這い出して1階のダイニング?に行くと、
熱々のミルクが用意されていて、ゴザの上に座りミルクをいただく。

田舎では一般的な家の作りで、1階が家畜(ヤギと鶏)の寝室?と「いろり」があり、そこでミルクを沸かしていた。
ただ、「マキ」で火を起こしているため、ただでさえ低い天井の半分ほどが「煙」で曇っていて、
中腰で歩くと「眼が痛い」ため、かなりかがんでムシロまで辿りつかねばならない。

まだ、顔も洗っていない。
ステンレスのコップで飲むミルクはなかなか「熱くて」飲めないため、少し冷ましてから飲む。

ネパールの人々は、熱いミルクも空気半分ミルク半分を一緒に飲むため「ズーズー」と音をたてて飲むのが通常である。
2杯のミルクをいただき、洗面具を取りに2階へ行くと、昨晩、私の寝ていたベッド?の下に
「米や豆」が置いてあり、お母さんが朝食用の米を取り出しているところであった。

昨日この家にご厄介になった時に「新顔」の女性がいたが、彼女はここの次男の「お嫁さん」との事。
年は19歳。
次男はカトマンドウに働きに行っていて留守。25歳くらい。
ただ、昨晩もミナとお母さんが長々と話していたのは、姑の「愚痴」で、
彼女は持参金も少なく働かないと言った「何処でも同じ愚痴内容」である事をミナが教えてくれた。

私とミナと水出さんの3人が、10時ごろゆっくりと学校に向かい式典の準備の出来ている校庭?に行くと、
3人の席が準備されていて、前のテーブルには以前準備しておいた「かばん・ノート・鉛筆・鉛筆削り・
スリッパ・制服」が所狭しと並べられていた。

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子供たちや先生から「おはようございます」と挨拶され「ビックリ」。
今年雨季に3週間ほど「日本語」の先生をして帰られた「恵子さん」のお陰である。
感謝しきりである。
先生が子供の名前を呼んで一人づつ前に出てきて「ナマステ」と言って受け取る。

IMG_2547.jpg
IMG_2574.jpg

それが終わって、お茶とビスケットを食べて午後1時少し前に出発。
途中バスの中は満席で通路に座るも、かなり揺れが激しく、
椅子に頭をぶつけたり、柱にぶつけたりで悪戦苦闘の帰りのバスであった。

夕方、薄暗くなってからやっと我が家「銀杏旅館」に着き「ほっと一息」、
早速日本のカレーを作る準備にかかり、午後6:30ごろやっと夕食にありついた。

次回トゥロパカルに行く時(12月~1月にかけて)には、子供の衣類を持っていく予定である。
しかし、35Kgの荷物はかなりこたえる。
なぜなら、自分たちの食料や寝袋の他の荷物となるため「ジープ」での行動にならざるを得ない。




ネパールの習慣: 怒りやすいネパール人。
今回は、極めて短気な民族である彼らについてお伝えしたい。
村では1KMほど離れていても、人を呼ぶ声は届く。
「お~い太郎!」と言った具合である。
呼ばれた方でも「ハジュ~:は~い」と返事を返す。
これが村全体に聞こえるから面白い。
夕食時、子供が遊びに行って帰らない時等、あちこちで呼び合うため、我々にはどの声が誰の声か分からない。
でも親子親族の声は聞き分けるから「凄い」。




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  1. 2011/11/16(水) 21:20:41|
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今期はじめてのトゥロパカル村へ(1)

11月8日(月) 天気:曇り 気温:18℃ 湿度:58%


今回は11月2日から3日にかけて訪れた支援先での活動についてお伝えしたい。
はじめに、ネパールに戻り約1ヶ月を経過したのは、ここでの「お祭り:ダサインとティハール」を避けるたで、
この期間は交通手段も困難なうえ、村の学校も休みであるために、
先生から「お祭りの後に」とのアドバイスにるものである。

11月2日(水)朝7時半に「銀杏旅館」を水出さんを含む3名(私とミナ)で出発、バネパまではローカルバで10分、
その後バラビシ行きのバスに乗り換え約2時間半でカリチョウールに到着。
ここで昼食(魚のフライとダルバート)をして、ジリ行きのバスに乗り換えトゥロパカルまで40分、
徒歩スター地点に着く。
バスに弱い「ミナ」の休憩もありお茶を飲んでからの出発とした。

この時、我々が何時もお世話になっているミナの叔父さんの家の子供が偶然にもそこに居あわせた。
聞けば、トゥロパカルでは5年生までのクラスしかないため、
毎日1時間をかけて別の10年生まである学校に通っているとの事。
考えてみれば、我々も(40年前)は同様で、1時間ほど歩いて中学校に通った事を思い起こした。

お世話になる家の子供と一緒に歩きはじめたが、彼らの歩く早さは我々が「小走り」しなければならないほど早い。
私のザックを持ってくれて、空身の私より早く歩く彼に脱帽である。
今回は子供の衣類は無く、前回(今年はじめ)選出した新たな10人の子供に、
学用品や制服を支給する事が目的である。
目的地までは徒歩で1時間ほどであるが、途中の村々を見ながらのハイキング?は結構楽しい。
(天気次第であるが・・)

天気は全体的に「曇り」で暑くなく、歩くのには絶好の日であった。
40分位歩いた所で子供が「車が来た!」と言って立ち止まると、遠くに確かに「白いトラック」が
こちらに向かって来るのが確認出来、「あれに乗るのか?」と尋ねると「そうだ、ここで待っていよう」と言って、
遊び始めた。

我々も「まぁ急ぐ旅でもないので」っと待つことにしたが約10分後、我々の前に来たトラックは木材を運び出すためのトラックで、我々の道とは少し違い高い所まで行くことが分かったが、「着いてから下ればいい」とそれに乗り込んだ。
車高の高い4WDのトタックである。
20分ほどで最終到達地点まで来て「ここで終点だ」と言われ降りたが、
トゥロパカル村はかなり下の方に点在していた。

15~20分ほど下り、やっと小学校の上にたどり着き学校の裏から現れた我々に、村人は「唖然」。
道を間違えたのか?と言われ、ミナが「トラックの終点」まで乗ってきた。と伝え納得。

私にもはじめての道で、トゥロパカルを一望出来るこの場所は「高原の原っぱ」のようで、
サッカーが出来るほどの広い芝生地帯であった。
テントサイトには最適(水さえあれば)の場所になる。

学校に着いたのが午後1時10分ごろで、これから学用品の引渡しをする時間としては十分であるが、
肝心の子供たちが10人揃っていないとの事で「明日10時から」となった。
この日は、昨年事務局長一行が来た時の写真を大きく引き伸ばして「額」に入れて贈り物にし、
学校に政府から支給されたパソコンに多くの写真を入力してきた。
これで、何時でもそれぞれの写真が見られる。

明日の予定を確認後、ミナの叔父さんの家から迎えに来た主人と一緒に宿泊先に向かい、
途中村人からの歓迎?「ナマステ!」の挨拶を聞きながら家に到着。
早速、お母さんがミルクティーを作ってくれて、何杯もお代わりをしてお腹もいっぱいになったころ、
夕食の準備が始まった。

今日は私たちが来る途中で購入した「インゲン・カリフラワー・トマト・じゃがいも・キャベツ」などを使った
ダルバートで、トピーと言われる米の粉にマサラを混ぜたものを「とろみ」を出すのに入れるのが特徴的であった。
これが結構美味い。
2杯ほどお代わりをして「満腹」となり、「ゆっくりとした時」の流れを楽しんでいた。
そろそろ、薄暗くなってきたころ「眠いから」と言ってベッドルームに引き上げ、
バスの疲れか「どっと深い眠り」についた。

(2)に続く。




ネパールの習慣:最近の若い男女の間では、スニーカーの紐を「足首」に巻くのが「現代風」なのかは分からない。
一人の男性に聞いてみると「ファッション」だと答えてくれた。何とも「面白い」結び方である。


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  1. 2011/11/08(火) 08:26:50|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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