ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

なぜこんなに、薄っぺらな人間関係?

8月13日(土)天気:雲の中後晴れ 気温:21℃ 湿度:65%


いつもここを発つ時に思う事は「異次元の世界?」からの脱出に似た思いである。

この地球には多種多様な民族が居る。
地を這って生きている人や、何億円もする豪邸に一人だけ「ぽつん」と生活している人も居る。
人は元来一人では生きられない生き物である。

例えば、お金持ちが全て整った「月」へ移住して一人で暮らせるかとなると、まず不可能である。
そこには人との会話が無いからである。

「人間関係」を無視しては生きられないのである。
なのに、現代社会においては、その「人間関係」が脅かされ、
誰一人信用出来ない社会になろうとしているのではないだろうか?
例え家族でも・・・・

これは相手が悪いわけではない。
自分自身の問題であると知るべきである。

例えば、スキーをやった事のある方ならご存知であろう。
回転する際の重心の移し変えである。
左足から右足に、右足から左足に重心移動する際の、ある種の「勇気」である。
慣れれば何の問題も無い。
しかし、心の問題となると違うと言われる方もあろうが、「勇気」が必要な事は同じである。
騙されるのでは?突き落とされるのでは?などと心配ばかりが先行して、
有意義な「人間関係」が築けないで居る。

騙されても良いではないか。
突き落とされても良いではないか。
傷ついても良いではないか。
また初めから出直せば良いではないか。
ここネパールでは何時もこの心境である。


つい先日も立派な紳士が「明日の夕方4時ごろにお邪魔する」と電話で言ってきた。
私は「OK待っています」と答えて電話を切った。
しかし翌日の午後4時を過ぎても何も連絡が無い。
2時間が4時間待っても来ない。(私も電話しない)

2~3日後に「元気ですか?」と電話が入り「元気です」と答えると、
今度は「3日後に行く:ポルシーザンツー」と言う。
今度もまた「OK待っています」と答えたが、何の連絡もないまま、また3日が過ぎた。

結果10日後、今度は「いきなり我が家」に尋ねて来た。
笑顔を作り出迎え「硬い握手」をして「マンゴーラッシー」を飲みながら話を進める。

しかし、ここではこんな事は普通である。
つまり当たり前の事なのである。
もちろん「遅れたお詫び」などあるはずも無い。

ここはネパールである。「だから決して怒らない。」
ここで「約束:プロミス」は無い事を、嫌と言うほど味わってきた。

だからここの人には「真の友人」は存在しないのである。
この事をネパール人に話した事があるが、彼らには「解らない」「友人関係」であった。

因みにネパール語で友人の事を「サティー」と言う。
ここで言う「サティー」とは正に「薄っぺらな人間関係」を意味していて、
一度話しただけでも「サティー」になり得る。

日本でもこの程度の「人間関係」なのだろうか?
親兄弟の間だけが「信頼」に値する存在なのである。

もちろん、「利害関係」は存在する。
「利害関係」しか彼らを一定の仕事の方向へ向ける事は出来ない。
彼らに「奉仕」の考えは無いのである。

ここまで言い切ると誤解があるかもしれないが、10万人いや50万人に一人くらいは、
ネパール人にも「奉仕」の精神がある事も付け加えておく。

しかし日本は違う。
まず「相手を信用」する事から、「初めて人間関係」に発展する路線に乗る事が出来るのである。
これを「相手は敵」とした考え方では良好な「人間関係」どころか諍いや口論ついには喧嘩にまでなりかねない。

具体的には、涙ながらに自分の苦境を訴え、友人が手を差し伸べてくれた事のある人はいるのか?
現代社会において「友だち」と名の付く人は数え切れないほど居ると思うが、
過去にその友だちが涙ながらに貴方・貴女に自分の苦境を訴え、
それに貴方・貴女は手を差し伸べた事がどれくらいあるのか?

仮に過去、10人の友だちに手を差し伸べ相談にのり、
考え方や進む方向を示して相手が救われた事があれば、
その内の一人は貴方・貴女の訴えを真剣に聞き、手を差伸べてくれるはずである。

でも、たった1人である。
それが「真の友人」となり得る。
それが「人生の宝」でもある。

たった一人でも「真の友人」であれば十分である。
まずは「相手の立場」で同じ物事を一緒に考える事である。


4人5人の友だちと一緒の部屋に居ても、それぞれが異なる遊びをして、会話もないまま帰って行く。
何のために集まっているのか分からない。
今の友人関係?とはこんな程度なのか?
何とも情けない限りである。

ただ、「何となく一緒にいれば安心する」程度の友だち?であれば、それは「親友」とは言わない。
「連れ:つれ」や「友だち」であって「親友」や「仲間」ではない。
それぞれが、お互いを認め合い・助け合ってこそ「親友であり、仲間」である。


では、なぜこうした「薄っぺら」な人間関係?しか出来ないのかと言えば、
「相手と一定の距離」を保っての「連れ」しか望まない風潮が現代社会にはある。
自分の苦労だけで手一杯で、他人の苦労まで干渉す余裕が無い。
これが本音であろう。

これでは「真の友人・仲間」は出来ない。寂しい限りである。
もっと相手を知るべきである。
もっと自分をさらけ出す(裸になる)べきである。
人生とは「真の友人」を見つける「旅」でもある。


今回はここに居て何時も感じている事を記載したが、まだまだ不十分であることは否めない。
今年は、ここを去る時に「愚痴」になってしまったが、許していただきたい。

次回は日本からの「ネパール通信」となる。


朝焼け前のマチャプチャレ
朝焼け前のマチャプチャレ



ネパールの習慣: 今回も割愛させていただく。



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  1. 2011/08/14(日) 17:06:33|
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2011活動総括

8月4日(木)天気:雲の中 気温:24℃ 湿度:63%


~はじめに、このたびの3・11東日本大震災において、被災された方々に対し、
 遠くネパールの地からではありますが、心からご冥福をお祈りすると共に、お悔やみを申し上げます。~



9月5日にネパールを出国するにあたり、昨年10月以降の活動の総括をお伝えしたい。

【活動全般】
ラムチェ村に一応の区切りを付け、一昨年から取り組んだトゥロパカル村では、
小学校・中学校がそれぞれ分かれていて、小学校の生徒数は定まっていないと言うのが現実である。

当初、予算との兼ね合いから18名の子供を支援する事にしたが、直ぐに11名の追加、さらに昨年暮れに
10名と、合計39名の支援となった。

昨年はマオイストとのトラブルもあり、思うように仕事が進まなかったが、
学校の修復と共に39名の子供たちに学校へ通ってもらえた事は評価したい。

事務局長と一緒に福井の山口さんご夫妻と弟さん、さらに由美さんが来られ、賑やかにトゥロパカル村を
訪問出来た事は、多くの方々に活動内容を知っていただくのに、最善の方法かと考えている。

今後も多くの皆さんがトゥロパカル村を訪問され、山村の生活実態を知ってもらう事が出来れば幸いである。

年をまたいで、2名の日本女性(まりなさん・恵子さん)がトゥロパカル村を訪れ、
村人並びに子ども達との友好が図れた事も付け加えておく。

また、今回はトレッキングをメインに来られた大井さんご夫妻の来訪もあり、シーズン中は結構な賑わいであった。

他に1名の女性(ちひろさん)が「銀杏旅館」に1週間ほど滞在された。
彼女は東南アジアからインドへ到着され、滞在していた時の疲れか体調が悪く、私がカトマンドウで見つけて
休養のため「銀杏旅館」に連れてきた。
彼女は大学で「哲学」を勉強されているが、1年休学して「旅」をしているとの事。
1週間後、元気に陸路で再びインド経由ヨーロッパへと旅立って行かれた。

さらに、我が家の近郊(カトマンドウ・バクタプル・ドゥリュケル)で活動されている
「JICA」のみなさんも時折「銀杏旅館」に来られ「骨休め」。

久しぶりの日本食やDVD鑑賞・村の散策をされて帰っていかれる。
銀杏旅館からの景色だけでも、結構安らぎを感じて帰って行かれる方も多い。

彼らの活動は、ネパール国民の「生活向上」のために大切な仕事の数々であり、
「銀杏旅館」が彼らの活動の潤滑剤の役目を担えれば幸いである。

学校からの要求に「日本語の教師」を派遣して欲しい旨連絡を受けていたが、
長期間の村での生活を強いる事となるため、なかなか見つける事が出来なかった。

しかし、名古屋の(一宮)女性(恵子さん)がわざわざ「銀杏旅館」を探して尋ねてきてくれ、
長期の講師を引き受けていただいた。

5月29日から3週間の予定で、トゥロパカル村へ行ってもらえた事は正に幸運であった。
彼女は学校から「感謝状」を頂いてきて「大切に日本に持って帰る」との事。

一方自立支援の方はと言うと、2ヶ月ほど前からカーペット織り機の調査をしていて、
1台1万Rsほどで購入出来る。
作った製品は1枚が約1ヶ月ほどで出来、4000~6000Rsで売りたいが、販売先については未定である。
(因みに同サイズのもが最低7000Rsでカトマンドウのカーペットショップで販売されている:日本では2万円以上)

これを村人に貸し与えカーペットを織りを練習後、カーペットを織り、カトマンドウに売りに行く仕組みを作っているところである。また、別なルートでの販売も検討している。


【次期支援先の情況】
チョウタラ村の村長さんからは何度も来村の催促の電話があり、先般2泊3日の日程で訪れ、村と小学校を視察。
ここも貧困家庭が多く、小さな子どもたち(小学生)が畑で遊んでいる姿が目に付く。
村の子どもの50%近くが、登校拒否または親が行かせていない。
特に女の子の就学率が極めて悪い村である。

来年になれば、トゥロパカルの子どもの内18人は支援対象から外れるため、
その人数はチョウタラで支援が可能になる。
しかし、学校に通ってくれるかどうかは、これからの話し合いである。

ダサインの後で伺う事を約束して帰ってきたが、まだどんな形での支援が出来るのか模索中である。
現場での話し合いの後、進めて行きたい。
「どこまで続くぬかるみぞ」である。

ネパールの山岳民族は、総じて貧困そのものであると言える。
貧困の中でも「田んぼ」のある村人と小作人の村人では貧富に差が生じるのは仕方のない現実である。
しかし「驚くほど貧しい」
家財道具は、家族で担いで行かれる程度しかない。
これでテントでもあれば何時でも引越しが可能である。
でも「美しい自然」


【子どもの考え、親の考え】

子どもたちは、そんな山での生活から抜け出す事を考えているのである。
具体的にはカトマンドウや大都市である。
現実にはなかなか生活は難しく、多くの子どもたちがタメール地区(外国人用の繁華街)に溢れ、
路上生活をしているのを目にする。

先日も街の中で、ラムチェ村から逃げ出した子どもを見かけ村へ帰るようにミナが話したが
「親が認めている」との事。
何たる事だ!
親も産児制限など無視して、生まれた子どもに仕事を強いる。
仕事が無ければ、近所の家で食事をさせてもらうよう勧める。

街で「間借生活」をする人々も多いが、借りている部屋が狭すぎるため、(日本の六畳間程度の広さで7~9人が寝泊りする)そのため、2~3人は何時も友人の家を転々として居候して回る。

子どもを捨てる?親も見かける。
つまり、育児放棄である。
この場合、子どもが子どもを背負い「お腹を空かせて」近所の家々を回り食事にありつくよう努力をするが、
3食?まともに食べる事は無い。
悲惨!の一言。

何時も下痢の状態で「やせ細っている」。こうした子どもが街に逃げ出す。
バス代も持たず、「無賃乗車」である。
時にはトラックで、時にはバスや徒歩で街に向かう。

その子は4年生で、まだまだこれから大切な時期を迎える年齢であるが満足に食事すら出来ず、
路上生活を続けている。

カトマンドウに行く度に会うので、(彼が追いかけてくる事もある)時々は20Rsか30Rsを与えてくるが
「砂漠に水の如し:何も成らない」である。

でも与えてしまうのは「顔見知り」と言う一点だけである。
「顔見知り」でなければ絶対に渡さない。
何とも後味の悪い「ドネーション」である。

やりきれない思いと悲壮感が混ざり合った気持ちを今もなお、整理出来ずに引きずっている。
我々には何も出来ないだけに 「辛い」の一言である。

でも、学校に通ってくれている子どもたちは「元気そのもの」
何時でも訪問者の心を「笑顔で洗い流して」くれる。


【費用対効果】
この1年の費用対効果を考えれば、極めて効率の悪い活動であった。
しかし、こうした活動に費用対効果を求めるのは、極めて疑問に思う。

時には全く効果がない場合もあり、時には村人自らが動いてくれる場合もあり、
そこに「ある種の信頼関係に似た感情」が見出せれば成功ではないのだろうか?



【活動の姿勢】

ただただ、村人の手助けになれれば「良し」としたい。
例え、利用されたとしても、嫉妬されたとしても・・・・・

「村人との話し合い」を最優先し、彼らの要求を聞く事からはじめている。
時に騙され、時にはいやな陰口を耳にしても、この考え方は今後も同様である。
決して、お仕着せでは「活動にならない」事を知っているつもりである。

私たちの活動は、彼ら(村人)が立ち上がる時に一緒に「荷?」を担いでやる事と同じだと理解している。
我々だけで「荷?」を担ぐ事はない。




{Om Namah} _
「 オーム」
~オームとは「全宇宙の全ての均衡を司る真理」であると理解している~



ネパールの習慣: 今回も割愛させていただく。




  1. 2011/08/04(木) 16:27:59|
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再び「出稼ぎ事情」

7月31日(日)天気:雨 気温:21℃ 湿度:63%


最近の天候はほとんど毎日雨が降っている。
しかし、2時間もすれば雲は切れてきて太陽が顔を出すといった天気で、日本のような蒸し暑さは全く無く、
日中はちょうどいい気温であるが、朝晩は少し寒いくらいである。


今回は以前にもお伝えした「外国への出稼ぎ事情」について、もう少し掘り下げてお伝えしたい。
ネパール人の出稼ぎに行く訳は、ここでは「仕事」がない事である。
日本のような求人倍率?と言ったものの考え方は、昔(鎖国時代を含め)から無い、と言うより
働く場が無さ過ぎるのである。
言い換えれば、商工業といったものが極めて少ないのである。

ではなぜ?発展しないのかと言えば、需要がないからで、その需要はお金が無ければ出てこない。
一時的な借り入れでなく、何十年も定期的に入る収入が必要である。
現金収入の殆ど無いネパールの山村では、欲しくとも買えないのが現実である。
もちろん、生活必需品のようなもの例えば食品や衣類、建築材料などは需要がある。
でも、一次産業つまり野菜・穀物・果実と言ったものを除き殆どが輸入である。
(例外的にレンガやセメントは工場がある)

多くは中国やインド・タイ・韓国などで、一番多いのが中国製品である。
なぜ中国製品が多いのかと言えば「格安・隣国」である事が一番の理由で
インド・韓国製品は3割~5割ほど高い。
中国製品は極めて粗悪品が多く、ネパール人でさえ中国製品を馬鹿にしている。
(アジャ ツァー ボリ ツァイナ:今日は動いても明日は動かない)と言った具合である。
腕時計などは100Rs:120円程度から在る。
日本の、今は無くなった「昔の夜店」で売られていた程度の品質である。
これは全ての製品に言える。

鎖国以降、多くの子どもたちが(街に住む)学校に通いはじめ、政府もそれを奨励してきた。
しかし、高校や大学を卒業しても就職先が無い。
だから、20代30代の若者が男性女性を問わず、外国へ出稼ぎに出て行く事になる。
出稼ぎ先はアジアはじめヨーロッパ各地、さらに中東やアメリカと言った世界中に及んでいるが、
やはりアジアが一番多い。
最もお金になる出稼ぎ先は、戦時下における国々であろう。
つまり、「軍隊」である。
軍の最前線で銃を持つ仕事から、コックや門番や清掃などもある。
しかし多くは平穏な国々への出稼ぎである。

ここで考える事は、自給率である。
一次産業製品つまり、農作物などを除き殆どを輸入しているネパールでは、
輸入が止まれば国が成り立たないほど輸入に頼りきっている。
穀物・野菜・果物もインドや中国から輸入しているものも多くあるが、これは陸続きであり
弱い国と言う政治的背景や立地条件が、双方の需要と供給を図っていると言うのが正直なところであろう。

インド人とネパール人は、どちらも相手の国に行くのにビザは必要としない。
しかし、ネパールルピーはインドでは使えないが、インドルピーはネパールで換金せず、そのまま使っている。
これでネパールの経済が成り立つのだろうか?

インドルピーには「偽札」が多い事もあり、我々から見れば「国を乗っ取られる?」事など、
ネパールの誰も心配していないのは、インドの政治圧力なのだろうか?
不思議な国?である。

ネパール人は、中国へもノンビザで出入り出来る。(コダリからガサまでだが:別名密輸街道である)
そんな国になった訳は、「長い間の鎖国政策」による文明との乖離が一因であろうか?
それとも数多くあるカーストのせいなのだろうか?
ここのカーストの違いは日本人とアメリカ人ほどの違いがあり、全てのカーストは生活習慣から言葉まで違い、
当然考え方も違っている。

細かく分ければ100以上の民族が一つの国「ネパール」に居ると言うのが実態である。
今の海外出稼ぎ者たちが、国内で働ける工場や事務所・商店などが必要なのだが、
働く場を如何に作り出すかがネパール政府の課題であろう。
でないと、優秀な国民は全て海外に流れ出てしまう。




ネパールの習慣: 今回は割愛させていただく。





  1. 2011/08/01(月) 14:40:39|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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