ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

ごめんなさい!私がやりました。

晴れと雨の日 006

5月1日(日)天気:快晴 気温:22℃ 湿度:59%



今回はネパール人の性格?マインドの一部である、

失敗した時の「言葉」についてお伝えしたい。



ここネパールに通いはじめて40数年、今だ聞い

た事のない「ごめんなさい、私がやりました。」と

言う謝罪の言葉。



我が家でも街でも村でも同じである。

一昨年ベルギーの仲間のフランソワーズさんが、

カトマンドウの街から支援先の孤児院(ソワイアン

ブナート近くの)へ行く時、歩行していた彼女にボ

ーターバイクがハンドルを引っ掛けた。

彼女もモーターバイクも転んで彼女は「打撲と擦り

傷」を受けたが、ドライバーは「私は悪くない」彼女

がハンドルの近くに寄って来て引っ掛かり転んだ。

「私は悪くない」の繰り返しであった。

これには彼女も怒りを隠せず「彼方が私を引っ掛

けた」と主張。

結局、「水掛け論」に終わり、我が家に帰って来た

ときには「もうネパールは嫌!」と沈みがちになり、

傷付いた身体を食事もとらずベッドに横たえた。



我が家でも同様の問題は何時も起こっている。

今日も「キッチンのガラス」が割れていたので、「何

時割れたのか?」とミナとパトネちゃんに聞いたが

「ターツアイナ:知らない」の一手張りであった。

二人を前に座らせ「私はガラスを割った事を、怒

っているのではない。」

「何時壊れたのか?」と聞いているのだ。

と言っても「ターツアイナ:知らない」の言葉が返っ

てくるだけである。



電気器具にしても、いざ使おうとすると「動かない」

事が多い。

だから何時も点検を怠らないよう注意している始

末である。

人の見ていない時に起こった失敗は「絶対に言わ

ない、報告しない」のがここネパール人の考え方

である。



せめて我が家だけでもと思い、こうした問題が起こ

った時には、「教育」をしているのが現実である。

この「躾け」は共に生活すれば特に必要な事である

が、別々に生活していても同様に必用な事である。

支援先の村でも同じような事がしばしばある。



先日トゥロパカル村へ行った時には、小型のタクシ

ーで出かけたが、学校の校庭へ駐車して1時間もし

ないうちにドライバーがフェンダーミラーを手に持っ

て「誰がやった!」と怒って、子供たちのところへ来た。

しかし、答えは同じ「ターツアィナ:知らない」である。

人が見ていても同じである。「ちょっと触ったら壊れた」

というだけで、「誰かが、私の前に壊した。」と言う

だけである。

決して「私がやった、ごめんなさい」の言葉はない。

情けないやらやりきれないやら、幼児と暮しているの

と同じである。



ネパールの習慣: 最近久々にバンダが実施された。

約半年振りの4月27日である。実施理由は「憲法制

定が遅い、早く実施せよ」とネワール族を中心に2~3

の民族が実施したものである。ネパール全土で実施

され、カトマンドウは言うに及ばずポカラやタライなど

でも実施された。

車は全てストップし、国民全員が移動手段を徒歩か

自転車に頼る事になる。

しかし、ここネパールでは憲法なるものが制定される

のは、利権を持つ者にとっては「面倒」な事この上ない。

自由に利益を得ていた者(お金持ち)にとっては極め

て有害な決まりであろう。

何時制定出来るのかは、「神のみぞ知る」である。

(余談)先月4月のカレンダーの曜日と7月のカレン

ダーの曜日は毎年同じである事を最近「単行本」で

知った。多分みなさんは随分何年も前にご存知であ

ったろうが、私には「驚き」であった。

*写真は、銀杏旅館からの眺め
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  1. 2011/04/30(土) 23:49:07|
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雨期前のトゥロパカルへ

4月17・8日のトゥロパカル 031

4月21日(木)天気:快晴 気温:20℃ 湿度:40%



今回は2年目を迎えるトゥロパカル村での支援活動を

お伝えしたい。

今回の目的は、前回学校からの要求であった「学校の

置き薬」と「子供の衣類約20Kg」を届け、10人の新た

な子供の学校へ行くための諸作業をする事の懇談会

(学校にて)にあった。

懇談会は、今後如何にして子供を自分のお金で学校

に通わせるのかを話し合うものである。

17日(日)午前7:30我が家を出発。途中カリチョール

にてチョッパル(ゴムゾウリ)と我々の食べる食材を購

入して「腹ごしらえ:魚のダリバート」を食べてからエベ

レスト街道へと向かった。

我が家からは、トゥロパカルまでは車で2時間半ほど

で到着した。

ノートの1600冊はかなり重い。

食料や医療品(血圧計を含む)と学用品を積み込ん

だ車は、山道をあえぎながら登って行った。(ジープ

なら問題なが、途中で車を押す事になった。)

学校に着く15分くらい前からトゥロパカルの子供たち

が迎えに来ていて、一緒に車を押してくれた。

到着前には子供たち全員が両側に並び、私たちを

迎えてくれた。

はじめに「お茶」を出してくれ、今まで支援してきた子

供たちが中央に並び、新たな支援児童が最前列に

10人並んだ。

39名の児童数は以前のラムチェ村とほぼ同数である。

10人の児童の写真を撮ってから、持って来た衣類の

配布になったが、これが大変な作業で一人ひとりに合

わせながらの配布に子供たち全員が一列に並び、先

生から名前を呼ばれると教室の中に入って来て先生

に衣類を着せて持て貰い、キャンデーを受け取って出

て行く。

はじめに支援している子供、次にその他の子供さらに

学校に来ていない小さな子供まで全てである。

これが100人を超える子供たちだから時間が掛かり、

中には先生の選んだTシャツが気に入らないのか、頭

を横に振って違うのにして欲しいと言う子供も居て、思

うように進まない。

2時間半ほどしてやっと配布が終わり、医薬品の説明

となったが、薬には「親切」に何の薬で朝昼晩どんな間

隔で飲むのかが書いてある。(マジックインクで)

血圧計については、扱い方を熟知した先生が居て難な

く理解たが、小さい「はさみ」や先の曲がった「はさみ」

の使い方が分らないと言い聞いてきた。

先の曲がった「はさみは」皮膚など汚れた部分を除去

するもので真っ直ぐには切れない事から、使えるかど

うか心配であったが、よくよく説明してやっと理解でき

たようであった。

一通りの説明を終え、時計を見れば既に午後6時近

くになっていて父兄との懇談会はあくる日に持ち越した。

さて翌朝、予定の7時に学校へ行ってみると、まだ誰も

来ていないばかりか、1時間ほど待ったが集まって来

ない。

どうしてか?と校長先生に尋ねると「昨夜お婆さんが

亡くなった」との事。

止む無く買い込んだお菓子や果物・お茶に砂糖を学

校に預けて岐路についた。

カリチョールでは10人分の制服の布地とスリッパを

購入し、一緒に来ていた先生に学校まで運んでもら

うこととした。

子供たちへの配布は5月中旬ごろ(新学期前)にした。

この時、再度訪れる事を約束して先生と別れる。

途中でドゥリケルの野菜市場で無くなっている野菜を

買い、午後5時半ごろ帰宅。

この時期太陽はまだまだ高く、夕方6時半ごろまでは

明るい。

  1. 2011/04/30(土) 18:23:07|
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ネパールにおける出稼ぎ状況

3月29火(火)天気:晴れ 気温:20℃ 湿度」55%



今回は、ここの出稼ぎ(海外)についてお知らせしたい。

約15万人の人々が海外に出稼ぎに行っている。

行き先は中東の殆どの国々さらに日本・韓国・中国を

はじめとする東南アジアまたヨーロッパ各国に行って

いる。

イラン・イラクと言った危険な国にも派遣、実際に軍隊

にも派遣されている。

少し前にも、我が家の隣の家の若い男性(22歳)が

アフガニスタンに派遣されたが、バーレンで「足止め」

され(戦闘が激しくなったため)、出稼ぎに行けず近々

で帰ってくるとの事である。

彼は軍隊のコックとして、出稼ぎに行く予定であったが

断念。

この場合、往復の航空運賃や待機していた時の約1ヶ

月間の宿泊料や食事代などは個人負担であるため、

帰国の際返さなければならない。

従って、彼は約1ヶ月のバーレン旅行?に行っただけ

に終わった。

彼にはお金持ちのお父さんが居て、出稼ぎに行く費用

を出してくれたので負債は残らないが、通常の人々は

借金をして出かけるため大きな負債がのしかかって来

る。

軍隊で実際に機関銃を持ち戦うネパール人も居る。

一人のネパール人(アメリカの軍隊に派遣された人)に

聞いた、「もし戦闘になり、鉄砲の弾が飛んできたら戦

うのか?」彼は「一目散に逃げる」と即座に答えた。

これがアメリカのアフガン・パキスタン戦争の実態である。

カトマンドウのパシュパティナートには立派な「棺」に入れ

られた「派遣戦士」の遺体が頻繁に運び込まれて来ていた。

通常の人は棺を使わないから凄く目立つ。

しかし給料は群を抜いて高く、月当り約3000ドルである。

通常の仕事の場合には700ドル~750ドルで生活費を

抜くと毎月100~200ドル程度が手元にのこるだけであ

る。

多い人でも毎月500ドル程度が手元に残るお金である。

これを3年間ほど貯めて、母国ネパールに送金するので

ある。

昨今の観光客不足からネパールの外貨は、観光事業か

ら出稼ぎ先から送られてくる外貨の方が多くなった事は

事実である。

こうした海外への出稼ぎ労働者はここ15年ほど前から

急激に増え冒頭に記載した数字になった。



20年ほど前にはネパールは観光事業でしか外貨を得る

方法が無かった。

しかし、それが「出稼ぎ」に頼るようになっては、この国自

体「根無し草」のような、テンポラリーな収入に頼るより他

無いのが現実である。

何ともしがたい。

因みに、今年2011年はネパール観光年でもあるのだが?

  1. 2011/04/30(土) 17:58:34|
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ネパールに於けるエネルギー事情

3月19日ホーリー祭 007
3月21日(祝)天気:星空 気温:16℃ 湿度:55%



今回は少し早く「ネパール通信」の配信としたのは、

日本の現状を踏まえて、ここでの電気・ガソリン・ガ

スと言ったエネルギーの利用状況についてお伝えし

たいからである。



ここネパールのエネルギー事情は良いとは言え

ない。

しかし、参考になればと考えお伝えするのである。

金額は全て3月19日現在の価格である。

火力発電や原子力発電などと言うものはなく、水

力発電のみである。

従って、乾期になれば電力は低下するのは当然

であり、人々も十分認識している。(10~3月は

殆ど雨が降らない)

エネルギーだけの情報では理解できないため、

生活費全体から総合的に理解していただきたい。

勿論、ガソリンや石油・プロパンガスなどは全て

輸入(インドからの)している。



我が家の場合、電気器具とは各部屋にある蛍光灯

(2~4個)と冷蔵庫が二つオーブントースター・テレ

ビ・パソコン(ラップトップ)水ポンプである。(洗濯機

もあるが使っていない)月当たり450Rs~500Rsの

電気代である。   

(10円=8.7Rs)

プロパンガスは3本持っているが1本で約50日は使

える。

1本が1325Rs。(通常3人での生活:私・ミナ・パトネ)

パトネちゃんは我が家から高校へ通っている。

彼の費用は(学費や交通費に制服は私が負担)年間

約3万Rsと彼の食費であるが、彼は家のいろいろな

修理やお使いなどをやってくれ我が家のセキュリティ

ーも兼ねている。

電話代は結構頻繁にラムチェ村(ミナの家族との交信)

へ掛けるが毎月500Rsもあれば足りる。

当初(家を作る時)バイオガスを作ってはとの案もあっ

たが人数的に原材料(糞尿)が足りないことが分り断念。



現在1日平均8時間の通電である。



貯水するのは深夜のため、通電している時間に水を

ポンプアップしておく。(深夜の作業であるため、枕元

にスイッチを設置してある)

停電の時間帯は添付資料を参照願いたい。

(記載の時間帯が停電である)

シャワーのお湯はソーラでの湯沸しであり、電灯を使

う夜のためにインバーター(充電器)の蛍光灯が2つ

あり、これで夜の食事の時間帯や団らんの時を過ごす。

一つで約2時間半は点灯できる。

参考までに自家製のキャンドル(ガラスのコップに

仕込んだ、芯の太い蝋燭である)もあり、結構明る

い。

通常の蝋燭を削り、「かんなくず状」にしたものをガ

ラスコップに一杯入れ、沸騰したお湯(コップの半

分くらいの水量)

の中に入れ弱火にして約30分で完全に液体化す

る。

火を止めて、そこへ芯を入れてコップに割り箸で

芯を固定すれば、後は自然に冷却し固まるまで待

つ。(約1時間)

この時、お湯から出さないのが「こつ」である。(芯

の周りが凹むから)

利点は持ち運びに便利で、蝋が無くなるまで無駄

なく使える。

日本の生活は「明るすぎる」のではと考える。

しかし事務所などでは別である。



水は山からの沸きし水を500ℓタンクに集め深夜汲み

上げているため、水代は無料である。

ここの水がカトマンドウや町で「ミネラルウオーター」と

して1本15~20Rsで販売されている。(我が家の近く

にこの工場がある)

昼間は太陽の下で「日向ぼっこ」をしながら読書や勉

強をするのが日課である。

娯楽の極めて少ないネパールではテレビは最大

の娯楽であるが、停電の時は諦めて「お話」で寝

るまでの時間を過ごす。

だから、夕食は午後7時には終わっていて、後は

団らんの時間となる。

結構楽しい時間帯で歌を唄ったり、ネパールダン

スを見せてくれたりで全く退屈しない。楽しい中で

睡眠に付く。

一方ガソリンはと言うと日本の値段と殆ど変わらない。

1ℓ:95Rsで100Rsに近づく勢いである。

ここの物価からしては非常に高いと言わざるを得ない。

これは、車を持っている人のみの負担であるので当

方は関係ないが、バス代にも影響するため記載した。

(ガソリン代が上がると運賃も上がる)



後は食費と衣類や各種メンテナンス費用であるが、

僅かな値段(10~20Rs)で直してくれ、野菜類も1日

約100Rsで足りる。

衣類はと言うと中国製品が多く出回り、ユニクロより

安い価格で販売しているが、品質は粗悪である。

こんな毎日の繰り返しであるが、ご承知のようにここ

では「お祭り」が結構多い。

今日もホーリー(水掛祭り)で近所の子供たちが手

に手に水の入ったビニール袋を持ち投げてくる。

果てにはバケツを持って水を掛け合い、色を塗りあう。

こうした「お祭り」が娯楽でもある。

ここでの「太陽」は正に恵みの太陽である。

村人も「日向ぼっこ」私たちも「日向ぼっこ」の毎日で

ある。

多くの「単行本」が読める。

日本ではこうした時間はまず無理であろう。

仕事・仕事・仕事の毎日では「日向ぼっこ」など出来

るはずもない。

勿論、日照時間も少ない日本では物理的に無理で

ある。

ここでは、例え雨が降った日でも太陽が顔を出す。

日本のような1日中「雨」と言うのは極めて少ない。

精々2~3時間で暑い太陽が顔を出す。

だから洗濯物も「雨」が降っても取り込まないのが

普通である。

一つの部屋で蛍光灯を付けると、家族が集ま

っての団らんの場となるのが、ここでの生活パタ

ーンである。

各部屋に蛍光灯はあり、寝る前にそれぞれ別れるが、

それまでは一つの部屋での団らんである。

これが大切でもある。

添付写真は3月19日のホーリー祭での子供たちで、

水や色粉を付け合う「奇祭」である。(ネパール中で行われる)



ネパールの習慣: 家にある「ラジオ」についてお伝え

したい。

ネパール人のラジオを聴く時は家の外でも聞こえるほ

ど大きな音量で聞く。

私が一緒の時には「音を小さくしなさい!」と注意をす

るが、すぐに大きくする。自分が外に出て行く時にもス

イッチを切って行かない。

テレビでも同様である。困ったことであるが、なかなか

直らない。

  1. 2011/04/30(土) 17:56:10|
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物欲と諸行無常

2月17日のヒマラヤ 005
3月16日(水)天気:満天の星 気温:19℃ 湿度:52%



はじめに、東日本大震災・津波で被災された皆様に、

心からご冥福をお祈りすると共にお見舞い申し上げます。



さて、今回は日本人にとって「無くてはならない?」各種保険

について考えていただきたい。

日本国内に一体どれくらいの「保険の種類」があるのだろうか?

人が所有する全ての物や身体の全てに「保険がある」と言っ

ても過言ではない。

ではなぜそんなに保険が存在するかと言えば、「永遠の物の

形や身体に価値がある」とする考え方から、そうした商品が

存在するのである。

つまり、物が紛失・破損した時に、同じものが手に入る保険で

ある。



スキーに行ったり、旅行に行ったり、冒険に行ったり、自然災害

など日常生活での「憂い回避」の手段としての保険である。

ここネパールでは、一応保険会社はある。

しかし多くの人びとには無関係な商品でもある。

なぜなら、高価な品物と言った物を持たない人たち(ネパールの

山岳民族)にとって、その必要性が全くないのである。

女性の身に着けている貴金属(金製品)は現金と換金できるため

現金と同様で、お金に保険を掛ける考えは全く無い。

人の命でも然り、交通事故での「命の代償金」などは示談で決め

るが、殆どの山の民族の間では2万~5万Rs(25000~5500

0円)程度である。



アメリカほどの国でも、医療保険にも加入していない人々が数多く、

一端事故を起こすと、中流家庭の家でも破産する始末である。

これは、保障制度が不備なばかりか、「物の価値・人の価値」が

極端に高いために起こる問題でもある。

ここネパールでも2~5万Rsは相等に高い値段であるが、家族が

破産するほどではない。



賠償・保障で破産するとは、やはり何かがおかしいのである。



一つの事故が、家族全員の生命を奪うと言った事件は、日本の

社会だけではなく「先進諸国」の何処を見てもある。



人の「物欲」の、果てしない追及の果てに出来た保険制度で

もあるといえる。

ただ、責任が伴う保険の場合は別であろう。(既婚者の場合)

なぜなら、残された家族が生活に困らないために残すのであ

れば・・・・しかし、この金額が難しい。

一体幾ら必要なのだろう?

必要最小額とは幾らの事だろう?

だから現在出来る最大限の金額保障をと、考える事になる。

「悪循環」と言う言葉がよぎる。

ここで保険制度の是非論をするつもりは全くない。



一方、「諸行無常」と言う言葉を聞かれた方も多いと思う。

以前の「ネパール通信」で少し触れた事でもあり、仏教の根本思

想で三法印の一つ、「万物は常に変化して少しの間も留まら

ない。」(広辞苑)

つまり、万物は永遠の形は無く何時でも破損・紛失すると言うこと

である。と解釈する。

但し、「考え方や思い」は「自分が捨てない限り」そのままを持

続させる事ができるし、誰にも変えられない。

ここネパールでの生活の中で、「諸行無常」の現実を嫌というほど

見せ付けられてきただけに、私自身「物欲」に対する考え方が幾分

「和らいだ」と言える。



だから、今が厳しいから将来も厳しいかと言うと「常に変化して

留まらない」のであれば、また好転すると考えるべきである。

所詮、はだかで生まれ、はだかで黄泉の国(あの世)へ行く身

である。



自分に問う、黄泉の国に旅立つ前に何が残せたか?

子孫?不動産?お金?などなど・・・これが残すもの?

「自分の生きざま」が、後世の人々に少しでも助けになれば

・・・好しとしよう。

添付写真は我が家からの展望である。

ネパールの習慣: 結婚感についてお伝えしたい。

今日も近くの家で若者が結婚をする。

しかし、新郎に定職はなくただ毎日「ぶらぶら」しているだけである。

それでも「食べて行ける」から結婚するのである。

子供を作って労働力の確保をするのが、主たる目的である。

家があり、畑があればそれで十分と言う考え方である。

決まった現金収入は無くとも、時々ある日雇い仕事で得る現金で

生活するのである。

これが一般的な結婚する若者の考え方である。

何とも不安定な生活基盤と考える方も多いが、「お腹が減ったら

食べるお米と野菜」があれば十分と考えるネパール人と私たちと

は、生活水準に大きな隔たりがある。

  1. 2011/04/30(土) 17:49:07|
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シバラトリーとネパール人

3月6日(日)天気:満天の星空 気温:14℃ 湿度:46%



今回はシバラトリー(シバの誕生日3月2日)に合わせて

ポカラへ出向いた。



ネパールでは毎週のように各地で「お祭り」があると言って

も過言ではない。それくらい「お祭り」が多い国である。

中でもブッダやシバの誕生日には各地で盛大なお祭りが

開催される。

特にスワイブナートやパシュパティナートではそれぞれの

神の誕生日には盛大で、前夜祭からスタートする。



3月1日にはパシュパティナートで夕方から始まった祭典?

は深夜まで及び、前の大様(キング)も姿を出し、テレビカ

メラも多く取材陣の忙しそうな動きに圧倒される。



従ってネパールのテレビジョンは殆どがこの祭典の繰り返

しであった。(3月1日のネパールテレビの夜の番組)

ガンジャを吸っている修行僧や一般の老若男女の姿がテ

レビカメラに写しだされた。

ポカラでも各所で大きな焚き火?が焚かれ、中にサトウキ

ビの長いままのものを入れ、太く膨らんだあたりで取り出し

道路に叩きつけると「パン!」と大きな音を出す。

中国の「爆竹」と同じである。

しかし、ネパールではこれだけではなくシバ神はハッシシー

が大好き?で深夜に生まれた事からロキシー(地酒)やチ

ャン(発酵酒)にガンジャ(ハッシシー)を混ぜ飲み放題で

無料ときているから、お酒の飲める人にはたまらない行事

であろう。

でも、ガンジャが入っているため一般の旅行者にはある意

味「危険」である。

多くの観光客がこの日に「ぐでんぐでん」にされ、「気が付け

ば大切な物がない」何てこともしばしばである。



お祭りはこれくらいにして、ここの人たち(ネパール人)にと

って依頼された仕事に対する経過や結果報告なるものは

一切ないとしるべきである。

例えば、「この電化器具を直してきて欲しい」と依頼したと

すると、何時までたっても何の報告も無くそのままの状態

で放置してあり、疑問に思って「修理はどうなった?」と聞

くと初めて「今技術者が居ない」との答えが返ってくるしま

つである。

何回でも同じ事の繰り返しで、日本で言うところの「ほうれ

んそう」なる考え方はない。

だから、こちらから「聞く」以外に方法はないし、「怒って」も

無駄と悟るべきである。

でも、なかなか「悟れない」のも現実であり、「いらいら」が

募ってくると「怒る」ことになるが、何も前進しない。

これがネパールマインドである。

添付写真はポカラに於けるシバラトリーの様子である。



ネパールの習慣: カトマンドウから我が家のサンガまで

はローカルバスで45分ほどであるが、最近バクタプル近

郊の道が改修されスピード制限の道路標識(30K)はあ

るが、ここぞとばかりにスピードを出す。

制限速度は看板であって「守らねばならない」と言う感覚

は全く無いと言っても過言ではない。

従って、40~60Kmほどのスピードで走るため、「怖い」

と感じる。(今まではガタガタ道をのろりのろりと動いてい

たため)

運転手は例によって音楽を「ガンガン」鳴らしながらクラク

ションを思いっきり鳴らして「そこのけ・そこのけ」って感じ

で走る。

大きな事故は今のところ起きていない。

  1. 2011/04/30(土) 17:44:54|
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トゥロパカルⅡ

トゥロパカルⅡ 030
[トゥロパカルⅡ]の続きを読む
  1. 2011/04/30(土) 17:39:35|
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1月25日(火)天気:星空 気温:12℃ 湿度:60%



今までの人生で一体何人の人と出会い別れていった

のだろう。

別れとは「音信不通」と言う意味ではなく、連絡はある

が会えない人も含まれる。

現役時代には「仕事を通して」の出会いと趣味を通し

ての出会いがある。

仕事の関係での出会いは「退職」を機に無くなるが、

趣味を通しての出会いは、自分がその趣味を続けて

いる限り、一生続く。

しかし、この出会いは本人が意識するしないに関わら

ず現れる事がしばしばある。

誰かが何処かで「魔法の糸」を操っているかのようで

ある。

そして、その結果が「こんな偶然があるはずがない」

と思うほど、巧みな時間と空間を駆使して実現するの

である。

ほんの数秒の違いで出会えない人、またほんの数秒

の違いで出会う人。

神業としか言いようの無い「出会い」である。

ここネパールではこんな出会いが頻繁に実現してい

る。

決して過言ではない。

自分の必要とする人が直ぐ隣に来るから不思議であ

る。

つい最近もそんな出会いがあったばかりである。

神様・仏様・キリスト様・シバ神様・アッラーの神様、

全ての神仏の力が集中して成せる業である。

偶然とはそんな神仏の「仕業?」なのかもしれない。

また、そんな出会いに気付かず「通りすぎる」事もある。

自分の捜し求める人が直ぐ隣に居るのに気付かず、

遠ざかっていく自分。

これもまた「神仏の仕業」なのか?

自分で探す人も居るが、達成率は極めて低いと考え

る。

なぜなら、そこには「無理に出会った」と言う「相手へ」

または「神へ」の無言の圧力が働いているからである。

心静かに「待つ」姿勢こそ「偶然」を作り出す秘訣かも

しれない。

ただし、ここで「待つ」と言う意味はただ家の中で「じっ

と」している。と言う意味ではない。

心の中で「待つ」のである。つまり何時も「出会いを思

っている」と言うことである。

通常、出会いと別れは何時も会える環境でない人との

出会いであり、別れであろう。

「一期一会」と言う言葉が示すのは「はじめて会って、

二度と会えない人と考え接する」事である。

人生は「茶会」ではないが、同じ考え方で人と接するこ

とこそ、「偶然でない神仏の力」を導き出せるのかもし

れない。

そのためには、自分が常にアンテナをONにしておかね

ば起こり得ない。

日本のように忙しい日常生活の中では、このアンテナ

が「錆びついて」いるのではないだろうか。

だから別れと言っても「悲しむ」必要はない。

それは新たな出会いを求めての出発でもある。



ネパールの習慣: ここネパールでは「お祭りや結婚式」

になると

バスは超満員で、1台のバスに150人ほどの人々が乗

ることもある。

勿論、屋根の上にも満員の状態であるが、文句を言う人

はいない。

先日も我が家の近くで、沢山の乗客(結婚式を終えた人

々)を乗せたバスが山道から「転落」して多くの人が怪我

や死亡した。

ここでは、定員オーバーは当たり前である。

そうした規制もない



添付写真はここでのバス事情である。



  1. 2011/04/30(土) 17:33:33|
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トゥロパカル村訪問(事務局長一行)



今1月15日(土)天気:満天の星空 気温:8℃ 湿度:55%
前回に引き続き「事務局長一行」のトゥロパカル訪
問記録をお伝えしたい。

今回のネパール訪問参加者は福井の山口ファミリー、そして2度目の訪問となる早川さん、4度目の訪問となる私の5名。日本から、古着の子供服、ノート、鉛筆をあわせて40キロを各自のスーツケースに分けて入れ、支援先のトロパカル村へ届けた。12月18日セントレア空港10時発、香港で4時間の待ち合わせの後、ドラゴン空港へ乗り換え、途中、バングラディシュのダッカ空港でストップし、カトマンズトリバブン空港についたのは、夜11時。筋田さんとミナに出迎えられ、ジープ天井にスーツケース5個をくくりつけ、完成した銀杏旅館へ。約30分で到着。翌日からは、初訪問グループは、カトマンズのチベット仏教寺院、スワヤンプナート、ヒンズー教寺院パシュパテナートなどを見学、私たちは、ミナの案内で、付近をトレッキング。3日目の朝、一路、トロパカル村へ向けて出発した。銀杏旅館では、朝は、屋上から遠く7000mの山を眺めながら、日本から持参したお餅で一足早いお雑煮を頂いたり、炭のこたつに入って、筋田さんお手製の日本食をいただいた。
トロパカル村は、エベレスト街道からわきにそれた山道を歩きなら2時間余りの標高2000メートルにある。周りは、棚田で覆われている。ここで、子供たちのマリーゴールドのレイによる大歓迎をうけた。今回は、日本からの支援物資以外に、あらたな支援児童11名に、真新しい制服、カバン、サンダルを送った、そして、1年分の学用品や試験代金が一人5000円くらいで、合計100、000円分を送った。これで、昨年から支援する児童とあわせ、29名の支援をすることになった。この小学校は、全校生徒約90人で、3分の1が、貧困で学校へいくことができない。それを先生から相談を受け、岐阜ネパール会で支援することに決定した。ただし、一人の児童は最長3年までとした。あとからあとから成長し、弟や妹が入学してくるにつれ、同じ児童を支援し続けるわけにはいかない。
式典は続き、子供たちが民族舞踊を踊ってくれ、最後は全員参加の踊り大会となった。踊りは、ネパール人のもっとも楽しみのひとつである。
この式典に先だち、壊れた校舎や水回り施設の工事も支援した。
夜は、教室にテントをつくり、寝袋にくるまって休んだ。翌朝、村人たちがヤギの乳をしぼってもってきてくれた。何もお礼はできないというが、彼らの心は優しい。
山間部での文盲率は50%をこえるという。しかし、こうして、学校へいきことができれば、文字が読め、書くことができるようになる。初等教育の充実が、新しい共和国ネパールの再生の一歩だ。
残りの期間は、ふたたび、観光・土産物購入などをした。食事は、ダルバート以外に、カトマンズ市内で、日本食(日本そば、天ぷらうどん、かつ丼、すき焼きなべ)を堪能した。これで、1食300円で足りるから、物価は安い。しかし、このところの、日本では無縁となった年10%のインフレと1日8時間の停電に悩まされている。1週間の滞在の間、日本で3か月の研修生活を送ったミナが、世話をしてくれた。また、筋田さんには、いつもながら、心温まるもてなしと、興味深いをお話をたくさんいただいた。25日の夜、再開を約し、一同、空港をあとにした。

日本では、すべてのものが手に入るし、便利である。ネパールには日本にあるような文明の利器、ビルや高速道路、新幹線はない。ひとつのことをするのに時間がかかる。食事の準備をしたら、1日が終わってしまうほどだ。生きるのに精一杯である。日本では、時間があまりすぎ便利すぎ、子供のいじめや、自殺をうみだした。そして、親や社会への感謝の気持ちを忘れて、利己的な社会になってしまった。解決方法はある、われわれの生活を不便に戻せばいい。そうすれば、助け合う気もちが生まれる。自然もよみがえるだろう、われわれれは、まったく、先進国でなはない。ネパールが、自給自足し、家族愛に満ち、幸せな国である。兄や姉が弟、妹の面倒をみる。ここには、ゲームのとりあいやそれをめぐっての事件もないのだ。なんと幸せなことか。
ネパール人のすべての発想は、ヒンズー教徒や仏教からきており、それらの神への畏敬の念である
われわれは、ずべてを征服できると思い、自然への畏敬の念を失ってしまった。
年頭にあたり、日本人がすこしでも、ネパールの生活をマネしてくれたらと思うのである。

岐阜ネパールでは、2011年も秋にネパール訪問を予定しています。ぜひ、みなさんの参加をお待ちしています。
(参加費用 航空券13万円、滞在費7万円、エベレスト遊覧飛行を含む)














  1. 2011/04/30(土) 17:30:57|
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トゥロパカル村(Ⅰ)

1月5日(水)天気:満天の星空 気温:10℃ 湿度:65%



今年はじめての「ネパール通信である。

今回は、昨年末に現在の支援村であるトゥロパカル村へご一緒し

ていただいた山口さんの記録をお伝えしたい。



ネパール現地支援に初参加して

私達{私、夫、義弟}は福井より、小森さんに誘われ始めてのネ

パール訪問に参加いたしました。

12月17日「金」

午後、福井を出発、岐阜駅近くのホテルへ一泊。夜、小森さんネ

パールへの支援品を届けてくださり、早速ケースに詰める

18日「土」

 早朝、筋田さんの奥様に見送られ、ホテル出発、セントレヤ空

港より「香港経由」にて、一路カトマンズへ、日本との時差3時間

15分現地時間PM12時頃、カトマンズ空港着。

空港では、車の手配をして待っていてくださった筋田さんの「ここ

ですよ」の元気な声に長旅の疲れもいっぺんに吹っ飛ぶ。

 夜道を車で一時間程走りネパール通信で見慣れたあの看板の「銀

杏旅館」へ、そこには深夜にもかかわらず、日本の青年二人とミナ

ちゃん、そしてミナちゃんの弟たちが暖かい紅茶を用意して待って

いてくれた。私の心は故郷に帰って来た心地。

19日「日」~20日「月」

 朝、ミナちゃんの「暖かい紅茶如何ですか?」の声に目覚め、ベ

ッドで暖かい紅茶を頂く“ああ~ここはネパールなんだ”あらため

て感激する。

 このミナちゃんには、以後ずっとお世話に成る。

 朝食は、「銀杏旅館」の屋上にて雲海が晴れヒマラヤ山脈のサミ

ットを眺めながら、山男{失礼}達の料理をいただくとても美味し

い。

 その後、カトマンズ市内観光{パシュパテナート寺院・ボーダナ

ート寺院・スワヤンプナート寺院}叉観光ブックには無いネパール

の裏側も、その悲惨な様子は「ネパール通信」でいくらかの免疫が

出来ている私でもショクの連続、主人は悲鳴に似た声すら。

 でもランチは、高級ホテル“そば処”にて塀一つ隔てて別世界そ

のギャプに叉驚く。

 旅館に帰ってからは、「掘りごたつ」にて総勢10人色々とミィ

ーテング叉此れも楽しい。

21日「火」~22日「水」

 今回の旅の本題、トロパカル村訪問に出発

 早朝より寝袋、食品、支援品等、実に手際よく車につぎ込まれるが、

私は眺めているのみ。

 途中食事を取りながら、でこぼこ道を2千メーター級山肌に作られ

た段々畑を眺めながら、11時頃学校に着く。

 村上げての歓迎、その人の多さに感激、子供達は、手作りのレイを

持って並び迎えてくれる。

私達も習い覚えた“ナマステ”を連発。

それから日本から持ってきた品物、現地で筋田さんの用意された学用

品等手渡す。

 以後延々3~4時間余りの歓迎行事が続く、私も、古希を迎えた歳

も忘れ歓迎ダンスに加わり「はしゃぎ」廻る。

夕食は、現地の方が持ってきてくださった鶏で、チキンカレー実に美

味しい。

泊まりは、テントの期待をしていましたが、教室で寝袋に入る、此れ

も初体験、まるで修学旅行の夜のように心が躍る。

 夜のトイレ行き,石段を降り別棟へ,私の故郷も昔は皆こんなだっ

たな、そんな思いを馳せながら、しばらく立ち止まる。月は皎皎と輝

き、山肌に点在する家からは、薄明かりが漏れている。

でも私には、この素晴らしい風景を表す言葉が見つからない。残念な

り。

 翌朝、村人たちが絞りたての乳を持ってきてくれる熱いミルクティ

を「ふうふう」しながら頂く、この一杯で体全体が暖かくなる。

 そして先生方、村の方達の見送りを受け、村を離れる。

 一路清流沿いをコダリ国境へ

23日「木」

 古都バグタプール見学・そしてお買い物、物の値段は、有って無い

様なもの、値を決める際の筋田さんのパフォーマンス実に見事、これ

に私達のお買い物は大変助かりました。

24日「金」

 エベレスト観光{小型飛行機にて}

 早朝7時発の予定が濃霧にて2時間余り遅れる。

此れが叉幸に、キャンセルの客が有り機内は空き席が多く出来る、好

きな座席にいっては山々にカメラを向ける、叉操縦席にまで招かれる。

25日「土」

 私はミナちゃんを、お供に最後のお買い物。

主人達は筋田さんと動物園へ。

 このミナちゃん、19歳の少女ながら、自分の目標、責任、思いや

り、実にしっかりと持っている、清い山の娘である。そして努力も惜

しまない。

私もこの歳にして学ぶこと大なり。

 この様な子が、多く居るで有ろうと思われるネパールという国が、

頼もしい国とさえ思う。

 夜、筋田さん、ミナちゃん達に送られ、カトマンズ空港へ、23時

25分ミナちゃんに後ろ髪引かれる思いでカトマンズ空港を発つ。

26日「日」

 夜7時過ぎ我が家へ

 今回の体験は、支援と言えるものでは無い、余りにも得るものが大

きかったと3人共帰りの車中で話す。

 そして筋田さんの、この地に根を下ろすまでのご苦労は私達の想像

をはるかに超えるもので有ったに違いないとも

 この体験をさせてくださった筋田さん始めミナちゃん、小森さん、

そして多くの方々に感謝いたします。有難う御座いました。

         山口 喜代子 

  1. 2011/04/30(土) 14:31:33|
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習慣の違いは直すのには時間が必要?

12月9日(木)天気」快晴 気温:24℃ 湿度:43%



はじめに、9月初めから11月末までラムチェ村のミナを

日本に送り、多くの方々のお世話になった事に対し、心

から感謝したい。

彼女は多くの日本の文化やマナーを勉強して帰国し、我

々の活動に役立ててくれるものと確信している。



彼女の渡航費用一切は、ミナと一緒に「旅」をしたある一人

の日本人支援者の寄付により実現した事をお伝えすると共

に、ミナの教育を望むものとしては、正に天からの授かり

物であったような気さえしている。

本当にありがたいことである。



さて、今回は我が家「銀杏旅館」に同居するパトネちゃん(現

在高校生)についてお伝えしたい。

彼は先日、日本から帰国したミナの弟で、今年SLCをファー

ストリビョンで終了し、現在はカトマンドウのカレッジにて就学

している。

朝は4時に起きて、洗面と着替えをしたら直ぐにサンガのゲ

ートまで下り、一番のバス(5:10発)でカトマンドウのナヤバ

ネソールにあるカレッジに通っている。

カレッジは朝6時からの始業であり、12時には終わる。

バス代は往復40Rsで、毎日私が渡している。

ここでは通学定期と言ったものは無く、全ての学生が「何時も

ニコニコ現金払い」である。

学生証を見せると3割ほど安くなる仕組みである。

そんな彼は、「銀杏旅館」で電気関係や家の修繕、その他買

い物をやってくれている。

ただ、ミナとは違い山の生活習慣のままで過ごしているため、

殆ど毎日のように「ここ銀杏旅館」でのマナーを教えているの

が現状である。

山(ラムチェ村)では、水は「垂れ流し」状態で使っているいる

ため、ここの水も同じように使う。

蛇口を閉める事を教えるのに約3ヶ月はかかった。

やっと一つである。

昨日も、私の部屋に彼の洗濯物があるので取りに来てくれ!

と言うと「ガスレンジ」をつけたまま私の元に来たので、「なぜ

ガスレンジを消してから来ないのか>」と聞くと、「お父さんが

呼んだから」と答える。

うかつに呼ぶことも出来ない。

村ではガスレンジなどは使った事も無く、仕方が無いことでは

あるが、教えないと危険であることには違いない。

キッチンにある食器や包丁スプーンなどは誰でも何でも使うか

ら始末が悪い。

例えばボールなどは土を入れたり、スプーンで土をいじくったり

する。

「全ては使えるもの」と考えている。

「食器類の使い分け」はしないのが、山での生活である。

今日もキッチンのコンクリートを雑巾で拭いていて、ホットケー

キを作るボールでその雑巾を洗っている所に出会わせた。

直ぐに「これは食べ物」を作るボールであり、雑巾を洗うのは別

の「バケツ」を使うようにしてくれ!と言うと、わざわざ遠いところ

にある物をどうして使うのか?

と質問が返ってくる始末。

だから、「ここでのマナー」であると教える以外、方法が無い。



ネパールの習慣: 農作業は共同作業でおこなう。

ここの田んぼや畑の仕事は、全て女性の仕事で家畜の作る有

機肥料の散布から苗や種芋さらには耕しなど全て「女性委員会」

での会議で作業の順番を決めはじめる。

農作業も「賑やか」なこと「賑やか」なこと。

歌を唄ったり、話をしたりで、とても楽しそうである。

もう一つは、ネパールのタマン族とチェットリ族の女性がしている

「鼻のピアス」である。

これは世界の女性がしているが?ここでは向かって右側本人に

とって左側に付けるのがルールである。

諸外国ではこれを反対側に(向かって左)に付けている方々がい

るが、これはネパールではあり

得ない。

  1. 2011/04/30(土) 14:27:55|
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トゥロパカル村支援の再開!

11月23日(火) 天気:快晴 気温:18℃ 湿度:55%



今回は、トゥロパカル村での活動状況についてお伝えしたい。

昨年初めにスタートしたトゥロパカル村の支援は、当初予算的

問題もあり、18人の学費・学用品などの支援をしてきた。

雨期の最中に村からノート・鉛筆が不足している、すぐに届け

て欲しい旨モバイルに連絡があった。

4度、村への学用品運搬を試みたが道路が崩れて村まで行

けなかった。

雨期が明けて当方が日本から戻って直ぐに村へ行き、子供

たちに学用品を届けた。

さらに、学校への唯一のライフラインである「水のパイプ」が

一般の家庭と共有しているため、思うように使えず、トイレの

清掃もままならないのが実態である。

そのため、校長先生からの依頼により学校専用の「水タンク」

を設置する事とした。

当初、セメントで作るとの事であったが費用的に高額になるた

めプラスティックのタンクを購入して設置する事で納得してもら

い、500mのパイプラインを引いて、学校へ配管する工事に

着工した。

製作期間は約10間である。

と言うのは、当方が11人の子供たちと昨年の子供18人に対

しスリッパや私たちのグループのロゴマークを「カバン・制服」

に取り付けるために再度訪問するのを、11月19日と言う日

にちを設定したため、この日に完成していれば確認が出来る

と考え、お願いしたからである。

作る人の費用はなく、昼食費用を出せば勤労奉仕してくれる

との事。(ちょっと心配でもある、後から請求されても困る)



ここネパールで、学校卒業後の就職環境についてお伝えした

い。

毎年、数十万人のSLC(義務教育終了試験)にパスした若い

人たちが居るが、就職出来る人数は極わずかで多くは高校

から大学へと進学する(お金があればである)

高校・専門学校・大学へ進学すれば大金が必要となるが、

貧富の差が激しいネパールでは殆どがお金持ちの子女が

進学する。

そして就職するのだが、これは「コネ」でしか就職口がない。

就職試験なるものはあるにはあるが、「コネ」がなければ無

理な世界である。

警察・政府の役人・学校の先生・建設会社の社員・銀行・

食堂・ホテル従業員など全ては「コネ」が最優先である。

従って、就職しようにも入れる会社がないのが実態である。

ここでは、需要と供給のバランスが悪くすぐに価格の高騰

につながる。

殆どの製品(プラスティック製品や石油製品・電化製品・車

や単車と言った工業製品は全てインドや中国からの輸入

である)

添付写真はトゥロパカル村の小学校の子供たちである。

注)トゥロパカル村の位置はカトマンドウから東へ約3時間

のところにあるカリチョークからジリの方へ右折(橋を渡り)

急勾配の上り坂を標高で約1000mほど登りそこから40

分の所にあるバス停(トゥロパカル)で下車さらに国道を右

折し、徒歩で1時間半ほどのところにある。

ここではカミ民族(最貧民)の部落もあり、貧困な民の中に

さらに極貧民族の部落もあるといった中での集落である。



  1. 2011/04/30(土) 14:26:45|
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「過去」とは、過ちが去る事である。

11月15(月)天気:雲の中後快晴 気温:17℃ 湿度:65%



今回は、人にはそれぞれにある「昔のあやまち」を何時までも引

きずる事無く、新しい明日に向かって生きよと「諭す:さとす」言葉

でもある。

「単に以前の行為を意味するのではない」と考えている。



ここでの活動では「多くの失敗」がある。

しかし、二度と同じ失敗を繰り返さないのが賢明だが、ここでは

同じ失敗が往々にして起こる。

なぜなら、同じ活動内容はあり得ない事から「村人との意思の

疎通」が最も大切な仕事であり、結果的に「同じ失敗」につなが

る。



人はそれぞれ、長い年月を生きてくれば「多くの失敗や過ち」

を経験してきたはずである。

それが、表題の「過去」である。

何時までも過去を「胸にしまい」生きる事は、前向きな生き方

ではない。

時として、忘れられない「失敗や過ち」もあろう。

しかしである。

忘れられる「失敗や過ち」なら、「忘れた方がいい」。

決して解決しないばかりか、精神的に疲れるだけである。

特に日本では。

私自身、ここでの失敗を何時までも悔やんでいては前に進め

ない。

極力「忘れるように」勤めている。

小さな「頭」に過去を一杯入れていたのでは、新しい事が入っ

てこられない。

だから、「忘れられるものは忘れて」毎日新しい事に向かって

行動する自分でいたい。

これはやはり、「個人の考え方に違いもあろうが」、忘れるよ

う「努力」する必要がある。

添付写真は我が家から見た「アンナプルナ連峰」である。

右からラムジュン・アンナⅡ・アンナ・アンナⅢ・マチャプチ

ャレ

など。



ネパールの習慣: 今回は習慣とはいささか異なるが、ここ

ネパールにおける「信号機」事情についてお知らせした。



今から約二十数年前にはじめて「信号機」が設置された。

カトマンドウとポカラの大きな交差点に数台の信号機が

設置された時には、一般の人々の注目の的でもあった。

何せ、目的が分っていない状態での設置に「イルミネーシ

ョン」ぐらいの感覚であったろうと推察する。

勿論日本のODAでの設置であるが、車の試験場でもこれ

らの説明は無く、街に大きな看板を作って、交通ルールや

道路標識などが表示されているにすぎない。

しかし、ここの人たちには正に「猫に小判」的な感覚であっ

た。

学校でも教えていない。

では、どこで勉強するのかと言えば「免許取得の試験の時」

である。これも免許の必要な人だけに教えるだけで、試験

には出てこない。

、車を持たない人たちには無縁のものである。(しかしロー

タリーは各所に見られる)

ここでの道路標識は極めて少なく、速度制限標識(多くは

20K制限)と学童横断道路など後は、道幅とカーブの表

示くらいで日本のように多くは無い。

こうした状況では信号機の認識が遅れても仕方の無いこ

とであろう。

だから信号が赤であろうと青であろうと車さえ来なければ

交差点を横切るのはあたりまえである。

しかしである。昨今の頻繁に起こる停電で、これらの信号

機の多くは全く動いていない。

従って交通整理の警察が何時も立っていて、朝夕の混

雑時は大変である。

  1. 2011/04/30(土) 14:16:27|
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村に住むのに必要な人間関係は・・

11月7日(日)天気:快晴 気温:18℃ 湿度:60%



今回はここサンガの村に住むのに必要な地域社会

との人間関係についてお知らせしたい。

ここに住み始めて1年半が過ぎようとしているが、未

だにご近所さまの名前すら覚えられないでいる。

毎日「ナマステ」とは言うものの相手の名前が分か

らない。

しかし、名前はそれほど必要としないから不思議で

ある。

なぜなら、「あそこの家のご主人」とか「この家の奥

さん」と言ったように話せば分かってくれるからであ

る。

さて、こうした村での生活では「銀杏旅館」の「すじた」

とは決して言わない。

村人の殆どが「おっさん」と呼ぶ。

これは、ミナが何時でも私を呼ぶときに使っているか

らだ。

「おっさん」でなく「おとうさん」ですよ。と言ってもなか

なか直らない。

どうも「おとうさん」とは言いにくいようだ。

「との後のう」の発音がし難いのである。



私を呼ぶ時の言葉はこれくらいにして、今この村(サ

ンガ)で如何に人間関係を作っているかというと、多

くは村人(含む子供たち)の「傷」の手当である。

彼女たちは農作業に土木作業と忙しく働いているた

め、身体を清潔に保つのが極めて難しく、何時も手

足は「どろで汚れて」いる。

そんな中、手足に怪我をしても「ぼろ布」で縛ってお

くだけで働いている。

こうしたご婦人の中には「たむし」のような病気を持

っている人や

1週間も傷をそのままにして放置したため、化膿し

ている人までいるから始末が悪い。

化膿した箇所をピンセットで「膿」を出し、その後に

抗生物質の入った軟膏をバンドエイドに付けて貼り

付けて帰すが、翌日にはまたバンドエイドが剥がれ

て傷口が出ている。

今も4人ほどの村人の治療に当たっているが、最低

でも2~4日は必要で、その間毎日手当てをしている。

ご主人や子供も治療風景を見ていて、作業が終わ

ると「ダンニャバード」と言ってお礼を言ってくれる。

この村では「皮膚病」や「口の周り」の病気が多い。



こうした事から、帰りには大根や菜っ葉などを「持っ

ていって」と言って渡してくれる。

ミナの弟と二人暮らしになった今でも(今日から)野

菜は余るほどである。

これにより、村人との気楽な話にもついて行ける今

日このごろである。

11月9~10日には支援先であるトゥロパカル村へ

出発する予定。

添付写真は「膿」を出してここまで回復した村人の

足と豚を殺して

当分に分けているところ。この日私も1ダニ(2,5Kg)

を350Rsで購入し、直ぐに洗って冷蔵庫に保存した。

これはミナのお父さんが来たときに食べてもらうため

である。

おまけの写真は犬にティカをしてマラをかけたところ。

ネパールの習慣: 農作業は全て共同作業で行い、

順番や方法は事前会議で確認してから農作業に入

る。

何時・何処の畑の仕事をするのかを「婦人会」で決

める。

この時には、それぞれが制服?サリー(ここでは紺

色の衣装)を来て会議に参加する。この会議は何時

でも必要に応じて開催され、会場は決まっていない。



  1. 2011/04/30(土) 14:10:30|
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電化製品は何でも修理する。

10月29日(金)天気:快晴 気温:22℃ 湿度:50%



ヒマラヤが見える絶好の季節が到来、だが国民には

何時もと同じ気候なのだが、私たち外国人?には本

当に嬉しい季節である。

今の季節は「稲刈り」に「田植え」もあり、結構忙しい

季節でもある。

ダサインが終わり、直ぐにティハールが来る。

今回お伝えしたのは、ここネパールでの生活の中で

私たち外国人にとって、電化製品は欠かせない。

テレビに冷蔵庫・電話・掃除機・洗濯機・水ポンプ・

CDラジカセさらには最も必要なパソコンとその周辺

機器・特にデジタリカメラなどであるが、もし故障すれ

ば直す他ない。

今も冷蔵庫を修理しているが、峠の街までは徒歩で

10分あまりの下り坂である。反対に峠からは登りに

なるがゆっくり歩いて12~15分程度である。

しかし街まで大きな電化製品を運ぶのは、結構やっ

かいであり、車を頼めば800Rsほどのお金が余分

に必要になる。

ここでは出前の修理屋さんが居て、自宅まで来て

修理してくれる。

多少の出張費用は仕方が無いが200Rs程度ある。

当然「ロウ付け」や専門の道具が必要になるが、全

て持参してきて直す。

この間、冷蔵庫は使えずバナナラッシーもしばらく

は作れない。

日本では電化製品の修理はかえって高くつくため、

買い換える事が多いが、やはり人件費の違いだけ

だろうか?



さて、ダサインとティハールの約1ヶ月間は私一人

での生活である。

なぜなら、ミナの弟や妹もこの祭りの期間はラムチ

ェ村での生活となるからである。

今の時期は「我が家:銀杏旅館」からの眺めは最高

である。

部屋からはアンナプルナ山群やヒマルチュリ・マナ

スルさらにガネッシュ三山・ランタンヒマールとドォリ

ュジェラクパ

にガウリシャンカールなどを見る事ができる。

毎朝牛乳を絞ってきて、我が家の前で集めて街に

もって行き

そこで「牛乳パック」にして販売する仕組みであるが、

家の前で買う新鮮な牛乳は1ℓ30Rsと格安である。

通常0.5ℓで25Rsほどである。

これが毎朝7時から7時半くらいまでに10軒ほどの

農家から80ℓを集める。

  1. 2011/04/30(土) 14:09:23|
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「ネパール通信」物の値段は「欲しい人の気持ち」が決める

10月19日(火)天気:快晴 気温:20℃ 湿度:65%

今、ダサインのお祭りの真っ最中である。

しかも一日中雨であった。

街の店は殆どが閉めているが、甘いお菓子を売る店や果物

は店を開いている。カトマンドウのタメル地区は別である。

なぜなら、これらは供物にするためお祭りの最中が稼ぎ時で

もあるからだ。



日本の感覚でこうしたお祭りを見ると「凄い」と思うが、ここで

は日本のお正月と同じ感覚の行事であり、大きな広場では

「水牛や山羊の生けにえ」儀式が行われる。

さて、今回は支援先のトゥロパカル村へ行く前に起こったある

出来事を紹介したい。



文房具を買いに街(バネパ)へ出かけた時、何時もの店に行

って「400冊ほどのノートは幾ら?」と訊ねると前回買った時の

値段と大きく異なり、1冊あたり10Rsほど高い値段に驚いた。



店主は私を忘れていて、はじめて売る客と同じ値段を言ってき

たのである。

「9ヶ月前にこの店でノートを買った。」と伝えると、突然

思い出したように「知っている」と言って握手を求めて来た。

裏表の激しい人たちである。

こんな事は日常茶飯事である。

それでなくとも、決まった値段(何処で買っても同じ値段)と言う

観念に慣れている我々には「人によって変わる物の値段」は

「辛い」の一言である。

東南アジアや中近東では「買う人の購買意欲がどれだけある

か」によって値段が変わる」つまり「買いたい気持ちが値段を

決める」方法である。

昨年買った値段で買うと言うと、「あれから値上がりしたので昨年

より5Rsの値上げは仕方が無い」との事。

鉛筆も消しゴム・鉛筆削りも約15%値上がり、なれど給与の昇給

も仕事も増えてなく、やはり生活は苦しく学費の負担も増える事に

なる。

添付写真はダサインの度に作られるヒンズーの祭壇。



ネパールの習慣: ネパールで友人や兄弟・親戚・両親を呼ぶ時に

は、全て「呼び捨て」である。

例えば、ミナ! パトネ!サラダ!といった具合、英語でMr・やMrs

または日本語で君・さん・様といった言葉がない訳ではない。名前の

後に「ジー」を付ける。これが「さん」に当たる。

しかし年上の人を呼ぶときの言葉として:「ダイ」と言う言葉を名まえ

の後に付ける

年下の場合には:「バイ」と言うがこれは名前の後には付けないのが

普通である。

ダイ:はお兄さん バイ:は弟の意味がある。

大きな声で呼び合うから村中の人に分かる。

この「ダイ」と「バイ」は単にこれだけでも使われる。

名前を知らない人を呼ぶ時には「ダイ」で、あったり「バイ」と呼んで、

話をする。

私が呼ばれる時も同様、「すじたダイ!」っと大きな声で叫ばれるか

ら気恥ずかしいこと然り。

我が家の前に見える「シバ神」も通常「シバジー」と呼ばれる。

ジーとは「**さん」の意味である。

  1. 2011/04/30(土) 14:05:38|
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2011.4.26

ブログの更新を再開します。
  1. 2011/04/26(火) 23:48:07|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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