ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

再びネパールマインドの壁‏

1月22日(金))天気:快晴 気温:18℃ 湿度:45%

今回は、多くのみなさんに運んでいただいている「子供の衣類」

や「文房具」についてお伝えしたい。



日本で程度のいい古着(子供用)を集めるのは、多くのみなさん

のご協力で結構収集できている。

しかし、この衣類は輸出となると大金が必要で船便では衣類が駄目

になり飛行機に頼っている。

現実には、こちらに来られるみなさんに一人5Kgの衣類を日本の

我が家からみなさんの家に郵送し、20Kg(運べる限度)の中に

入れていただいき運んでもらっている。

拠出してくださった方々の思いもあり、取り扱いにも十分注意して

いるのが実情である。



以前(2年前)、ベルギーとオデンマークへ訪れた際、多くの衣類や

玩具をいただき、帰国時ブリュッセルは通過したがフランクフルト

で荷物をチェックされ、17Kgオーバーチャージを請求され交渉の

結果10Kgを支払う事で通してもらった。しかしこのオーバーチャ

ージは1Kg:37ユーロで370ユーロと言う大金を支払い運んで

来た経緯がある。

「拠出者の思い」は、お金には代えられないと判断したからである。



日本やベルギーの人々から預かった「大切な衣類」は確実にネパール

の貧困家庭の子供たちに届けるのが「私の仕事」でもある。

しかし、我が家に来るネパール人は自分の子供に与えるため欲しがる。

私は「がん」として受け付けない姿勢で接している。

すると、2日もすれば「ケッロ」として、また別な話でやってくる。

彼らにしたら、「話して貰えれば幸い」ぐらいの話である。

こんな話は毎日のようにやってくるから始末に悪い。

私のアシスタントでもあるミナにしても同じで、親戚の女性が訪れた時

には勝手に「貴重な衣類」を配りはじめる始末である。

何回も注意し、この物資の目的を説明するのだが、なかなか理解しない。

「今使う人がいるのに、どうして保管だけしておくのか?」と言った

疑問である。



現在の「衣類」はトゥロパカルの子供たちに配る予定の物資である。

衣類に限らず文房具も多く運んでもらっている。(日本から来る支援者に)

特にノートなどは重たくて多くは持ってこられないのが現実である。

さらに、今のネパールは王政が倒れて以来各政党の争いが頻繁にあり

何時ストライキが発生してもおかしくない状態にある。

従って、ここの旅行は極めて困難と言わざるを得ない。



もし、ネパール国内に受け入れ人のいない場合には、空港から町までの

車からして問題が出てくる。



ここに暮す人にとっては多くのストライキも、さして問題にはならないが、

はじめて来る旅行者は決められた日程で動く必要があり、とても一人での

移動は不可能と言っても過言ではないほど乱れている。

日本から見れば、「大変な国?」との思いを拭えないが、ここに住む人には

日常茶飯事の出来事であり、たまにはストライキもいいものである。

なぜなら、国道には車が走らないことから埃がたたないばかりか、静かで

ある。

子供たちは国道でクリケットやフットボールに興じている光景は、バンダ

もいいなぁ~と思えてくるから不思議である。

埃はたたないし、騒音もない。

静かな生活がこの時(バンダ)にはある。

山はどこまでも続き、白き峰々を見せている。

こんな景色は「お金」には換えがたい。

時間も然りである。

ただ「のんびり」と過ごす時間は「頭の整理」にも役立つし、何も考えない

時間も疲れた頭には有効である。

忙しい日本での生活に慣れているみなさんにとって、「のんびり」とした時間

は精々、テレビかラジオを聴いている時間であろう。

幾重にも重なる山並みの向こうにヒマラヤを臨み、青空の下で「お茶」をする

時間こそ、本当の贅沢かもしれない。

寒い日本とは大きく異なり、穏やかな緑と山々に囲まれ燦燦と降りそそぐ太陽の

暖かさを感じながらの生活は、生きている実感を与えてくれる。



ネパールの習慣:ここの女性の多くは(特に山岳民族)ルンギと言われ

る綺麗な柄の腰巻の下には粗末な綿のサリーを腰に巻いているだけで、

パンティーを履かない。バスに乗っていて途中の山の中で「トイレ休憩」

があれば「しゃがむ」だけで、用を足す。日本でも明治の初めごろまでは

同じであった。

添付写真はバンダ(ストライキ)の時の国道である。


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  1. 2010/01/23(土) 00:49:50|
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事務局長のネパール見たまま‏

1月14日(火) 天気:快晴 気温:15℃ 湿度:50%

長い間は配信を休ませていただいた。
今回は岐阜ネパール会の小森さん(事務局長)のネパール
を見て感じたままを掲載させていただく。





私自身にとって3度目のネパール訪問(2009年11月28日ー12月6日)は、

とても有意義なものであった。いかに、印象的な点をしるす。

ご一読願いたい。



児童労働の状況

今回は、ネパール国内移動について飛行機を使わないで乗るネパール人の

普通の暮らしを目の当たりにすることが多かった。

バスは、席が空いていれば次から次へと乗り込んできて時刻表で動くのでなく、

満席になったら出発するという仕組みだ。

カトマンズを出発したバスに、突如、少年が乗り込んできて、「パニパニ」とお客

さんに呼びかけた。

パニとは、ネパール語で水のことで、ミネラル水を売っている。

この子供たちは、自分の小使いを稼いでいるのでなく、一家の立派な働き手で

ある。

ふと、この子達は、学校へ行っているのだろうかと思った。

これまで、ラムチェ村など誰も支援の届かない高山の中腹の子供たちを念頭に

支援をしてきたが、町の子供たちの状況も厳しい。



民族楽器 サランギ

またまたバスに乗り込んできて、見た目バイオリン、弾き方チェロのノリで、おじ

さんが、自慢ののどで、ネパール民謡を歌いだした。

これは、サランギという弦楽器で、演奏が終わるとすこしばかりの謝礼を稼ぎにし

ている立派な職業だ。

観光客には、サランギを販売するという。

1台700-800円くらいのものだ。

日本でもかつて流しのギターという職業があったが、こうした押し売り商売が跋扈

している。



インド製バスの旅

今回は、ほとんどの行程がバスの旅であった。

ネパール国土には鉄道がなく、飛行機に乗る以外は、バスの移動が基本である。

そのバスの走る道路は、日本では考えられない状況だ。

ほとんどの道が舗装されていない。

特に山合いの道は、デコボコで何度、体や頭をぶるけたことか。

日本中はどこもすばらしい道路であるが、ここネパールでは、外国の支援に頼るしか、

道路などのインフラを整備する方法がない。

1日2-3時間の停電も、貧弱な水力発電所があるだけであり、こうした社会資

本設備が整わない限り、産業誘致も進まず、ネパールは極貧国から脱することが

できない。



ゴミの山

街の歩道の下をみると、ゴミの山である。カトマンズは、どこへいっても、道路はご

みだらけである。

ごみだらけになる理由は簡単、みな、ゴミを捨てるからである。

ミカンの皮は、自然に帰るのでまだしも、菓子のビニールやペットボトルなど。

日本では考えられない。

このゴミを掃除する人は、政府に雇用された最下層カーストの人たちである。

ゴミは、最下層が掃除するから、捨てておけ、という意識も少しはあるのでは

ないか。

この国に公共道徳はない。

ゴミ、人々が吐き捨てる痰、とても見られたものではない。

しかし、これを改善するには、カースト制の問題など、複雑な問題が絡み合っ

ている。



カースト

インド・アーリア民族系で、われわれ、モンゴロイドとはまったく違う顔だ。

ネパールのカーストは、おもに民族で分かれていて、アーリア民族系が、ブラマン

・チェトリなどで一番多い。

次が、山間部で住むタマン族などだ。ミナちゃんもそうであり、日本と同じモン

ゴロイド系でなじみが深い。また、ラムさんは、ブラマンである。

問題は、これらの下のアウトカーストの人々で、カミ(鍛冶屋)、ダマイ(服飾職人)、

サルキ(皮革職人)と職業が決まっている。

結婚、職業の自由はない。

こうした差別は、日本の江戸時代の士農工商と同じで、人々を偏見で拘束

する。

南アフリカのアパルトヘイトが廃止されたが、世界でも少ない身分制をなくさない

限り、平等な社会は訪れない。



豊かな農作物

ネパールの悪いところばかり指摘したが、これからは、それを上回る魅力について

である。

ネパールは、「世界の屋根」と称されるが、インドに面した南部は、肥沃なタライ

平原で農業が盛んである。野菜・穀類はなんでもとれるし、フルーツも豊富だ。

みかんをしぼったジュースは特に旨かった。野菜も安い。

カリフラワーは、1キロで100円くらいである。貧困層は多いが、飢餓というのは

少ないのかもしれない。



美しい風景

今回は、3800メートルにある仏教の聖地ムクチナートを訪問した。

ヒマラヤの懐深く入ると、そこからは、6000から8000メートル級の山々が間近

にみえる。

時間があれば、その山の頂に立つことは無理でも、近づくことはできるだろう。

その楽しみは、退職後にとっておこう。



ラムさんの作業所

ラムさんは、学生や女性にミシンや織物の技術で伝授して、その完成した

手工芸品をヨーロッパや日本へ輸出する会社を経営している。

施すのでなく、人に技術を習得させて、自立させるというのが彼のビジネス哲学だ。

私も、彼のようなネパール人の手伝いをしたいと思っている。



完成間近い「銀杏旅館」

筋田さんは、現在、カトマンズから1時間くらいの高台に、旅館を建設中である。

日本や外国のゲストを10人まで収容でき、ボランティア活動の拠点にする計画で

ある。

日本から、貧村の子供へ古着を5キロ運んでくれる方は、格安で宿泊できるものだ。

まわりの環境はすばらしく、農業体験や、トレッキングなど長期滞在者には絶好の

環境である。



今回は、支援する村の子供に会いに行く時間はなかったが、ぜひ、次回には訪問

してみたい。

みなさんもぜひネパールを訪問していただき、自分を見つめる機会にしていただけれ

ば幸いである。



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  1. 2010/01/15(金) 23:33:05|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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