ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

デンマークからの第一報‏

10月28日(火)天気:晴れ 気温:11℃ 湿度:?



☆ムーミンの国からマーメイドの国へ!



26日(日)午後2時に関空を出発したフィンランド航空

75便は、北海道・シベリア・ロシアを経由し10:30

時間後ヘルシンキ(ムーミンの故郷フィンランド)に到着。

空港にはムーミングッズが目につく。



この空路は通常「北回り」と呼ばれている空路で、昼夜の順序が逆になるが、

早い事このうえない。

狭い機内での本や新聞は疲れる、

それでなくても1日?30時間以上を不眠状態で過すのは疲れるからである。



途中「ネパール将来はどうなるのか?」を考えながら眠れない機内で

柔軟体操や腹筋運動をやりながら過ごした。

空港では迎えに来ていたユッディーさんとすぐに会え、

遠路(3時間の高速道路)遥々の出迎えに感謝・感謝であった。



途中、車中で何度も睡魔に襲われたが「必死」で我慢。

なぜならユッディーさんも遠くから迎えに来てくれて、同じように眠いからである。



ここデンマークでの生活については随時報告していく予定である。



秋深まる景色は昨年夏とは大きく違い、

「これぞミルクとチーズの国デンマーク」との印象を受けた。

ちょっと古い印象かもしれないが、事実である。



☆子供たちはどうなるのか?

さて、前回に引き続き「マガジンハウス」の文章を少し掲載したい。

これは、以前お知らせした「世界がもし100人の村だったら」の続編である。



50年前、

日本がもし100人の村だったら、

子どもは35人でした。

それがいまは14人です。

このまま減ると2050年には7人になります。

世界からも、子どもが消えています。

子どもは、たくさんいるのです。

でも、社会にいないことにされている「見えない子ども」が増えているのです。



世界の赤ちゃんがもし100人だったら

5人は、1歳になる前に亡くなります。

そのうち3人は男の子で2人は女の子です。

ところが

インドや中国などでは、

女の子のほうがたくさん亡くなります。

女の子をよろこばない考え方があるためです。

(ネパールでも同様)



地球の・日本の未来を担う「子ども」はこれからどうなるのか?



添付写真はデンマークの一般道です。

(全ての道に、自転車専用道路が整備されています)



DSCF0100_convert_20081101161921.jpg
スポンサーサイト
  1. 2008/10/31(金) 23:57:33|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

デンマーク出発前に(関空にて)

10月26日(日)天気:雨 気温:22℃ 湿度:72%



日本へ帰国して初めての「ネパール通信」である。

今回の帰国目的はデンマークの方々による「チャリティーコンサート」への出席であった。

それぞれの自己負担(航空運賃)による来日と、「募金活動」の10日間であった。



どれだけ感謝しても足りない。



本当にありがとうございました。



さて、10ヵ月ぶりの日本ではニュース以外ほとんどが

マイナス思考のニュースばかりが耳に入ってくる。



「どうして、自分でやらないのか?」

「どうして、誰かの責任にするのか?」

「どうして、出来ない言い訳をするのか?」

「どうして、他の次元の事と思えるのか?」

「どうして、どうして、どうして?」

全ては「他人まかせ」の考え方が、多くの問題を起こしている事に気付いてほしい。



「何もないネパールでは、全ては自分から」・・・・・始まる。



さらに、こんな視点からも見て下さい。(マガジンハウス)

「世界の子供がもし100人だったら」

生まれたことが、役所などに届けられない子供は

55人か、あるいはそれ以上です。



それぞれの国の子供を100人とすると、

アフガニスタンやタンザニアでは、100人のうち6人しか届けを出されていません。

インドでは35人

(ネパールでは、生まれても届け出はしません)

日本では、100人の子供すべてが届けを出されます。



明日から、デンマークでの支援者のみなさんとの交流を含めた

「ネパールでの活動報告」がはじまる。

世界の人々から受ける「まごころ」は、

ネパールの「子どもたちの瞳」と同じ「私の活動の原動力」である。



11月20日  この日はハンドクラフトスクールの開校式である。

是非とも成功させたいものである。



DSCF9803_convert_20081031191646.jpg

  1. 2008/10/31(金) 19:18:18|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

岐阜国際PTP デンマーク弦楽四重奏団との交流報告‏

岐阜国際PTP協会 小森さんより先日のコンサートのご報告がありました。



****************************



10月11日ー19日の日程で岐阜国際PTP協会が受けいれました
デンマーク弦楽四重奏団とのその仲間たちとの交流の様子をお送りします。
今回は、3年前に来日した楽団のペアハンセンご夫妻(コントラバス)が、
もう一度、緑と山の美しい日本を訪れたいという希望で実現したものです。

12日は、岐阜市未来会館で約300名を集め、
ネパールの学校へ行けない子供たちの支援のためのチャリティコンサートを開催しました。

当日は、ネパールの手工芸品の販売も行い、寄付金とあわせ多くのご支援をいただき、
来年もまた20数名ものラムチェ村の子供らが、1年間、学校へいけることとなりました。

翌日からは、長森南小学校、3箇所の老人ホーム、岐南町やすらぎ苑などで
コンサート&交流を行いました。
特に、赤とんぼ、ふるさと、もみじなど日本の歌の演奏は、すばらしいものでした。
京都旅行では、三千院や金閣寺などを訪問し、日本の美を堪能いただきました。
彼らの日本の感想は、礼儀正しい、親切であるといったものですが、
反面、学校でのあまりの行儀のよさは軍隊みたいだ、という感想もありました。

デンマークの海抜は、最大で140Mしかないそうで、
岐阜の山々を中心とする自然は、かれらのお気に入りでした、
また、日本食もお寿司なども好んでもらえました。

とりわけ、四重奏団の演奏は、すばらしく、モーツアルトのアイネクライネナハトムジクや
ディベルティメントなど親しみのある名曲やヨハンシュトラウスなど
華麗で軽快なテンポの曲を、演奏いただきました。
ご協力いただきましたホストファミリーのみなさんやお手伝いいただきました方々に
この場を借りてお礼申し上げます。

今後とも岐阜国際PTP協会をよろしくお願いいたします。


IMG_0436_convert_20081031191354.jpg

  1. 2008/10/31(金) 19:13:24|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ラムチェ村での体験記

10月13日(月)天気:快晴 気温:20℃ 湿度:52%


前回に続き、若い学生さんが触れた・感じたネパールをお伝えしたい。

今回は大杉さんの体験記です。


*********************************************************


こんにちは!
9月にネパールでお世話になった、大杉です。
はじめに、先日は異国の地で本当にお世話になりました!
ありがとうございました!
そしてこのメールを送るのが大変遅くなってすみません…。
それでは、私がネパール、そして日本で考えたことをかいてみます!

私がネパールに行こうと思ったきっかけは、本当に「ノリ」でした。
大好きな先輩と友達が行くということと、
途上国に行ってみたい、という理由で、今回の旅を決めました。

メンバーのうち3人は、ほとんど初対面でしたが、
6人での旅行というのも、私の中では楽しみの1つでした。

しかし、初めていったのですが、それにしても、
ネパールという国を、私は全く知りませんでした。
調べていこうともしてませんでした。。。
それが結局よかったのか悪かったのか・・・
現地でたくさんのことをどんどん吸収できた自分がいたので、
今回はそれでよかったと思っています。

いくまでに抱いていたネパールのイメージは、

「山の斜面に子どもがたっている」
「砂埃のまち」
「高山」です。

今現在のネパールのイメージは、

「笑顔」
「親切」
「絶景」
「インド」です。
大分かわりました。というより、中身がみえました。.
街の景色も、村の景色も。
本当に自分の知らない土地にきたんだ、と思いました。

*ネパールの人*
日本よりもゴーイングマイウェイな人が多かったです。
ミナや、ラムチェの人たちと接していて、あれ?と思うことや
ふむふむ…と思うことがたくさんありました。
留学も短期留学もしたことのない私で、2週間という長期間海外にでて、
現地の人とくらすことは初めての経験だったので、
色々な発見がありました。
これが「異文化に触れる」ということか、と感じました。

ネパール人といっても、住む地域や民族が異なると、
やはり性格が違うな、と感じました。
ほとんど周りの環境によるものだと思われますが、
カトマンズやポカラの人々は、人慣れしているという感じでした。
観光地だから、自然とそうなりますよね。

ラムチェの人たちは、珍しい人を見る、という感じで私たちを見ていました。
でも、私たちを否定することなく、すごく興味を持って私たちをみてくれていたことは、
本当に嬉しかったですし、色々教えてあげたいな、と思いながらすごしていました。
おもてなしがすきなのには、ほんとに驚きました!
私たちに好意をもってくれていることが、嬉しいと同時に、不思議でした。
そしてラムチェの人に抱いた印象で最も強いのが、「笑顔」でした。
よく笑うし、いい笑い方をするなぁ~と思っていました。
特に面白いことをいったりするわけじゃないのに、笑顔になる。
出会うと微笑みかけてくれる。全く知らない人なのに。
本当にそれがすごい、と感じました。

総じてネパールに人に共通していたのは、「親切」という点でした。
カトマンズ周辺のおいちゃんでも、ずっとお話していると、
結局まけてくれたり、オススメを紹介してくれたり…
皆あたたかいなぁ~としみじみ感じました。

今の日本と比べてみて、日本の状況が悲しくなりました。
人が人を恨みや、カッとなったこと、なんとなく、が理由で殺す、
挨拶や基本的なことができない人がたくさんいる。
国が基本的なマナー向上などに本気で取り組んでいる。
マナーとは、日本ではできたらよいとされるもので、他の国で
は必ずしもできたらよいもの、という同じ認識とは限りませんが、
やっぱりできたほうがいいと思います。
同じ日本人から見ても、今の日本人は、内に何か分からないもやもやをたくさん抱えていて、
いつ爆発するかわからない爆弾を抱えている人が多いと思います。
そんな状況、とても情けないです。
世界を先進国と途上国というくくりで分けることが多いですが、
「人」で国を見てみると、そもそもそんなわけ方はできないんじゃないかと思います。
人として、「優れている」「優れていない」とは、
私が判断できることではないですが、今の日本人には、
ネパール人を見習ってほしい点が、たくさんあります。

*景色*
日本では見たこともないような景色がいっぱいでした。
ラムチェの山、雲、ポカラの湖、カトマンズの信号のない道…
けど、私が一番感動したのは、筋田さんの家からみた、星空でした。
本当に見たこともないくらいのたくさんの星が、空にびっしり敷き詰められていて、
この景色が見られるなんて、最高だな、と思いました。

*環境*
一番気になったことは、ゴミでした。
特にラムチェで1番多いと感じたのですが、お菓子などのナイロンの袋が多い!
ゴミを捨てる習慣がないと聞きましたが、ゴミを焼却するという概念は、
これからネパールでは必要となる概念ではないかと思いました。
生ゴミだったら捨てても土に返る。
しかし、ナイロンでは原形はなくなりません。
あのラムチェまであがる道の状況は、見ていて、感じがよくないな、と思いました。

*自分自身の事*
このたびを通して私が考えたのは、ずっと迷っていた自分の将来のことでした。
このたびで、「何もしなくていい生活」を体験し、その楽しさや、大切さを感じました。
そして、結果的に、私は今就職活動を再開してます。
このたびを通して考えた私にとっての大切なものは、
「周りにいる人々との時間を大事にすること」でした。
これからは、その思いをもって、日々生きていたいな、と思っています。

そして私はネパールでは全く体に支障が出なかったためか、
本当にネパールにはまってしまいました笑。
また絶対いきたいです。
次に行ったときには、また筋田さん、ミナ、ラムチェの人たちに会いたいです^^



では次回「ネパール通信」まで


44444444444.jpg

  1. 2008/10/14(火) 15:43:30|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ラムチェ村での体験から‏

10月11日(土)天気:快晴 気温:21℃ 湿度:55%


今回もネパールでの体験記をお届けします。

何も手を入れないで、ゲストの感じたままを掲載します。

今日は末河さんの体験記です。


**************************************************************


ネパールにいた間に感じたこと、思ったことを箇条書きにします。

● 笑顔

ネパールの人は、特に村の人々は、「ナマステ」と挨拶すると
皆立ち止まって手を合わせてとびきりの笑顔で「ナマステ」って返してくれる。

日本人では考えられない。

世界共通語は英語じゃなくて笑顔だって、ネパールは気付かせてくれた。



● インフラと生活環境

ラムチェ村にいたときは、日本での生活とかけ離れすぎていて
最初は少し衝撃を感じた。

でも生活してみると意外と不便じゃないし、
電気やガス、お風呂などのインフラや
日本人にとっての生活必需品が無いのが
当たり前の人たちの中に入ってしまえば、
自分も無くても生きていけるんだって実感した。

郷に入っては郷に従え、ではないけど、
「無いと生きていけない」ものが
「無くても生きていける」ものだったことに気付けてよかった。

多分今の私は、親に「世界中どこでも好きなところに住んでいいよ」っ
て言われたら、日本でもなく、イギリスでもなく、中国でもなく、
カトマンズでもなく、 ネパールのサンガかラムチェかポカラを選ぶと思う。



●好きなところ

私にはネパールのネガティブな部分なんて、気にならなかった。
きっと潔癖症の人や、神経質な人には合わない国だと思う。

でも私は違った。受け入れられた。

元々細かいことは気にならない性格だったけど、
今回でそれに更に磨きがかかったと思う。
サンガで見たこぼれんばかりの星空と天の川を、私は忘れない。
大変な思いしながら頑張って標高4500mまで登って、そこから

見下ろした雲を、私は忘れない。
ラムチェ村の子供達の笑顔を、私は忘れない。

今すぐにでも戻りたいと思えることが、私の誇り。

今この時期に、あのメンバーでネパールと言う国に行けて、

本当によかった。ネパールは私にとって、生きている実感を、感じられる場所だった。



● 幸せの定義

何をもって幸せとなすか。

お金があることが幸せ?綺麗に着飾ることが幸せ?

ネパールで見た「幸せそう」と、

シンガポールで見た「幸せそう」が

私には違って見えた。

この旅で、幸せは本当に人それぞれなんだなって強く感じた。



● 教育

ネパールの子供達を見ていて思ったのは、
すごく楽しそうに勉強するなってこと。

勉強できる環境があるのは彼らにとって幸せなこと?
そうであって欲しいと願うのは、先進国のエゴなんだろうか?
チョークや教材が不十分だったから、
新しいチョークをたくさん与えたらその大事さを忘れて
無駄に使ったり折って遊んだりするようになったって聞いた。

本当の援助ってなんだろう?
上から何かを与えるだけの援助(日本がよくやってるような)に
意味はあるんだろうか?
でもそれで喜んでる人がいるのも事実だと思う。

すごく頭がいい子が多い。

もう少しきちんとした英語を習えば、
ペラペラになれるだろうなぁって子がたくさんいた。

教育を与えることも、彼らのためになるのか?
でも英語が喋れれば就ける職の幅も広がるはず。

うーん。こんなことをずっと考えていたけど、難しい問題だ。



では次回「ネパール通信」まで


[ラムチェ村での体験から‏]の続きを読む
  1. 2008/10/13(月) 00:38:23|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

朝日新聞に記事が掲載されました

岐阜ネパール会の活動について、朝日新聞に記事が掲載されました(10/11版)

記事の詳細については、以下をご覧ください。

*******************************************************************

ネパールの山間地で暮らす人たちが貧困から抜け出すための支援を続けている「岐阜ネパールの会」が12日、活動に共感したデンマークの演奏家らを招き、岐阜市でチャリティーコンサートを開く。草の根で続けられてきた支援の輪が日本とネパール、デンマークを結んで地球を1周した形になった。

 会は?年前、各務原市の筋田雅則さん(62)と岐阜市の小森忠良さん(50)の2人が中心になって設立し、小森さんが代表を務めている。
 筋田さんは川崎重工業岐阜工場を3年前に退職。会社の山岳部に所属していた70年、パキスタンへ海外遠征した帰路、ネパールに立ち寄った。ヒマラヤの高峰に魅せられ、翌年から正月、春の大型連休、夏休みと、1年に3回、登山やトレッキングへ出かけるのが恒例になった。退職後は、各務原市に妻を残し、1年間のうち10カ月程度をネパールで過ごす。
 筋田さんは現地で子どもたちの笑顔を見ているうちに「何か恩返ししたい」と考えるようになった。ネパールの宿で知り合った日本人の医師と写真家の2人とともに日本ネパール友好協会を立ち上げ、80年ごろから、ネパール各地で学校建設を始めた。これまでに30~40人が通える学校を1年に1校程度開校させてきた。
 しかし協会で学校を作っても、日本円で年間数千円程度の教材費さえ払えずに、通学ができない多くの子どもがいた。また外国人の教師を雇って学校へ派遣しても生活の厳しさから逃げ出してしまう人も少なくなかった。施設を整備するだけでなく、貧困問題を解決しなければいけないと考えた。
 一方、小森さんは十六銀行リスク統括部の課長で、仕事のかたわらホームステイ活動を中心とした国際交流団体「岐阜国際ピープル・トゥ・ピープル協会」の役員として活動している。数年前に、小森さんが招いた外国人学生のホームステイを、筋田さんが受け入れたことで2人のつながりが生まれた。
 ネパールの山間地では、農業しか仕事はない。貧困から抜け出すには、子どもたちに教育が必要だということがなかなか理解されない。筋田さんと小森さんは、「子どもは家事労働力だと考える人が多い。母親たちが現金収入を得るための支援が必要だ」と考え、セーターやマフラー、カバンなどの手工芸品の技術指導と日本での販売ルートの開拓を進めている。
 チャリティーコンサートは、小森さんが役員を務める協会が3年前に岐阜へ招いたデンマークのフルート奏者の女性らが開く。女性は岐阜ネパールの会の活動に興味を持ち、帰国後、教会などでチャリティー演奏会を開いてきた。女性の音楽仲間も共感を持ち、岐阜での弦楽4重奏が実現することになった。
 一時帰国している筋田さんは「女性たちの仕事が軌道に乗り、貧しい子どもたちも学校へ通えるようになるのはまだ5年や10年はかかる。体が動く間は活動を続けたい」と話している。
 演奏会は12日午後1時半から、県民文化ホール未来会館(岐阜市学園町3丁目)で。入場無料。問い合わせは岐阜国際ピープル・トゥ・ピープル協会(058・234・7446)まで。


Mail0085.jpg
  1. 2008/10/12(日) 01:04:13|
  2. 管理人よりお知らせ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ラムチェ村での体験から‏

10月9日(木) 天気:快晴 気温:24℃ 湿度50%


今回も引き続き、ホームステイの感想をお届けします。


今回のリ-ダ-である彼と、1年半前に「ジョムソン街道」で会ってから、
スタディーツアー?の計画を立て、実現した「旅」である。



☆世良さんの「旅」とは・・・・・


自分にとっては、2度目のネパール訪問。


空港に降りてすぐ、人や街の雰囲気に「なつかしさ」を覚えました。
日本からの途中に寄ったシンガポールとは全く違う異国の雰囲気。
その雰囲気の中にいることが、とても心地よかった。

ラムチェ村での生活の中は、ミナの家の子ども達に一番目がいきました。
朝からのミルクを取りに行ったり、草を刈ったり、牛の世話をしたり、
食器を洗ったりと、家族の中で働き手の子ども達。
この光景は、どの途上国でも同じなのだろうなぁ、と感じました。

食事、団欒の後、僕らが2階の寝袋に入る頃に、
縁側で家族が話していた所にお邪魔した日がありました。
その雰囲気がとても静で、ゆっくりであったため、
普段は家族の間で、こんな時が流れているのかな、とも思いました。
テレビや車の音が無く、月明かりの中で家族で過ごすこと。
何を話しているのか、全く分からなかったけれど、
その雰囲気・時間がとても素敵だった。
こんな時間は日本にあるのだろうか。

いつも相対的に考えるのは日本。
何がいいとか悪いとかではないのだけれど、何かを考えずにはいられない。

日本では時間が過ぎていくのが早い。
帰国してから気づけば、一週間が過ぎている。
ネパールで考えた自分たちの生活のこと、ネパールのこと、
人生のことなどは、足を止めて、振り返れるような時もなく過ぎている。
この国の中で生活していれば、全く必要性を感じさせないからだ。

日本で足を止めようとすること自体が難しい。
だからこそ、ネパールや他の国を訪れることによって、
そういった難題に当たってみることが、必要なのかもしれない。
日本じゃできないからこそ、海外という土地・人から
機会を与えて、また力を与えてもらうことができた。
そんな気がします。

あの街中の雑多な感じ。そこいらに根付いている宗教観。
僕はそのような地域・国に何度でも訪れてみたいし、
いつか生活してみたい、と感じてます。

20070224235719_convert_20081010233519.jpg
  1. 2008/10/10(金) 23:33:25|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2008年活動報告‏

10月5日(日)天気:曇り後雨 気温:19℃ 湿度:70%



ゲストのラムチェ村体験記は、この後配信させていただく。



☆この1年の活動概要(会計報告は後日配信予定)

今年1月にネパールに入り、約10ヶ月の活動であった。



【新たな子ども11人の入学】

新入学児童の選択にはじまり、入学手続き・学費の支払い・制服

・かばん・靴(スリッパ)・ノート・鉛筆など学用品を支給して入学完了。

その直後、以前から依頼のあった「ポカリナランタン」の視察に出かけ、

実態を調査して、来年からの支援を約束。

(ここでの実態調査結果は、以前通信で報告済み)

ラムチェ村は、現在新入学児童を含め37人の子どもたちが、学校に通っている。

ここの子どもたちは、全て通学している事を確認して次の支援先に移る事にした。

しかし、26人の子供たちは来年で満期の3年を迎え、支援を停止するが

今年入学した11人の子供は満期の3年まで支援していく事になる。



【日本語とパソコン教室の実施】

スリーサルソティー中学校の校長先生からは、10クラスを卒業した子どもたちに

「パソコン」を教えてやってほしい旨依頼があり、

4・5・6月の3ヶ月間3人の子どもをカトマンドウの

「銀杏旅館」に引き取り日本語とパソコンの教育を実施。

この時点で、はじめて「団体の財産」を持つ事になった。

3人ともほぼパソコンに関しては「触れる」程度までになり、

日本語も日常会話を中心に多少は話せるようにまでなった。

朝晩のあいさつは日本語でできるようにまでなったが、

管理・保守点検など私物との使い分けに若干の神経を使う。

(彼女たちの食費やお小遣いは私費である:ちょっと負担が大きかったのも事実である)

しかし、この間にもラムチェ村の学校行事には参加して

「子どもたち」の様子を見に出かけるため、行動範囲が広くなり

「かなりきつい」仕事になった。



【通学児童の状況と引っ越し】

来年が最後の支援となる26人の子どもたちの「親」が

「完全自立」の形で子どもを学校に通わせる事が出来るよう、

次なる手段(ハンドクラフトなど)を講じる必要がある。

5月に入り、私自身の「ビジネスビザ」を取得するための

手続きに追われる毎日が続いたが、6月には完了。

この時期に「読売テレビ」の取材もあり、きつい日々が続いた。

次の仕事は、活動の拠点であり生活の場である

「自前の銀杏旅館」の建設である。

と言うのも、借家での生活ではライフコストが掛かりすぎ、

ここでの生活が苦しくなる事が見えている今こそ「やるべき」と判断。

借家の場合、毎月25000Rsを5年間もやれば「自前の家」が建ち、

最後には売却すれば、元金以上のものが戻るのもここネパールだから理解できる。

小さいながらも「我が家」の建設を急いだ。(約20m平方)

建設を急いだ理由はもう一つ、毎年・毎月のように「値上げ」が

続くここネパールでは建設費用も大きく違ってくる。

2~4ヶ月のうちに30%~40%もの値上げが起こる現実にストレスを感じないわけにはいかない。

今年7月に買った「土地」は2m平方で65000Rsであったが、

現在9月の時点で100000Rsと大きく値上がり、

「ほっと」としたのも事実である。(現在10円は6.2Rsである)



【ハンドクラフトの先生を育成】

一方、チキンプロジェクトに代わる「ハンドクラフトプロジェクト」は順調に進み、

現在では2人の先生が誕生! 

8月23日からはじめた教室であるが、2ヶ月間は瞬く間に過ぎ、

今年11月20日の「バラビシ ハンドクラフト センター」の開校式に向け、

教室の手配から、生徒の選択・来賓の依頼・(政府・地元・議員など)など、

さまざまな仕事を片付けてきた。

この学校は、入学費用から原材料費用まで全てフリーである。

なぜなら「女性の仕事作り」の一環であり、これによって村での現金収入が可能になり、

自分たちで「子どもを学校に通わす」事ができ、これを作るのは私たちの仕事である。

9月にラムチェ村へ行ってくれた6人の学生には、

彼女たちが練習で作った「ボトルケース」をお土産に持って行っていただいた。

約2ヶ月の研修の後、それぞれの村へ帰り「ラムさんからの依頼製品」を作り、

彼から受け取る現金収入で「子どもを学校」へ、と言うストーリーが私たちの思いである。

上手く行ってくれる事を祈るばかりである。

こうして、多くのゲストをラムチェムラヘ案内する事が出来、

活動の現場を視察していただいた事は今後の活動の源となる事は明らかである。



ゲストの帰国後、多くのみなさんに紹介していただければ幸いである。

これをもって2008年の活動総括としたい。



添付写真は鶏の親子

                                 

では次回「ネパール通信」まで



DSCF9805_convert_20081007004558.jpg

  1. 2008/10/07(火) 00:44:54|
  2. ネパール通信
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

ネパール通信 (330)
管理人よりお知らせ (6)

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード