ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

「ネパール通信」自分の人生を「金太郎飴?」にするな!・・



「ネパール通信」自分の人生を「金太郎飴?」にするな!・・


9月14日木曜日


さて、今回は今年5月に日本に帰国して感じた
「人の生き方と考え方」について触れてみたい。


5月18日に到着して直ぐ翌19日に「KHI養成工時代の同期会」があり出席。

毎年開催されていたようであるが、
退職以降毎年7月から8月にかけて帰国していた私は欠席ばかりであった。
約半数の同期が集まったのは、幹事さんの努力であろう。
自分自身の身体の不調から出席出来ないとか、
親族の体調不良から同期会に来る余裕がないとか、理由は深刻なものばかりである。
みんな同じように年を重ねているにも関わらず、年が違って見えた。
人生も70年あまりを生きて来ると、同年の生活が気になるらしい。
それぞれに、近況報告をしたのだが「殆ど変わらない」生活をしているようだ。


地域の老人クラブでの活動であったり、
自治会やお宮の氏子代表であったりと若い頃には活発なスポーツや趣味をやっていたのだが、
それを止めて地域が準備してくれた老人のスポーツに「はまり込んで」いたり、
中には連れ合いの病からやった事もない「家事」をやる事になったりと
「何処にでもあるような老人」になりきっているのが不思議であった。


こうして日本の「老人社会」が出来ていくのであろう。
しかし、それは自分で選んだ生き方だろうか?
いや違う!
今現在、自分で選択出来る「生き方」で生きている老人など
「殆ど居ない」と言っても過言ではない。

仕方なく「生きている」のであり、過去40年から50年の集大成が今なのである。

それは40年・50年前からの「生き方考え方」が、
70歳を迎えた年寄の生き方を決めているのである。
だから、その元つまり40年・50年前の決断?が如何に大切なのかは、
若い時には理解できるはずもなく、ただ漠然と生きて来たと言うのが本音であろう。



しかし、本当にそうであろうか?
目先の事ばかりが目の前に「目標」として現れ、
先々の事まで考える余裕などあるはずもない。
人より先に出世したい!同期の中でも一番で出世したい!などなど。
何とつまらない「目標」だったのだろうか?
常に「他人は自分をどう見ているのか?」
何時も他人を意識している自分が居る事に疑問さえ持たなかった時代。


同じ線路上での生き方には、競争しか生まれない。

しかし、「違った生き方・考え方」から見れば、
そこには競争は無く単に同期の仲間だけがあり、何時でも相互扶助関係が成り立つのである。


同じ同期の仲間でも、生き方が違う仲間であれば助け合えるのである。
今から30~40年前にあった「金太郎飴」をご存知だろうか?
駄菓子屋さんで売っていたマーカーほどの太さで、
先生が学校で使ったチョーク位の長さだったと記憶している。
細長い飴であるが、何処を切っても「金太郎」の絵が出てくる飴である。
こんな「飴」の人生では面白くも何とも無い。
みんな個性的な人生を作る方が「楽しい」のではないだろうか?

誰も進まない道は先が見えないため、敬遠して進まない。

だから「金太郎飴」が生まれる。
誰の人生?
人が通った道でなく、誰も歩かない自分の道を切り開くべきである。

このことを、これからの若者に伝えたい。


社会や会社組織は「金太郎飴」の方が使いやすい?

果たしてそうだろうか?

それでは、画期的な開発など思いもよらない。

つまりは企業の発展はないと考える。
考え方そのものが問題なのである。


8月中旬に入り、妻から同期の一人S氏が先日「癌」で亡くなられたので、

これから「お通夜」行ってくるとのメールを受けた。
この5月の同期会で幹事をやってくれていた彼は日本酒を飲んでいたが、
飲みながら「実は今、癌なんだ」と言っていた事を思い出していた。
既に捨て身の心境なのかどうかは定かではない。

あれから僅か3ヶ月である。
しかし、今にして思えば5月の段階で末期だったのかもしれない。
ただただ空しい思いである。
いずれは死であるが・・・・
死は何時でも「突然」起こる。
これを忘れて生きている自分が居る。

ここで言える事は、「誰が選択した訳でもなく、自分が選んだ生き方」である事。

この事をしっかり認識しなければならない。



添付写真は「幸せの青い鳥」である。

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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。


では次回「ネパール通信」まで


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「ネパール通信」絵美先生の教員体験談②


「ネパール通信」絵美先生の教員体験談②

9月4日(月)



今回は去る8月1日から8月5日までの日程で
ラムチェ村の中学校で日本語の先生をやって下さった
「絵美先生」のスリーサルソティー中学校での教員体験の報告の2回目の配信です。
原稿は全て原文のままとさせていただきます。



私が学んだ大切なこと②

小河原 絵美



来年の話をすると鬼が笑う?いえいえ、筋田さんは喜んでくれるでしょう!
私は来年の夏、子どもを連れてネパールへ行きます。これはもう決定しました!
子どもは来年高校1年生です。私が日本語の授業を行い、
彼には小学生に絵の書き方やぬり絵など図工を担当してもらいます。
今回私が体験したネパールでのことは、全て子どもと共有しました。
ラムチェ村での生活は半分アウトドアでしたし、都会っ子のわが子はどうかな?と思いながら、
来年一緒に行ってみる?と聞くと、即答「行く。」でした。
驚きです!理由は、新しい発見がしたいとのことでした。
私がネパールに行っていた2週間、おばあちゃんとの2人生活、
どうだったかな~と心配もしていましたが、少し大人になったようです。

子離れがなかなかできない私ですが、程よい距離感で息子と一緒に
ラムチェ村プロジェクトができること、とても嬉しく感じます。
1年かけて計画的に進めたいと思います。



ポカラでの体験もお話したいです。
パラグライダーやトレッキング、ラフティングなどのアクティビティができるということで
欧米からの方がたくさんいる観光地です。
ヒマラヤへの入口としても有名で、私も来年はトレッキングがしたいなぁと。

しかし、それよりもポカラでは大きな出会いがありました。
それはハリオカルカ緑の家ハンセン病療養所へ見学に連れって行ってもらったことです。
敷地内を歩いていると、中庭で子ども達とその親御さんがシートに座って何かプログラムを受けている様子でした。
ちょうどいらっしゃったこの施設の所長であるカルキグルンさんが説明してくださいました。
身体の一部に欠損があり義足や義手をつけている子ども、
病気による変形などで歩行器が必要な子ども、発達の遅れでがある子どもなど、
10人くらいの子ども達が先生と一緒に訓練をしたりマッサージを受けたりしていました。
遠くからこのプログラムを受けに来ている親子が多く、
先生から訓練の方法を学ぶことで、家に帰ってからも続けることができます。
私の勤務する小学校でも専門の先生が、週に一度同じような訓練をしきます。

しかしネパールの通常の学校は日本とは違うようです。
歩けないと学校に通えない、そして学べない。
盲学校や聾学校などの支援学校はあります。

しかし通常の学校には支援学級がどうやらなさそうです。
カルキグルン所長は「今行なっているこの活動が、この子達の未来を変える」と何度もおっしゃっていました。
ただ資金面で困難を抱えており、2018年に支援金が終わり、
このままではプログラムを続けることができないようです。あの子ども達は訓練をがんばっていました。
そうすることで学校に通うことができ、多くのチャンスを掴むことができます。
未来は開けていきます。私はあの子ども達の今を逃してはいけないと感じています。
自分にできることは何だろう、考えています。



筋田さんには、誰かのために何かをしたい時の心構えを教えていただきました。
「自分がその人の為に何かをして、
その人がハッピーと感じたなら、それを見た自分の脳もハッピーと感じる」
つまり、相手もハッピー自分もハッピーです。難しいことは何もありません。

また「支援」や「ボランティア」という言葉を筋田さんは使いません。「ソーシャルワーク」です。
何かをしてあげる」のではなく「自分は相手から学ばせてもらっている」このスタンスで活動されています。
自分一人で気持ちよくなってはいけない、常にお互いが気持ちよい状態であること。
WinWinの関係であること。相手と同じ目線に立って考えること。
考え方を学ぶことができました。本当にありがとうございます!



日本に帰って来てから、やはり情報量が多くいろいろなことが目に映り、迷ってしまいます。
そんな時はサウンドボール(お仏壇に置いてあるチーンと鳴らす鐘のような形で、
木の棒で外側をなぞり続けると、ウィーンと音が出る瞑想ツール)を使って、
自分の頭の中を一度空っぽにし、自分にとって何が大切か、
自分と対話をする時間を時々持つようにしています。

時間は刻々と進んでいきます。今この時を大切に、自分の思いに正直に。
そして20年後の自分のイメージを描いて、1年後、2年後にマイルストーンを置く。
理想はたくさんあります。そして難しいことや知らないことばかりです。
ただなりたい自分になれるように、学び続けます!

私の新たなチャレンジは始まったばかりです。

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「ネパール通信」絵美先生の教員体験談①

「ネパール通信」絵美先生の教員体験談①


8月27日(日)

今回は去る8月1日から8月5日までの日程で
ラムチェ村の中学校で日本語の先生をやって下さった
「絵美先生」のスリーサルソティー中学校での教員体験の報告を
2回に亘り掲載させていただきたい。原稿は全て原文のままとさせていただいた。



私が学んだ大切なこと①
小河原 絵美
ナマステ!私はこの挨拶が大好きです。
両手を合わせて相手の中にいる神様に手を合わせているように感じるからです。
日本に帰ってきてからもナマステの心で「いただきます」「ごちそうさま」をしています。

さて、ネパールから日本に戻ってはや1週間が経ちました。
私の中のネパール、ラムチェ村、雄大な山々、筋田さん、筋田さんファミリー、
そしてラムチェ村の子ども達、犬、牛、花…そしてダル(豆のスープ)全てが懐かしくて、
日が経つに連れてネパールへの想いは強くなる一方です。
「エミ」とネパール語で書かれたネックレスは毎日身に付けています。
どうしてこんなに強く想うのでしょうか?
自分の心に改めて尋ねてみようと思います。

私がネパールに行こうと思ったきっかけは、知人の紹介でした。
「スタディーツアーに参加するより費用は安くつくよ!」
が決め手でしょうか、なんの躊躇もなく即決しました。
ネパールの情報はあまり調べず、出発日にビザの取り方や飛行機の座席の取り方を
偶然居合わせた知人が教えてくれましたし、
私はラムチェ村の子ども達にどんな授業をしようかとだけ考えていました。
教材は、折り紙、ネームカード、あいさつなどをラミネートしたもの、
色紙(ここに何か書いてもらって自分の小学校の子ども達にネパール語を見せたかったので)
リコーダー、鍵盤ハーモニカの吹き口などです。

あの時の私は自分がこれから生きていく上でヒントとなるものをたくさん集めたかったのかもしれません。
自分の人生がどうなっていくのか見通しは立ちませんでした。
でも『こども』がいつだってキーワードでした。
ネパールの子ども達に出会い、自分が何をどう感じるのか知りたかったですし、学び取りたかったのです。
このように私は、導かれるようにしてネパールに着きました。
大阪から東京に行くような感覚です。空港を出るとすぐに『小河原さ~ん!』というボードが目に飛び込んできました。
ラスミ(末っ子)が出迎えてくれました。
名前の表記がなんだか面白いし、ラスミは可愛いですし、とても嬉しかったです。ありがとうございました!
私の頭の中は見たことのないカトマンズのごちゃごちゃした光景やカラフルな建物、
行き交う人びとの様子に圧倒され、日本とは全く違う環境にきたー!とワクワク感でいっぱいでした。

山をジープで登ったところにピンクの大きな建物がありました。
『銀杏旅館』です。『ぎんなん旅館』ではありません『いちょう旅館』です。
筋田さんはビッグスマイルで出迎えてくれました。
2階の廊下はバルコニーのようになっていて、180度見渡せる素晴らしい景色の中、
美味しくお昼ご飯をいただきました。まさか素麺やぜんざいが食べられるとは思いませんでした。筋
田さんが以前日本に帰国されている時に、どんな活動にしたいのか打ち合わせをしていたので、
安心してネパール生活をスタートすることができました。

でも、これだけ気さくな筋田さんとはいえ、
他人とずっと一緒に活動するということが私の生活にはなかったので少し不安でした。
なのでラムチェ村で筋田さんと同じ部屋に寝泊りすることが、実は私にとって最初のチャレンジでした。

筋田さんはよくベットで横になっていました。
考え事をしているのか、寝ているのかよくわかりませんでしたが、
その姿がだんだん涅槃像に見えてきました。というのも、たくさんお話をさせてもらったからです。
たくさん人生の指針を教えてくださったからです。
ラムチェ村の学校では、英語が通じるだろう中高生に日本語の授業を3日間行いました。
私はホワイトボードにひらがなを書きましたが、みんなに書いてもらおうとは思っていませんでした。
負担が大きいからです。しかし、みんな見よう見まねでノートに書き写していました。
うまっ!びっくりしました。私はネパール語で「エミ」と書くのでも必死です。
授業の進め方はゆっくり丁寧に!と思いながらも初日は、テンション高めで慌ててしまいました。
その反省で2日目は一人ひとりを大切に!わからない子ゼロ!に注意しながら授業を進めました。

私の中での大成功は「名簿」を作ったことです。
日本から持ってきた色紙に子ども達一人ひとりの名前をネパール語と英語で書いてもらいました。
計109人!こんなにたくさんの中高生と関われるなんて本当に有難いです。
日本語が少しでもできると、何か未来に繋がるきっかけができるかもしれません。
「仕事がない」そんなネパールの状況の中、日本語ができることはこれから未来へ進んでいくときの武器となります。
ラムチェ村が日本語特区になれば面白いですね、と話が飛びました…。
私は書いてもらった英語の名前をカタカナに直しました。
「ビピン」「オルン」「オンキタ」…わからない名前はパンネくん(長男)に教えてもらったり、
子どもに読んでもらったりしました。

2日目の朝、朝なのに「こんにちはー!」と元気よく挨拶をし、
一人ひとりの名前を呼びながらカードを渡しました。
みんな喜んで受け取ってくれ、ある子は早速ノートに書いて練習をしていました。
私の今回の日本語の授業の大きなめあては、「自分の名前が日本語で書けるようになる」
「日本人が村に来たときに対応できるように、あいさつや簡単な質問ができる」です。
名前は早速クリアできました。(※書き方には個人差ありです)会話練習もみんな大きな声で、
熱心に取り組んでくれました。嬉しい瞬間です。ありがとうございました!

休み時間に近くの売店(山の中の小さなお店)に行ってお茶するのも楽しかったです。
子ども達の食生活を間見ることができました。
びっくり料理?はポン菓子とベビースターラーメンのようなお菓子をボールに入れて
、酢や香辛料?刻んだたまねぎを入れてよく混ぜる。なんだこりゃと思っている間にノートを1ページ破り、
その上にカッポっとオムライスのようにひっくり返して出来上がりです。
女の子3人くらいでおしゃべりしながら食べていました。
私も味見したいところですが、お腹の方が大事です。でも気になりました。

私は、ラムチェ村の生活を今一番思い出します。子ども達が朝、午後、夕方、構わず遊びに来てくれます。
筋田さんの建てているモデルハウスは、コミュニティーハウスのようです。
子ども達は折り紙が大好きで、詳しく言うと「折り紙で手裏剣を折ってもらうのが」大好きです。
みんな「エスター」と言い、どうやら「s」の前にこちらでは「e」を付けるそうで、
「スクール」も「エスクール」なんですね。もはや手裏剣ではなくスターです。
ある子は「にんじゃー」「ハットリくん」とか言って遊んでいたので、知っているんですね。
そうやって、折り方を私は一人でも伝授したくて折り続けました。
折り紙は手先の細かい作業の訓練にもなりますし、図形の感覚も鍛えられると思います。
賢くなるツールなので来年も子ども達とたくさん折り紙で遊びたいです。

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「ネパール通信」雨期のラムチェ村で「日本語教育」

「ネパール通信」雨期のラムチェ村で「日本語教育」

8月16日(水)天気:雨 気温:27℃ 湿度:60%


はじめに、約1週間ほど遅配した事をお詫びしたい。

今回は、8月1日から5日までの間、日本の教師による復興
最中のスリーサルソティー中学校での「日本語教育」についてお伝えしたい。

7月31日のTGで来られた、(おなご先生)「Eさん」には、
事前にお願いしていた村の小学校での日本語教師の件は、
災害復興支援でラムチェ村を訪問される日本人が多い事から
校長先生から直接依頼されていた結果である。
本当にタイミングの良い出会いであったと、神様に感謝感謝であった。

1日の早朝7時に銀杏旅館を出発し、バネパまではローカルバスで移動。
バネパに着いて直ぐに、バラビシ行きのバスに乗り換え一路バラビシへ!
途中、復興中のシンドパルチョークの家家を観ながら3時間の道のりである。

トイレを心配しながらの3時間であったが、
途中でサモサなどを買い込んでバスに揺られながら食事をしたが、
何の問題も無くバラビシに到着。
昼食の「焼きそば」を何時ものレストランで食べながら
ラムチェ村まで行くジープとパトネちゃんを待っていた。
彼は、モデルハウスの機材である鉄パイプなど、
屋上の屋根を作る材料を購入してきて約1時間ほど待たされたが準備完了。

いざラムチェ村へ出発!12時半ごろであった。
初めてジープに乗ったEさんは、必死に車に摑まっていたが
「力を入れてる」と疲れると伝え、
揺れるに任せるよう「ジープの乗り方」を話した。
このジープでモデルハウスの前までジープで乗り入れる事ができた。
モデルハウスの入り口へは、道路から2mほど下りなければならず、
斜面を僅かに削ったステップを頼りに下った。

4つの部屋のうちの、一部屋を使って今回の宿泊場所とした。
ここでの食事は、すべてパトネちゃんのお嫁さんであるウルミラちゃんの料理である。
翌朝10時ごろ、ゆっくりと学校に向かい職員室?に入り校長先生と
英語で「何年生のクラスから始めるのか」を確認。
7年生から40分づつ始める事になった。

最初は自己紹介からはじめ、生徒全員の自己紹介が終わってから、
いよいよ本来の勉強がはじまった。
やはり、本物の先生である。
この学校での活動報告にについては、後日の「Eーおなご先生」にお任せしたい。
子供の扱いや、教え方が私とは大きく違う。(これは当たり前だが・・)
丁寧な教え方に関心していたが、
自分の小学校のころを思い出そうとしたが無理な事であった。
それも当然、勉強をした記憶がほとんど無く「遊んだ」事は良く覚えているのである。

何せ、親から「勉強をしなさい」と言われた記憶が全く無く
家で教科書を開いた記憶も無い私だから・・・

そんな私が、今やっている仕事は「子供に勉強をして欲しい」
と親に子供にお願いして村の家々を回るのである。
これは、神様の私に対する「お仕置き」であろう。
さて、こうして学校での教師活動を3日間実施した「E-おなご先生」はやはりプロである。

学校が終了しても、宿舎(モデルハウス)まで遊びに来る子供たちと
夕食時刻まで「折り紙やピヤニカ・リコーダーなどで遊び、
子供たちもしっかり遊んでくれる「E-おなご先生」にべったりの3日間であった。
E-おなご先生には、日本とは違う子供の対応にもめげず、
よくがんばってくれたと感謝するばかりである。
早ければ、次回通信にはE-おなご先生のレポートを配信できるかもしれない。


添付写真は教室内でのスナップである。

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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。


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「ネパール通信」雨期のネパールで「色・即是・空」


「ネパール通信」雨期のネパールで「色・即是・空」

7月26日(水)天気:曇り 気温:22℃ 湿度:70%


今回は、雨期のネパールの状態をお伝えして「人の生き方を考え」
現在の日本のおかれている国内外の情勢をも見つめ直してみたい。

最近、2週間ほど前から夜明け前の2時間ほどは「雲の中」で、
何も見えない状態が続いている。
時折、雲の切れ間から顔を出す「ヒマラヤ」は、毎日違う
ヒマラヤを見せてくれるから嬉しい。

さて、本題に入ろう。
先般の「雲上の田植え」は無事終了し、急な傾斜の段々畑は
「緑一面の田んぼ」が「命のはじまり」のような感じさえする景色である。
一方、今年はじめから空転している「日本の国会」は結果
「何も生まない」空論だけで終始して、
国民を愚弄したマスコミへの批判だけが残った感がある。

今回の騒動で残ったものは「空しさ」だけであった。
表面に出て来たのは、役人たちの「天下り既得権」争いと、
それを打ち破ろうとする政府の図式である。
野党もメディアもお粗末な結果をさらけ出し、
益々有権者を国政から遠ざけている。

そんな、国内論争をよそに北朝鮮では
「何時でも核を打ち込むぞ!」と言わんばかりの威圧を続けている。

日本は拉致された方々の問題もあり、
必死に対応しなければならない状況にも関わらず
「森そば・掛けそば」論議で終始。

拉致された方々も「現在の憲法」では奪還出来ない事は
多くのみなさんがご存知のはずである。
日本国として一番必要な国民を守る事の出来ないような
日本にはなって欲しくない。

世間では今回の憲法改正は「戦争憲法」とか「天皇不要論」
まで出てきているが、その日本は正に言論の自由な国であり、
この国家は世界でも類を見ない
「一番古くから地球上に存在」する国なのである。

紀元節を思い起こしていただきたい。
私の小学校のころには、勉強の出来なかった私でも
「筆箱」には鉛筆を削るナイフが入っていた。
(今のような鉛筆削りは無かった時代である)
母親に鉛筆の削り方を教えてもらい、小さいころからナイフの
使い方を覚えたものであった。
指先を何度も切って、その痛みを覚えた。
だからナイフは如何に使うかを知っていた。
だが、今は危険だからとそれをしない。
子供に教えないのである。
重要なのはナイフ?(武器)の使い方であって、それを取り上げる事ではない。
取り上げたナイフ?の使い方を、永久に理解されないまま
大人になった子供たちがいっぱい存在するのが、現在の日本である。

抑止力を有効にするための、諸策や法的整備一日も早くを実施し
拉致被害者の奪還や北からの脅威に備えるべきであろう。
彼ら被害者も、もう高齢になってきている。

雲が切れていくに従って、緑の景色が視界に広がっていく姿は
「万華鏡」のような錯覚さえ覚える。
表題の「色・即是・空」は、そんな国の動きには
全く関係が無いような言葉ではあるが、人間の愚かさを「嘲笑って」いるようである。
添付写真は霧の薄れて行くサンガの景色とカトマンドウの市場である。
井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。

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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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