ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

「ネパール通信」大学生のラムチェ村と小学校

「ネパール通信」大学生のラムチェ村と小学校

2月24日(金)天気:曇り 気温:21℃ 湿度:40%




今回は、福井県の仁愛女子短期大学のみなさんと先生による、
ラムチェ村での体験を目的に村で出会った「子供たちとのふれあい」をお伝えしたい。

なお、後日それぞれの学生さんたちによる報告があるが、
今回は短期間での滞在で書ききれない部分もあろうかと、全体を大まかに報告しておきたい。


2月16日午後、TGでネパール入りした一行は、(19歳の3名と20歳が一人)
ミナの出迎える空港から直接サンガの「銀杏旅館」に来ていただいた。

翌日の準備と部屋割りを済ませ、夕食は「ネパールのダルバート」で
はじめての異国の料理に心配しながらのスプーンの運びであったが、ほぼ全員が完食していただき、まずは一安心であった。


翌日の荷物(洗面具と趣向品・学校で使う教材)を区分して、「やぐらコタツ」で雑談。



2月の終わりとは言え、まだまだ寒い朝晩である。

雑談は10時を廻ってやっと終了、「ゆたんぽ」のベッドへ移動。

翌朝8時出発のため、6時半に朝食をして7字半には荷物をリビングに降ろして出発前の点検。
やはり、心配していたミナが一番遅く出てきた。

予定より20分遅れで出発!一路バラビシヘ。
途中「ドラルガル」でキャンデーや果物を購入し、トイレを済ませて再び出発。

目的のスリーサルソティーセカンダリースクールでは、子供たちが待っていると思うと気が焦る。

バラビシに到着し、別の仕事で来ていた九州の女子大生と合流して
昼食の「チャウメン」の目玉焼き乗せを食べるも、乾燥肉を止めてくれるよう伝える事を忘れて、
「てんこもり」のやきそばに乾燥肉が一杯。
しぶしぶ食べ始めたが、流石女子大生「私が貰います」と言ってくれた。

ここからは、インドの軽いジープに乗り換えて急な坂道を登る事約50分、
ただでさえ狭い山道に大きなトラックが「ショックアブソバー」を直していて、約30分ほど休憩。

予定の時間から30分ほど送れて小学校に到着。

既に、セレモニーの準備は出来ていて子供や父兄も学校で待っていた。

初めに、歓迎の花輪の贈呈が行われて、続いて新旧の校長先生やスンダルラマ
(パトネちゃん)の挨拶につづいて「澤崎先生」の挨拶(ミナの通訳)があり、
来年度から支援する子供たち27名に対し制服やカバン・文房具やスリッパなどを配布、
これには女子学生がお手伝いしていただき、早々に終えた。

つづいて、運んで来た400着の子どもの衣類の配布もお手伝いしていただき、無事配布を終了出来た。

何時もは、大変な苦労をして色やサイズを見て配布していたが、今回は衣類の数を主に配付したため、
後はそれぞれに交換してもらうのもありと言う説明で順調に配付を終えた。

新聞記者も来ていて、澤崎先生にも取材がありなかなか盛大に式典が終った事は幸いであった。


ゆっくりと、ミナのお母さんの待つコテージに向かうが、やはり登りはちょっと疲れる。午後3時10分コテージ到着。

コテージに着くと、ミナのお母さんが作った紅茶で一息。

休息後、みんなで今夜の「ねぐら」であるテントを張る。
まだまだ、明るい村を散策するためミナのガイドで出かける。
薄暗くなる時刻に全員が戻った。

ミナのお母さんのダリバートと「有精卵」の「卵ごはん」で満足満足。

翌日は土曜日で、学校は休み。
この日も村の散策、ビッグストーンや親戚の家さらには、
近隣の家のご婦人に誘われて「国際交流花盛り」と言った一日であった。

いよいよ、サンガに戻る日は午前中は学生さんたちによる「授業」の体験日である。

ここの内容については、後日の報告を待っていただきたい。

ちょうど12時ごろ全員が小学校からコテージに戻った。

パトネちゃんの奥さんが、「じゃがいも」をボイルして出してくれた。
これに、自家製のバターと塩を付けて食べるが、これがまた旨い。

12時半ごろジープの待つチョータラまで降りて行き、ミナのお母さんお礼を言っていざバラビシへ出発!
(登りでも下りでも所要時間は同じ)

1時半ごろに到着したが、やはり体中が「がたがた」で疲れる事この上ない。

サンガまで行くジープは既に待っていて、多少の買い物を済ませて再びジープに乗り込む。

午後4時無事サンガの銀杏旅館に到着!

この日の夕食は「日本食」である。

お風呂に入って身体を休ませてから、「やぐらこたつ」で食べる日本食はやはり、
「日本人だなぁ~」と思うひと時である。

学生さんたちの報告は後日掲載。乞うご期待!

添付写真は出発の様子と学生さんたちの小学校での様子

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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。





では次回「ネパール通信」まで



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  1. 2017/02/24(金) 23:10:41|
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「ネパール通信」日本人である事に誇りを持て!

「ネパール通信」日本人である事に誇りを持て!

2月16日(木)天気:快晴 気温13℃ 湿度43%






今回は、昨今の世界情勢から「日本に対する痛がらせ」や「中傷」が
近隣諸国から飛んできているが、決して怯まず前進して欲しい旨をお伝えしたいと考え配信させていただいた。



日本の国の歴史は、「紀元節」でも解るように、2000年以上の独立国家であり、
今まで一度も諸外国の植民地とされた事のない国であると同時に、設立1000年以上の会社
(宮大工の金剛組など)が存在するのも日本だけである。

周りを見回しても、2000年を超える現存する国家は「日本」だけである。


アメリカにしても建国300年足らず、ヨーロッパ諸国にしても2000年以上の歴史を持つ国はない。



何度も「侵略や属国」として生きて来た、長い歴史があるだけである。

日本には現存する会社だけでも、設立100年や200年の老舗は何1千社とあり、
欧米諸国でもそんな国はないし、会社もない。

日本の大手・中小手と言っても技術では、小回りの利く中小手の方が
極めて特殊な技術や技能を持っていて、それで成り立っている企業が多いのも日本の特徴であろう。



何せ、町工場から宇宙ロケットが飛び出す技術を持った国なのである。

ではなぜそんな国「日本」が、諸外国と大きくかけ離れた「歴史を積み重ねる」事が出来たかと言えば、
運や立地条件ばかりではなく、優れた「物の考え方」にあったようである。



例えば「古代中国の文化と教え」や「宗教」の導入により、
「よりよい物の考え方」を日本人なりに作り上げて行った結果が、現在の日本を形作っているのであろう。

では、中国はなぜそうした「素晴らしい教育や文化」が継承されていないのかと言うと、
「儒教」の考え方から来る「前政権の否定」から起こった「歴史の削除」にあると言っても過言ではない。


生まれながらにして存在する「儒教の序列社会」
これが、今の韓国や中国の生きる為の考え方となっている。

だから、中国や韓国の下に位置する日本とは「共に栄える」事は無いし、「恨みと憎しみ」が彼らの支えでもある。
何時か分かち合える日が、来るのを待っても無駄だろうか?

僅かに200年や300年の歴史を、何度も「削除」して来た結果が
今の中国の現在の形を作っているのであろう。  韓国も然り。


従って、何の継承も無く中国4000年の間、100年や200年の
歴史が繰り返され、「指導者の交代」が行われてきた結果である。
つまり、積み重ねる「物の考え方・技能・文化」と言ったものが、
時代が変わる度に「削除」され「白紙化」して来たのが「儒教の国・中国」ではないだろうか?


「孔子・孟子・孫子や三国志などに観る多くの優れた人材」すら否定されて
「消し去られた」現実(近年では文化大革命など)を知ればうなずける結果である。


それを学んで継承してきたのは、他ならぬ「日本」であった。

古くは1000年以上の昔から。
多くの知識が中国や韓国を通して日本に入り、
現在も尚、継承されている「物の考え方」は日本独自の「物の考え方」として生まれ変わって生きているのである。

そんな日本民族は、世界でも数少ない希少な民族と言えよう。

さらに、もう一つの支えは「武士道」の精神である。

極最近になって、やっと欧米諸国にも理解され始めた「武士道の精神」は
「まさに人の生き方」そのものである。

こうした「精神力」が全ての「粘り強く揺ぎ無い物の考え方」になっているのである。

それが、「日本人」であると信じて疑わない。




今回の通信では「気を悪く」された方もあろうかと考えるが、
「日本を憂う」当方の考え方であり、ご容赦いただきたい。

添付写真は抗がん剤として飲んでいる「冬虫夏草」と
投薬中の当方さらに菩提樹の葉っぱに描かれたコースター?


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  1. 2017/02/16(木) 22:40:15|
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「ネパール通信」支援活動の「新たな問題」の続出

「ネパール通信」支援活動の「新たな問題」の続出

2月11日(土) 天気:快晴 気温:13℃ 湿度:50%




今回は、ここネパールにおける支援活動での、新たな問題をお伝えしたい。

それは、支援者側の年齢であり、一緒に活動する若者の年齢である。

当方の場合、当初ネパールの「ある一家族の子供」の学費・生活費用などの
支援をしながら10年生終了と共に、一緒に生活して
さらに学費支援・生活支援を継続する形で活動をやってきた。

しかし、近年当方が70歳を超えてから特に子供の年齢も高くなり
高校から次のステップへと上がり、将来に具体的な「夢も」もなく
「兎に角学歴」だけを獲得しなくてはと言う風潮が極めて一般的になって来た。

当方の一緒に生活している子供も然り。

でも、ここネパールでは就職活動は極めて困難で、あってはならないのだが
「カーストによる職業の固定化」や絶対的に不足する雇用問題など、
高学歴でも無理な就職は、昨今の世界状況の中でも最も困難な国、それがネパールなのである。

現在でもカトマンドウ市内や周辺に住む若者にとっては、既に親が仕事に着いていて、
生活も困らない人々は大学を自力で卒業し、
外国への出稼ぎや国内での就職活動も「縁故」による就職も可能であるが、
山岳民族で畑も借りてやっている貧困家庭では「とても望めない」就職活動である。

ネパールの支援活動をされている日本の方々も、
「この大きな貧富の差」を超えてまでの活動は現実的に無理なようであり、
それはボランティア活動を遥かに超えた国レベルの活動になるのであろう。

しかし、支援する側と受ける側の年齢も高くなり、支援に必要な金額も増えてくるのが現実である。



今回も高校を出て大学へ進もうとする「我が家の子供(アシス)」が突然やってきて
「お父さん大学の学費を15000Rs出してください。」と言ってきた。

ここでは、入学は容易で高校の卒業証書さえあれば入学できるのである。

彼は高校を出て、電気の専門学校を出て現在大学を目指しているのである。

私は「今は時期が悪い、後1年待って欲しい旨」伝え納得してもらったが、
大学を出ても就職がない現状では「無駄なお金」になってしまう事は明白である。

現在、銀杏旅館の修復工事やモデルハウス、さらには当方の医者に掛かる費用などで
出費が困難なことを理解してもらい、1年の延期を言い渡したが、
目的の無い大学入学には反対で、それまでには目的を持ってくれるよう依頼しておいたが、
彼らに「目的を持て」と言うのは極めて困難な環境で、何でも就職できれば良いのが今のネパールの就職環境と言える。

ましてや女性ともなればなおさらで、進学を選ぶより現在目の前にある就職に走るのが現実である。


それほど、「夢の持てない環境」である国である事、を理解していただきたい。


しかし、多くの勉強をしてもよほどの学力でなければ就職までたどり着く事は出来ず、
自分で仕事を作り出すより他に道はないのが現状である。

これも極一部の若者だけで、多くの大学を出た若者はそれすら出来ずに、
家にいるか外国への出稼ぎを目指すより他に方法がないのである。



添付写真はカトマンドウの雑踏である。


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「ネパール通信」ネパールのインフラ整備は・・・

「ネパール通信」ネパールのインフラ整備は・・・

1月29日(日)天気:快晴 気温:15℃ 湿度:50%




今回は、ここネパールに於ける「インフラ」整備の進捗についてお伝えしたい。


2年前の地震で、老朽化していた家屋や施設は殆どが倒壊した。
その折、カトマンドウ市内の家屋はと言うと、60%以上の家が現在も使用している家屋がある。
倒壊していいないのである。


ネパールに来られた方であれば理解できるが、家と家がお互いに「もたれあって」建っているのある。
多くは内庭を持っていて、その庭(広場)にはヒンズーの仏塔?が建っている。
それを囲むように丸く家々が繋がっているのである。
これが、大きな地震にも関わらず倒壊しなくて済んだ理由である。

大半の家々では「つっかい棒」がされていて「何時直すのか」は全く未定のまま、
狭い通路にこの「棒」がはみ出している光景は当分続くとみられる。

政府も「こんな家を作りなさい」とは訴えているものの、
「先立つもの:お金」が無ければ誰も改修など出来ないのが現実である。


しかし、最近カトマンドウ市内もその郊外でも「多くの家」の新築が目立って来た。
どこからその「先立つもの」お金」が入って来るのだろうか?
我が家の銀杏旅館の村?でも10軒あまりの家が新築(最新構造による)されて来たのである。

普段は「お金が無い」と言っていながら、いざとなると何処からか「お金」が入って来るから不思議?である。
それほど「貧乏」でもないのかなぁ~???
借金・・何処から・・多くは親戚や銀行・・蓄えた預金?・・などなど。



さて、政府は現在どんなインフラ整備をやろうとしてるのかと言うと、
手始めはカトマンドウの市内を廻る「リングロード」の拡張工事である。

次に、カトマンドウ市内へ引き込む「飲料水」の水路。
国内の飛行場の滑走路整備や有料のアクセス道路の整備など、
手がける箇所は多いのだが、ここでも「先立つもの:お金」が必要で、
民間と政府による出資で作るより方法がないのが現実である。

民間となれば、銀行が主たる出資者であり、現在カトマンドウには
「竹の子のように乱立」した銀行が多い。(日本でもこれほどの数の銀行はない)


しかし、工事には当然「重機械」が必要になるが、絶対数が不足。
ODAで使った重機械はそのまま民間に払い下げられて「リース会社」となり、ネパール各地に配られるのである。
ここの「工事のやり方」にも問題があり、期間が長引く原因にもなっている。


日本であれば、主要幹線道路などの工事は、昼間は物流や一般が使用して、
夜間に集中して行われているが、ここでは反対で、道路封鎖して工事を昼間の時間のみ行うのである。
この間の物流は極限まで縮小して、都市部では不足する物資も出てくる始末。


国が変われば常識も変わる。
以前にもお伝えしたがモーターバイクのドライバーが使用するヘルメットは同乗者は「してはならない」ものであった。
この理由が??で、5~6年前の事件で、ある銀行がフルフェイスのヘルメットの二人組に襲われて現金が強奪された。
そのため、顔が分からず未だに摑まっていないのである。
3年ほど前から同乗者もヘルメットをしても良くなったが???

こんな状況の中で行うインフラ整備も「遅々として進まない」のが理解できであろう。
来月には現在のプライミニスターである、マオバティーパーティーのプラチャンダ氏も任期満了となるが、
果たして正常に選挙が出来るかどうかが注目されるところでもある。


添付写真は現在のカトマンドウ市内の「つっかい棒」の状況である。


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「ネパール通信」先の見えない世界平和?の懸念


「ネパール通信」先の見えない世界平和?の懸念



1月21日(土)天気:快晴(ヒマラ全開)気温:15℃ 湿度:55%

今回は、ここネパールから見える「世界平和」の未来についてお伝えしたい。

日本に住んでいると、直ぐお隣の国々の情報ですら聞き逃しているのが日本のみなさんの状況かと考えます。
今や全世界は「きな臭い」アンバランの上に立っています。
好むと好まざるに関わらず、地球上のあらゆる国々が「生存競争」を生き抜くために「争って」います。
「分け合えば余るのに」とは「相田みつお」さんの言葉であるが、それが出来ない人間の「多い事多い事」。

さて、人は元来「争う」生き物なのだろうか?

ず~と以前「石器時代」などは一つの「獲物」を部落全員で「倒して」得る食べ物であった。
しかし、獲物が少なくなると「争い」が発生、現代も古代も似たようなものである。

ここネパールでは、今多くの中国の方々が「移住?」してきている。
しかも、大金を抱えての移住である。

こんな小さな国「ネパール」の「大きなホテル」を買い占めているのである。
ヨーロッパの方々曰く、「中国がネパールを買っている」と言うのである。

日本でも同様な事は「日本各地」で行われていて、
日本列島が中国に買い占められるのではとの「懸念」さえ払拭出来ない状態である。

ネパールでは、大きな都市(ポカラ・カトマンドウ・バイラワ・カカルッビッタ)などのホテルや
田畑が買い占められて、中国系のお店に変わっていくのである。
中国の人口に比べれば、ネパールの人口など、「ごみ」の存在同様であろう。

1億人の「大富豪」による、世界侵略が始まったのである。
誰にも悔い止められない「世界侵略」である。
母国で生活出来なくなった、中国の国民が世界に流れ出始めたのある。

ヨーロッパ各地、中東・東南アジア・インド・中南米に至るまで、侵略が進んでいるのである。
まさに「イナゴの大群」の襲来である。

彼らには「新たに創造」する事はない。

ただただ「食いつぶす」のみである。
後には「完全な砂漠」が広がる事になる。

10年前には、全く居なかった中国の方々は、今や全世界に広がりを見せていて、留まる事を知らない。
中国経済の崩壊とは「国民の海外脱出」ではないだろうか?
今や世界の工場とまで言われた中国の「ものづくり」であったが、
既に東南アジアに移行していて、歯止めがかからない。

中国政府も必死で企業移転を引き止めに掛かっているが、
一旦逃げに動いた企業は何をされても引き上げに必死であろう。

しかし、この引き上げは「命がけ」の撤退である。

中国政府の政策や法律の改定などにより、経営者の身体まで「拘束」出来る法律が出来ていて
逃げるも地獄、残るも地獄を見ることになる「多くの日本企業」の実態が連日のように囁かれている。

みなさんも、ちょっと聞き耳をたててご覧なさい。

きっと聞こえますよ、中国に進出した企業の「嘆き」が・・・・
マスコミも決して報道しない。???
変な日本になっているのである。


添付写真は、日常のローカルバスの内部と芋祭りの主役。
さらには、突然発生したストライキに右往左往するドライバーたちである。

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  1. 2017/01/21(土) 09:46:56|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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