ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

10月16日 「ネパール通信」ネパールで衆議院選挙!

10月16日 「ネパール通信」ネパールで衆議院選挙!




今回は、ダサインの終わったネパールで行う、
衆議院選挙について感じた事をお伝えしたい。
先般、下記のメールが来て投票要領が理解できたが
「肝心の立候補者」が明確になっていない10月11日からの投票開始なのである。
日本の皆さんも同様の思いのはずで、何処の党?誰?スローガンは?
これは国の問題ではなく、各党の準備不足から起きた不備であろう。





衆議院総選挙の予定に関する御案内
ネパール在住の在外選挙登録をされた皆様へ

                                  在ネパール日本国大使館

 第48回衆議院総選挙の在外公館投票の実施を予定していますので、以下の通り御案内いたします。

● 公示日:10月10日(予定)
● 国内投票:10月22日(予定)
● 在外公館投票:在ネパール日本国大使館では、10月11日(水)から10月15日(日)

までの5日間(他の国でも投票が出来ますが、日程が若干違います。)
● 在外公館投票時間:午前9時30分から午後5時まで
● 投票に必要なもの:在外選挙人証、旅券(無い場合は写真付き運転免許証等)

注:海外在住の日本国籍者は、国政選挙への投票を希望する場合、在外選挙人として登録を済ませ、
在外選挙人証の提示が必要です。登録手続きに、概ね3ヶ月程度かかりますので、この機会に登録手
続きを済ませていただきますようお願い申し上げます。

※ 在留邦人で在留届を提出されていない方がおられましたら,大使館へ在留届を提出するようおすすめ願
います。
※ 近く帰国・離任を予定されている方,または既に帰国されている方は速やかに大使館までご連絡下さい。
※ このメールの配信を希望されない方は,大使館までご連絡下さい。
大使館代表電話 4426680
※ 閉館時(休館日や夜間など)には、上記電話から緊急電話対応者に転送されます。



10月11日(水)の午前中に在ネ日本大使館に出向き投票を行ってきた内容をお伝えしたい。

11日(水)午前7:30に銀杏旅館を出て、ローカルバスの停留所まで下る。
直ぐに待っていたバスに乗り込みカトマンドウへ移動。

約1時間でラトナパークのバス停に到着した。
そのまま(リキシャ)に乗り込みタメルの「ちくさ茶房」に直行、
時間的にお茶など飲む余裕は無いのだが、
久しぶりのコーヒーが飲みたくリキシャを使っての急ぎ足とした。


ついて直ぐ「サヌカップ、イオタ」(小さいカップ一つ)とブラックコーヒーを注文。
入口近くの席がいっぱいなので奥の席へ移動しコーヒーを待つ事約5分、
早くも久しぶりのコーヒーが出て来た。
ゆっくり味わって10分ほど掛けて飲み干し70Rsを払い店を出たが、考えたら結構タバコの匂いが「臭かった」。
タバコを止めて久しいが「嫌になるほど」とは思ってもいなかった。


「ちくさ茶房」から徒歩でラジンパットまで行き、
そこからツクツク(三輪車)で日本大使館まで走り、丁度9:30に到着。
パスポートを見せると係員が笑顔で「こちらへどうぞ」と誘導してくれた。

選挙管理委員会の役人の方が3人居て、懇切丁寧に投票の仕方を教えて下さった。
投票用紙は「比例選挙用」と「小選挙区」の2枚あり、
どちらも、2重の封筒に入れて選挙区の市役所にある選挙管理委員会宛に送られるのである。
約15分ほどで投票を終えて、担当の役人に「毎回何人の方が投票にこられますか?」
と尋ねるとネパールでは40名前後との事。
何とも情けない人数である。



大使館を出て直ぐにツクツクに乗り、タメルのロータスで待っている友人に合いに急いだ。
まだ到着していなかったので「なべ焼きうどん」を注文して食べ終わった頃に
到着した友人も「当方と同じなべ焼きうどん」を注文して食べた。
彼女は私より4~5歳年上で、年内には日本に帰国するとの事。
お母さんの面倒を見ていた妹さんも体を壊して、彼女の戻って来るのを待っているとか。

彼女に投票率の話をすると、「そんなもんだよ」と政治の話より家庭の話が優先のようであった。

しかし、こんなにも投票率が低いとはやはり有権者の自覚(日本を思う心)が無いのは悲しい。

22日が楽しみでもある。



添付写真はアッサンバザールの風景とサンガからの景色である。


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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。





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  1. 2017/10/16(月) 21:31:26|
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ネパール通信」日本の選挙に思う

10月6日  ネパール通信」日本の選挙に思う



今回は、ネパール最大のお祭り(盆と正月が一緒に来たような)
ダサインを終えての配信のため、多少遅配した事をお詫びしたい。

さて今、ネパールではダサインのお祭りが一段落して
元の職場へ戻る人々の大移動が繰り返されている最中である。

一方、日本では衆議院選挙の「希望の党?」による
「選挙戦引っ掻き回し」作戦?で野党第1党民進党が文字通り
「ぐちゃぐちゃ」になり、議員の本当の姿を露呈してしまった。

「保身」だけの議員しか居なかった「民進党や希望の党」に
大きく落胆したのは当方だけだろうか?

自民の一党独裁を戒める野党第一党の出現を望むのは多くの国民の
望むところだと考える。

国会議員ともあろう議員には「日本語も正しく」使えない議員が
表舞台で発言し、顰蹙(ひんしゅく)をかう場面が多々見受けられた
のは、何とも情けないばかりである。

それぞれ非難のやりあいでも「国会の場」であり、行過ぎた言動には
議長から注意がなされたが、そんな議員には質問する時間を制限
する罰則などを設けても良いのではないか?

さらに、自民党の独裁のような議会ではあるが、
質問時間は極小政党が多くの時間を与えられている現実も国民が知るべきである。

自民党が30分であれば「山本太郎氏」などは50分~1時間も
与えられて「むちゃくちゃ」な質問を浴びせかけるが、聞いていて情けなくなる。

こんな議員に年間何千万円もの血税を支払っていとである。

もう一人許せない参議院議員が居る。その名は「アントニオ猪木氏」である。

北朝鮮の役人から聞いてきた「日本側の被害者数の嘘」を
そのまま日本のマスコミに伝え被害者家族を奈落の底に突き落とした事は許しがたい。

明らかに北朝鮮の回し者的発言に、拉致被害者家族からは「涙の訴え」が今もつづく。

まだまだ、日本の政治家のやる事には不満があるが、根本原因は「憲法9条の2項」である。

今の日本は、「だるま」のような自衛隊であり、
国民を連れ去れても「何も言ってはならない」国なのである。

こんな憲法を一刻も早く、「守れる」憲法に変えて
「安心して暮らせる日本」にしなければならないと感じているのは当方だけだろうか?

日本の憲法を1945年にGHQより与えられて以降、
72年間も厳守してきたが、それも限界であろう。

勧告や中国の威嚇けん制のつづく現在、
日本独自の判断で動ける防衛体制を構築すべきである。

決して戦争をやろうというのはない、国を守れる憲法にするだけである!

ちょっと熱を帯びた文章になったことをお詫びするが、当方の「本音」である。



雨期もそろそろ終盤に来て、時々ヒマラヤもその雄大な姿を見せてくれる
季節になり、これからが、シーズンである。

最近、ネパール在住の方々が「銀杏旅館」に来られ、子供さんと一緒に
ミニトレッキングをされ、帰って行かれる。
ここに根付いて早10年、やっと在住者のみなさんにも認知されるようになり、
このダサインの休日(1週間ほど)も銀杏旅館は営業しているため、
延べ人員50人ほどのみなさんに、「日本のお風呂」を満喫していただき、
喜んでいただけたことは幸いであった。

さて、ラムチェ村のモデルハウスはと言うと、ここ銀杏旅館と同様に
屋上にトタン板を張り、外でのミーティングが出来るようになった事は
今年度の一番大きな仕事であった。

なぜなら、このモデルハウスをベースに多くの支援者の方々に来ていただき、
村のデベロップを図る事ができるからである。



10月11日から在ネパール日本大使館にて「衆議院選挙」の投票が始まる。
当方も出かけるが、ここサンガからは約1時間半のバスに揺られる距離である。

添付写真はダサインの生贄儀式とパナウティーのお寺である。



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  1. 2017/10/06(金) 07:22:15|
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「ネパール通信」ネパール人の習慣あれこれ・・

9月25日月曜日



「ネパール通信」ネパール人の習慣あれこれ・・



今回も、溜まりに溜まった1年分の生活や活動の
「ストレスの一部」を記載する事で、日ごろの鬱憤を発散させていただきたいと考え
表題のような「愚痴」をお送りする我がままをお許しいただきたい。




*所かまわず「痰」を吐く・・
最初は何時までも慣れない、「痰」を吐く習慣であるが、
ここ銀杏旅館で一緒に生活しているスンダル君の嫁であるウルミラは、
ここでの生活が慣ていない事もあり、キッチンでも部屋の中でも通路で
も「ゲッゲッ」と痰を吐く仕草をする。
何度注意しても直らない。
他の子供たち(ミナ・パトネ・ラスミ・アシス)は洗面所でやっているので放任している。
何とかしなければ・・・と思うのだがなかなか改善は見られない。




家族でもナマステの挨拶はない・・・
朝起きて、私やゲストに出会ったら「おはようございます」と
言うように教えているが、元々彼らには家の中での挨拶など習慣にない。
そのため、毎日が練習であるがなかなか覚えられない。
最近やっと学校へ行く前に「行ってきます」と言えるようになったものの、
ウルミラは全くだめである。
長い間の習慣は気長に直す以外方法はないのか?
ペナルティーと言うアイディアもあるが、お金の無い彼らには無意味である。




*家庭でも仕事でも「ほうれんそう」はない・・・
何か仕事を依頼しても、依頼の仕方を考えないと
「梨のつぶて」となる事が多い。
購入してきても、依頼者には届かないばかりか
朝の依頼が夕方になっても何の連絡も無い。
夕食前に問いただすと「店が閉まっていたので、明日もう一度行く」との事。
仮に店が開いていて、依頼の品物を購入してきても、
自分の部屋に置いてあるだけで「買ってきました」と
報告など一切ない。
その内自分自身も購入依頼したことすら忘れる始末。全くトホホの状態である。
仕事では、最後まで指示しないと仕事にならない。
つまり、何時何処で何を幾らくらいで今から購入してきて、
戻ったら私に届けて欲しい旨を「しっかり」指示する事。でないと仕事は進まない。




食事の前後に「いただきます・ごちそうさま」はない・・・
ネパールでは、三々五々食事時に集まって来て、プレートに盛られた
食事(ダルバート)を食べるのであるがどうも違和感がある。
なぜなら、全員で「いただきます!」と「ごちそうさま」が無いのは、
何時から食べ始めていいのか分からないのである。食事が終わっても同様で、
三々五々勝手に器や手を「嘗め回して」綺麗にし、
食事をしたところに置いていくだけである。
最近ではスプーンを使うものも出てきたが、概ね以上のような食事風景である。




*買い物の(おつり)キャッシュバックは請求しないと返ってこない・・・
先の「ほうれんそう」でも記載の通り、お金を渡して買い物を依頼したら
必ず帰ったら私に届けなさい!と指示しないと「おつり」は戻って来ない。
最初は小さな金額なので、そのままお小遣いになっていたが、これがいけなかった。
金額の大小に関わらず「おつり」は返す習慣にしなければ彼らには分からない。
食器は何でも使う、髪染めペンキ入れや食事の器、時には洗濯にも・・
一番驚いたのは、日本の「おわん」で髪の毛を染める「ヘナ」を
溶かして使ったもそのままに置いてある。
この「おわん」で「ヘナ」は使うな!と何度も言っているが、
未だに直らないから始末に悪い。
こればかりではない、ステンレスのボールでお湯を沸かしたり、ペンキを入れた事もある。
元々、食器の数が極めて少なく家族の人数だけしかプレートや
カップが無いせいか余分にある食器は何でも使うのである。
「止めてくれ!」と何度か「叫んで」止めさしたが、
彼らには分かっていないとと思うと「空しい」事しきりである。




添付写真は銀杏旅館から見える「ヒマルチュリ・マナスル」とポカラから見たアンナプルナである。
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  1. 2017/09/25(月) 23:40:23|
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「ネパール通信」自分の人生を「金太郎飴?」にするな!・・



「ネパール通信」自分の人生を「金太郎飴?」にするな!・・


9月14日木曜日


さて、今回は今年5月に日本に帰国して感じた
「人の生き方と考え方」について触れてみたい。


5月18日に到着して直ぐ翌19日に「KHI養成工時代の同期会」があり出席。

毎年開催されていたようであるが、
退職以降毎年7月から8月にかけて帰国していた私は欠席ばかりであった。
約半数の同期が集まったのは、幹事さんの努力であろう。
自分自身の身体の不調から出席出来ないとか、
親族の体調不良から同期会に来る余裕がないとか、理由は深刻なものばかりである。
みんな同じように年を重ねているにも関わらず、年が違って見えた。
人生も70年あまりを生きて来ると、同年の生活が気になるらしい。
それぞれに、近況報告をしたのだが「殆ど変わらない」生活をしているようだ。


地域の老人クラブでの活動であったり、
自治会やお宮の氏子代表であったりと若い頃には活発なスポーツや趣味をやっていたのだが、
それを止めて地域が準備してくれた老人のスポーツに「はまり込んで」いたり、
中には連れ合いの病からやった事もない「家事」をやる事になったりと
「何処にでもあるような老人」になりきっているのが不思議であった。


こうして日本の「老人社会」が出来ていくのであろう。
しかし、それは自分で選んだ生き方だろうか?
いや違う!
今現在、自分で選択出来る「生き方」で生きている老人など
「殆ど居ない」と言っても過言ではない。

仕方なく「生きている」のであり、過去40年から50年の集大成が今なのである。

それは40年・50年前からの「生き方考え方」が、
70歳を迎えた年寄の生き方を決めているのである。
だから、その元つまり40年・50年前の決断?が如何に大切なのかは、
若い時には理解できるはずもなく、ただ漠然と生きて来たと言うのが本音であろう。



しかし、本当にそうであろうか?
目先の事ばかりが目の前に「目標」として現れ、
先々の事まで考える余裕などあるはずもない。
人より先に出世したい!同期の中でも一番で出世したい!などなど。
何とつまらない「目標」だったのだろうか?
常に「他人は自分をどう見ているのか?」
何時も他人を意識している自分が居る事に疑問さえ持たなかった時代。


同じ線路上での生き方には、競争しか生まれない。

しかし、「違った生き方・考え方」から見れば、
そこには競争は無く単に同期の仲間だけがあり、何時でも相互扶助関係が成り立つのである。


同じ同期の仲間でも、生き方が違う仲間であれば助け合えるのである。
今から30~40年前にあった「金太郎飴」をご存知だろうか?
駄菓子屋さんで売っていたマーカーほどの太さで、
先生が学校で使ったチョーク位の長さだったと記憶している。
細長い飴であるが、何処を切っても「金太郎」の絵が出てくる飴である。
こんな「飴」の人生では面白くも何とも無い。
みんな個性的な人生を作る方が「楽しい」のではないだろうか?

誰も進まない道は先が見えないため、敬遠して進まない。

だから「金太郎飴」が生まれる。
誰の人生?
人が通った道でなく、誰も歩かない自分の道を切り開くべきである。

このことを、これからの若者に伝えたい。


社会や会社組織は「金太郎飴」の方が使いやすい?

果たしてそうだろうか?

それでは、画期的な開発など思いもよらない。

つまりは企業の発展はないと考える。
考え方そのものが問題なのである。


8月中旬に入り、妻から同期の一人S氏が先日「癌」で亡くなられたので、

これから「お通夜」行ってくるとのメールを受けた。
この5月の同期会で幹事をやってくれていた彼は日本酒を飲んでいたが、
飲みながら「実は今、癌なんだ」と言っていた事を思い出していた。
既に捨て身の心境なのかどうかは定かではない。

あれから僅か3ヶ月である。
しかし、今にして思えば5月の段階で末期だったのかもしれない。
ただただ空しい思いである。
いずれは死であるが・・・・
死は何時でも「突然」起こる。
これを忘れて生きている自分が居る。

ここで言える事は、「誰が選択した訳でもなく、自分が選んだ生き方」である事。

この事をしっかり認識しなければならない。



添付写真は「幸せの青い鳥」である。

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  1. 2017/09/14(木) 21:46:07|
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「ネパール通信」絵美先生の教員体験談②


「ネパール通信」絵美先生の教員体験談②

9月4日(月)



今回は去る8月1日から8月5日までの日程で
ラムチェ村の中学校で日本語の先生をやって下さった
「絵美先生」のスリーサルソティー中学校での教員体験の報告の2回目の配信です。
原稿は全て原文のままとさせていただきます。



私が学んだ大切なこと②

小河原 絵美



来年の話をすると鬼が笑う?いえいえ、筋田さんは喜んでくれるでしょう!
私は来年の夏、子どもを連れてネパールへ行きます。これはもう決定しました!
子どもは来年高校1年生です。私が日本語の授業を行い、
彼には小学生に絵の書き方やぬり絵など図工を担当してもらいます。
今回私が体験したネパールでのことは、全て子どもと共有しました。
ラムチェ村での生活は半分アウトドアでしたし、都会っ子のわが子はどうかな?と思いながら、
来年一緒に行ってみる?と聞くと、即答「行く。」でした。
驚きです!理由は、新しい発見がしたいとのことでした。
私がネパールに行っていた2週間、おばあちゃんとの2人生活、
どうだったかな~と心配もしていましたが、少し大人になったようです。

子離れがなかなかできない私ですが、程よい距離感で息子と一緒に
ラムチェ村プロジェクトができること、とても嬉しく感じます。
1年かけて計画的に進めたいと思います。



ポカラでの体験もお話したいです。
パラグライダーやトレッキング、ラフティングなどのアクティビティができるということで
欧米からの方がたくさんいる観光地です。
ヒマラヤへの入口としても有名で、私も来年はトレッキングがしたいなぁと。

しかし、それよりもポカラでは大きな出会いがありました。
それはハリオカルカ緑の家ハンセン病療養所へ見学に連れって行ってもらったことです。
敷地内を歩いていると、中庭で子ども達とその親御さんがシートに座って何かプログラムを受けている様子でした。
ちょうどいらっしゃったこの施設の所長であるカルキグルンさんが説明してくださいました。
身体の一部に欠損があり義足や義手をつけている子ども、
病気による変形などで歩行器が必要な子ども、発達の遅れでがある子どもなど、
10人くらいの子ども達が先生と一緒に訓練をしたりマッサージを受けたりしていました。
遠くからこのプログラムを受けに来ている親子が多く、
先生から訓練の方法を学ぶことで、家に帰ってからも続けることができます。
私の勤務する小学校でも専門の先生が、週に一度同じような訓練をしきます。

しかしネパールの通常の学校は日本とは違うようです。
歩けないと学校に通えない、そして学べない。
盲学校や聾学校などの支援学校はあります。

しかし通常の学校には支援学級がどうやらなさそうです。
カルキグルン所長は「今行なっているこの活動が、この子達の未来を変える」と何度もおっしゃっていました。
ただ資金面で困難を抱えており、2018年に支援金が終わり、
このままではプログラムを続けることができないようです。あの子ども達は訓練をがんばっていました。
そうすることで学校に通うことができ、多くのチャンスを掴むことができます。
未来は開けていきます。私はあの子ども達の今を逃してはいけないと感じています。
自分にできることは何だろう、考えています。



筋田さんには、誰かのために何かをしたい時の心構えを教えていただきました。
「自分がその人の為に何かをして、
その人がハッピーと感じたなら、それを見た自分の脳もハッピーと感じる」
つまり、相手もハッピー自分もハッピーです。難しいことは何もありません。

また「支援」や「ボランティア」という言葉を筋田さんは使いません。「ソーシャルワーク」です。
何かをしてあげる」のではなく「自分は相手から学ばせてもらっている」このスタンスで活動されています。
自分一人で気持ちよくなってはいけない、常にお互いが気持ちよい状態であること。
WinWinの関係であること。相手と同じ目線に立って考えること。
考え方を学ぶことができました。本当にありがとうございます!



日本に帰って来てから、やはり情報量が多くいろいろなことが目に映り、迷ってしまいます。
そんな時はサウンドボール(お仏壇に置いてあるチーンと鳴らす鐘のような形で、
木の棒で外側をなぞり続けると、ウィーンと音が出る瞑想ツール)を使って、
自分の頭の中を一度空っぽにし、自分にとって何が大切か、
自分と対話をする時間を時々持つようにしています。

時間は刻々と進んでいきます。今この時を大切に、自分の思いに正直に。
そして20年後の自分のイメージを描いて、1年後、2年後にマイルストーンを置く。
理想はたくさんあります。そして難しいことや知らないことばかりです。
ただなりたい自分になれるように、学び続けます!

私の新たなチャレンジは始まったばかりです。

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  1. 2017/09/04(月) 22:59:12|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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