8月10日
「ネパール通信」日本滞在珍道中?
はじめに、長い間のお休みをいただいた事をお詫びしたい。
さて、今回はミナを連れての「帰国報告会」で、
活動の進捗状況を伝える事が主たる目的であった。
7月12日の早朝(午前7時)に関空に到着し、
入関を出て依頼された荷物を送るため宅急便の窓口を探すも分からず、
仕方なく案内所で聞いたが「郵便ですか?宅急便ですか?」
と聞かれ小さな荷物であったので「郵便です」と答えると
「3階です」と言われ窓口へ急ぐ、するとまだ閉まっていて、
「9時から開始」と張り紙があり、近くで聞けば宅急便なら
今、午前7時でもやっていると言うではないか。
またまた2階に降りて、話題の「クロネコヤマト」に出向き荷物を依頼。
いよいよ日本上陸である。
JRの緑の窓口に出向き高山線の蘇原まで、
はるかと新幹線含めて2人分と言って切符を購入。
改札口は狭くて、トランクと一緒だと通りにくい。
列車は「がらがら」でゆっくりと新大阪まで座って行けたが、
ミナが「友達と話があるので新大阪で1時間くらい時間はある?」
と聞かれ「そんな無理な事」とチケットを見ると、
何とか1時間くらあいは余裕があり、ミナがWIFIがあれば連絡ができるからと、
到着直後に連絡し新幹線の改札付近の待合室で待つこと30分ほどで友人が来て懇談。
慌しくお土産を渡し新幹線に乗る。
綱渡りの日本上陸作戦が開始された。
この日は無事、午後の3時半ごろには我が家に到着、孫たちも集まり
久しぶりの餃子とロービン(我が家特製の餃子と肉まんを一緒にしたような食べ物)で
無事な帰国を祝い感謝感謝であった。
翌日(13日)は運転免許証に更新のため、まずは予約してあった自動車学校へ出向き、
70歳を超えた人たちに義務付けられた「講習と実施」を行い、
これも無事終わり終了証を受け取り、妻の車で我が家に戻った。
昼には待望の「かっぱ寿司」に出かけ、13皿をたいらげ満足満足。
家に戻り、もって来た荷物を開け、あっちこっちに配るの整理に追われ、
気がつけば午後の5時、妻に「今日はスーパー銭湯で垢すりは出来る?」と聞くと
「今から予約すれば出来る」との事、1年間のネパールの垢を落とすため出かけた。
(訂正、妻に送ってもらった。運転が不慣れで危ないから)
垢すりが終わって、迎えに来てもらうのに携帯電話があればいいのだが、
生憎当方には日本の携帯がないため、銭湯の電話を借りて連絡し迎えに来てもらい帰宅。
夕食は妻の作った魚の料理をいただき、暑い夜エアコンで冷やし寝付く。
翌日は1年ぶりの「しらさぎ」に乗り込み、福井のネパール会の報告会場へ移動。
20名ほどの会員に対し、昨年の行動内容を説明し、
課題を示しどんな対策を考えているのかなどを話した。
ミナも今までのご支援に対する感謝の意を表し、
彼女が進めている村の女性の仕事を作る活動(コーヒー農園の設立)を説明し、
今後の活動指針である「女性の仕事作り」の理解を深めた。
この後は、恒例のバーベキューで腹ごしらえ。
村にある「温泉」で寛ぎ、懇談の中で今後の動きを話した。
あわただしく福井を後にして、岐阜に戻りミナは北海道へ
当方は花巻移動の準備、翌日は飛行機での移動で時間を短縮して、
それぞれに活動報告を終え岐阜へ戻り、広範囲になった報告会を反省仕切り。
次の日は昼ごろに穂高駅で待っている友人の安倍先生に会いに出かける。
多くの報告や調整事項など「安曇野」の「パープルリーフ」にて懇談。
心配していた先生の健康は、考えていたより遥かに元気な様子に「ほっと」した事も事実であった。
一日ゆっくりと懇談し、今年の秋にはネパールに来られるとの吉報もあり、
嬉しい気持ちのままで、名古屋へ戻った。
名古屋へ帰る電車の中で「これから大阪に行きたい」とミナが言い出し、
ミナは名古屋から大阪へ移動し、午後の3時半ころ新幹線で
大阪に居る弟のサロジに会いに出かけた。
彼はネパールから来る「介護の仕事」をする方々の日本における
コーディネイトをする事も視野に入れて行動している。
当方はと言うと、名古屋駅で現役時代の友人と懇談し夕方5時には蘇原駅に到着。
予定の全く立たない旅の連続である。とほほ・・・・である。
この日は上から2番目の孫娘の19歳の誕生日パーティーで、
盛り上がり、大きくなった孫を見て、自分が年をとったなぁ〜と自覚。
24日の岐阜での報告会の準備をして、少し時間の出来た事もあり、ぐっすりと休んだ。
当日は遠く大阪からも駆けつけてくれた方もあり、多くの質問もあり楽しい内に終了する事が出来た。
翌日はミナが東京へ出発する日であるが、ここでまたまた問題が発生。
ミナが「お父さんは25日に出発すると言っていたがなぜ26日にしか着かないの?
多くの友人に25日に東京に着くと連絡してあるのに!」と叱られた。
深夜バスは夜出発して、翌朝着くのが通常である事を分かってもらい、
東京の友人に連絡をするもかなり怒っていた。
ミナを東京に送り出してからは(ほっと一息)妻や娘と「かっぱ寿司」へ。
思いっきり寿司を食べた。1年分の満腹満腹。
26日には、各務原市の社協で活動している古い友人たちとの
楽しい懇談もあり、瞬く間に時間が過ぎ去りネパールに戻る日が近くなった。
この日26日の昼間には運転免許の更新手続きの日で、
朝9時半から出て行き10時半には終了、あっけなく終った。
貰った免許証はゴールドだが、年齢が70歳を超えると3年しか貰えない。
年を取るとはいろいろ大変でもある。
この日29日は台風が来ていて、早めに空港に送った方が良いと判断されたので、
大きな荷物は関空へ送るため、ミナの居ない間に荷造りしてそれぞれ25Kg
(飛行機はTG:タイインターナショナルのため30KまでOKだが、クロネコヤマトが
25Kgまでしか運べないため、10Kg分はハンドキャリーして空港まで運び、
現地で再びトランクに入れることとした)を分割して入れ、空港へ発送。
30日の朝にはミナも東京から戻り、妻とミナと私で最後の「かっぱ寿司」で思いっきり食べた。
この日、ミナが「私も垢すりをしたい」と言い出し、ミナを連れて銭湯に出かけ
ミナが風呂から出る時間に妻に迎えに来てもらおうと彼女の出て来るのを待っていたが、
1時間半を過ぎても戻らず、心配になり係員に調べてもらうと、
まだゆっくりと風呂に入っているとの事、まずは一安心。でも長湯である。
やっと風呂から上がり、「ロッカーの鍵を渡して」と出て来た彼女に聞くと
「忘れた!」と脱衣場に駆け上がって行った。
無事ロッカーの鍵をフロントに返し、妻の待つ車へと急ぐ。
こうして、日本における予定の行動は全て終わり、
帰りの手荷物を整理して8月1日、JR蘇原駅を9時ごろ出発、
しかし発車してから当方の携帯電話を忘れた事を思い出し岐阜駅から
ミナの携帯からWIFIのラインを使って妻に連絡忘れた携帯を
駅の待合室で待つ当方に届けてもらった。
ここ岐阜駅で、今回一緒にネパールへ行かれる方(T氏)と合流し、
一緒に新大阪経由で関空まで、そしてネパールへと移動。
関空では25Kgの荷物を30Kgにして軽量、無事カウンターを通過。
長かった珍道中もやっと終わりかと思いきや、
搭乗機がバンコクに到着して機内荷物を持ち外へ出る時に
ミナの背中の赤いリュックサックがない事に気付き
「ミナリュックサックはどうした?」と聞くとミナは???
結局、新大阪の出発ロビーで忘れた事に気付き、
関空の事務所に連絡して待ち合室に
ミナが赤いリュックサックがある事が確認出来たのは、
カトマンドウ到着後3日目であった。
新大阪の友人が関空で問い合わせ「本人の物である事」が分かった時点で引き渡されたが、
荷物は9月にネパールに来られる方に運んでもらう事となり、
多くの方々にご迷惑をお掛けした事をお詫びしたい。
こうして、「ミナと私の日本珍道中」は最後まで苦難の連続であったが、
ご本人は「けろっ」としている。
年を取ってからのこうした苦労は辛い!
添付写真はラムチェ村の新校舎と今のサンガからのヒマラヤ


井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。
では次回「ネパール通信」まで
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- 2018/08/10(金) 22:58:32|
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6月26日(火)
「ネパール通信」明日はわが身・・・
雨期を迎えたネパールでは、一日おきに定期的に雷雨が来る。
そんな中、先日は久々に「日本大使館」にビザの申請のために出掛けた。
朝9時半には、大使館前には多くの学生や一般人の列が出来ていて、
広い通りを隔てた写真屋さんやレストランの周りには
さらに多くの学生たちがスーツ姿で集まっていた。
ざっと、150人ほどの学生たちは、
その殆どが日本の「日本語学校」へ入学し、
日本の大学を目指して日本語の勉強をする若者たちである。
しかし、彼ら大半は2年間の日本語学校だけで再びネパールに戻ってくるのである。
日本の大学は、その講義の全てが日本語であり、
それを理解出来ないと、授業についていけないのである。
日本語検定試験のN3・N2を取得して、日本人と一緒に入試を受けるのである。
日本の大学では日本語の勉強はしない。
その前の「日本語学院・日本語学校」のみが、日本語を
勉強出来る教育機関なのである。
彼らは日本語の勉強をしながら、生活費を得るために
週28時間以内のアルバイトをこなし、残った時間は日本語の勉強なのである。
しかし、日本の法律で許可された週28時間のアルバイトでは、
食事や宿泊費、さらには携帯電話代などは出てこない。
不足分をネパールの親元に仕送りを依頼するのが普通なのである。
大変な厳しい現実が、ネパール人の若者たちの行方を遮っているのである。
こうしたネパール人の若者たちは「まだ恵まれている」方で、
通常は日本の大学など「夢のまた夢」なのである。
なぜなら、日本の「日本語学校・学院」に入学するためには、
少なくとも100万円のお金が必要であり、
それを出せる家庭は山村では殆ど無いと言っても過言ではない。
それを、少しでも手助けするための山村の学校における
「日本語教師:詳細はHPのトップページを参照」を募集しているが、
なかなか難しいのが現実である。
さて、最近昔の事を少し思い出している。
「おやじ」が、亡くなる2〜3年前から
「よく喉を詰まらせて」いた事を思い出していたのである。
日本のお年寄りが「餅を喉に詰まらせて」病院へ運ばれたり
してたニュースを聞いた事があるが、
自分が今そのような事態になっていると言うことである。
気管ではなく食道に詰まるので、苦しいが窒息することはない。
抗がん剤と放射線治療によって、食道が狭くなり、
今まで食べられた肉の塊などは全く通らないのである。
さらに、その詰まったものを吐き出す事も出来ない状態が苦しいのである。
ある程度時間が経てば喉を通過するのであろうが、その間は結構苦しい。
生前の「おやじ」が苦しんでいたのを思い出していた。
【ぐち】
1:食べた後の片付けが出来ない。次回使うまでそのまま・・
2:日常生活での小さな借金(2000〜3000Rs)は毎日する。
・返済を忘れ請求される事は何時も・・
3;銀杏旅館の電気代や電話代が3ヶ月近くも支払ってなくペナルティーを受けるはめに・・
4:寝る時にもダウンジャケットを着たまま寝て、翌朝風邪を引いたと薬を要求・・
トホホ・・・・・・
添付写真は「ぎんなん」から出て来た「いちょう」の芽とサンガの銀杏旅館から見た虹である。

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- 2018/06/26(火) 23:13:42|
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6月11日
「ネパール通信」「見栄と嘘」は自分を駄目にする。
今回は人生の中で、自分一人がどうしても
「捨てられないものって何だろう」を考えてみた。
「見栄と嘘」は自分を滅ぼす。過去の自分を振り返り、
「見栄」「自分への嘘・他人への嘘」「あらゆる欲」など、
数えれば切りが無いが、努力義務でもあろう。
欲の中には見栄も嘘もある。
しかし、現役時代の欲は家族みんなの欲を背負っての欲であり、
自分だけの欲ではない。
そこで、自分だけの欲を考えてみたい。
ここネパールの生活では「見栄と嘘」の塊である
と言っても過言ではない。
ネパール人のプライドは「天下一品」なのである。
極貧国ゆえに、せめてプライドだけは
大きく持たないと生きていけないのであろう。
しかし、プライドだけではお腹は膨れないし、満足出来ない。
だから、「だます・おどす・盗む」が彼らの生活の術と心得ると理解出来る。
それを知りながら付き合うのであるから、
自ずから神経を使うし、痩せる思いもする。
日本では、隣の人が新車を買えば「我が家も」と競うように買う。
何処かの社長さんが乗るような、
車を欲しがるのも「見栄」の何者でもない。
車だけではない。身の回りの物全てである。
身の丈サイズの生活つまり、個性ある生活こそ、
目標に向けた生活が出来ると確信している。
身の丈を超えると、心の中で「赤信号」が点灯し
不安な毎日となる事が分かっているから、一線を越えない。
しかし、一生に数回は我慢して超えなければならない「身の丈」もある。
安全ばかりでは、成長は限られている。
この時ばかりは、全神経を集中して立ち向かう。
「嘘」は、自分で自分を苦しめる事となる事を悟るべきである。
昔についた「嘘」に、数年後に苦しむ事となる場合が往々にしてある。
人は「ついた嘘」に忘れたころ襲われる。
だから、「虚栄の嘘」は止めるべきである。
ついた「嘘」は直ぐに忘れるから始末に悪い。
覚えていれば、架空の世界が出来る。
つまり、二重人格に近い生活となる。
しかし、現実には信用を無くす事になり、永続出来ない人間関係となる。
人は自分にも嘘をつく。
見て見ないふりをするなどは、典型的な自分に対する「嘘」なのである。
誰が見ていようが、居まいが関係なく
自分が見たままを正直に生きるべきである。
それを自分は見ていないが如く振舞うのは、自分に対する「嘘」なのである。
これを重ねると、醜い自分に気がつくが、
同時に他人も気づくことになり、ここでも人間関係の維持が難しくなる。
自分に正直に生きるべきである。
MSNのニュースで、下記の記事が目についたので、お知らせしたい。
中国の飛行機でネパールに来られる方々も多い昨今、こんな記事は注意したい。
記者が飛行機の荷物を投げて片付けている作業者(申通快逓の作業員数人)
に尋ねたところ、「きちんと包装しているため、通常は破損しない」との答えが返って来た。
ある配達スタッフは「丁寧に扱ってほしければ、追加料金を払えばいい」とも語った。
定められた追加料金を支払えば、荷物は手渡しで運ばれるため、
地面に投げられることはない。
別な言い方をすれば、荷物は投げて運ばれるのが普通だ。
宅配会社作業員の荷物の乱暴な扱いぶりは、
消費者の不興を買い続けてきた。商品の売り主も、
荷物の破損に関して消費者から少なからずクレームを受けることになる。
ただし、追加料金を支払って破損の補償をつけた荷物は別だ。
作業員は注意深く取り扱う。しかし補償がなければ、
荷物に「壊れ物」の表示があろうが関係ない。
そういった表示は、作業員の目には入っていないのだから。




添付写真はカトマンドウにあるPET-CT・
アンナプルナ・マチャプチャレ・脱輪した観光バスである。
※※帰国日程※※
7月11日~8月1日までの期間、帰国が決定しましたので
ご連絡させていただきます。
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- 2018/06/11(月) 20:35:49|
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5月28日
「ネパール通信」ネパールに於ける歯医者事情
今回は、今通っている歯医者と幾つかの歯医者の現状をお伝えしたい。
当方は、若いころから歯医者は本当に「嫌い」で
グラインダーをピューと回転させた音だけで、背筋がゾクっとした。
一度などは、新婚時代(20代)に予約した歯医者に
予定してた時間には出かけたが、先のグラインダーの
「恐怖の音」を聞いた瞬間、受付の女性に
「今日は心の準備が出来ていないので帰ります」と言って、
逃げ帰ってきた事さえある。それほど嫌なのである。
しかし、年をとれば次第に悪くなるのは仕方の無い事で、
「なじみ」の歯医者まで出来るほどである。
ムスカン デンタルクリニック(スマイル歯医者)の意味なのだが、どうも??
今現在は、下の奥歯3本の修理をしているが、
奥歯には三叉状に神経が走っていて、
この一本づつを処理していかねば、最終的な修理は出来ない。
修理中に神経に触れると「ぎゃ〜!」と言ってドクターの腹を叩く。
これを2〜3回やると、一日の作業は終わり。
やっと肩の力が抜けるのである。(とほほ・・・である)
額の冷や汗を拭きながら処置台から降りるが、
まだ残っている歯があるのかと思うと憂鬱この上ない。
ネパールでは歯医者は結構沢山見られる、
日本でも結構あるようだが、ここでは店が集中している。
歯の神様の通りは歯医者でいっぱいである。
話は日本の事になるが、昨年日本に帰国した際
「奥歯」のクラウンが外れたたため、
近くの歯医者に妻から予約を入れてもらってから出かけた。
以前2〜3回来た事があったので、受付でパスポートを出して
診察依頼をしたが、保険証は?と聞かれ「ありません」と答えると
「ちょっと高くなりますが」と心配そうな顔で確認されたが、
「たかがクラウンの接着」だけである。
そんなにしないだろう。と考え
「大丈夫ですお願いします」と答えて順番を待っていた。
ここネパールでは名前を呼ばれる事はない。
「すじたさ〜ん」と名前を呼ばれて診察台へ座り、
先生の来るのを待っていたが、看護婦さんが
「筋田さんは今ネパールに住んでみえるんですね〜」と話かけて来られ、
「そうです、僅か3週間だけの日本です」と答えると「
寂しくありませんか?」と聞かれ「寂しいどころか、毎日戦争です」
と答えるとまだまだ話したり無い様子で先生に交代し、もの5分で完了。
待合室で会計の順番待ちをしていて、またまた「すじたさ〜ん」
と自分の名前を呼ばれるのを確認して受付へ出向いた。
看護婦さんから請求書を受け取り「びっくり」
なななんと「5分の治療で1万4000円」なのである。
国民健康保険の無い当方は、全て自腹の支払いになるため仕方ないのだが、
それでも「高い!」保険で3割負担でも結構高いと考えていたが、
創造を絶する医療費の高さである。
それに比べてここネパールは安い。
クラウンの接着は200〜300ルピー230円〜330円で済む。
日本の病院は「恐怖」さえ覚える。
3年まえの癌の治療でも、ここでは6ヶ月の宿泊食事を含めて30万円で完治したが、
日本ならと思うと寒気がする。
さらに、まだ、国民健康保険に加入していたこの時期に、
この請求を日本の市役所に持っていったが、
「筋田さんこれは毎月提出してもらわないと」と断られ、
だったら、住民票をネパールに移すと言うと、
それが本来の形ですと言われ唖然。
こんなわけで、日本では病院には掛かれない当方なのである。
添付写真は、主治医の若きドクター・ジャカラダのある
ルータリー・さらに露天の野菜市場である。



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Ichyo Group Sujita
- 2018/05/28(月) 22:33:45|
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