ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

番外編 「ボランティアの助っ人」

「ネパール通信」番外編 「ボランティアの助っ人」

9月22日(木)天気:雨 気温:20℃ 湿度:66%



今回は、緊急な「お知らせ」です。

当方のHPにございます「ボランティアの助っ人」で、日本の
みなさんのご協力をお願いしたい。



要点

*2016年9月現在、下記ネパールの http://tcp-np.com

 チベッタンチルドレンズプロズエクトと言うカトマンドウ市内の

 施設(孤児院)で十数名のチベットの子供たちのお世話する、

 日本の若い女性を募集しています。

*ネパールで、チベット人の子供のお世話をして下さる方は是非

 下記に連絡下さい。

*この施設は、日本人女性の「加藤ちあき」さんが運営されている

 孤児院ですが、現在のスタッフの女性が日本に帰られる事となり

 その後任の方を探しておられます。

*詳細はホームページを参照してください。



期間:長ければ長いほうがよいです。2~3年以上。

生活:施設内で子供たちと一緒にしていただきます。

費用:生活費、滞在費(ビザ代)は施設にて対応
ビザ代は個人で負担してください。1年間約10万円は必要です。

手当て:運営されている「加藤さん」と調整していただきます。



やってもいいと考えられた「女性」は、至急下記アドレスの「すじた」
まで連絡下さい!



連絡先:m_sujita@hotomail.co.jp



              





井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。





では次回「ネパール通信」まで



HPのご案内

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  1. 2016/09/22(木) 22:21:10|
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活動経過報告と癌検診


9月22日(木)天気:晴れ 気温:22℃ 湿度:62%



今回はネパールに戻って約一月の、活動経過報告をさせていただきたい。

はじめに、モデルハウスの建設状況であるが、例年雨期の行動は
「雨」との戦いであり、病人の多く出る季節でもある。
当然の事ながら、死者も続出する。



つい1週間ほど前にも、僅か3000ルピーのお金が無いばかりに、
2歳半のラムチェ村の女の子が亡くなると言う悲劇を聞いたばかりであった。


こんな状況に加えてバラビシからの車の道が「がけ崩れ」で破損し、通れない状態である。


村人が全員で修復をしているが、完成までまだまだ時間が掛かりそうである。


従って、モデルハウス用の「砂」を運ぶ事が出来なくて停滞している。


一方、今年度から学費支援する児童は27人で、スリーサルソティーセカンダリースクールの
子供への学用品からバッグ・制服・スリッパも来月には配布出来るよう手配を進めている。


さらに、日本語を勉強したい青年女子のための「日本語学校」の開校も、
日本側の学校設立に合わせて、開校準備を進めているところでもある。


日本の学校が来年10月を開校と定め、準備を進めているのでネパール側でも
それより八ヶ月ほど早く開校し、日本へ送り込む若者の「日本語教育」を進める準備に忙しい毎日である。


ネパールでこうした形の「日本語学校」は初めてであるため、多くの若者や
父親からの問い合わせが頻繁にあり、宣伝を必要としないかも・・・と考えている。


なぜなら、通常日本での学費1年分と生活費半年分で
130万円ほど支払って日本で働きながら勉強する学校が殆どである。


の殆どの学校が日本の学校から一人当たり10万円のキックバックを受け取り、
送り出しているのが現実であるが、私たちの学校はこの半額で(65万円)で実施するのである。


65万円は日本での必要経費であり、利益にはならない。


これが目的でもある。

もちろん、「キックバック」などあろうはずもない。



損得勘定の長けたネパール人にとって、見逃すはずも無く多くの問い合わせとなる。
しかし、来年1月からの開校に合わせてしなければならない仕事は山積していて、
一つでも取り残させた仕事があれば
1月の開校には間に合わなくなり、多くのみなさんに迷惑を掛ける事となってしまう。


これだけは避けたい。



こんな中での銀杏旅館の修復工事もあり、癌で悩むよりやる事が先と奮闘の毎日である。



さて、表題にも記載した通り、「癌検診」の結果であるが、チトワンの病院の先生から
「癌の痕跡は全く無くなっている」との報告を得たが、
転移と言うこともあり、カトマンドウで再度検査を受けることとした。

「日本でもあるぺティースキャン」をここネパールで実施できるのである。


今回は9月15日の午前10時半ごろに銀杏旅館を出てカレンキーの
バスストップでチトワン行きのローカルバスを見つけそれに乗り込む。
約8時間半の強行軍は身体が「バラバラ」になったような感じで、
バスから降りた時には身体がふらついて困った。


特にチトワンとポカラの分岐点であるムグリンからバイラワまでの道のりは
「左右上下」に揺れる素晴らしい道で、ローカルバスの天井に頭をぶつけそうになる。


そんな道を3時間も渋滞を挟みながら進むのである。


AC(エアコン)の無いローカルバスでは蒸し風呂の状態であった。

窓は埃が入ってくるため開けられず、カーテンを引いて太陽を処断するのがやっとであった。


ここで、癌検診のためCTスキャンと内視鏡、さらに血液検査をして
翌日ドクターに見せてOKを貰うが、
ドクターは「今、カトマンドウにペティースキャン」があるので、それをやって来て欲しいと言われた。


どひゃ~!またまたお金が掛かる~!


聞けば7万ルピーほどで出来ると事、早速戻ってから行く事にした。

場所は現在のJICA事務所の入っているビルの1階である。


ドクターの話を聞いてからすぐにルンビニを目指して移動するが、
チトワンからバイラワまでの道は、今までとは違い結構なハイウェイである。


約3時間でバイラワへ到着。(12月に来られるゲストの対応)


バイラワからは、タクシーで40分程度で目的地ルンビニに到着。

早速ホテルを探すが、学生さんたちの泊まるような安宿や中くらいのホテルはあるが、
チトワンのような観光ホテルはない。

もちろん、日本食もない。


唯一の観光であるお寺めぐり、と仏陀誕生の場所が観光と言えば観光
であろう昔の日本の観光旅行(旅)も神社仏閣めぐりが殆どであった

と同じように、ここでもこれが観光なのである。

つまり、お寺巡りが観光なのである。


帰路は翌朝早々にルンビニを出て(朝6時発カトマンドウ行き)のツーリストバスに乗り込んだ。
ACはある。よかった~。安心して寝て帰れる~。
と思ってみたが、待てよ本当にAC(エアコン)は動くのかなぁ~?。

案の定動く事は動いたが、今度はエアコンの「穴」が壊れていて強い
冷気が当たり寒すぎて寝ていられない、結局穴をダンボールで塞いで

帰ってきた次第である。




「だってネパールだもん」と誰かに言われているような気がした。




添付写真は毎日食べている「ヤサグンバ:冬虫夏草」と銀杏旅館の改修作業風景である。


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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。





では次回「ネパール通信」まで



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  1. 2016/09/22(木) 21:54:29|
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日本語学校の設立進捗状況と生まれてきた意味

先般、みなさんに個別配信を止めて直接HPへのUPとします。
と記載し配信しましたが、一部のみなさんから何とか「個別配信をお願いしたい」旨要望があり、みなさんからのアドバイス
により間違いのない配信が可能になりましたので、今まで通り配信させていただきます。すじた







9月11日(日)天気:曇り 気温:22℃ 湿度:68%

今回は、ここネパールにおける「日本語学校」の設立の進捗状況と日本の学校の進捗状況についてお伝えしたい。

この目的は、前回の通信にも記載しているので割愛させていただく。
さて、定員のある「日本語学校:日本へ留学する為の学校」では、人を選択しなければならない事が重大な問題でもある。

今までも選択してきたが、貧困層の子供たちの中で貧困の順に、誰から支援していくか。を決断するれば良かった。
人数も少ない。

しかし、今回の留学費用の格安な「日本語学校」では日本の大学留学を目指すネパールの若者や、日本での2年間の学習経験を得る事が目的である、若者が対象であるため、応募者の数も桁外れで、ある意味、数の把握が出来ない。

でも、定員はあるため「足きり」をしなければならい。
校長をやってくださる「Iさん」と議論を重ねたが、結局「ガラガラポン:年末の福引抽選」のような方式よりない事が結論であった。

教室の手配、先生の依頼、教科書の選定、学校設立の申請、看板、チラシなどなど仕事は山ほど山積している。




こんな時期に衝撃的な電話(スカイプ電話)が鳴った。
日本の設立した学校に対し、入管から書類審査の結果が「×」の連絡が入り、肝心の受け入れ先の設立が遅れる事になった。

理由は???なのである。
国の是非を決める基準は、誰にも教えないし非になった理由も伝える必要がないと、言われる。

特に入管や大使館関係の申請時。
ここでの「日本のビザ申請」でも同じである。
再度立案の建て直しからはじめるが、来年秋の開校は遅れることが明白となり、その対応に慌てた。

既に支払った現金の回収ができるかどうか?
既に仕事に入っている学校設立の書類はどうなる?

既に手配した机や椅子・教室の取りやめをはじめ、一時作業の中止を余儀なくされた。

でも、今回の「×」はある意味の試練ではあったが、将来に向けて決してマイナスではなく、半年先には「質の高い学校の設立」が出来るはずである。

しかし、最後まで一旦決めた開校日の開校を諦める事なく「がんばって」いる「日本の学校設立チーム」の姿を見聞きし、遠いネパールからエールを送っている毎日である。

この報告は定期的に「通信」に組み入れたい。






さて、ここで人の生まれてきた意味について考えてみたい。

「三万年の死の教え」では・・・・・
解脱できなかった「魂」は、再び輪廻の「渦」の中へと引き込まれて行く。






小坊主:では、生まれてくることは喜びではない、というのですか?

老僧:死ぬ事がたんなる悲しみではないのと同じように、それだけで喜ばしいことではない。

小坊主:では、生まれてきてしまったものの生には意味がないのですか?

老僧:生と死のむこうにある、心の本質を知る事が出来たら、その生には意味があったという事になるし、それができなければ、無意味な事を重ねたことにすぎないだろう。

お前は何も知らず生まれてきたが、今は生まれてきたことの意味を知り始め

ている。(1)

小坊主:「生まれる・・・・・・死ぬ事・・・・・」

老僧:お前にいい言葉を教えてやろう。インド人が考えたものだ。




誕生のときには、あなたが泣き、全世界は喜びに沸く。

死ぬときには、全世界が泣き、あなたは喜びにあふれる。

かくのごとく、生きることだ。(2)






(1)生きる意味とは何か。

人生に「意味がある」というのはどうゆうことか。

人がもしも「心の本性」に触れている人生を送るなら、その生命活動は瞬間瞬間に「意味」を持つ。それから離れれば、人の活動は「意味」がなく、ただカルマの物質法則力の世界において、「偽の意味(偽論)」を楽しむことになるだけという考え

(2)これはニヒリズムではない。

人生を「空」を背景にして大肯定する単独者の思考が、ここにある。






では、「心の本性」に触れている人生を送るとは、どう言う事なのか?



・自分を捨てて、他人の事に関わる人生

・自分を「空」にして全ての生き物と関わる人生



いづれにしても、生きている多くの人間には極めて難しい生き方であろう。




添付写真はパシュパティナートで毎日行われている荼毘風景である。

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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。





では次回「ネパール通信」まで



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  1. 2016/09/12(月) 21:40:58|
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学校を作る難しさと、蘇る力をくれた三浦さん

9月1日(水)天気:曇り 気温:23℃ 湿度:65%


今回は、ネパールにおける「日本語学校」の設立についてお伝えしたい。
一方、ラムチェ村のモデルハウスの進捗状況はというと、この時期、病気や怪我や事故による死者が多い事もあって、モデルハウスを作っている家族に不幸が発生したり、怪我をした人も現れたりで思うように進んでいない。(地階の部分と柱が6本)

しかし、少しづつではあるが進んでいるのは確認できる。
さて、学校づくりであるが、今までやってきた学校作りは山村の学校の校舎を作るのが主たる仕事で、集客の必要な学校、つまりビジネスに繋がる学校設立申請などはやった事がなかった。

その前に、なぜ今、日本語学校なのか?を説明したい。

以前からここの出稼ぎ事情はお伝えして来たが、彼らの多くは120万~150万円ほども借金をして日本の学校へ入り、アルバイトで学費を捻出。

大学卒業後「就労ビザ」を受けて日本の企業に就職すると言う、膨大な夢を抱えての日本語学校なのである。
そんな大金を借金して学費や生活費を捻出はできても、借金は減らない。
何とかその半分で日本の学校へ行けないかを考える毎日であった。


そんな折、三重県のある会社の社長さんから「ネパールに日本語学校を作って欲しい」旨、要請があり、極めてタイトな日本での日程ではあったが、三重県鈴鹿へ出向いた。(名古屋駅まで出迎えてくださった)

ソーシャルワークをいつも考えて経営をやってきた社長さんは、現在もネパール人の学生たちに働く場を提供してくださっている。

ネパールの人たちに、もっと仕事をやってもらい給料を母国へ持って帰ってもらうためには、どうしても日本企業で作る日本語学校の設置とネパールに我社の協力学校つまり「日本語学校」がなければそれが出来ない。
その学校設立をお願いしたい」との事であった。


そのため、最初は何処から手をつけて良いものかさえ分からない。
設置場所・先生やその数・教科書は?・授業の時間帯は?・役所所に対する学校設立の申請は?
などなど全体の仕事量が見えて来ないのである。

不安と空回りの時間が経過し、焦りが自分でも分かるようになって、「これはいけない!」と元の精神基準に戻して事にあたった。

そうした中で、少しづつではあるが、ぼや~っと見えて来た「全体像」があった。

なぜ分かってくれないのか?
なぜビジネスしか考えられないのか?
現地の人間のマインドは十分すぎるほど分かっているのに、つい、しまった!と気付く事が重なり、また元に戻ってやり直す毎日である。


自分の修行には、これほど適した環境はない。
日本の常識は非常識!
念頭にネパールの常識も非常識!
どこに糸口をつかみ出せば進むのか?


嘘800のネパール人

脅す

盗む

騙す  の3原則が彼らの常識である以上、どこに入り込む余地を見出すのか?

口で言う事とやる事が全く正反対である。
でもやらねばならない。
「日本でも昔から、他人を見たら泥棒と思え」の言われているが、
どうする!どうする!どうする!が頭を駆け巡る。

しかし、身体は動かない。動けない。
サンガの自宅を出て、カトマンドウの安ホテルで3日間。考え続けた。
そんな折、日本語の教科書を貸してくださった日本の方(ご自分で診療所を運営して、お金の無い貧しい人たちの診察をしている)が、カトマンドウにある店に本が置いてあるからと言われ、受け取りに伺った、

その店で店主が大きな写真を背景にした長椅子に腰を掛けて、その本を読んでいた。

「私は筋田と言います。日本の女性から本をここで受け取るように言われて来ました」と告げると、直ぐにこれですね。と上手い日本語で返って来た。

事の次第を告げると、彼は自分の背中の壁に貼ってある大きな写真を指差し「私のこの店に何度も来てくれた」と言って「三浦雄一郎氏」と彼の写っている写真を説明してくれた。

私も「三浦雄一郎氏」にはとんでもない「勇気」を頂いた。

あのエベレストでの快挙は、多くの日本人にも大きな勇気を与えた事は、日本人なら誰もが知っている。

さらに彼は自分の店の隅に設置してある、プロジェクターと全自動で作動するスクリーンをセット。

「これから三浦さんのビデオをやるので見ていきなさい。」と言って勝手に投影しはじめた、時間的制約も無かったので彼のなすがまま見る事となったが、次第に食い入るように見ている自分に気がついた。

ビデオは三浦さんがパラシュートで滑降に失敗し「死の淵」を転倒しスキーは飛び散り滑り転がって行く映像を写し出した時に、「凄い!」と感じた。


この滑落が三浦さんを、単なる冒険家から「人の生き方」を掴んだ人生を歩んでいる今の彼があるのだ!と理解できた。

殆どの方々が知らない「彼の仕事」は日本全国に存在する「学校に行けない子供や親の庇護が受けられない子供の学校」を数多く作って運営しているのである。でも彼は誰にも何も言わない!こればかりではない!


それが、自分のためである事を一番良く知っているからである。


ビデオが終っても暫くは呆然としていた。
しかし気がつけば、今まで「空回り」していた自分に気がつき、本来の精神状態に戻った事が分かって店主に深くお礼をして出てきた。店主の名前を「ラジェンドラ シュレスタさん」と言う。

この店で精神状態を戻してくれた三浦さんの「死の淵の滑落」を撮影したカメラマンは今はこの世には居ない。

その後、何十年と言う時間が過ぎ先般のエベレスト最高齢の登頂である。



ありがとう!三浦さん。

事をなすと言う、勇気はしっかりと頂きました!




添付写真はめずらしく点灯している信号と寺院の前の獅子である。(左が雄)


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  1. 2016/09/01(木) 20:53:10|
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一人の力の、何と小さなことか

8月21日(日)天気:晴れ 気温:22℃ 湿度:62%

今回は、雨期の真っ只中にあってモデルハウスの建設状況もはかばかしくなく、「銀杏日本語学校の設立」に集中していた。

しかし、はじめての仕事とはこんなに分からないものかと痛感した次第である。

学校の申請の前に会場調査や先生の確保、誰に問う監督をお願い出来るのか?
などなど、素人の私が一人で出来る仕事ではない。

JICAの古い友人であるソシルバッタチャンに大まかなアドバイスを受け、
多くの人脈を持つあやさん「女性ながら一人で服飾の仕事をこなしている方」にお願いして人材の確保に努めた。

なぜなら、今までの私の人脈とは全く異なる人間関係が必要になったからである。

しかし、いざとなるとなかなか思うような人材にはありつけず現在もなお捜索中である。

最初は教室と教科書・先生が揃えば何時でも学校が出来るだろうと、簡単な気持ちであったが、
やりたい、やりたいと思っていたため、以前から調べては来たが本格的に必要な事を見聞きしたのは今回がはじめてである。

とにかく、膨大な仕事量がある。

会場設定一つをとっても、集客の良い場所となると何処がいいのか?

日本でも、10m離れた全く同じコンビニでもちょっとした事が原因で、
一方にはお客が来ないため閉店に追い込まれる事は良く耳にする。

それと同じで人に聞いても教えてくれないし、分からないのである。

つまり、人間心理の部分でもある。

また、実務でも日本人なら誰でも出来るであろうと思ってきた日本語であるが、
いざ教えるとなると、全く違う要素が必要になって来るから不思議である。

人に分かってもらう事の難しさは、通常の仕事でも何時も起こっていることであるが、「たかが日本語」されど日本語である。

日本語検定の2級や1級など、今の私にはとてもクリヤー出来そうにもない。

日本人さえもが出来ない日本語検定試験にパスしているネパール女性がかなり居る事にも驚いている。

さて話が、本題かそれたが今回の学校設立については多くの日本の方にご協力をいただいている、本当にありがたいことである。

何も知らないと言う事は「恐ろしい」ことであり、先の苦労が全く見えていないのである。

行き当たりばったり、で危険予知が全くできないのである。

俗に言う「極楽トンボ」なのである。

そんな時は、教えていただく人を探してもらうのである。人脈のある方に・・・

それぞれの専門家?が居て、小さい頃から勉強にはとんと関心のなかったと言うか
劣等性の「わんぱく坊主の私」にはまるっきり、闇の世界の仕事でしかなかった。

しかし、知らない強みとでも言うのか少しづつ解き明かして、
やがては解決してゆきそうな仕事ぶりに、周りが不安で手を差し伸べていただけるのである。

本当に心から感謝する毎日である。

開校目標を10月はじめに置き、それまでにやはらねばならない仕事を列記して潰す作業が、知らないだけに面白いから不思議。

そんな事を言ってては、援助して下さっているみなさんに申し訳がないが、本当の気持ちである。

「望めば道は自ずから開かれん!」誰かの言葉だろうが、本当である。

現役時代は「俺が俺が」で突き進んで来た時代であったが、今は「私は何も知らない」ただひたすら教えを請う姿勢だけである。

一人は何と小さな力だろう、しかし周りの協力を得た時には「こんな事が出来た」と思えるほどの大きな仕事ができるのである。

今回ほどこれを痛切に感じた事はない。

一人で出来なければ、周りに「私は出来ない」教えて下さい。と言うことである。素直になれば道は開かれる。

まだ道半ばであるが、多くの人の力で9月末には開校に持ち込みたい。

人間関係は人生の「色彩:いろどり」である。

人間一人では生きてはいけない、人生の「彩り」は如何に多くの方々と接触をもち
力を貸していただいたり、助言を頂いたりして来た結果であろうと考える。

添付写真は先般日本で働くネパールの青年お二人が子供の衣類を届けてくださった時のものとフェワレイクのサンライズである



井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。





では次回「ネパール通信」まで



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フェワレイクのサンライズ
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日本で働くネパールの青年(子供服を持ってきてくださった際に。)
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  1. 2016/08/21(日) 19:05:44|
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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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