ネパール通信

ネパールでのボランティア活動報告を通して、生きた現地情報をお伝えします。

「ネパール通信」3月のラムチェで「土」調査


「ネパール通信」3月のラムチェで「土」調査



3月28日(火)天気:曇り 気温18℃ 湿度:68%



今回はラムチェ村での「日本の鶏糞による土改良」について報告したい。

3月26日早朝(7:30)サンガのバス停で佐々木さん(鶏糞提供者)と
ネパール政府の若き役人のギネスさんをジープでピックアップして、一路バラビシへ出発。

今回は日本からのゲストお二人も同行しての「調査」となった。
日本から送っていただいた、中学生用の「ブラウス」を持ってのラムチェ村訪問となった。

途中、何時もの「朝食場所」であるネパールのローカルレストランで魚のフライとダルバートを食べて休憩し、
11時ごろ再度ラムチェ村に向けて出発。

バラビシで今日の夕食と明日の朝食用食材を購入し再び出発。

ここからは、例によって車の中の人は「芋を洗うような」物凄い「ゆれ」の道を約1時間登り、
やっと学校の見えるところまで辿り着いた。

しかし、何かおかしい・・・

学校の付近に、子供たちの姿が見られないのである。
ミナに確認してもらうと、今日は「試験」の最中だそうで外で遊んでいる生徒は殆どいないとの事。

佐々木さんとギネスさんは、学校の外回りを見ていると言って散策に出かけた。
彼らは学校の子供たちには関心が無く、土の改善に来ただけなので自由にしてもらった。

ほっとして、まずは学校へ出向く。

職員室に入って、校長先生はじめ先生方が「試験の準備中」なので遠慮がちに入って行くと、
既に椅子が並んでいて適宜座って当方の地震による学校の被災状況などを説明していると、
校長先生が「筋田さんは知っているが、他の方の紹介をして欲しい」との要求で、
それぞれ「川口さんと今崎さん」が英語で自己紹介。
校長先生からはお二人に「これからもよろしく」と挨拶があり、
試験が終った頃を見計らって校庭(小さな広場)に降りて「ブラウス」の配付準備をした。

約50人ほどの6年生と7年生の「女子生徒」には並んでもらい、ミナが一人で配布した。

ここへ来る前にパトネちゃんに「6年生と7年生の女子の数」を学校に確認して140人との事で
その人数分を持って行ったが、多すぎたようであった。

しかし、不足するよりはいいと、一人に3~4着ほどのTシャツやブラウスを手にして、
全員が家路に着いた。と思ったら、それぞれ教室で早速手にした衣類を試着。

やはり女子である。

それを横目に、ミナのコテージまで急いだ。

コテージでは、お母さんが「お茶」を作って待っていてくれ、早速暖かいお茶をよばれた。
その間にミナのお父さんがゲストの為のテントを設営、ゲストにそれぞれ好きなテントを選んでいただき、荷物を運んだ。

30分ほど休んだ後、佐々木さん・ギネスさんを伴い試験をする畑(現在はとうもろこしが植えてある)に出かけて、
何処で調査するのかを検討してもらった。

調査場所が決まって、ミナのお父さんとミナが「とうもろこし」の植わっている周辺の土を柔らかくして、
そこに持って来た「鶏糞」をばらまいて行った。

2m平方ほどの敷地に半分だけ「鶏糞」を蒔いて、その比較を調査するのである。

6月後半にはその結果が出るが、その間の「間引き作業」はミナのお父さんにやってもらわねばならない。
(ちょっと心配:間引きと言う仕事を知らない)

後ほどミナに教えてもらうより他はない。

ミナが4人のゲストを連れて例のビッグストーンに出かけたので、当方は水のシャワーで身体を拭きに行った。

約1時間半後全員が帰宅、「ミナのおばあちゃん」宅へも訪問しての帰宅であった。
この日の夕食は、チキンのダルバートと「卵ごはん」である。
サンガから持って来た「醤油」を入れてご飯を入れて食べる「有精卵」は濃厚な味で好評であった。

ちょうど、食事の時間には後ろの「鳥小屋」では雌鳥が卵を7~8個も暖めているのを見ながら
「卵ごはん」を食べているのである・・・・・・複雑・・・

夕食が終って直ぐに就寝とはならず、まだ夕方の6時半である。

雑談の後、それぞれのテントへ移動して就寝。

翌日は朝8時半ごろジープで一路サンガへと急いだ。

サンガ到着は12時ごろであった。

この試験の結果は随時「通信」で報告したい。


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井戸の外からとネパールの習慣は当面割愛させていただきたい。





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「ネパール通信」3月の雨と期待


「ネパール通信」3月の雨と期待




3月20日(月)天気:星が見えない 気温:12℃ 湿度:60%

これを書いている時刻は午前4時半である。



過去10数年に亘り、この時期の長雨など経験がない。

ヒマラヤでの雪は何度もあるが、平地で続く長雨など全くない。



さて、表題に入りたい。

この時期に家の改築工事を実施しているところは多く、この雨に???どうする???。
ただでさえ進まぬ改築工事の足を引っ張る「長雨」である。

銀杏旅館でも以前からあった屋上の表面のセメントを削ってタイルを張るべく準備をしていたが、
タイル職人が「酒びたり」で仕事が進まず、新館の階段に雨水が染み出してきて焦った。

今は、職人不足でよく働く職人は高給で引き抜かれて行く。


例え、今働いている現場があっても他の現場で高給を払ってくれるとなると、
工事の途中でも「さっさ」と止めて行ってしまうから始末に悪い。
勿論、事前の相談などあろうはずもない。

突然、居なくなった職人の後任探しが始まるのである。

地震の前まで「1フィートスクエアー:約25cm四角」の面積のタイルを張るのに
35Rsだったのが、今は50~60Rsにもなっている。

高い上に働かない職人に嫌気がさし、「くび」にするも後任が見つからず工事は途中でストップする始末。

そこへ、この時期(3月)には珍しい「長雨」である。

そのタイル職人の仕事が終らないとアルミサッシの仕事も、ペンキの仕事も出来ないのである。


このタイミングで、初めての「実験」を試みる作業がある。

実は、日本のある企業から「鶏糞肥料」のサンプルを、ネパールで剣道の普及活動をされている女性「佐々木さん」から入手。
日本からの輸送費をODAを使ってネパールへ送り、化学肥料の入っていない土に「活力」を復活させるための試みである。
この結果が今後、日本から送られる肥料が有効か否かの政府へのレポートにもなるのである。
それによって、毎年何十トンもの「無料の肥料」が日本から送られて来る事が可能になるのである。

ネパールの鶏糞もあるが、餌が違い栄養が無い、牛の堆肥も同じである。
やはり、餌の栄養の有無によって肥料の栄養の有無が決まるのである。
そのためには、実績を出さなくてはネパール政府の輸入許可は下りないのである。

事前に、ラムチェ村の土地の成分を分析していただき、化学肥料が入っていない事を確認してから、
鶏糞との配分量を決めるため現地に「その道の専門家」に同行していただき、
それぞれの「畑」の鶏糞配分量を確認する作業である。

3月の最後の週に実施すべく、日程調整や装備の準備などを進める。

このレポートは「大きな期待」と共に4月の最初の「ネパール通信」から配信し、随時お知らせしたい。

添付写真は以前にも添付した、ラムチェ村のミナの畑の一部である。

これが実験現場となる。

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「ネパール通信」銀杏旅館の改修工事・・・


「ネパール通信」銀杏旅館の改修工事・・・

3月7日(火)天気:晴れ 気温:16℃ 湿度:50%



今回は、旅館の改修工事の進捗状況についてお伝えしたい。

考えてみれば、ネパールに来て殆どの日にちを「家の建築」に当てていた事に気付かされた。

最初は「初期の銀杏旅館」でネパール様式の建築で「石と土」を使った(一部セメント)建物であったが、
土地の購入から整地、旅館の施工に仕上げ工事と外回りの工事、さらには電気配線や電話、
インターネット配線などなど、土地探しから始めて約3年の歳月を要した。

この間もカトマンドウから引っ越して、近くの借家を借り
「旅館の建築状況」を見守るために現場に通い詰めなければならない。

やっと完成した「初期の銀杏旅館」ではあったが、問題続出。


雨期を経験してはじめて解る問題である。

元々、段々畑の土地であったため、1階の壁は隣の土地の側面を使う事になり、
雨の量が多い時などには、壁から雨水が染み出してくる始末。

この作り方では、周りは完全に土と離れていなければ、家に水が入って来る事が解った。

ミナの部屋などは、夜中に雨の降った時には部屋中が浸水した事も度々であった。
(隣の土地と離れている2階から上の客室では問題ない)


そのため、客室とキッチン・ミナたち子供の部屋を作り変えなければならない事は完成当初から解っていた。

3年ほど我慢して使っていたが、雨期の現状を見るにつけ急いで建てなければとの思いが強くなり、
生活費を多少我慢してでもと、まだ建て始めてから5年半ほどで解体と再建が始まった。


この時には、リビングに子供たちが移って、
そこがキッチンであり居間であり寝室で、当方の部屋はその上である。

その間約1年半ほど、子供たちには不便な生活を強いた。

やっと完成した「新銀杏旅館」は旧銀杏旅館のリビングを併用しての運営となった。
段々畑の構造は側面を二重構造として(壁が2枚の構造)で問題回避。

しかし、半年後には例の地震で旧のリビングと私の部屋はクラックが入り
「使用禁止」の張り紙がされ、止む無く客室の一つに「緊急避難」する事となった。


この時、新館でのい被害は殆ど無く、当方の部屋とリビング(こたつの部屋)だけが改修を必要とした。

使用禁止になったリビングも造り替えなければ「旅館」の機能が失われる事から急がねばならなかったが、
ネパール全土が「建築材料不足」で思うように手配出来ない日々が続いた。


当然、ミナの村(ラムチェ村)でも家屋は全壊で、全てがコテージ(バラック)での生活である。

ラムチェ村の再建工事はパトネに担当してもらい、建築材料のみを村に搬入。

当方は、当面「銀杏旅館」の再建に没頭。

工事をする人も材料も全てが値上がりしたが、
働く人の「質」も落ち、酒びたりや怠け者が多くて、工事は一向に進まない。



さてはて、何時になったら完成するのやら・・・

既に、解体工事から1年が経過している・・・
8割程度は完成しているが、まだまだ未完成。
当方だけが「空回り」状態が続いている毎日である。
物置きと化した当方の部屋(客室)も、まだまだ使わせて頂かないと・・・とほほ・・・

添付写真は二重構造の基礎工事と新銀杏旅館の工事現場である。

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  1. 2017/03/07(火) 21:57:28|
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「ネパール通信」大学生のラムチェ村と小学校

「ネパール通信」大学生のラムチェ村と小学校

2月24日(金)天気:曇り 気温:21℃ 湿度:40%




今回は、福井県の仁愛女子短期大学のみなさんと先生による、
ラムチェ村での体験を目的に村で出会った「子供たちとのふれあい」をお伝えしたい。

なお、後日それぞれの学生さんたちによる報告があるが、
今回は短期間での滞在で書ききれない部分もあろうかと、全体を大まかに報告しておきたい。


2月16日午後、TGでネパール入りした一行は、(19歳の3名と20歳が一人)
ミナの出迎える空港から直接サンガの「銀杏旅館」に来ていただいた。

翌日の準備と部屋割りを済ませ、夕食は「ネパールのダルバート」で
はじめての異国の料理に心配しながらのスプーンの運びであったが、ほぼ全員が完食していただき、まずは一安心であった。


翌日の荷物(洗面具と趣向品・学校で使う教材)を区分して、「やぐらコタツ」で雑談。



2月の終わりとは言え、まだまだ寒い朝晩である。

雑談は10時を廻ってやっと終了、「ゆたんぽ」のベッドへ移動。

翌朝8時出発のため、6時半に朝食をして7字半には荷物をリビングに降ろして出発前の点検。
やはり、心配していたミナが一番遅く出てきた。

予定より20分遅れで出発!一路バラビシヘ。
途中「ドラルガル」でキャンデーや果物を購入し、トイレを済ませて再び出発。

目的のスリーサルソティーセカンダリースクールでは、子供たちが待っていると思うと気が焦る。

バラビシに到着し、別の仕事で来ていた九州の女子大生と合流して
昼食の「チャウメン」の目玉焼き乗せを食べるも、乾燥肉を止めてくれるよう伝える事を忘れて、
「てんこもり」のやきそばに乾燥肉が一杯。
しぶしぶ食べ始めたが、流石女子大生「私が貰います」と言ってくれた。

ここからは、インドの軽いジープに乗り換えて急な坂道を登る事約50分、
ただでさえ狭い山道に大きなトラックが「ショックアブソバー」を直していて、約30分ほど休憩。

予定の時間から30分ほど送れて小学校に到着。

既に、セレモニーの準備は出来ていて子供や父兄も学校で待っていた。

初めに、歓迎の花輪の贈呈が行われて、続いて新旧の校長先生やスンダルラマ
(パトネちゃん)の挨拶につづいて「澤崎先生」の挨拶(ミナの通訳)があり、
来年度から支援する子供たち27名に対し制服やカバン・文房具やスリッパなどを配布、
これには女子学生がお手伝いしていただき、早々に終えた。

つづいて、運んで来た400着の子どもの衣類の配布もお手伝いしていただき、無事配布を終了出来た。

何時もは、大変な苦労をして色やサイズを見て配布していたが、今回は衣類の数を主に配付したため、
後はそれぞれに交換してもらうのもありと言う説明で順調に配付を終えた。

新聞記者も来ていて、澤崎先生にも取材がありなかなか盛大に式典が終った事は幸いであった。


ゆっくりと、ミナのお母さんの待つコテージに向かうが、やはり登りはちょっと疲れる。午後3時10分コテージ到着。

コテージに着くと、ミナのお母さんが作った紅茶で一息。

休息後、みんなで今夜の「ねぐら」であるテントを張る。
まだまだ、明るい村を散策するためミナのガイドで出かける。
薄暗くなる時刻に全員が戻った。

ミナのお母さんのダリバートと「有精卵」の「卵ごはん」で満足満足。

翌日は土曜日で、学校は休み。
この日も村の散策、ビッグストーンや親戚の家さらには、
近隣の家のご婦人に誘われて「国際交流花盛り」と言った一日であった。

いよいよ、サンガに戻る日は午前中は学生さんたちによる「授業」の体験日である。

ここの内容については、後日の報告を待っていただきたい。

ちょうど12時ごろ全員が小学校からコテージに戻った。

パトネちゃんの奥さんが、「じゃがいも」をボイルして出してくれた。
これに、自家製のバターと塩を付けて食べるが、これがまた旨い。

12時半ごろジープの待つチョータラまで降りて行き、ミナのお母さんお礼を言っていざバラビシへ出発!
(登りでも下りでも所要時間は同じ)

1時半ごろに到着したが、やはり体中が「がたがた」で疲れる事この上ない。

サンガまで行くジープは既に待っていて、多少の買い物を済ませて再びジープに乗り込む。

午後4時無事サンガの銀杏旅館に到着!

この日の夕食は「日本食」である。

お風呂に入って身体を休ませてから、「やぐらこたつ」で食べる日本食はやはり、
「日本人だなぁ~」と思うひと時である。

学生さんたちの報告は後日掲載。乞うご期待!

添付写真は出発の様子と学生さんたちの小学校での様子

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  1. 2017/02/24(金) 23:10:41|
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「ネパール通信」日本人である事に誇りを持て!

「ネパール通信」日本人である事に誇りを持て!

2月16日(木)天気:快晴 気温13℃ 湿度43%






今回は、昨今の世界情勢から「日本に対する痛がらせ」や「中傷」が
近隣諸国から飛んできているが、決して怯まず前進して欲しい旨をお伝えしたいと考え配信させていただいた。



日本の国の歴史は、「紀元節」でも解るように、2000年以上の独立国家であり、
今まで一度も諸外国の植民地とされた事のない国であると同時に、設立1000年以上の会社
(宮大工の金剛組など)が存在するのも日本だけである。

周りを見回しても、2000年を超える現存する国家は「日本」だけである。


アメリカにしても建国300年足らず、ヨーロッパ諸国にしても2000年以上の歴史を持つ国はない。



何度も「侵略や属国」として生きて来た、長い歴史があるだけである。

日本には現存する会社だけでも、設立100年や200年の老舗は何1千社とあり、
欧米諸国でもそんな国はないし、会社もない。

日本の大手・中小手と言っても技術では、小回りの利く中小手の方が
極めて特殊な技術や技能を持っていて、それで成り立っている企業が多いのも日本の特徴であろう。



何せ、町工場から宇宙ロケットが飛び出す技術を持った国なのである。

ではなぜそんな国「日本」が、諸外国と大きくかけ離れた「歴史を積み重ねる」事が出来たかと言えば、
運や立地条件ばかりではなく、優れた「物の考え方」にあったようである。



例えば「古代中国の文化と教え」や「宗教」の導入により、
「よりよい物の考え方」を日本人なりに作り上げて行った結果が、現在の日本を形作っているのであろう。

では、中国はなぜそうした「素晴らしい教育や文化」が継承されていないのかと言うと、
「儒教」の考え方から来る「前政権の否定」から起こった「歴史の削除」にあると言っても過言ではない。


生まれながらにして存在する「儒教の序列社会」
これが、今の韓国や中国の生きる為の考え方となっている。

だから、中国や韓国の下に位置する日本とは「共に栄える」事は無いし、「恨みと憎しみ」が彼らの支えでもある。
何時か分かち合える日が、来るのを待っても無駄だろうか?

僅かに200年や300年の歴史を、何度も「削除」して来た結果が
今の中国の現在の形を作っているのであろう。  韓国も然り。


従って、何の継承も無く中国4000年の間、100年や200年の
歴史が繰り返され、「指導者の交代」が行われてきた結果である。
つまり、積み重ねる「物の考え方・技能・文化」と言ったものが、
時代が変わる度に「削除」され「白紙化」して来たのが「儒教の国・中国」ではないだろうか?


「孔子・孟子・孫子や三国志などに観る多くの優れた人材」すら否定されて
「消し去られた」現実(近年では文化大革命など)を知ればうなずける結果である。


それを学んで継承してきたのは、他ならぬ「日本」であった。

古くは1000年以上の昔から。
多くの知識が中国や韓国を通して日本に入り、
現在も尚、継承されている「物の考え方」は日本独自の「物の考え方」として生まれ変わって生きているのである。

そんな日本民族は、世界でも数少ない希少な民族と言えよう。

さらに、もう一つの支えは「武士道」の精神である。

極最近になって、やっと欧米諸国にも理解され始めた「武士道の精神」は
「まさに人の生き方」そのものである。

こうした「精神力」が全ての「粘り強く揺ぎ無い物の考え方」になっているのである。

それが、「日本人」であると信じて疑わない。




今回の通信では「気を悪く」された方もあろうかと考えるが、
「日本を憂う」当方の考え方であり、ご容赦いただきたい。

添付写真は抗がん剤として飲んでいる「冬虫夏草」と
投薬中の当方さらに菩提樹の葉っぱに描かれたコースター?


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プロフィール

筋田 雅則

Author:筋田 雅則
20代半ば、岐阜県山岳連盟の
カシミール遠征隊へ招聘
その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。

その後、ネパールの同宿の山仲間と、
「学校づくり」を開始し約30建設
ネパール支援を何十年も繰り返し、
定年退職後、ネパールへ移住。

現在はカトマンドゥ在住、
ラムチェ村を中心にボランティア活動を行う。

ブログでは、ネパールでの
ボランティア活動報告を通して
生きた現地情報をお伝えしていきます。

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